第174話 普通の男子高校生
「先輩、そんなに硬くならなくていいですから」
萌花ちゃんが言った。
愛用の一眼レフカメラを構えて、僕にレンズを向けた萌花ちゃん。
85ミリと50ミリの単焦点レンズを付けたカメラ二台体制で、僕の写真を撮りまくる。
黒いニットに黒いパンツの萌花ちゃんは、カメラを持つと、人が変わったみたいだ。
僕は、そんな萌花ちゃんに写真を撮られながら、寄宿舎のランドリールームで、アイロン台を立てていた。
みんなのセーラー服をパリパリに仕上げている。
萌花ちゃんは、僕に、寄ったり、離れたり、角度を変えたり、しゃがんだりしながら、何枚も撮った。
広いランドリールームには、乾いたシャッター音が、機関銃のように響く。
「先輩、こっちを意識しないでください」
萌花ちゃんは、さっきから同じようなことを何度も言っていた。
そう言われても、やっぱり、レンズを向けられると、意識しないではいられない。
表情とか、動きとか、ぎこちなくなってしまう。
パシャパシャとシャッターが切れる音に、反応してしまった。
「私は、先輩の自然な表情が撮りたいんですから」
萌花ちゃんは、そう言ってまた、シャッターを切る。
僕がこうして萌花ちゃんの写真のモデルになっているのは、もちろん、あの駅伝の約束を果たしているからだ。
駅伝で優勝したら、一つだけ言うことを聞くという、あの約束を、僕はこうやって果たしている。
数時間前のこと。
「先輩の写真が撮りたいです!」
駅伝から帰った寄宿舎の食堂で、萌花ちゃんが言った。
「先輩、私のモデルになってください!」
食堂に集まったみんなの前で萌花ちゃんが言うと、
「モデル?」
そこにいた寄宿生、主夫部全員が、首を傾げて復唱する。
「はい、先輩を被写体にして写真を撮りたいんです。先輩のありのままを撮りたいんです!」
萌花ちゃんは、目をキラキラ輝かせていた。
「いや、あの、僕は、ヌードとか無理だから」
体に自信ないし、まだ、婿入り前の体だし。
事務所的に、NGだし(事務所ってなんだ?)。
「あの、私、別にヌード撮るとか、一言も言ってませんけど」
萌花ちゃんがジト目で僕を見る。
「でも、なんで篠岡君の写真なの?」
新巻さんが、興味深そうにメモを取り出して訊いた。
「はい、世の中に女子高生の写真って、たくさんありますけど、男子高校生の写真って、あんまりないじゃないですか。モデルとかイケメンの写真はありますけど、普通の男子高校生の写真って見ないですよね。だから、篠岡先輩をモデルにして写真撮ったら、面白いかなと思ったんです」
萌花ちゃんが言った。
今、萌花ちゃんは、さりげなく僕がイケメンじゃないって言った気がするけど、それは事実だから仕方ない。
突っ込むと自分が惨めになるからスルーしよう。
「確かに、普通の男子高校生の写真って、そんなに見ないな」
錦織が頷いている。
「篠岡は、普通の高校生じゃないぞ」
縦走先輩が言った。
そんな、珍獣みたいに……
「まあ、それはそうですけど、それはそれで、面白い写真が撮れそうですし」
萌花ちゃんは言う。
カッコイイ写真じゃなくて、面白い写真か。
萌花ちゃん、さっきからチクチクと僕の心にジャブを打つのはやめよう。
「だから、日常的にモデルになってもらいます。これから、
萌花ちゃんが言う。
僕の水着とか、
それに、僕は冬に、頭に雪が積もるまで外で放置されるのか。
萌花ちゃんは、いったい何を目指してるんだ。
「それじゃあ、萌花が篠岡に聞いてほしい願いとは、それでいいんだな?」
縦走先輩が確認すると、
「はい!」
萌花ちゃんが大きく頷いた。
「まあ、萌花がそれでいいなら、そうすればいい。篠岡に、拒否権はないからな」
縦走先輩が言う。
拒否権、ないのか……
そんなわけで、僕は萌花ちゃんのカメラの前に立たされている。
