第290話 レオタード

「子森君がんばれー!」

「キャー、子森くーん!」

「子森! 俺が見てるぞー!」

 ファンの女子と男子から、ステージ上の子森君に声援が飛んだ。


 子森君が照れて頭をくと、それがカッコイイらしくて、みんなから「ふう」って溜息が漏れる。


「許すまじ……」

「奴らに鉄槌てっついを!」

 そんな子森君を見て、対戦校の鉄騎丸君達が闘志を燃やしていた。


 彼らに余計に火をつけてしまったかもしれない。



「それでは、これより第一試合、先鋒せんぽう戦を始めます」

 この決闘を仕切る新聞部の司会の女子を真ん中にして、子森君と、黒龍剣山高校家政部の先鋒、富田林とんだばやし君が並んだ。


 家政部の四人目、富田林君も、鉄騎丸君達と同じ190くらい身長があって、筋骨隆々。

 頭は丸刈りで、顔を半分マスクで隠していた。


 さっきから、目から光線を出しそうな勢いで子森君をにらみ付けている。



「第一試合の先鋒戦、『掃除』対決は、我が校部活棟の部室二部屋をそれぞれが掃除して、それを清廉乙女学園のみなさんに審査して頂きます。なお、制限時間は二時間です」

 司会の女子が説明した。


「今回協力してもらった部活は、ラグビー部と新体操部です。双方がどちらの部室を掃除するかは、公平にくじ引きで決めたいと思います」

 司会者がそう言って抽選箱を出した。


 この場合、有利なのはやっぱり新体操部だろう。


 新体操部の部室は、部員達が毎日掃除してるし、僕達主夫部も何度も何度も忍び込んでは定期的に掃除してるから、すごく綺麗なのだ。


 対してラグビー部は、ただでさえ男臭いところに、試合が近くて忙しいらしく、掃除も行き届いてないと思われた。



 子森君と富田林君が抽選箱に手を突っ込んだ。

 中にあった紙を取って、それをかかげる。


「はい、それでは、主夫部はラグビー部の部室、家政部は新体操部の部室を掃除することに決まりました」

 司会の女子が二人がつかんだ紙を読み上げた。



「なんか、くじ運悪くてすみません」

 子森君が僕達のところに戻ってきて謝る。


「いや、逆に考えよう。より汚い状態の部屋を綺麗にすれは、それだけ審査の評価も高くなると思う。そう考えると、かえってこっちのほうが良かったかもしれないよ」

 僕は慰めた。

「そうだよ」

「掃除で取り返せばいい」

 弩や錦織も声をかける。


「はい、そうですね。そのほうがやりがいがありますしね」

 子森君が頼もしいことを言った。



 仕切りの新聞部の指示に従って、それぞれが試合会場の部室棟に移動する。

 両校の部員は部室の前で各々を応援して、掃除の様子は中継カメラから講堂のスクリーンに映し出されることになった。

 その映像はYouTubeでも生配信されるらしい。

 新聞部の仕切りは完璧だし、ちょっとやり過ぎなくらいだ。



 頭に三角巾、口と鼻をマスクでおおって、割烹着かっぽうぎにゴム手袋っていう、主夫部掃除用のユニフォームに変身した子森君が位置についた。

 出走前の陸上選手みたいに、肩を回したり、手首、足首を回して体をほぐしている。



「それでは、はじめ!」

 司会の女子がホイッスルを鳴らして、ストップウォッチを押した。


 子森君が、ラグビー部部室のドアを開ける。


 中からは、少し離れた僕達のところにまで、汗臭い匂いが漂ってきた。


 椅子の上にジャージやTシャツ、タオルや靴下なんかが散乱していて、中央のテーブルの上には、ペットボトルやコンビニのレジ袋、弁当の容器なんかが層を成していた。

 床の上も泥だらけだ。


「これは、大変だね」

 僕達の後ろから見守っていたヨハンナ先生が、半分笑いながら言った。

 でも、初めてヨハンナ先生のマンションに入った時に僕達が見た光景よりは、数倍ましだと思う。



 子森君はまず、窓とドアを全開にした。


 ユニフォームやジャージ、Tシャツやタオルを外の洗濯機に放り込む(今回は洗濯勝負ではないので洗濯はしない)。

 部屋中に散らかったゴミを、ゴミ袋に入れて片付けた。

 すぐに45リットルのゴミ袋が5袋も一杯になる。


 次に、はたきをかけて、ざっと床の上をいた。

 子森君がはたきやホウキを動かすたびに、もうもうと土煙が上がる。


 ほこりが収まるのを待って、母木先輩が置いていった業務用の乾湿両用掃除機で、床の上のゴミや土を吸い取った。


 掃除機をかけ終わったら、上の棚から順番に雑巾ぞうきんで綺麗に拭いていく。

 雑巾を濡らす水に、少しだけ柔軟剤を混ぜておくのが棚掃除のコツだ。

 こうすると、次から棚に埃が溜まりにくくなる。


 子森君は棚の上のトロフィーや盾もピカピカに磨いた。

 曇っていた窓ガラスも、プロが使うスクイジーを使って、手早く透明にする。

