第165話 寒稽古
新学期前日、主夫部は
もうすぐセンター試験だからやめてくださいと断ったのに、早朝から母木先輩も来て、一緒に掃除する。
「この方が気合いが入って、いい結果に繋がると思う」
先輩が真っ白い歯をみせながら言った。
先輩は、もう受験の準備は整った、ってことなんだろう。
雑巾掛けして、廊下はピカピカになった。
寄宿舎全ての窓ガラスには、指紋一つない。
食堂も、お風呂も、洗濯機も、いつでも使える状態だ。
セーラー服もパリパリに仕上がって、寄宿生の女子達を待っている。
お昼過ぎになって、寄宿生が続々とここに帰って来た。
「お帰りなさい!」
僕達主夫部は、玄関に並んで彼女達を出迎える。
「ただいま。あけましておめでとう」
まず、帰ってきたのは、ネイビーのPコートに黒いパンツの新巻さんだった。
新巻さんは旅行鞄を持って、ノートパソコンを小脇に抱えている。
ここに来るタクシーの中でも、原稿を書いていたらしい。
年明けから、忙しいみたいだ。
「ただいま戻りました」
次に帰ってきたのは、鬼胡桃会長だった。
会長はボルドーのチェスターコートにグレーのベレー帽を被っている。
晴れやかな笑顔をしていて、会長も受験の準備万端ってところか。
あと、帰って来てすぐに母木先輩と手を繋いで見せつけないでください。
「ただいまあー」
眠そうな目で、あくびをしながら古品さんも帰ってくる。
ダウンジャケットに細身のパンツの古品さんは、寝癖で跳ねる髪を、ニットの帽子で押さえていた。
眼鏡が半分ずれ落ちてるし、ここにあの、人気急上昇中のアイドルの面影はない。
でも、こんな飾らない古品さんも素敵だ。
「やあ、久しぶりだな!」
縦走先輩は大荷物を背負って、当然のようにジャージ姿で家から走ってきた。
「先輩、持ちますよ」
僕が先輩の荷物を受け取って、部屋に運ぶのを手伝おうとしたら、トートバッグの一つが重くて、持ち上げられない。
「先輩、このバッグ何が入ってるんですか?」
「そっちのバッグは鉄アレイだな」
「なんで、鉄アレイなんか入れてるんですか!」
「実家に帰って、手元にあると落ち着くと思ってな」
「そんな、縫いぐるみ感覚で鉄アレイを持ち運ばないでください!」
「篠岡の突っ込みは、鋭いな」
先輩が僕の突っ込みを
「ただいま!」
最後に、ヨハンナ先生の車で送ってもらって、弩と萌花ちゃんと、三人が帰ってきた(結局、萌花ちゃんは冬休みの間ずっとうちにいた)。
僕は、太って少し丸くなったヨハンナ先生と弩を見た、寄宿生や主夫部部員の反応が気になって、身構えた。
みんなに言われていじけてしまったら、また二人を慰めるのに、時間がかかると思ったからだ。
でも、二人の変化のことは、誰も口にしなかった。
なぜなら、それ以上に
「
縦走先輩が御厨の肩に手を置いて、目を見ながら言った。
無理もない。
色が白くて、守ってあげたくなるような美少年だった御厨が、真っ黒に日焼けして、茶髪にして、チャラ男みたいになっているのだ。
「御厨、なんか辛いことがあったなら、遠慮せず、相談してくれ」
母木先輩が言った。
「なにか問題があるなら、一つずつ、解決していきましょう」
萌花ちゃんも心配そうに言う。
「いえ、僕は急にぐれたとかじゃありませんから!」
茶髪で日焼けした御厨が、慌てて否定した。
「御厨、高校デビューするなら、高校入る前にやっておくべきだぞ」
錦織が言う。
入学して九ヶ月してからのイメチェンは、遅すぎる。
「御厨君は、料理が出来てキャラも立ってるんだから、無理矢理、変なキャラ付けしないほうがいいよ」
新巻さんが、作家らしいアドバイスをした。
「いえ、本当に違うんです! 誤解です!」
御厨が
