第179話 檸檬

 サッカー部部員 61人

 野球部部員   47人


 サッカー部マネージャー、宝諸ほうしょさんから示されたこの数字を前に、僕達は少し引いている。


「手作りチョコの範囲を超えてるよな」

 錦織が言った。

「どこかのお菓子工場ですね」

 御厨が言う。


「誰かさんが、女子マネージャーなんかに鼻の下伸ばしてるからですよ」

 弩が、僕をジト目で見ながら言った。


「ホントよね、私というものがありながら」

 ヨハンナ先生が、節分で余った炒り豆で作った豆菓子を、ボリボリとかじりながら言う(先生、お行儀が悪いから、ソファーの上で胡坐あぐらかくのはやめましょう)。



 文化部部室棟の主夫部部室では、サッカー部と野球部のマネージャーから依頼された、バレンタインデーのチョコレートに関する会議が開かれていた。


 母木先輩を除いた部員の僕達はテーブルを囲んでいて、ヨハンナ先生は定位置の窓際のソファーにいる。



「それで、チョコレートを作る予算のほうはどうなってるんだ?」

 錦織が僕に訊いた。


「うん、そっちは心配ない。毎年、サッカー部と野球部のOB会が援助してくれるそうだ。材料費に関しては面倒見てくれるらしい」

 青天井あおてんじょうで使っていいってことはないけど、予算に関しての心配はない。

 御厨が素材にって、ちょっとリッチなチョコレートを作ったとしても大丈夫だ。


「よし、水増し請求して、余分にお金もらっちゃおうぜ」

 ヨハンナ先生が悪い顔で言った。


「先生、犯罪の教唆きょうさはやめてください!」


「だってぇ、無償で手伝うんだから、せめて打ち上げパーティー分くらい上乗せしたっていいじゃない」

 先生が言って、口を尖らせる。

 いや待て、先生はなんで、打ち上げパーティーがある前提で話してるんだ。



「さて、それではどんなチョコレートを作るかだが……」

 ヨハンナ先生に翻弄ほうろうされてる場合じゃない、僕は話を進めた。

 壁際に片付けてあったホワイトボードをテーブルの脇に持ってくる。


「あのあの、それに関しては私、アイディアがあります!」

 弩が手を挙げた。

 乗り気じゃないわりには、積極的だ。


「なんだ、言ってみろ」

「はい、ホワイトロリータに、チョコレートをかけ」

「分かった。もういい」

 僕は弩の発言を途中でさえぎる。


「なんでですか! 最後まで言わせてください! 私は、あんなに美味しいホワイトロリータにチョコレートをかければ、また違った風味のスイーツになるって、考えたんです!」

 弩が、椅子から立ち上がって力説した。


「弩、確かに、ホワイトロリータにチョコレートをかければ、また違った風味のスイーツになるかもしれない。だがその場合、8:2でブルボンの手柄だろう? 僕達は何もしていない。僕達が作ったって言えないじゃないか」

 僕が、弩を諭す。


「はあ」

 弩は納得いかないみたいで、渋々座った。



「さて、仕切り直しだ。どんなチョコレートを作るかだが……」

 僕が問いかけると、今度は御厨が手を挙げる。


「はい、僕はチョコレートには、ビターチョコレートを使うことを提案します。これは義理チョコであって、恋愛感情はありません、という意思表示をするためにも、ほろ苦さを感じさせるビターなチョコレートを使うのがいいんじゃないでしょうか?」

 御厨が言った。


「運動部員がマネージャーに寄せる恋なんて、大抵ほろ苦い結果に終わるものね」

 豆菓子を頬張りながら、ヨハンナ先生が言う。


「でも、ビター一辺倒いっぺんとうでも駄目だろう? そこには、マネージャーが部員に注いでいる、普遍的な愛情みたいなものも、感じさせないと」

 錦織が言った。


「そうだな、ほろ苦さの中にも、マネージャーが部員達を見守っているって分かるような、工夫が欲しいな」

 僕が言う。


「その、相反あいはんする課題を一つのチョコレートに落とし込むのは、難しいですね」

 御厨が唸った。


 良いアイディアが思いつかずに、僕達はしばらく考え込む。


 ボリボリと、部室にはしばらく、ヨハンナ先生が豆を囓る音だけが響いた(先生、砂糖だらけになるから、手をスーツで拭くのはやめましょう)。



「はい……」

 弩が、今度は控えめに手を挙げる。


「弩、なんだ?」

 僕が期待せずに指名した。


「はい、マネージャーっていったら、レモンの蜂蜜漬はちみつづけじゃないですか? 疲れた部員に甘酸っぱいレモンの蜂蜜漬けを出すって、定番でしょ? だから、レモンの蜂蜜漬けにチョコをかけるのはどうでしょう?」

 さっきのことがあるからか、弩が、恐る恐るって感じで言う。


「弩……」

 部員、みんなの視線が弩に集まった。


「ふええ、すみません。また、馬鹿なこと言いました」

 弩が頭を抱える。


「いや、それ、いいアイディアじゃないか。マネージャーを想起そうきさせるレモンの蜂蜜漬けを使うって」

 僕が言った。


「ふえっ?」


「そうですね。レモンピールやオレンジピールにチョコレートをかけたお菓子はありますよ。レモンピールのほうはシトロネット、オレンジピールのほうはオランジェットっていいます。それと似たような感覚ですよね」

