第19章
第237話 水無月
今、僕の目の前で、信じられないことが起きている。
僕は、これが夢であって欲しいと、
「先輩、どうしたんですか?
廊下に
夏服のセーラー服で、いつもの、小動物みたいに人懐こそうな顔の弩。
そうだった。
これから部活だった。弩の顔を見て思い出した。
主夫部の部室に行く途中で、僕は信じられない光景を目にして、廊下に立ち尽くしていたのだ。
「弩、あれを見てくれ」
僕は対面の校舎の教室を指した。
「なんですか?」
弩が、窓から僕が指した方向を覗き込む。
「あれ? 枝折ちゃんじゃないですか」
弩が言った。
そう、あれは、僕の最愛の妹、枝折だ。
その枝折が教室で椅子に座って、前の席の男子生徒と親しげに話をしている。
話をしながら、枝折は時々笑ったり、首を振ったりしていた。
普段、家であまり感情を出さない枝折が、誰にでも分かるように笑っているのが、僕には不思議だった。
「枝折ちゃん、楽しそうに男子と話していて、良かったじゃないですか。すっかりクラスにも溶け込んでるみたいだし」
弩が言う。
いや弩、君は何も分かっていない。
「枝折が、どこの馬の骨とも分からない男と楽しげに話してるんだぞ! これは、由々しき事態じゃないか!」
「どこの馬の骨って、クラスメートですけど。おもいっきり
僕がうろたえてるのに、弩は涼しい顔だ。
「男子と話すなんて、枝折は、いつからあんな不良になっちゃったんだ……」
僕は頭を抱える。
「不良って……それなら先輩とこうやって話している私はいったい……」
弩が、能面のような顔で言った。
「先輩、枝折ちゃんが男子としゃべってるだけで大騒ぎしてたら、枝折ちゃんが結婚するときとか、どうするんですか?」
枝折が結婚とか、弩が、僕に恐ろしい質問をする。
「いや、枝折は、お兄ちゃんと結婚するって約束してるし」
枝折も花園も、約束している。
確かにそれは口約束だけど、何度も何度も耳にしてるし。
指切りげんまんとかもしてるし。
「いつの話ですか?」
弩が面倒臭そうに聞いた。
「たぶん、枝折が3歳くらいのとき」
いや、2歳半くらいのときかもしれない。
「枝折ちゃん、3歳のときから既にお兄ちゃんに気を使っていたのですね。かわいそうに」
弩がそう言って、枝折に同情して溜息を吐いた。
「枝折はあの男子に、何か秘密を握られてるんじゃないか? それとも、机の下でナイフを突きつけられているとか?」
僕が言うと、
「いいから先輩、とっとと部活行きますよ」
弩は全然取り合ってくれない。
僕は、弩に引きずられるようにして部室に向かう。
部室には、僕と弩以外の部員が、すでに揃っていた。
顧問のヨハンナ先生も、窓際のソファーの定位置にいる。
部員は中央のテーブルに着いて、御厨が作ったおやつでお茶をしていた。
今日のおやつは、
甘すぎない大納言小豆に、ぷりぷりの外郎の
おやつを食べてクールダウンしたあと、僕は「枝折ショック」からどうにか立ち直って、部長の役割を果たすために議事を進める。
今日は僕達主夫部にとって大切な会議だ。
「諸君、いよいよ今年もこの季節がやってきた。文化部最大のイベント。我らが一年間、
母木先輩みたいに言ってみるけど、やっぱり僕だとどうしても締まらなかった。
僕のことを
「この文化祭に、今年も我が主夫部は全力で挑もう!」
僕が言うと、部員は優しく拍手を返してくれた。
他の部も同じように会議をしているみたいで、文化部部室棟のそこかしこから、拍手や雄叫びが聞こえる。
「それで、我らが主夫部の、今年の文化祭の出展は、どうするべきだろうか?」
僕は、部員を見渡して問うた。
「去年の『寄宿舎アミューズメントパーク』でいいんじゃないかな」
少しの沈黙のあとで、錦織が言う。
去年は、最初やるつもりだったカフェがボヤ騒ぎで続行不能になって、
「そうですね。去年はベストの出展に選ばれてるし、去年のコンセプトをもっと発展させたらどうでしょう? カフェのメニューも増やすし、アトラクションも増やして、充実させましょう」
御厨が言う。
「去年のあれ、すごかったですもんね」
子森君も賛成した。
当時サッカー部だった子森君も、僕達のアミューズメントパークに来てくれたらしい。
嘘か本当か、先輩のヘッドスパを受けてみたかったとか、言ってくれる。
「去年はボヤ騒ぎがあってバタバタしたけど、今年は最初から取り組めるから、もっと手の込んだアミューズメントパークが出来るかもね」
ヨハンナ先生も乗り気みたいだ。
「去年であの収入だと、今年はもっともっと稼げるし」
先生がお茶を
そこそこ、生々しいお金の話は
主夫部部長の僕自身も、そっちの方向で考えていた。
去年同様、寄宿舎でアミューズメントパークを開くつもりで、手伝ってもらう寄宿舎の住人にも根回しを始めていた。
特に、大工仕事が出来る宮野さんなんかは、強力な戦力になりそうだった。
鬼胡桃会長とか、先輩方が抜けて出来なくなったアトラクションもあるけど、新しいことも色々生まれそうだ。
「去年はカフェの制服だけだったけど、今年はアミューズメントパークの制服も作りたいな」
錦織が言った。
「カフェの他に、ホットドッグスタンドみたいな屋台も作りたいですね」
御厨も夢を語る。
こうして、僕が部長を務める今年の文化祭も、方向が定まろうとしていた。
「あのあの、私は反対です!」
ところが、それに異議を唱える者が一人いた。
「私は、アミューズメントパークには反対です!」
反対したのは、誰あろう、弩だ。
去年、このアミューズメントパークを最初に考えた弩だった。
弩は立ち上がって僕達に訴える。
「確かに、私達主夫部は去年よりも実力も上がってますし、時間もありますし、アミューズメントパークをやれば、もっといいものが出来るでしょう。また、最高の賞が取れるでしょう。でも、それでいいんですか? みなさん、去年の焼き直しで満足出来ますか? 私達、もっと挑戦しませんか? それこそが、主夫部の実力を内外に示すことになりませんか?」
弩は、雄弁だった。覚醒している。
やっぱり、のちに大財閥を率いる才能みたいなものが、徐々に弩から
今の弩は頼もしく見える。
「具体的に、何かアイディアはあるのか?」
僕は弩に訊いた。
「はい、あります!」
弩は、待ってましたとばかりに自信たっぷりの顔をする。
「私達で、映画を撮りましょう!」
弩が言った。
「映画?」
僕は訊き返した。
「はい、主夫が大活躍する、映画を撮るのです!」
弩、君はいったい、何を言い出すんだ。
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