「バカンスで行ったニューカレドニアは南半球にあって、今真夏で、毎日ビーチに出てたら、こんなに焼けてしまったんです。あと、現地で髪を切ってもらおうと思って床屋に行ったら、髪型のニュアンスがうまく伝わらなくて、こんなになってしまいました」
御厨が半べそをかきながら言った。
おーよしよし、と、縦走先輩が頭を撫でる。
「まあ、そんなことだろうとは思ってたけれど」
鬼胡桃会長が言った。
確かに、御厨が急にぐれるとか、変なイメチェンしたりするとか、考えられない。
「まあ、冬休み中の気の
ヨハンナ先生が肩を竦めて言った。
その言葉、先生が今一番、口にできない言葉だと思う。
「茶髪だけは、明日までにどうにかしましょうか」
先生が言って、御厨が「はい」と頷いた。
まあ、ともかく、みんな無事に健康で寄宿舎に戻って来られて良かった。
「よし、縁起物だし、おしるこを頂こう!」
母木先輩が言って、食堂で、みんなで、おしるこを味わう。
みんなで食べるおしるこは、隠し味の塩が利いていておいしかった。
小豆を煮るとき、丁寧に
「それじゃあ、私とみー君は最後の追い込みに入るわね」
お雑煮を食べ終わると、鬼胡桃会長がそう言って、母木先輩と二人で二階に上がって行く。
手を繋ぎながら。
「早速だけど、もうすぐ、ほしみかとな~なが来て、レッスン始めるから、よろしくね」
古品さんが肩を回しながら言って、自分の部屋に着替えに行った。
「私も、夕方までに上げないといけない原稿があるから」
ギリギリなのか、新巻さんは歩きながらノートパソコンを広げる。
首からカメラを提げた萌花ちゃんも、
「年末年始に撮りためた写真の現像とか、整理が忙しいので」
そう言って席を立った。
正月から、寄宿舎の女子達はそれぞれの目標に向かって、忙しそうだ。
彼女達を支えたい、力になりたいという主夫心が、
今年も精一杯、彼女達のお世話をしようと、僕は誓いを新たにした。
「よし、それじゃあ、私達も。ヨハンナ先生、弩、荷物を置いたら、早速ランニングに行くぞ!」
縦走先輩が言う。
二人はこれから、縦走先輩の指導の下、ダイエットだ。
「ええー、明日からにしようよぉ。明日から本気出すし」
ヨハンナ先生がフラグを立てたところで、
「問答無用だ!」
縦走先輩が、強引に二人を引っ張って行った。
先生の立てたフラグなんて、縦走先輩に極細ポッキーくらい簡単にへし折られる。
「塞君、助けて」
「先輩、助けてください」
ヨハンナ先生と弩が、捨てられた子犬のような目で僕を見るけど、ここは心を鬼にして、縦走先輩に任せた。
「今日は初日だし、10キロ程度で勘弁してやろう!」
まもなく、ランニング姿の縦走先輩と、ジャージを着た二人が、寒空に飛び出して行く。
二人とも、死ぬな!
女子達が食堂を出て行ったあと、お椀の片付けをしていたら、
「先輩、僕は、先輩を心から尊敬します!」
御厨が言って、僕にがっちりと握手を求めてきた。
「なんのこと?」
僕は訊き返す。
それにしても、チャラ男の容姿の御厨には慣れない。
「ヨハンナ先生と、弩が、あんなにコロコロと理想的な姿になったことですよ」
そうだった。
御厨は、全世界の女性をぽっちゃりにするという、果てしない野望の持ち主だった。
「女性を短期間でここまでぽっちゃりに出来る人は、先輩を
褒められてるのか、責められているのか、分からなくなってくる。
「ああ、でも、急な体重の変化は、体にもよくないだろうから、しばらく、ダイエットというか、体重を落とす方向で、ご飯のメニュー考えていこう」
僕は御厨に釘を刺しておく。
「なぜですか?」
御厨が首を傾げた。
二人のダイエットは、前途多難みたいだ。
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