 寄宿舎の膨大な数の窓ガラスを掃除している僕達にとって、スピードと綺麗さを兼ね備えた掃除はお手の物なのだ。


 子森君の手際が良かったから、部室の中は一時間ちょっとで大体片付いた。

 けれど、部室に染みついた汗臭い匂いが微かに漂っていて、まだ完全に消えてなかった。


 子森君は匂いの元と思われるカーテンにファブリーズをかけた(本当は洗いたかったけど)。

 それでも匂いは消えない。


 どうやら、この匂いの元になっているのは、入り口にある靴箱みたいだった。


 子森君が教えをうように僕を見たから、僕は手でスプレーのトリガーを引く動作をした。

 すると子森君が何か思い出したように頷く。


 そう、ここは主夫部に伝わるアルコールスプレーの出番だ。


 子森君は、掃除用具が入った道具箱から、無水エタノールと精製水、それに、ハッカ油と、レモングラス、ユーカリのアロマオイルを出した。

 それらを適量調合して、アルコールスプレーを作る。


 それを靴箱に吹きかけると、靴箱を除菌すると同時に、爽やかな香りをつけることが出来るのだ。


 まもなく、部室の中の汗の臭いは消えて、清涼感のある香りに包まれた。


 もちろん、このレシピは、母木先輩からの直伝じきでんだ。



 匂い対策も終わって、最後の床掃除では、子森君は床板の隙間に溜まった泥まで、竹串でほじくり出して片付けた。


 子森君が床に竹串を刺している様子を見ていたら、それに母木先輩の姿が重なって見えて、目頭が熱くなる。


 広い寄宿舎で、母木先輩もこうして根気よく床板の間の塵を掃除していたのを思い出した。

 僕達は、そんな母木先輩を見ながら、掃除は一日一日の積み重ねだと教えてもらったのだ。


 仕上げに、床を丁寧に雑巾掛けして、子森君の掃除は終了。



「はい、それでは終了です! 手を止めてください」

 ほぼ同時に、新聞部司会が鳴らしたホイッスルが聞こえた。



「子森君、よくやった」

 部長として僕が声を掛ける。

「やったな」

「がんばったね」

「完璧です」

 錦織や御厨、弩も子森君を祝福した。


 今や、ラグビー部の部室は光り輝いている。

 窓からの秋風が通り過ぎて、カーテンも嬉しそうに踊っていた。


 二時間という短い時間に、精一杯のことはしたと思う。


「みなさんの普段のご指導のおかげです」

 子森君が言って、爽やかに真っ白い歯を見せた。



 こっちはやり遂げたけど、果たして向こうはどうだろう?

 黒龍剣山高校は、新体操部の部室をどんなふうに綺麗にしたんだろう?

 山ごもりの合宿をしたっていう家政部の家事の実力が気になる。


 僕達は新体操部の部室に急いだ。


 すると、新体操部の部室の入り口で、対戦相手の富田林君が、ワナワナと震えながら立ち尽くしていた。


 ドアが開いたところから見える部室の中は、椅子の上に服やレオタードが無造作に掛けてあって、掃除したような形跡がまるでない。


「どうしたの?」

 ちょうど目の前に新聞部の同級生女子がいたから、僕は訊いてみた。


「うん。あの人、部室のドアを開けて中に入ったんだけど、椅子の上に掛けてあったレオタードにびっくりして、それに触ることが出来なくて、固まっちゃったみたいなの」

 彼女が言った。


「はっ?」


「彼、顔を耳まで真っ赤にして、動かないの」

 同級生の彼女が言う。

「二時間ずっと?」

「うん」

「何も出来ずに?」

「そう」


 マジか……


 富田林君、女子に免疫めんえきなかったのか。

 何気なく置いてあった新体操部のレオタードに、恐れおののいてしまったらしい。


「抜かったー!」

 部室の前で観戦していた鉄騎丸君が、頭を抱えている。

「こんな、落とし穴があったとは!」

 九品仏くほんぶつ君も、天をあおいだ。

わなだ! これは巧妙こうみょうに仕掛けられた罠だ!」

 いわお君が拳で壁を殴っている。


 彼らは目に涙を浮かべてくやしそうだから、決してふざけてるわけではないと思う。



 もちろん、清廉乙女学園審査員の審査をあおぐまでもなく、勝者は子森君だ。


 講堂に戻った子森君は、さっきと同じようにみんなからの声援を浴びる。


 それを見た鉄騎丸君達が、下唇を噛んでいた。



「それでは第二試合、中堅ちゅうけん戦の『裁縫さいほう』対決を行います。代表者は、こちらへどうぞ」

 司会の女子が言って、錦織と巌君が立ち上がる。

 すると巌君が錦織にツカツカと歩み寄って、おでことおでこがぶつかるくらい、顔を近付けた。


「俺を富田林と同じと思って舐めるなよ! 俺は、ちゃんと女子と話したこともあるんだからな!」

 巌君が言いながらガンをつけた。


 なんか、絶対的に違う気がする。

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