 御厨が言う。


「蜂蜜の甘さで、ビターチョコレートの苦さが際立つし、それ、いいんじゃないか」

 錦織も言った。


「マネージャーをイメージするレモンの蜂蜜漬けだけど、それを包んでいるのは、苦い初恋のビターチョコレート。なんか、詩的じゃない」

 ヨハンナ先生が、国語の先生っぽい解釈をする。



「よし、決まりだな。御厨にはその方向で、煮詰めてもらおう。いいか?」

 僕は御厨に訊いた。


「はい、分かりました。ビターチョコレートと、レモンの蜂蜜漬けを使ったスイーツ、試作してみます」

 御厨が、任せてくださいって感じで胸を張る。


「弩、よくやったな」

 僕が褒めると、

「ふええ」

 弩はそう言って縮こまった。

 弩は、褒められると弱いタイプか。


「弩、可愛いよ」


「ふえええええええええ」

 やっぱり、褒められると弱いタイプだ。




「ラッピングに関しては、僕に任せてくれ」

 錦織が言った。

「箱とか、包装紙とかは、僕がコーディネートする」

 その辺は錦織に任せておけば、間違いはないだろう。


「なんか、試作は御厨君に任せて、ラッピングは錦織君で、安請け合いした塞君はなんにもしてないみたいだけど」

 ヨハンナ先生が意地悪い視線で僕を見た。


「ぼっ、僕は、手を動かしますから! 実際に人数分作ることになったときは、ちゃんと働きます!」

 引き受けた以上、責任を持って、精一杯働く。


「そうだな、頼むよ」

「先輩、お願いしますよ」

 錦織と御厨がそう言って笑う。


「さて、それじゃあ、今日はここまで。寄宿舎に帰ろうか」

 主夫部には、こうした特別活動の他に、日々の活動、寄宿舎での家事が残っている。


「先輩は、まだお休みですよ」

 弩が言った。

「洗濯したくても、させてあげないよ」

 ヨハンナ先生も言う。

「ねー」

 弩とヨハンナ先生が、顔を見合わせた。


「せめて、洗濯物畳むのだけでも、やらせてください」

 僕が懇願するのに、

「駄目です!」

 って返された。


 二人は手厳しい。




 そんなこと話しながら寄宿舎に戻ったら、玄関に上がるなり、「Party Make」の三人が僕達に駆け寄ってきた。


 レッスン着のTシャツとジャージで汗だくの三人は、ただでさえ大きな目をもっと大きく見開いて、興奮している。


「たった今、私達のメジャーデビューシングルの発売日が、正式に決まったの!」

 古品さんが歓喜の声を出した。


「四月五日、水曜日、この日に決まりました!」

 ほしみかが言った。


「メジャーデビュー曲のタイトルはね……」

 な~なが言って、ためを作る。


「『寄宿舎を抜け出して』っていうの!」

 三人が、ぴったりと声を合わせて言った。


「えええ!」

「なにそれ!」

「寄宿舎ってここのこと?」

 主夫部の僕達が、口々に言う。



 その騒ぎがうるさかったのか、鬼胡桃会長と母木先輩が二階から下りてきた。

 トレーニングを終えてシャワーを浴びていた縦走先輩と、執筆中だった新巻さんも駆けつける。


「プロデューサーのヤスムラカナタさんが、私達の、この寄宿舎のこと聞いて面白がってくれたみたいで、楽曲に取り入れてくれたの。萌花ちゃんに撮ってもらったここでの写真をブログとかに上げてたけど、スタッフがそれも気に入って、CDのブックレットに使ってくれるって」

 古品さんが説明した。

 三人の後ろから、萌花ちゃんが顔を出す。


「古品さんと同時に、萌花ちゃんもメジャーデビューじゃない」

 鬼胡桃会長が言った。


「はい」

 恥ずかしそうに、萌花ちゃんが頷く。


「おめでとう」

 母木先輩が言って、みんなも異口同音にお祝いを言った。


「CD、絶対買います!」

 弩が言う。


「私は、100枚くらい、買っちゃおうかな。稼いでる大人の力を見せつけてやるわ。大人買いってやつ?」

 ヨハンナ先生が言った。


「あの、みんな一枚ずつでいいですから」

 古品さんが恐縮する。


 錦織の目がちょっと潤んでいた。

 「Party Make」の衣装をずっと担当してたし、一緒に全国を飛び回ってたから、錦織の感慨も一入ひとしおだろう。


 古品さん達も、着実に夢に向かって進んでいる。



「そうだ、前祝いで、今日の夕飯を豪華にしましょう」

 御厨が提案した。

「そうね、先生、援助しちゃうわ。買い出しに行こう」

 ヨハンナ先生が車の鍵を取りに行く。


「あの、僕も料理とか、手伝ってもいいよね」

 僕は、先生と弩に訊いた。

 まだ家事は禁止されているけど、これは祝い事だし。


「そうね、特別に、許してあげる」

 ヨハンナ先生がそう言って僕にウインクする。

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