第239話 監督

「先輩、ほっぺにチュッとするって言っても、顔を近付けるだけで、カメラの角度でキスしたみたいに見せますから、そんなに意識しなくていいんですよ」

 弩が言った。


「それから、さっきからセリフ噛み噛みでぎこちないです。ヨハンナ先生みたいに、自然に演技してください」

 ディレクターズチェアに深く座って、腕組みした弩が言う。

 映画監督になってからというもの、弩は僕に対してなんか手厳てきびしい。


「私のは演技じゃなかったりして」

 ヨハンナ先生が、僕の耳元で言う。




 僕達主夫部が、文化祭へ向けて映画を撮ることに決まったのは、数日前の、あの、部室での会議だ。



「私達で映画を撮りましょう! 主夫が大活躍する、映画を撮るのです!」

 あのとき弩は、興奮気味でそんなふうに言った。


「なんで映画なんだ?」

 突然の弩の発言に僕は訊いた。


「だって、主夫部と寄宿舎には、映画を撮るのにぴったりな人材が揃ってるじゃないですか」

 弩が自信たっぷりに言う。


「まず、撮影するカメラマンは、萌花ちゃんにお願いします。カッコイイ写真を撮れる萌花ちゃんに任せれば、間違いありません。萌花ちゃんは動画が撮れる一眼レフカメラを何台も持ってるし、レンズもたくさんあります。機材を借りるお金も節約できるんです」

 確かに、最近は本物の映画でも撮影に一眼レフカメラが使われたりするから、画質とかには問題ないんだろう。


「実は、萌花ちゃんにはもう、話を通してあるんです。萌花ちゃんは、動画撮影にも興味があって、いつか撮ってみたかったって言ってました。だから、協力してくれます」

 会議の前から、弩はもう動いていたらしい。


「そして、脚本は、新巻さんに頼みます。作家の新巻さんは物語を作るプロだし、最高のシナリオを書いてくれると思います。新巻さんに、どうでしょうって、さり気なく訊いてみたら、ちょうど新作が書き終わったところだし、面白そうだから手伝うって言ってくれました」

 確か、新巻さんは小説だけじゃなくて、自作の小説の、特典ラジオドラマのシナリオとかも書いてたから、そっちもいけるんだろう。


「そして、映画のセットを作ったり、ロケ場所を探すのは、宮野さんに頼めます。宮野さんは大工仕事が得意だし、建築家志望で、建物を見て回るのが趣味だから、ロケをすることになったら、ぴったりの場所を探してくれると思うのです」


「その様子だと、宮野さんにも話はしてあるんだな?」

 僕は訊いた。


「はい、もちろんです」

 弩は胸を張って言う。


「衣装は当然、我が主夫部の錦織先輩の担当です。先輩なら、衣装を作るにしても、コーディネートするにしても、配役にぴったりな服を用意してくれます。ね、錦織先輩」

 弩が訊いて、錦織が照れながら頷いた。

 確かに、それは間違いない。


「そして、御厨君には映画の中で食事のシーンがあったときの料理とか、撮影中の食事の支度を頼みます。テーブルウェアとかの小道具も御厨君に任せられると思うのです」

 弩に頼まれて、御厨がうん分かったって頷いた。

 御厨の料理については、もはや、言うまでもない。



「どうですか? 映画作りにはぴったりな人材ばかりでしょ?」

 弩が、ドヤ顔で訊いた。


「待て弩、映画には、そのスタッフをまとめる監督が必要なはずだ。それは、誰にするんだ?」

 弩が全て進めてしまってくやしいから、僕は訊いた。


「それは、もしよろしければ、私にやらせてもらえませんか?」

 ところが、弩が逆に聞き返してくる。


「弩が、やるのか?」

「はい、やらせて頂きたいです。一年とちょっと、主夫部の男子を近くで見てきて、その魅力を一番知っているのは私だと思っています。だから、それをみんなに知らせる映画の監督には、ぴったりだと思うのです」

 自分から名乗り出るなんて、やっぱり、今回の弩は違った。


 段々、弩も成長している、とか、偉そうに言うつもりはないけど、やっぱり一年前とは違って積極的だ。



「あの、それで、僕は何をしたらいいんだろう?」

 子森君が訊いた。

 萌花ちゃんがカメラマン、脚本が新巻さん、大道具が宮野さんで、衣装は錦織、小道具が御厨で、監督が弩。


 となると、僕や子森君は何をするんだろう?


「うん、まだ役割がない部員と寄宿生には、俳優をしてもらおうと思います。映画のメインキャストになってもらいます」

 弩が言った。

 その時から、やな予感はしていた。


「篠岡先輩、子森君、ヨハンナ先生、北堂先生は、演技するほうで活躍してもらいます。この四人を主なキャストにしたシナリオの執筆を、新巻さんはもう始めています。主夫の魅力を伝えるために、新巻さんには、主夫が主人公のシナリオにしてくださいって頼んであります」

 弩が言う。


 出演者に指名されて、演技なんて出来ないって断る道は、既につぶされていた。




 そんなふうに今年の文化祭への出品が映画に決まって、こんなことになった。

 ヨハンナ先生と僕は、テーブルで向かい合っている。


 新巻さんが書き上げたシナリオは、よりによって、教師をしているヨハンナ先生と、教え子の僕が、周囲に内緒で結婚しているというストーリーだった。

 先生と僕がマンションで二人、新婚生活を送っていて、僕が学校に通いながら主夫をしているという物語だ。


「だって、面白そうなんだもの」

 なんでこんなストーリーにしたの? っていう質問に、新巻さんはそう答えた。


 ちなみに、北堂先生は僕に想いを寄せる幼なじみの同級生役で、セーラー服を着て女子高生の役をする。

 北堂先生のセーラー服姿は、違和感仕事しろ! って大声で叫びたいくらい、似合っていた。


 子森君は、その北堂先生が演じる女子高生に片思いしている男子の役で、物語全体としてはラブコメだ。


 僕とヨハンナ先生が暮らしている設定の、このマンションの一室は、学校近くの空き部屋を借りて、そこを新婚夫婦の部屋らしく宮野さんが仕立てた。

 数日間、ただで部屋を借りるという不動産屋さんと交渉は、弩が一人でやったらしい。




「はい、それじゃあ、撮影続けますよ。このシーンを撮り終わらなかったら、今日は徹夜ですからね」

 弩がメガフォンを使って言う。


 去年と同様、文化祭準備期間中、僕達主夫部は寄宿舎で寝泊まりすることになった(当然、管理人のヨハンナ先生と、寮長の弩公認)。


 そして、僕と御厨が家事をしないと困るから、御厨の母親でモデルの「天方リタ」と、僕の妹、枝折、花園が寄宿舎で過ごすのも去年と同じだ。

 僕達がこうして撮影をしている今頃は、寄宿舎で三人が、ひすいちゃんをあやしてるんだろう。



「ダーリン、ほっぺたにチュして」

 役に戻ったヨハンナ先生が、そう言って目を瞑った。


 監督の弩に怒られるのは分かってるけど、僕は顔を真っ赤にして、固まってしまう。

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