第167話 カツサンド
「これ、お弁当です」
玄関先で、鬼胡桃会長と母木先輩に、包みを渡した。
「特製カツサンドです!」
御厨が、両手で宝物でも捧げるように渡す。
僕と錦織、御厨で何度も話し合った結果、センター試験当日のお弁当はサンドイッチにした。
お昼に簡単に摘めるように、そして、腹持ちがいいように、という配慮からだ。
カツサンドは、当然、受験に「勝つ」の
もちろん、カツサンドだけだとお腹にもたれるかもしれないと踏んで、ポテトサラダサンドと、シーチキンマヨも入れてある。
プチトマトと、デザートのフルーツもつけた。
「ありがたく、頂くよ」
母木先輩が晴れやかな顔で言う。
先輩はもう、勉強に関して、やり残したことがないんだろう。
一方、鬼胡桃会長は無言で受け取った。
無言で受け取って、僕と錦織、御厨を順番にハグして、その気持ちを表す。
ハグされたとき、僕は、鬼胡桃会長が少し震えているのに気付いた。
あの鬼胡桃会長も、大切な試験の前では、少し気持ちが高ぶっているのかもしれない。
鬼胡桃会長は、僕達だけじゃなくて、見送りに出た寄宿生全員と、ヨハンナ先生にハグした。
「大丈夫、大丈夫だ」
最後に、縦走先輩がそう言って、鬼胡桃会長を抱きしめる。
会長と縦走先輩は、三年間、この寄宿舎で一緒に生活した親友だ。
縦走先輩が大丈夫って言ったら、本当に大丈夫な気がする。
「それじゃあ、いってくる」
母木先輩が言って、二人は手を繋いで、玄関を出た。
「いってらっしゃい!」
「頑張って!」
「平常心です」
「夕飯用意して、待ってます!」
残る僕達は、口々に声を掛けた。
二人は、寄り添いながら、林の獣道を抜けていく。
僕達は、二人が林の中に見えなくなるまで、その後ろ姿を見守った。
「さあ、それじゃあ、我々は朝のランニングに出るぞ!」
早速、縦走先輩が言って、ヨハンナ先生と弩を、肩を組んで捕まえた。
二人は縦走先輩の指導のもと、ダイエット中なのだ。
「ええー」
「ふええ」
二人が不満そうに零す。
でも、二人は縦走先輩にそれ以上抵抗したりしなかった。
縦走先輩の前ではそんな抵抗は無意味だと、学習したんだろう。
「よし、今日は僕もランニングつき合うよ」
僕はそう言って、二人に着替えのジャージを渡した。
「えっ、本当に? なんか、悪いわね」
ヨハンナ先生が言う。
「土曜日なのに、わざわざ、すみません」
弩が、ペコッと頭を下げた。
二人はいいほうにとってくれたけど、本当は、鬼胡桃会長と母木先輩、二人のことが心配で、何をやってても手につかないだろうから、気を紛らわそうと名乗りを上げただけだ。
とにかく、何かをしていたかったのだ。
受験生の親ってこんな感じだろうか。
間近に迫った枝折の高校受験のときも、僕は、こんなふうになりそうな気がする。
急なことでランニング用の服とか、持ってきてないから、僕は縦走先輩からジャージを借りた。
「そのジャージは、私の匂いがするだろう?」
縦走先輩が僕に訊く。
「いえ、柔軟剤の香りしかしませんが」
これは、ハミングfine、ヨーロピアンジャスミンソープの香りだ。
「それを着てると、まるで私に抱かれているようだろう?」
「は、はい……」
先輩に肩を掴まれて訊かれたら、もう、そう答えるしかない。
着替えを終えると、前庭で、縦走先輩に習って入念にストレッチをした。
この準備運動だけで、寒空の下でも汗が浮いてくる。
「よし、朝は5㎞で勘弁してやろう」
縦走先輩が言った。
「朝は」って、先輩が強調するってことは、他にもあるらしい。
僕達は学校の外周を半周ほど走って、縦走先輩が普段トレーニングに使っているコースに出た。
歩道があって、車の通りが少ない、走り易いコースだ。
縦走先輩が先頭に立って、ヨハンナ先生と弩が並んで続き、その後ろを僕が走る。
僕達はジャージを着てるけど、縦走先輩だけ、ランニング姿だ。
ペースが遅すぎて、先輩にはトレーニングにならないかもしれない。
でも、縦走先輩はヨハンナ先生と弩にペースを合わせて、付き合ってくれた。
「君達と一緒にいるのも、あと少しだからな」
先輩が、悲しいことを言う。
「ほら、頑張れ、頑張れ」
坂道になって、弩が歩きそうになったから、僕は、弩の背中を押した。
「あー、弩さんだけずるい! 私も、押して、押して」
先生がそう言って、僕の前に立つ。
「先生、後ろを向いてもらわないと、押せません」
先生が僕を向いて立つから、注意した。
「このまま、押してもいいんだよ」
先生が言う。
いや、このまま押したら、大変なことになる。
「弩さんは、後ろでも前でもどっちも同じだけどね」
縦走先輩が言った。
「あー、先輩、酷いです! 私だってちゃんとありますから」
弩がほっぺたを膨らませる。
「そうだな、この前、風呂場で揉んだときには、確かにあった」
縦走先輩が言った。
あ、あの、女子の皆さん……
「塞君、なに顔真っ赤にしてるの?」
先生が僕に訊いた。
「知りません!」
まったく、ガールズトークに巻き込まないでほしい。
セクハラじゃないか!
