第127話 五右衛門風呂

「湯加減、どう?」

 僕は壁の向こうに投げかけた。


「うん、丁度いいよ。すごく、気持ちいい」

 壁の向こうから、新巻さんの声が返ってくる。

 丸太で組んだログハウス風の木の壁に遮られて、新巻さんの声はくぐもって聞こえた。


 風呂釜のすぐ側、僕の目の前にある焚き口の中では、薪が赤々と燃えている。

 これ以上お湯が熱くなるといけないから、中に入っている太い薪を三本外して、火の勢いを弱めた。

 火かき棒で、中の薪を砕いて、熾火おきびにする。


 アウトドア好きの父と、焚き火や薪ストーブを使ったときを思い出して、見様見真似でやってみたけど、上手くいったみたいだ。

 なんとか、薪の五右衛門風呂が焚けた。


 薪に火をつけるのに手間取って、お風呂が沸くまで二時間もかかったけど。



「星が、綺麗だね」

 壁の向こうから、新巻さんの声が聞こえた。

 新巻さんに言われて、僕は立ち上がって、改めて空を仰ぐ。


 降ってきそうな星が瞬いていた。

 周りが森で真っ暗だから、星は手に取れそうなくらい、大きく見える。

 そして、怖いくらいに数が多い。


 ずっと焚き口の前にいて、体が火照っていたから気付かなかったけど、立ち上がってみると、外気はかなり冷えていた。

 お湯が冷めないように、外した薪を、もう一度釜の下に入れる。


 小屋の中から、新巻さんがお湯を掻き回す音が聞こえた。


 壁一枚隔てた向こうに、裸の同級生女子がいると思うと、ちょっと緊張する。

 このログハウス風の小屋は、三面は壁に囲まれてるけど、一面に壁がなくて開けていた。

 この焚き口の位置から二、三歩左に動くと中が覗けてしまう。

 覗かないけど、誘惑に負けそうな自分との綱引きで、ギリギリのところで勝ってる状態だから、緊張するのだ。



「きゃっ!」

 新巻さんの短い悲鳴が聞こえた。

「どうしたの!」

「ごめん、平気。虫が飛んで来ただけ」

 新巻さんが言う。

 びっくりして思わず、僕は反射的に小屋の中を覗き込んでしまった。

 急いで焚き口に戻る。


 でも大丈夫、新巻さんのことは見ていない。

 なにも見えなかった。

 僕は断じてなにも見ていない。

 新巻さんの方でも、中を覗いた僕は見えなかったと思う。


 だって新巻さん、眼鏡を外して、風呂釜の縁に置いてたし。




 新巻さんが風呂を出たあと、再び火を強くして湯を熱くしたら、焚き口の火を消して、冷めないうちに僕も湯船に飛び込んだ。

 熱い釜の底に触れないよう、底板を足で沈めて湯につかる。


 小屋の中は、ドラム缶を二回り大きくしたような丸い風呂釜があって、それだけで一杯だった。

一応、 狭い洗い場はあるけど、シャワーがないから、ここはこうして星空を見ながら暖まるだけで、髪を洗ったりするのは、建物の中の風呂場でするんだろう。


 小屋の灯りは、白熱電球が一つ、天井からぶら下がっているだけだ。

 それを消してしまうと、月明かりと星明かりだけの世界になった。


 体はぽかぽかで、顔に冷たい夜風が当たって気持ちいい。



 今日一日、ハプニングはあったけど、色々と体験できた。


 三鹿さんっていう、女性猟師が現れたり、その人にジビエ料理を習ったり。

 洗濯したり。

 そしてこの、薪のお風呂だ。



 今頃、寄宿舎はどうなっているだろう。

 お湯に浸かっていたら、急に寄宿舎のことが思い浮かんだ。


 花園や枝折が、寄宿生に迷惑かけてないだろうか。

 親代わりにうるさいことを言う僕がいなくて、羽目を外していないか。

 二人は弩と夜更かしして、鬼胡桃会長に怒られてるかもしれない。

 縦走先輩は相変わらず、たくさん走って、たくさん食べているだろうか。

 古品さんは、今日もレッスンだろうか。

 萌花ちゃんは、今日も首からカメラを提げているに違いない。


 修学旅行で二日居なかっただけなのに、寄宿舎が懐かしくてたまらない。

 これは、ホームシックなのか。


 寄宿舎の様子を知りたくても、ここではメールもメッセージアプリも使えなかった。




 風呂から帰ると、奥の部屋の襖が閉まっている。

 襖の隙間から光が漏れていた。


「新巻さん」

 呼びかけて襖を開けようとしたら、

「開けないで!」

 中から新巻さんの声が聞こえる。

 僕は驚いて襖にかけていた手を放した。

 あれ、着替え中だったのかな。


「ごめん、今ちょっと取り込み中で。襖は開けないでね」

 部屋の中から新巻さんが言った。


 取り込み中って、何してるんだろう。

 そう言えば、昼間も、新巻さんは隣の部屋でノートパソコンを開いていた。

