第164話 肉食系女子

 初詣はつもうでから帰ると、うちの玄関に縦走先輩が立っていた。


「トレーニングがてら、寄ってみた」

 ランニングに短パン姿の縦走先輩が、ほがらかな笑顔で言う。

 息が少し弾んでるし、ほっぺたが赤い。

 先輩は体一つで、荷物は何も持ってなかった。


「先輩、風邪ひきます、とりあえず家に入ってください!」

 僕は急いで先輩を家に入れた。


「いや、走って来たから、体はぽかぽかだぞ」

 先輩が言う。

 どこから走って来たのか、それを聞くのが恐い。


 そんな縦走先輩を見ながら、河東先生が首を傾げている。

「なにか、縦走さんのことでつい最近、すごく頭の痛い思いをしたような、気がするんだけど……」

 河東先生が腕組みして、必死に思い出そうとしていた。


 よかった。


 河東先生は酔っぱらったせいで、記憶が曖昧になってるらしい。

 縦走先輩が駅伝中継のカメラに延々と見切れていたことは、覚えていないみたいだ。


「先輩、そのままだと寒いでしょ? なんか着ましょう。僕のジャージとか、貸します」

 僕はそう言って、先輩を二階の自分の部屋に連れて行った。

 あのとき箱根を走っていたランニングのままだと、いつ河東先生が記憶を取り戻すか分からないし。



 タンスの中からTシャツとジャージ、フリースを出して先輩に渡した。

「おお、ありがとう」

 先輩が受け取って体に当てる。

 僕のだと、少し小さいかもしれない。



「それはそうと、先輩! 昨日のあれは、なんですか!」

 僕は訊いた。

 訊かずにはいられない。


「昨日のあれとは?」

「昨日の駅伝のことです! 先輩が駅伝コースの沿道を、ずっと走っていたことです!」


「ああ、見つかったか。そうか、私はテレビに映ったのか」

 映ってたのかどころじゃなく、目立ってしょうがなかった。

 駅伝中継に映っていたあの美少女は誰だって、今、ネットの掲示板とかで、話題になってるみたいだし。



「ちょと本物のランナーの速さがどんなものか体験したくて、駅伝を見に行ったんだが、勢いでいつのまにか走っていたんだ。そしたら、気持ちよくなって、結局、延々と走ってしまった」

 縦走先輩が頭を掻きながら言う。


「勢いで新春の箱根路はこねじを駆け抜けないでください!」

 てゆうか、ランニング着てたんだから、最初から走る気満々だったんじゃないか!


