第188話 僕
「入寮したいと思ってるんですけど、見学は可能ですか?」
寄宿舎の玄関に現れた、制服の女の子が訊いた。
中学校の紺のブレザーに、スカートの制服。
髪は、二本の三つ編みを交差させて、サイドに寄せてリボンで結んでいる。
ほっぺたがピンクに染まっていて、人懐こい目の、初々しい女の子だ。
背丈は、弩より少し高い。
玄関から続く階段ホールでひな祭りパーティーの最中だった僕達、主夫部と寄宿舎の住人が、彼女を囲んだ。
「見学、大歓迎よ。見ての通り、私達はひな祭りのパーティーを開いていたところなの。ここは、こんなふうに季節の行事も欠かさないし、少数精鋭のアットホームな寄宿舎です」
ヨハンナ先生が答える。
先生、とりあえず、口から出てるスルメのゲソ、引っ込めてから言いましょう。
それに、少数精鋭でアットホームは、ブラックのフラグです。
「お名前は?」
鬼胡桃会長が訊く。
会長は寄宿生候補を逃すまいと、さりげなく後ろに回って、彼女の退路を
「はい、僕、『
その子は言った。
「えっ?」
そこにいた全員が訊き返す。
「え、あ、あの、僕、宮野たくみ……です、けど……」
宮野と名乗ったその女の子は、全員に見詰められて困った顔をしていた。
「僕、なんか、おかしいですか?」
宮野さんは小首を傾げて、訊く。
「ぼっ、
みんなが大きな声を出した。
「ぼくっこかわいいよぼくっこ」
新巻さんが、ほっぺたスリスリしそうな勢いで、宮野さんに顔を近づける。
懐からメモ帳を出して、なにかメモっていた。
新巻さんの萌えポイント、僕っ娘だったのか。
その横では「かわいー!」って言いながら、縦走先輩がくんくんと宮野さんの匂いを嗅いでいた。
先輩、匂い嗅いでどうするんですか。
「かわいいから、ホワイトロリータあげますね」
弩がそう言って、ポケットから出したホワイトロリータを一本、宮野さんに渡す。
おい、飴ちゃんあげる感覚で、ホワイトロリータをあげるな!
「見学記念に写真撮りましょう」
萌花ちゃんが言って、いつも首に提げている一眼レフで、写真を撮った。
でも萌花ちゃん、そんなに連写してどうするんだ。
後輩の寄宿生が出来るってことで、女子達はみんな、興奮している。
浮き足立っている。
しかもそれが、僕っ娘なのだ。
「私は、ここの管理人をしている、霧島ヨハンナよ。この学校の教師でもあるわ。よろしくね」
先生が髪を掻き上げて腰に手を当て、ポーズを取った。
ちょっと、お酒くさいけど。
「あ、先生なんですね。凄くお綺麗で、僕、モデルさんがいるのかと思いました」
宮野さんが言う。
「まあ、なんて素直な良い子なんでしょう」
先生はそう言って宮野さんを抱きしめる。
女子達、ちょっと浮かれすぎだ。
みんなに歓迎されながら、宮野さんが僕達のことを不思議そうに見た。
「あの、ここ、男子禁制じゃないんですか?」
僕達を指して宮野さんが言う。
「ああ、男子禁制だ。でも、彼らは主夫部と言って、部活動の一環でここの家事をしているんだ。とても頼りになる連中だぞ」
縦走先輩が紹介してくれた。
「主夫部さん、ですか……家事をしてるんですね」
宮野さんは、今一納得していないような顔をしている。
「見学したいのね。それじゃあ、生徒会長であるところの私、鬼胡桃統子が、直々に中を案内してあげ……」
会長の言葉の途中で、
「わあー!」
って言いながら宮野さんが階段の手すりまで走って行って、それに目を凝らした。
「この飾り彫刻、すごいですね」
宮野さんは手すりに施された複雑な彫刻を、目をキラキラさせて観察する。
「あ、あのう……」
半分無視された鬼胡桃会長が、面食らっていた。
「あっ、すみません。僕、こういう建物に目がなくて」
会長を戸惑わせる、面白い女の子だ。
気を取り直して、会長が寄宿舎の中を案内する。
僕達はそれについて回った。
「ここが食堂よ。食事をしたり、会議室になったり、勉強したり、のんびりくつろいだり、色々な用途に使ってるわ」
会長が説明する。
「わあ、サンルームが付いてるんですね」
