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◎◎


 四方坂よもさか了司りょうじが人類を裏切ったのは、教祖に就任した翌日の事だった。

 ティルト・ノーマン。

 それが教団を本来立ち上げた男の名前であり了司の妹――四方坂初音はつねを設計した研究者の名前であった。

 四方坂兄妹は、組織と呼ばれる秘密集団――対根源的危機概念対策機関――【ヘルメスの庭】の作品である。

 シーキューブへの対抗と【真理】への接近を念頭にC教室によって設計された彼らは、従順で優秀な人造存在だった。


(……いや、あの教室の人間は、私達を人間として扱ってくれた。私達がどれほど人という生き物から逸脱していようが、彼らは人間だと認めてくれた。だから、私達は人間を誇りに思い、尽くしていたのだ――あの日が来るまでは)


 あの日――五年前。

 ティルト・ノーマンの手によって教団が形だけ設立されてちょうど一年後のその日、四方坂兄妹は特別な任務を拝命することになった。

 それは【鉄扉】と呼ばれるシーキューブを守ること。【鉄扉】を利用し、シーキューブを排斥することだった。

 【鉄扉】を守る役目を四方坂初音が、【鉄扉】の向うへとC₃シーキューブを追放する役目を四方坂了司が、それぞれ担うことになり、その為の特別な調を受けた。

 二人は真火炉町で、生涯【鉄扉】を護り生き続けるはずだった。


(だが――妹は、初音は消えてしまった。あの扉の向うへ――【真理】――【鉄扉】の向う側へ)


 その日、彼らは襲撃を受けた。了司が教祖へと就任する儀式中の事であった。

 襲撃者の数は不明。組織であるのか、個人であったのかすら、了司には分からない。彼が知っているのは、そのうちの一人が、


は白い仮面を被り、緋色の刀を持って、組織の防衛網を突破した。私を斬り伏せ――理由は分からないが殺さず、結果として、妹は消えた)


 ノーマンは、初音の消滅を襲撃者による戦死と位置付けた。【鉄扉】を護っての殉職と。実際、【鉄扉】の周辺には戦闘の跡が残っていた。

 しかし、それが間違いであることを、四方坂了司だけは知っている。


(私と初音は特別製ハイパービルド。通常の人造存在よりも、その性能は遥かに高い。高速新陳代謝による回復能力や、強化された身体能力。そして――共鳴感覚ネオ・シナスタジア


 【真理】の探究を、C教室は人類の集団的無意識への接触と位置付けた。その接触を図り、理解する為、四方坂兄妹には特に強い共鳴感覚が与えられていた。その副産物として、互いが感じていることを漠然と認識し合う程度のそれが、しかし兄妹作であるが為に強く作用したのだ。

 了司は感じ取った。

 初音の叫びを。

 恐怖を。

 慄きを。

 ――奇妙な、を。


(……そうして、私はあの時確かに感じた。初音が【鉄扉】に呑み込まれたことを。【鉄扉】の先に【真理】が――世界を滅ぼす【】が存在し、初音はそれを鎮めるための生贄になったことを。だから、私は人類を裏切ったのだ)


 それからの彼は、ただ四方坂初音を取り戻すためだけに生きた。

 初音が生きる世界を維持するために、【ヘルメスの庭】も知らない【終焉王】を【鉄扉】の向う側へと釘付けにした――その為に上辺だけ組織に従い幾つものシーキューブを【鉄扉】の向う側へ廃棄――供物として捧げた。

 そして同時に、自らの願いを叶えるシーキューブを探し求めた。

 

 消え去ったものを、この世界へと呼び戻す――甦らせる破滅的危機概念。


(そうだ、それこそ破滅的危機概念だ。失われたものが戻るなど、悪夢でしかない。それでも私は、その悪夢を求める。そしてその為になら、手段を選ばない)


 四方坂了司は決意もかたく隣を見た。

 教団の所有するロールス・ロイス・ゴーストの車内。

 運転は信者に任せ、彼は後部座席に秕未しいなみ華蓮かれんと二人乗っていた。

 秕未華蓮の顔色は蒼白であり、全く状況を把握できていないことが明らかだった。

 だが、一方で了司は、多くの事を既に把握していた。

 秕未華蓮に触れたことで、彼はを知ったのだ。


(この少女を、教団本部まで連れて行く。【鉄扉】の前まで、連行する。それで、私の望みは成る。大願成就の夜が来る!)