「ははは」

 先輩は全然悪びれてない。

 まったく、先輩の行動は破天荒はてんこうすぎる。

 って、


「わあっ!」


 先輩がいきなりランニングを脱いで着替え始めるから、僕は後ろを向いた。


「なんだ篠岡、私のスポーツブラとか、君は見慣れてるだろ?」

 先輩が言う。

 いえ、物としてそこにあるのと、着ているのとは違うので。


「うん、このジャージは、篠岡の匂いがするな」

 着替えながら先輩が言う。

「それは、そうですよ、僕のなんですから」


「このジャージを着ていると、篠岡の匂いに包まれて、篠岡に抱かれているみたいだよ」

「抱かれてるとか、誤解を招く言い方はやめてください!」

「新春から、篠岡の突っ込みは、鋭いな」


 そんなところを褒められても……



「先輩、お腹空いてますよね」

「ああ、トレーニングしてお腹が空いている! というか、いつも空いている」

「はい」

 先輩に何か食べさせよう。

 着替えた先輩を連れて、一階に戻る。



「ところで、訊きたいんだが」

 リビングでこたつに入ろうとして、縦走先輩が言った。


「そこの金色の髪の女性と、黒髪ぱっつんの可愛い少女は誰なんだ? 初めて見る顔だが」

 先輩がヨハンナ先生と、弩を指して訊く。


「先輩、それ、洒落にならないやつです」

 先輩は冗談のつもりで言ったんだろう。


 でも、すでに萌花ちゃんに丸くなったって指摘された二人が、顔色を失っている。


「いや、割と真面目に訊いたんだが……」

 縦走先輩が追い打ちをかける。


 先輩に言われたヨハンナ先生と弩が、リビングの隅に行って、カーペットのほつれとか、いじり始めた。

 いじけてしまった。


「ヨハンナ先生、弩、先輩は冗談で言ったんです。大丈夫、分かりますから。そんなに変わってませんから」

 先生の背中をさすって、涙目になっている弩の鼻にティッシュを当て、ちーんさせる。

「二人とも、すごく可愛いですし」


 そのあと、ヨハンナ先生と弩、二人の機嫌を直すのに、小一時間かかった。



「それだったら、二人とも、縦走先輩にトレーニングしてもらったらどうでしょう?」

 萌花ちゃんが言った。

「先輩のトレーニングに付き合えば、二人もすぐに元の状態に戻りますよ」


「おう、私なら喜んで引き受けるぞ」

 縦走先輩が「任せろ」って感じで、胸を張る。


「さっき篠岡に裸を見られたが、私はどこに出しても恥ずかしくない体を維持しているつもりだ」

 縦走先輩、また、誤解されるようなことを……


「先輩、縦走先輩の裸、見たんですか?」

 弩を先頭に、女子全員に詰め寄られる。

「塞君、そんなに女性の裸を見たかったら、私の……」

 ヨハンナ先生、どうか話をややこしくしないでください。


 河東先生が、こめかみをピクピクさせていた。


「見ましたけど、先輩がいきなり脱いだんであって……」

 花園や枝折、萌花ちゃんの視線も痛い。



 ピンポーン。



 玄関のチャイムが鳴った。


 それが僕をピンチから救う、福音ふくいんに聞こえる。


「ちょっと、見てきますね」

 僕は逃げるように、玄関に出た。



 だれだろう、もしかして、新巻さんとか、他の寄宿生とかが来たんだろうか。

 それとも、主夫部の誰かが。



 ドアを開けてみると、家の外に、僕より背が高い女子ばかり、十数人がいる。


「河東先生がこちらと聞いて、伺いました」


 それは、河東先生が指導する、バレー部の女子だった。

 背が高くて、がっちりとしたアスリート女子の集団で、僕の家の玄関が一杯になる。

 みんな、バレー部のジャージに、黒いベンチコートで揃えていた。

 以前、僕が河東先生の家で一緒に家事をした麻績村さんもいて、彼女は僕に向けて小さく手を振る。


「あけまして、おめでとうございます!」

 バレー部の女子達は、声を聞いて玄関に出て来た河東先生に、勢いよく頭を下げた。

 みんな、ビシッと、45度に腰を折る。


「あなた達、こっちにお邪魔するなんて。大勢で押しかけて……」

 先生は口ではそう言うけれど、自分を慕って来てくれたバレー部員が愛おしいようで、優しい表情をしていた。


「それじゃあ、向こうで話しましょう。篠岡君、私はそろそろ失礼するわ。本当にお世話になったわね、ありがとう」

 河東先生が僕に微笑みかけてくれた。

 凛々しい河東先生もいいけど、笑顔の先生もいい。


「もう一晩くらい、泊まっていかれたら、どうですか?」

 僕は引き留める。

 別に、社交辞令とかではなく。


「新年の挨拶に来たバレー部のみんなに、顧問の私が焼き肉を振る舞うのが、我が部の恒例になってるのよ。新年のお祝いに、みんなにたっぷりお肉を食べさせるの。だから、帰るわ」

 河東先生が言った。


 なんという、肉食系女子。


 でも、そういうことだったら……

「それなら、焼き肉、ここでやればいいじゃないですか」

 僕が提案する。

「えっ?」

「今から帰って支度しても、遅くなっちゃうし。僕、手伝いますよ」

 自慢するわけではないけど、その辺の手際はいいし。


「いえ、それは出来ないわ。これ以上、あなたや妹さん達に、迷惑かけられないもの」

 河東先生が言う。


「花園は、お姉ちゃん達いっぱいで、嬉しいー!」

 妹の花園がそう言って、部員の一人に抱きついた。

 花園、GJ。


「父がアウトドアとか好きで、バーベキューの道具は揃ってますから」

 物置に、鉄板だとか網だとか、バーベキューコンロとか、なんだってある。


「でも、ねえ……」

 河東先生は迷っている。


「ご近所さんは帰省きせいしていて、この辺りでは僕達くらいしか残ってないので、騒音とかも、問題ありません」

 年末から三が日の頃は、夜とか静かすぎて、物騒なくらいだ。


「そう?」

 もう一押しだ。


「ええ、ここで焼き肉パーティーしましょう!」


 今日は絶対にバレー部の彼女達を帰さない。

 河東先生も萌花ちゃんも、縦走先輩も帰さない。


 そうすれば、新春からたくさん洗濯出来そうな気がする。


「それじゃあ、お世話になろうかしら」

 河東先生が言った。

「はい、そうしてください!」

 花園も枝折も喜んでるし、弩と萌花ちゃんは手を取り合っている。

 ヨハンナ先生は焼酎のストックを確認した。

 縦走先輩はお肉と聞いて涎を垂らす。


 ヨハンナ先生と弩のダイエットは、もう少し先になるかもしれないけど。



「みんな、買い出しに行くわよ!」

 河東先生が号令をかけると、

「はい!」

 バレー部員が小気味良く返事をした。


「よし、私達は会場を用意しよう!」

 縦走先輩が言う。



 結局、こんな感じで、冬休みの間、誰かしら僕の家にいた。

 僕は正月から、数え切れないくらいのパンツをベランダに干した。



 たくさん洗濯出来ますようにってお願いした、初詣の御利益が、さっそくあったのかもしれない。

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