「普通にアイロン掛けしててくれていいですよ」
萌花ちゃんが言った。
こうなったら、仕方ない、なるべく気にしないようにしようと、僕はアイロンに集中する。
制服のスカートのプリーツを整えて、端を洗濯ばさみで止め、当て布をして、アイロンをかけた。
「あ、その笑顔いいです!」
僕が、プリーツがピシッと決まったのに顔を緩めたら、萌花ちゃんがそれを撮って褒めてくれた。
レンズ越しの萌花ちゃんの視線に慣れるまでは、もう少しかかるかもしれない。
その日の夕方。
「それで、新巻は何を聞いてもらうんだ?」
夕飯で食道に集まったとき、縦走先輩が新巻さんに訊いた。
「お手柔らかに、お願いします」
僕は言う。
一人目の萌花ちゃんから大変だったし、このままだと僕の体がもたない。
「そうですね、だったら私、篠岡君には、私の小説の下読みを頼もうかな?」」
新巻さんが言った。
「私、出来上がった原稿を、編集さんに見せる前に読んでもらって、一般の感覚で意見を聞ける人がいたらいいなって、ずっと考えてました。これから私が書く小説で、篠岡君にその役割をお願いできないかなって、思います」
新巻さんが、人差し指で眼鏡を上げながら僕を見て言う。
「それなら別に、いいけど」
なんか、楽なお願いで拍子抜けした。
楽どころか、作者以外で一番先に森園作品が読めるなんて、僕は
森園リゥイチロウファンである枝折が聞いたら、お兄ちゃんずるいって、激しく嫉妬されそうだ。
「でも、それって、大切な作品を一番始めに預けるってことだし、すごく、重要な役割のような気がしますけど……」
空で考えて、弩が言う。
「そうよね。恋人以上に信頼して、心を許した人じゃないと、できないわよね」
ヨハンナ先生も言った。
「べ、別に、ただこうやって近くにいるし、便利だからやってもらおうと思っただけです! 他意はありません!」
新巻さんが慌てて言う。
「本当に?」
「本当です!」
なんか、新巻さん、向きになっていた。
「じゃあ、新巻のお願いはこれで決まりだな」
縦走先輩が言った。
「これから、って言って一作に限定しなかったってことは、これから新巻さんが作品を書くたびに、篠岡先輩と親しくやりとりすることになるのかぁ。二人でお茶を飲みながら作品の感想を言い合ったり、部屋で長々と論議したり……篠岡先輩と新巻先輩に間違いが起きないように、時々、用事があるふりをして、覗きにいかないと」
弩が言う。
「さすが新巻さん、策士よね。見かけによらず、ガツガツ来るわ。塞君を長々と独占する気ね。まあ、私は二人の担任教師なんだし、用事を言いつけて、いくらでも邪魔することができるんだけど」
ヨハンナ先生が言う。
だから、弩とヨハンナ先生、あなた達、心の中の声が、ダダ漏れですって!
とにかく、こうして僕は、これから新巻さんの小説を一番最初に読む役割を担うことになった。
何はともあれ、森園作品に
「それで、ヨハンナ先生と弩は、何を聞いてもらうことにしたんだ?」
縦走先輩が訊いた。
「そうねぇ」
「そうですねぇ」
二人はそう言って、不敵に笑う。
そして、なぜか二人、顔を見合わせた。
「私達は、二人合わせて、大きなお願いを聞いてもらうことにしました」
弩が言う。
「そう、私と弩さんは共闘するの」
ヨハンナ先生も言った。
なんか、凄いところが手を組んだ気がする。
「先輩、これは先輩にとって、最も辛いことかもしれませんが、聞いてもらいます」
弩が言った。
「塞君、覚悟しなさい」
ヨハンナ先生も言う。
僕は一体、何を聞かされるんだ。
「私達が聞いてもらうのはね……」
先生と弩が声を合わせて言って、一呼吸置いた。
「塞君、あなたが家事をするのを、禁止します」
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