第十七レポート:神の意思とは一体何なのか
馬鹿な……何を考えている、この男!? 本当に
ピョートル・デルホルムは引きつった表情で招かれざる客を睨めつけた。
秩序神アズ・グリードを奉じるアズ・グリード神聖教会。それは人族の中で最も信仰を集める宗教組織だ。
どれほど小さな村にも教会が存在する、と言えばその規模がわかるだろうか。
その信仰の大本になっているのが神の奇跡、祈りの魔法――
魔術というのは多数存在するが、
村人や、街の人間は大きな傷を負ったり病魔に蝕まれるとまず薬を買うよりも先に教会に駆け込む。教会は癒やしの術により傷を癒やし呪いを解き、レベルアップの儀式を行う。はるか昔から教会は人族の生活の根底にあった。
人心を集めるのに一役買っているのが、その奇跡の威力が信仰に比例するという特性だ。
それこそが他の宗教組織と大きく異なる点でもあるのだが、アズ・グリードの僧侶は教義に忠実でなければいけない。
教義とはつまり、正義の心だ。アズ・グリードの僧侶は清廉潔白で罪を憎み弱者を救済し邪悪に立ち向かう、そんな存在でなければならない。
教会は――寄付で成り立っている。奇跡を失った僧侶はたとえそれまでどれほどの徳を積み高位についていたとしても、位を剥奪される。
もちろん、教会の上層部に神聖術を使えない者がいないわけではない。例えばリムスの教会の司祭は既に強力な神聖術を使えなくなっている。位が上がれば上がる程神聖術を使う機会はなくなるので、仮に途中で奇跡を失ってもバレる心配はないのだ。
だが――逆はない。
奇跡を失った僧侶はいても、強力な奇跡を行使する咎人はいない。
異端殲滅官。教会の有する唯一、滅ぼす事を目的とした機関。
目の前の白髪の男は間違いなく本物だった。耳に下がった司教位の証も、その手にはめられた神罰の代行者の証である黒の指輪も――いや、ピュートルの手勢が為すすべもなくやられた点から考えても間違いはない。
神聖術も――間違いなく、使えるだろう。
力づくで黙らせる事はできなかった。たとえリムスで逆らう者がいなくとも、強力な奇跡を行使する僧侶を害したとなれば表立ってピュートルに味方する者はいなくなる。
苦労して集めた傭兵達だって契約の解除を求めてくるだろう。傭兵に同行する回復魔法の使い手の九割はアズ・グリードの息がかかっているのだから。
集積金属の鎧は確かにカジノの目玉だ。これまでも手放すなど考えたことはなかったが、さすがに相手が悪すぎた。
教会が装備を没収するような権利を持っているわけではないが、無下にすればどんな風評が流れるかわかったものではない。
ピュートルに出資しカジノの成立に協力した商会も手のひらを返し一斉にピュートルを非難するだろう。
だから、譲歩した。
異端殲滅官の力は強大で、教会の枢機卿クラスの命令にしか従わないという。それを使うことができたとなれば、ピュートルの面目も立つ。いや、さらなる飛躍につながる可能性もある。
それを、この男は――。
「寄付…………? こ、これは、異な事を――司教殿。貴方は、僕が私財を投じて手に入れた伝説の鎧を、ただでよこせと仰る?」
欲の皮が突っ張っていたテオ司祭ですらそのような事は言わなかった。寄付は募るもので強制するものではない。
そもそも、ピュートルは既にリムスの教会に多額の寄付をしている。寄付の目的はともかくとして、教会にとってはお得意様のはずだ。
ピュートルの強い口調に、しかしアレス・クラウンの瞳は湖面のように透き通っていた。
「まぁ、言い方は悪いが――そうだ。鎧もカジノに飾られるより使われた方が嬉しいだろう」
「ッ……なんたる、横暴。教会は敬虔な子羊に寄付を強制するほどにまで、凋落したのか!」
髪を振り乱し、ピュートルは断罪するように怒鳴りつけた。
部屋の外には暴力に長けた、レベルの高いピュートルの部下達が大勢詰めている。だが、アレスはぴくりとも眉を動かさない。
「そうだ。ああ、使い終わったら返してやる。鎧が無事だったら、だが」
「話にッ……ならない。それは、到底交渉とは呼べないッ! 僕は、商人だッ、善良な、商人なのですッ! 僕にだけ不利益をかぶれと、そういうのか!?」
「そうだ。俺は教会だぞ?」
「教会は…………そういう組織じゃないッ!」
何故。何故だ。どうしてこの眼の前の男は動揺一つせず、悪びれもなく平然としていられるのだ!?
