第119話 自転車抱えて

 部活動対抗リレーは、各部活から五人の代表選手が走る。

 グラウンドの二百メートルトラックを、四人が半周ずつ走って、五人目のアンカーだけが一周、二百メートルを走るルールだ。



 文化部、運動部合わせて三十九ある部活の代表が集まったグラウンドは、カオスだった。


 柔道着や剣道着、テニスウェア、新体操部のレオタードに、水泳部の水着など、それぞれが部活のユニフォームを着ていて、色鮮やかだ。


 衣装だけでなく、特に勝負を捨てたネタ組は、それぞれの部活が、それぞれの機材をグラウンドに持ち込んでいた。


 軽音部は、スタンドマイクを持ったヴォーカルと、ギター、ベース、キーボードに加えて、ドラムセットを体に縛り付けた部員の五人で走るらしい。

 書道部は、新年の書き初めとかで見る、人の背丈よりも大きな筆を、バトンの代わりに使うみたいだ。



 そんなカオスの中で特に僕の目を引いたのは、トライアスロン部の縦走先輩だった。


「先輩、それで走るんですか?」

 僕が訊く。

 先輩はサイクルジャージを着て、エアロヘルメットをかぶっていた。

 そして先輩の脇には、レースで使うロードバイクがある。


「いや、自転車で走るのはルール的に禁止されているから、これは小脇に抱えて走るつもりだ」

 縦走先輩はそう言って、ロードバイクを軽々と持ち上げてフレームを肩にかけた。

 まるで、トートバッグを肩にかけるみたいな気軽さだ。


 いくら軽量化された自転車でも、小脇に抱えて走るって……


「トライアスロン部もネタの組なんですね」

 僕は訊いた。

 陸上部と共に本命視されているトライアスロン部なのに、今年は勝負を諦めたのだろうか。

 縦走先輩はアンカーだけど、その前の走者はスイムスーツにスイミングキャップで、スイム、バイク、ランと、トライアスロンの三種類の衣装が揃っている。


「いや、ガチだ。私は自転車を担いで走っても、勝つ!」

 先輩は力強く言った。

「はあ」

 その言葉の力強さに、僕はトライアスロン部の勝利を確信する。



 そして僕達、主夫部はといえば、特別な衣装を着ることもなく、五人全員が、学校指定のジャージのままだ。

 主夫部はガチでいかずにネタに走る組だけど、衣装や道具では勝負しない。


「よし、みんな、気合いを入れて行こう」

 集まった僕達に、母木先輩が言った。


 主夫部が走る順番は、


 第一走者が母木先輩、

 第二走者が錦織、

 第三走者が弩で、

 第四走者が御厨、

 そして、アンカーが僕だ。


「打ち合わせ通り、落ち着いてやろう。篠岡のアイディア通りやれば、主夫部を大いにアピールできるはずだ」

 母木先輩が言って、僕達が頷く。



 第一走者がスタートラインに着いた。

 勝負に行く部活が前列に並んで、ネタに走る部活が後ろに並ぶ。

 母木先輩も後方で、弓を持った弓道部とイーゼルを抱えた美術部に挟まれていた。


 午前十一時半の開始予定時刻ぴったりに、スタートピストルが鳴る。


 ガチ勢の走者が一斉に飛び出して行った。

 予想通り、陸上部とトライアスロン部が、先頭に立つ。

 サッカー部や野球部、バスケット部が、その後に続いた。


 一方でネタ勢もゆっくりとスタートする。


 いや、ゆっくりスタートどころか、スタートさえしない部活もあった。


 たとえば落語研究部の第一走者なんて、走り出さずに、その場に座布団を置いて、客席に向かって落語を始める。

 落研の第二走者と第三走者は、バトンを繋ぐエリアで、二人でコントをするらしい。


 さらに、和服姿の茶道部は、グラウンドに緋色の毛氈もうせんを敷いて、そこでお茶を点てていた。

 主賓に一服振舞ってから、次の走者にバトンを繋ぐみたいだ。


 そのすぐ横では、吹奏楽部のサックスと、軽音楽部のギターがアドリブ合戦で互いの楽器の音色を披露する。

 その音楽に合わせて演技する新体操部三年生女子のリボンに、男子生徒が釘付けになっていた。



 さて、そんな中で我らが主夫部だ。


 第一走者の母木先輩は、スタートしてすぐにコースを外れて、トラックの脇の、どこのクラスも応援席に使っていないスペースに向かった。

 先輩はその地面を竹ぼうきで掃いて綺麗にする。

 丁寧に掃いて小石などがなくなったところに、4×6メートルの広いグランドシートを敷いた。


 そこまで終えたところで、リレーのコースに戻って、第二走者の錦織に繋ぐ。


 その時点でもう、ガチ組はアンカーが走り始めた。


 一位はトライアスロン部だ。

 そのすぐ後に、陸上部の三年男子が続く。

 相手は陸上部の短距離エースの男子だったけど、自転車を肩にかけたまま走る縦走先輩が、陸上部を振り切った。

 逆に、バトンを受けたときより差を広げて、一位でゴールする。


 縦走先輩、自転車を担いだまま、ホントに勝っちゃうなんて……


 陸上部の落ち込みようがハンパない。

 そこだけ、お通夜みたいになっていた。



 僕達のレースに戻ろう。


 母木先輩からバトンを受け取った第二走者の錦織は、先輩が敷いたシートの上が日陰になるように、すっぽりと覆うモスグリーンのタープを設置した。

 二メートルあるアルミの支柱を六本を使って、高い屋根を作る。


 タープの設置が終わると、錦織はコースに戻って、第三走者の弩にバトンを渡した。


 第三走者の弩は、グランドシートの上に六人掛けのテーブルを設置して、テーブルクロスを広げた。