 急く気を慎重に表情から消しながら、了司は華蓮へと話しかけた。


「安心して欲しい。君の事は、私達が責任を持って保護する」


 華蓮は答えなかった。

 ただ茫洋と車窓の外を――混沌とした街並みを眺めている。


 焦げ茶ではない――


「朱人ちゃん――はやく、いらっしゃい」


 彼女がそう呟いたことに了司は気が付いたが、それ以上の意味は理解できなかった。


◎◎


 貴舩きふね深雪みゆきは、憤懣ふんまんやるかたなしと言った様子で、スダトノスラム降臨教団本部の来客用スペースをうろうろと歩き回っていた。

 彼女の怒りは教団と、何より自らの父親に向いていた。

 彼女が30過ぎるまで何の不自由もなく優雅な生活を送ってこれたのは、間違いなく両親の御蔭であり、深雪はそのことには感謝をしていたが、しかし今日ばかりはその感謝よりも恨み辛みの方が上回っていた。


(なによ、なんで父様はこんな、カルト集団なんかに首を突っ込んじゃったのよ!)


 彼女は先日、この教団ビルの地下で、世界の真実と父親が呼ぶものを見せられた――奇妙な鉄の扉の前で、黒魔術的な儀式が行われて、訳のわからないガラクタがその扉の向うへと消えたというそれを世界の真実と呼ぶのなら――だが。


(あんなの陰険なマジックかなにかじゃない! ラスベガスで見たデヴィッド・河童場かっぱばのショーの方が、よっぽど豪華で煌びやかで素敵だったわ!)


 儀式の場で、自分が常に小馬鹿にされていたことも、深雪の怒りが収まらない理由の一つだった。


(何よりあいつよ! あの坊主、教祖だか何だか知らないけど、偉そうにしちゃって! 私を何様だと思っているのよ、貴舩財閥の跡取り娘よ! それを陰険な表情であしらって……家に帰ったらあらゆる方法でとっちめてやるんだから!)


 肩を怒らせながら忙しなく室内を歩いて回る深雪は、怒りのあまりその変化に気が付くまで随分な時間を必要とした。


「……?」


 ざわざわと、何やら部屋の外が騒がしいのである。

 深雪はそっと入口の扉に忍び寄り、聞き耳を立てた。怒号が耳を劈いた。


「きゃ、きゃあ!」


 驚いた拍子に年齢不相応の可愛らしい悲鳴を上げて尻餅をつく深雪の耳に、次々に部屋の外から大声が飛び込んでくる。


『いそげ!』

『回収したC₃はすべて保管庫に移せ!』

『人員をかき集めろ! 教主様を迎え入れるのだ!』

升中ますなか様へ連絡を!』


「…………」


 慌ただしく走り回る靴音と、ものを運ぶ車輪の音。飛び交う幾つもの怒号は深雪には理解できないものだったが、しかし何か大変なことが起きているようだぞ、ということは察しがついた。

 深雪は立ち上がり、ドアへと再び歩み寄る。

 ゆっくりとノブをまわし、そろりとドアを開ける。

 僅かに開いた隙間から外を覗き見ると、白い詰襟の集団が右往左往しているのが見て取れた。彼女は「…………」としばらく悩んだ末、部屋から抜け出すことを決めた。

 もとより深雪の好奇心は強い。

 それが、いまのパニックにも似た状況に刺激され鎌首をもたげてしまったのである。


(ずっとこんな部屋で過ごしているより絶対マシよ! あの教主が困るんなら何でもいいわ。何が起こってるか突き止めて、こんなインチキ教団潰してあげるんだから!)


 そんな思いと共に、彼女は部屋から抜け出した。

 その決断が、彼女の運命を大きく左右するとも知らずに。


◎◎


「なんも知らねぇ下級信者はすべて帰宅させろ。無理やりにでも追い返せ。残りは裏口の防備と、それから入口に集結だ。なにがなんでも教主様を帰還させろ。それがてめぇらの仕事だ。分ったか? 分ったらタマ捨てるつもりで働け!」


 普段の彼を知る者からは想像もできない粗暴な口調で、升中惣一そういちは目の前の集団に命令を飛ばす。了司の前では縮こまっているその体は、いまは威厳に漲り一回り大きくすら見える。元より大きなガタイが圧縮された責任感に滾っているのだ。

 白髪交じりの髪を振り回し、彼は眼前の集団――ばらばらの服装ながら一様にがらの悪い集団へと一喝を投げた。


「散れ!」


 へいっ! と一糸乱れぬそろえた声で答えて、その集団――彼が過去の伝手つてでかき集めた鉄砲玉――私兵たちは散っていく。

 升中惣一は厳しい眼差しでそれを見詰める。

 彼は既に、待ち中に満ちる不穏な気配を察していた。

 彼の信奉する教主に、彼をという道から今の道へと連れてきた少年に危険が迫っている。

 その事実が、彼の言うところ罪深い人生の伝手を使わせていた。


(あの方は、世界にとって必要な方だ。何としても、守らなければならない)