信じられない。海千山千の商人達を相手にしてきたピュートルをして、このような話の通じない人間がいることが理解できない。
アレスは小さく肩を竦めた。
「いや、そういう組織だ。そして目的のために手段を選ばない事が俺の仕事だ」
もしやこの男の仕える教会はアズ・グリードの教会ではないのではないだろうか? そんな馬鹿げた考えすら浮かんでくる。
集中する。冷や汗が額を滑り落ちる。平静を保とうとする。そんなピュートルの前で、アレスは大きくため息をついた。
「そもそも、悪いのはピュートル殿、貴殿のカジノだ。俺だって鬼じゃない、正当な手段で鎧が手に入ればそれに越したことはなかった」
「ほ、ほう。つまり、司教殿は……こうおっしゃりたいのですか? ぼ、僕のカジノが、正当な手段で鎧を手に入れさせる気がない、不正なカジノだ、と」
「そうだ」
チャンスだ。ピュートルは思い切り両手で机を叩きつけた。身体を震わせ、アレス・クラウンを睨みつける。
睨みつけていい。これは、とても自然だ。歯を食いしばる。
「屈辱だッ! 全くもって、ひどい侮辱だ、如何な高名なるアズ・グリード神聖教会でも許されるものではないッ!」
確かに、無理だ。正当な手段で鎧を手に入れさせるつもりはない。
だが、大きな不正をしているわけではない、ただ、奇跡が十回連続で起きない限り鎧が手に入らないような、そんなレートになっているだけだ。
雇い入れたディーラーは皆腕利きで、最新のスロットマシンについても、客の身ぐるみを気持ちよく剥げるような設定になっている。
だが、断じて大勝ちする者がいないわけではない。
ぴくぴくまぶたを痙攣させ、表情全体で怒りの演技をしながら、アレスに言う。
「教会に歯向かうつもりはないが――そこまで言われて、引き下がっては、僕の沽券に関わるッ! いいでしょう、勝負しましょう」
「勝負……?」
初めてアレスの表情が訝しげなものに変わる。ピュートルは捲し立てるように言った。
「勝負、です。僕のカジノで不正が疑われた事はない。チップを、用意します。貴方はそれで――ゲームをプレイする」
「ふむ。だが、貴殿のカジノは勝てない。とても公平な勝負とは言えないな」
カジノは公平な勝負ではない。ただの娯楽施設だ。運営側からすれば商売である。
だがその事には触れず、ピュートルは笑みを浮かべた。
「逆だ、アレス司教。貴方は僕のカジノを侮辱した。貴方は自身の言葉の責任を取る義務がある」
ピュートルは商人で、同時にギャンブラーでもある。だが、このような馬鹿げた勝負をするのは初めてだ。
「貴方が、万が一、『一度』も勝てず、チップをなすすべもなく失うような事があれば――僕は不正を認め、『
ありえない。全く勝てないカジノがリムスの象徴にまでなるわけがない。
ギャンブルとは言わば――確率だ。カードもルーレットもスロットも全てそれに収束する。だからこそ、ピュートルのカジノは幸運の女神に愛されたカジノ潰しの客たちを拒否してきた。
にやりと笑みを浮かべ持ちかけるピュートルに、アレスは眉を顰めて言った。
「いいだろう。自分の言葉の責任くらいは自分で取らねばな」
§ § §
「ッ…………」
「先輩……私、先輩のいいところ、いっぱい知ってますよう! 大丈夫です! 良いことありますよ! ファイトッ!」
ぷるぷる肩を振るわせるアメリアを、ステファンが慰めてくる。ステファンの見張りのためについてきた黒服も、なんとも言えない表情でアメリアを見ていた。
溢れるほどあったチップはもう残り僅かだった。
もちろん、負け続けていたわけではない。勝利でもらえるチップもいくらかはあったが、目標数には遠く及ばない。
ルーレットもカードもスロットも、その他のギャンブルについても――総合的に見て大敗と呼べる。
「ま、まだ。まだです……そうだ、この、十字架を質に入れれば――」
十字架は銀製である。神聖術も補正をかける貴重なアイテムだがアレスから下された任務を達成するためには売るのも致し方ない。絶対に、失敗するわけにはいかないのだ。
最近活躍していないアメリアにはもう後がない。
立ち上がるアメリアに、ステファンが拳を握り、甲高い声で鼓舞する。
「ま、間違いないです。次は絶対に勝てますッ! いっそ、お金を借りましょう!」
「……止めないんですね」
いっそステイを質に入れてやろうか。
冷静に戻りそんな事を考えたところで、ふとカジノの中央に人だかりが出来上がっている事に気づいた。
誰かが大勝負でもしているのだろうか? だが、盛り上がっている気配はない。まるで息を殺しているかのように静まり返っている。
何かあったのだろうか?
====作者からの連絡====
本日、漫画版『誰にでもできる影から助ける魔王討伐』の3巻発売です。
原作的には二部開始、グレゴリオやスピカと言った愉快な仲間たちが現れコメディが強くなっています。
可愛らしいスピカやグレゴリオ、アメリアのシャワーシーンを見たい方も、ぜひぜひ宜しくおねがいします!
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