 グリーンのチェックのテーブルクロスは、錦織の見立てだ。


 テーブルを整えた弩は、コースに戻って次の御厨に繋ぐ。


 第四走者の御厨は、テーブルの上に六段重ねの重箱を二つ並べた。

 箸と、取り皿、コップなどを六人分整えて、アンカーの僕へ繋ぐ。


 アンカーの僕はコースを半周走って、同じようにコースを外れ、テーブルにディレクターチェアーを六脚広げた。

 それぞれの椅子の上に、汗を拭くためのふかふかのタオルを置く。

 着替えのための真っ白な体操服も用意した。

 何もないところで着替えさせるわけにはいかないから、傍にパーティションで着替え用のスペースも作る。


 こうして、応援スペースの片隅に、優雅なランチの支度が整った。

 周囲の生徒が、興味深げに、そのテーブルを見ている。

 主夫部がリレーをしながら準備するのを、呆気にとられて見ていた。


 だけど、もちろん、このランチの席に座れるのは、僕達、主夫部の「妻」である寄宿生だけだ。



 すべての準備を終えて、僕はコースの残りを走ってゴールする。

 これだけ横道に逸れて色々やったのに、順位は三十九組中、二十七位だった。



 結局、制限時間オーバーで、五つの部活がゴール出来ず、レースは打ち切られる。

 それでもゴール出来なかった部活もみんな、やり切ったというような、満足げな顔をしていた。

 ガチ組の競争も、ネタ組のパフォーマンスも楽しくて、部活動対抗リレーは大いに盛り上がった。




「それでは、只今より休憩に入ります。競技は午後一時から再開しますので、皆さん、昼食を取ってください」

 グラウンドに、放送部のアナウンスが流れる。


 生徒は校庭の芝生に移動したり、そのまま応援席だったり、校舎の日陰に移動して、各々、家から持ってきた弁当を食べ始めた。


 そんな中で寄宿生に用意されたのは、僕達が作った、豪華なランチの席だ。


 集まってきた寄宿生にふかふかのタオルを渡して、汗を拭いてもらった。

 汗をかいた縦走先輩には、新しい体操服に着替えてもらう。


 主夫部の男子が椅子を引いて、みんなを座らせた。


「ご苦労様」

 当然のように座る鬼胡桃会長。

 他の生徒の手前、少し恥ずかしそうに座る、弩と萌花ちゃん。


 テーブルには、片側に鬼胡桃会長、縦走先輩、古品さんが座り、反対側に、弩、萌花ちゃん、ヨハンナ先生が座る。


 みんなが席に着いたところで、御厨が重箱を開けた。


 重箱のメインは巻き寿司といなり寿司。

 おかずとして、エビフライにウインナー、唐揚げ、アスパラベーコン、ピーマンの肉詰め、卵焼き、きんぴらごぼう、筑前煮、と、定番メニューが詰まっていた。

 もちろん、デザート用に、カットフルーツを入れたお重もある。


 お弁当を、運動会や体育祭っていうとすぐに思いつくような定番メニューにしたのは、僕が御厨にそう頼んだからだ。

 弩が、今まで親が忙しくて小学校の時も、中学の時も、運動会の手作り弁当の想い出がないって聞いたから、それを経験させたくて、そうしてもらった。


「うん、おいしい、おいしい」

 体操服にジャージで、すっかり場に馴染んでいるヨハンナ先生が言う。


 古品さんは、周囲の目を気にして、アイドルらしく、カットフルーツだけを食べた。


「おかわり!」

 という、縦走先輩のために、御厨はおにぎりの包みも用意している。


 寄宿生とヨハンナ先生だけが、優雅なランチの時間を過ごした。


 ランチの後の茶の準備も抜かりない。

 御厨がカップに熱い紅茶を注ぐ。



 主夫部の部活動対抗リレーは、走っている最中より、むしろこっちが本番だった。

 僕が考えたアイディアを、主夫部のみんなが分担して、実現してくれた。


 部活対抗リレーで主夫部をどうアピールするか考えたとき、衣装に凝ったり、派手なパフォーマンスをするより、こうして普段やってることをして、寄宿生がリラックスしてるところを見てもらう。


 それが一番いいと考えたのだ。



「主夫部、楽しそうだな」

 遠巻きに僕達を見ている男子生徒から、そんな声が聞かれた。


「寄宿生、羨ましい」

 女子生徒のそんな声も聞こえる。


 その声は鬼胡桃会長の耳にも届いたみたいだ。

「篠岡君、あなたを褒めてあげます。これはいいアイディアだったわ」

 会長が食後のお茶を啜りながら、僕に言ってくれた。

 鬼胡桃会長から褒められるなんて久しぶりで、なんだか、むず痒い。


 これで、寄宿生や主夫部の部員が、一人でも増えてくれるといいんだけど……



「先輩、今回の功績に免じて、修学旅行、女子のグループと一緒に行っていいですよ。私が許可します」

 弩が言った。

「そ、そうか、ありがとう」

 僕は答えた。


 なんで僕の修学旅行の班決めに、弩の許可が必要なのかは、分からなかったけど。



「あなた達、まだ午前の部が終わっただけなのに、もうやり切ったような顔して、まだ午後もあるんだよ」

 デザートの葡萄を摘みながら、ヨハンナ先生が言う。


「大丈夫です。体育祭の打ち上げ、祝勝会の準備は、当然してますから。もちろん、疲れた体に丁度いい温度のお風呂も、真っ白いシーツのベッドも、用意してあります」

 僕は答えた。


 主夫部がそんなところで抜かるわけがないのだ。

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