 事情を知る上級信者の一団と合流し、更なる指揮を執るため移動しながら、惣一は最善の手段を模索する。既に了司が何者かに襲撃され、数名の信者が命を落としたことを彼は知っていた。更にその後、奇妙な一団が襲撃者に襲いかかったとの情報も入っていた。


(何かが起きている――教主様の仰る【終焉王】に関わることか――)


「報告します!」


 思索を遮るように、伝令が声を上げた。


「教主様が到着されました!」


 惣一は無言で走り出す。

 一刻も早く、その無事を確認したかった。

 走る。


「「「「「「「!!!」」」」」」」


 耳を弄するような叫び声が、彼の鼓膜を震わした。


◎◎


「教主様! お行き下さい!」


 夜の帳が降りる中、教団ビルに滑り込むように停車したゴーストの運転席で、運転手を任されていた信者は叫んだ。


「すまない」


 彼の顔に浮かぶ悲壮な決意を見て取って、了司は迷わずゴーストから飛び出した。秕未華蓮の手を引き、ビルへと走る。


「「「「「「「!!!」」」」」」」


 一度聞いたそのが、背後から響く。


(あの一団か! 次は、私を狙ってきたか!)


 彼と華蓮を救った異常な集団――シンビオントの軍勢が、教団ビルへ殺到しようとしていた。

 了司は全力で地を蹴ろうとするが、それでは華蓮がついてこれないと悟り、速度を落とす。人造存在である彼と秕未華蓮ではあまりに肉体の強度が違い過ぎたのだ。

 走る。走るが、その速度以上でシンビオントが迫る。


「くっ!」

(呑み込まれる――間に合わないかっ?)


 了司が歯噛みしたその瞬間であった。


「テメェら――つっこめぇっ!!」

「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」」」


 太い声が轟いた。同時に鬨の声が上がる。

 了司が前を向けば、そこに彼が信頼を寄せる右腕――升中惣一が鬼のような表情で立ち号令を飛ばしている。

 彼の背後からは津波のように、手に手に鉄パイプや木刀、釘バットと言った武器を持ったガラの悪い集団が飛び出し、次々に了司を追い越してシンビオントへと突っ込んでいく。

 波涛と波涛が激突する。

 その一瞬の拮抗状態の間に、了司はとうとう教団本部へと滑り込むことに成功した。


「教主様、こちらへ! お早く!」


 惣一に促され、了司は華蓮と共にビルの奥へと進む。

 背後では信者たちが入り口にソファーや机、棚などを積み上げ、即席のバリケードを手際よく製作していた。


「助かった、升中よくやった」

「有り難いお言葉ですが、すべて事が終わってから改めてちょうだいしたく思います」

「……分かった」


 信頼の上に成り立つ会話を交わし、三人はエレベーターへと向かう。

 地下――【鉄扉】のある最下層へと降りるためだった。


「升中」


 エレベーターに乗り込み、秘密のパネルを押しながら、了司は自らの右腕に告げる。


「今日までよくついてきてくれた」

「は」

「暇をとらす」

「――は?」



「――――」


 升中惣一は、四方坂了司のその言葉に答える前に、エレベーターの外へと向かって崩れ落ちた。

 惣一の信頼する教主の、了司の右腕が――ツキノワグマさえ打ち倒す強化筋肉が、惣一の心臓を的確に打ち抜いていた。


「私は――初音を【終焉王】より取り戻す!」


 了司は閉じ逝く扉の隙間に消える惣一から視線を切り、悲痛ともとれる声を上げた。

 ……秕未華蓮が悲鳴すら上げないことを、彼はもう気が付けなかった。


◎◎


 秕未華蓮は、そしてその場に足を踏み入れる。

 天井と壁は奇妙な凹凸に覆われ、床には隙間なく青い絨毯が敷き詰められたその場所。

 四方坂了司に手を引かれるまま、彼女はその空間を進む。

 中央に祭壇。

 そこに錆び付き封印された扉が――【鉄扉】があった。


「来るんだ、こっちへ来い」


 了司がうなされたような声で呟き、強く華蓮の手を引く。痛みが走るほど強いその力に、しかし最早華蓮は何も感じなかった。


「さあ、秕未華蓮――」


 了司の声が上ずる。興奮に震える。

 角錐の結界の中に押し込まれ、華蓮は【鉄扉】の前に突き出される。


「私の願いを叶えろ。私を――初音に会わせてくれ!」


 了司のその叫びに。

「――――」

 華蓮は。

「――――」

 秕未華蓮――


「では――世界の終末を、始めましょう」


 その銀髪を翻し、悦楽に歪む琥珀色アンバーひとみで、そう宣言した。

 彼女の全身より放たれた眩い光が、【鉄扉】と了司を押し潰すように呑み込んでゆく――



第七章、終

第八章に続く

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