そんなふうにだらだら走っていたら、
「縦走さん、少し休みましょう」
「先輩、もう走れません」
やっと1㎞走ったくらいで、二人は歩き始めた。
仕方なく僕達は近くにあった公園のベンチで、少しだけ休む。
ベンチの上で、寄り添って休むヨハンナ先生と弩は、まるで
「さあ、休憩終わり、行くぞ!」
縦走先輩が
そしてまた走り始めたのに、1㎞くらい行くと、また、二人の足が重くなる。
「今度はなに?」
縦走先輩が訊いた。
「ちょっと、喉が渇いちゃって」
「給水は、大事ですよね」
二人はそう言って、飲み物の自動販売機に向かう。
「仕方ないな。二人とも緊張感がないぞ。そんなことだと、体重落ちないぞ!」
縦走先輩が活を入れた。
僕から見ても、二人は緊張感がない。
冬休みの怠け癖が、まったく抜けてなかった。
でも、トイレに行くのもお姫様抱っこして甘やかしたのは僕だから、なんか、申し訳ない。
「水かスポーツドリンクにしてくださいね!」
二人が自動販売機で、カロリーが高そうなジュースとか、おしることか、買おうとするから、僕が止めた。
「はーい」
二人が不満そうに言う。
自動販売機の横のベンチに座って水を飲んでいたら、いつの間にか、縦走先輩がいない。
辺りを探すと、先輩は、道路の反対側に立つ町内会の掲示板に見入っていた。
「先輩、どうしたんですか?」
先輩の所に行って、僕が訊く。
「篠岡、これを見てみろ」
先輩が指したのは、掲示板に貼られている一枚のポスターだった。
市民駅伝大会参加者募集!
1チーム5人でチームを組んで、新春の街を駆け抜けよう。
参加資格:市内在住の方。市内に通勤通学する方。
カテゴリー
小学生以下の部:男子、女子
中学生以上一般の部:男子、女子
と書いてある。
応募の締め切りは、明日になっていた。
縦走先輩は、そのポスターを腕組みして熟読している。
「よし、決めた。篠岡、この駅伝に出るぞ!」
縦走先輩が言った。
「寄宿生で駅伝チームを組んで、この駅伝に出る。そして、出るからにはもちろん、優勝する!」
縦走先輩が、僕に親指を立てる。
「突然、駅伝なんて、急に、どうしたんですか?」
僕は訊いた。
先輩は正月に駅伝の沿道を走って、影響されたとか。
「いや、二人には何かモチベーションを上げるイベントが必要だと思ったんだ。このままだと、いつまでも痩せないぞ。これはぴったりのイベントだろう」
「でも、1㎞走るのもやっとの二人が、いきなり駅伝に出られるんでしょうか? 大人しく参加するとも思えませんし」
「それについても、私は考えがある。まあ、任せておけ」
先輩が、自信ありげに言った。
「私の、卒業前のイベントにも丁度いい。よし、この駅伝に参加する。絶対に勝つ!」
縦走先輩が、掲示板の前で闘志を燃やしていた。
何も知らないヨハンナ先生と弩は、道路の反対側のベンチで、だらだらと、スポーツドリンクを飲んでいる。
二人とも、今のうちに目一杯だらだらするがいい。
きっと、明日から、縦走先輩の地獄の特訓が待っている。
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