 またパソコンで何かしているんだろうか。


 それとも、つるの恩返しみたいに、中で機織りでもしてるのか。

 襖を開けて中を覗いたら、新巻さんがどこかに飛び去ってしまうと困るから、ここは言われた通り、開けないでおく。



 新巻さんが隣の部屋で何かしてるなら、今のうちに布団を敷いておこうと思い立った。

 部屋の隅に、昼間干しておいた布団が二組、積んである。

 常識的に考えれば、僕がこっちの部屋で寝て、新巻さんが向こうの部屋で寝ることになると思う(たとえば新巻さんが、心細いから一緒の部屋に寝て、とか言ってきたら別だけど)。


 こっちの部屋に自分の布団を敷いていて、僕は悪戯を思いついた。


 こっちの部屋に二組の布団をくっつけて敷いてしまう。

 二つの布団を隙間なく、くっつける。


 向こうの部屋から出てきた新巻さんが、

「なんで布団くっつけて敷いてるの!」

 って、僕に突っ込む。


 それで一ボケ成立する。


 新巻さんに悪戯して、後でまた、向こうの部屋に敷き直せばいい。


 僕は部屋の真ん中に布団を二組敷いた。

 布団をぴったり隙間なくくっつけて、枕も並べる。



「さっきはゴメンね」

 しばらくして、襖を開けて新巻さんが向こうの部屋から出てきた。

 寝巻のグレーのスエット上下の新巻さんは、くっついた布団を一瞥する。


「それじゃあ、明日早いし、寝ようか」

 新巻さんが言った。

 すると新巻さんは、掛け布団をまくって、そのまま体を滑り込ませ、横になった。


「どうしたの? 篠岡君も、早く」

 新巻さんは枕をポンポンと叩いて、僕を誘う。


「あ、いや、あの……」

 えっ、そんな、まさか。

 新巻さんってそんなに砕けた人だったの?

 ていうか、砕けすぎだ。


 僕はまだ、お婿入り前の男子だし。

 二人っきりで布団を並べて寝るって……


 どうすることもできなくて、戸惑っていたら、新巻さんがクスクス笑い出した。


「えっ?」


「嘘、嘘。布団をくっつけて敷いて、篠岡君が悪戯するから、こっちも意地悪してやろうと思って、乗っかってみたの」

 新巻さんが笑いながら言う。


「そうか、良かった」

 びっくりした。

 本当に誘われているのかと思った。

 ちょっと残念だったけど。


 それにしても、並んで敷いた布団を見て、一瞬で逆に悪戯を仕掛けるなんて、新巻さんは頭の回転が速い。

 そして何より、お茶目な人みたいだ。


 普段からこういうお茶目な部分を見せていれば、クラスでも人気者になれるのに。

 学校にいる新巻さんは、冷めていて、達観したような雰囲気を出している。

 どこか、近づきがたい感じがしていた。



「それじゃあ、あっちの部屋に敷き直すよ」

 僕がそう言って布団を離そうとしたときだ。


 ドンドンドン、ドンドンドン。


 玄関のほうから、戸を叩く音がする。


 ドンドンドン、ドンドンドン。


 風が戸を叩く音ではない。

 明らかに、誰かが玄関の引き戸を叩いていた。


 三鹿さんか、それとも町役場の庄司さんか。

 それとも、赤ちゃんがまだ産まれないから、ひとまず益子さんの旦那さんが帰って来たんだろうか。


 でも、それなら外から車のエンジン音が聞こえたはずだ。

 ここは静かだから、車の音は殊更際立つ。

 そんな音はまったく聞こえなかった。

 それに、10㎞四方に民家がないから、誰かがふらりと歩いて来るわけもない。


 殺人鬼かゾンビが現れたら、一時間は耐えてね。


 三鹿さんが去り際に言った冗談が思い出された。

 まさか、本当に殺人鬼が来たのか。

 それとも、ゾンビが……


 ドンドンドン、ドンドンドン。


 ドアを叩く音は続く。

 さっきより強くなったみたいだ。


 僕達は、顔を見合わせて頷いた。


 何か武器になる物はと探して、僕は暖炉の脇にあった火かき棒を手に取った。

 頑丈な重い鉄の棒だし、先端が尖っている。


 新巻さんは玄関にあった鍬と鎌を手に取った。

 種類が違う武器の二刀流だ。


 僕が引き戸の脇に立って、手をかけた。

 新巻さんが鍬と鎌を構える。


 鍵を外して、引き戸を力一杯、開けた。



「ヨハンナ先生!」


 金色の髪。

 青い瞳。

 白い肌の北欧美人。

 玄関の引き戸の前に立っていたのは、紛れもなく、ヨハンナ先生だった。


「うわーん。遭難するかと思ったよ。恐かったよー」

 ヨハンナ先生はそう言って、僕に抱きついてくる。

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