宮野さんが、奥に走って行った。
サンルームには、ちょうど夕日の木漏れ日が差し込んでいる。
漆喰の壁に、オレンジ色の濃淡で模様が出来ていた。
「ここで、日向ぼっこしながら本を読んだり、お茶を飲んだり、まどろんだりするのは最高よ」
会長が言う。
「窓枠とかも、本当に丁寧な作ってあって美しいですね。金具の真鍮とかも、すっごくおしゃれです」
宮野さんが、それらを食い入るように見て、目を輝かせた。
「そ、そうね」
宮野さんの興味は建物にあるのか。
「個室は一階と二階で二十四部屋あって、ほとんどが空いてるから、好きなところを選べるわよ」
鬼胡桃会長が今度は個室に案内した。
サンプルとして、玄関の隣、107号室を見てもらう。
空き部屋だけど、母木先輩の掃除の結果、中は塵一つない状態で保たれていた。
「どう? この出窓と備え付けのクローゼット、素敵でしょ?」
会長が自慢げに言う。
「この腰板、一枚板の彫り下げじゃないですか! やっぱり、こんな丁寧な仕事がしてあるんですね」
壁の腰板を触りながら、宮野さんが言う。
「え、ええ、すごいでしょ」
会長もたじたじだ。
やっぱり、なんか、宮野さんは見るところが違う。
「ここがランドリールーム。寄宿生の洗濯物は全部ここでするんだ」
ここの説明は、会長に代わって僕がした。
「先輩が、洗濯するんですか?」
宮野さんが僕に訊いた。
「うん、洗濯は、僕がする。でも安心して、僕は毎日、妹達のパ」
僕が言いかけたところで、弩に手で口を塞がれる。
ちゃんと説明しようとしたのに、何するんだ。
「先輩、それは追い追い、説明していきましょう」
宮野さんに微笑みかけながら、弩が、僕の耳元で言った。
弩は、僕がなんかまずいことを言うとでも思ったんだろうか。
そのあと、風呂場やトイレ、多目的ホールに裏庭と、宮野さんに寄宿舎を
宮野さんは、終始、興味深そうに目を爛々とさせていた。
「それで、宮野さんはなんで寄宿舎に入ろうと思ったの?」
玄関に戻ったところで、御厨が訊く。
「はい、だって、ここ、
宮野さんが、あらためて玄関から階段ホールを見渡して言った。
「その、青村喜太郎って、有名な建築家なの?」
ヨハンナ先生が訊く。
「はい、あんまり有名ではないですけど、素晴らしい洋館を残している、僕が一番尊敬する建築家です。残念ながら
宮野さんが言う。
「私達、そんな立派な建物に住んでいるんですね」
弩が頷きながら感心していた。
「もしかして、ここに住むために、我が校を受験したとか?」
まさかとは思うけど、僕は、一応訊いてみた。
「はい! その通りです!」
すると宮野さんが屈託のない笑顔で言う。
「元々、興味があったんですけど、文化祭の時この建物におじゃまして、憧れに変わりました。ここに住むために一生懸命勉強しました」
宮野さんが堂々と言った。
これは、建物萌えってやつなのか?
「宮野さんは、建築に感心があるの?」
錦織が訊いた。
「はい、僕の家は工務店をやっていて、僕も、将来、家を建てる仕事をしたいと思っています。だから、こんな素晴らしい建物に住んで、勉強したいんです」
宮野さんが言う。
「へえ」
そういうことなら、僕達、主夫部は協力を惜しまない。
目標を持ってそれに向かって進んでいる女子は、すべからく僕達主夫部の妻だ。
「僕、決めました。ここに入らせて頂きます。みなさん、よろしくお願いします!」
宮野さんが言って、頭を下げた。
「良かった。大歓迎よ!」
ヨハンナ先生が声を弾ませて、みんなからも歓声が上がる。
宮野さんは女子達にもみくちゃにされた。
もうすぐこの寄宿舎では辛い別れがあるけど、少しの間それを忘れさせるような、嬉しいニュースだ。
「じゃあ、宮野さんも入って、ひな祭りの続きをしましょう!」
ヨハンナ先生が言う。
その日のひな祭りパーティーが、夜まで続いて盛り上がったのは、言うまでもない。
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