第104話 線香花火

「お兄ちゃん、ここ絶対、まっ○ろく○すけ出るよ」

 目の前のボロ小屋を見て、花園が言った。

 そういう超自然的な存在を否定できない雰囲気が、このバンガローにはある。


 ログハウスふうに作ってある木造のバンガローは、キャンプ場の外れで、草むらの中に埋もれていた。

 壁には枯れた蔦が絡まっている。

 木が腐った屋根の一部が、トタンの板で塞いであった。

 建物自体が傾いていて、傾いた方の壁に、太い丸太を二本渡して、つっかえ棒にしている。

 まっ○ろく○すけどころか、ゾンビとか、幽霊、殺人鬼とか、諸々、出てきそうな雰囲気だ。



「外はボロでも、案外中は綺麗で、過ごしやすいかもしれないぞ」

 母木先輩がそう言って、管理事務所で預かってきた鍵でドアを開ける。

「ははは、そうでもなかった」

 先輩が言って、一度、ドアを閉めた。


 勇気を振り絞ってドアを開けると、開けてすぐの、二十畳ほどの部屋には、蜘蛛の巣が縦横無尽に走っている。

 板の間の床には、5㎜くらいの厚さで埃が積もっていた。五年くらい前の雑誌が、バラバラになって散らばっている。

 部屋の隅には、申し訳程度のキッチンもあったけれど、シンクが干からびた黴のようなもので埋め尽くされていた。ガスコンロも一口あったけれど、火がつくのか怪しい。

 天井の蛍光灯はぼんやりと点くから、かろうじて電気は来ているみたいだ。


「これなら、野宿の方がマシよ」

 鬼胡桃会長が言った。

「そうね、さすがにこれはないね」

 ヨハンナ先生も肩を竦める。

 ここにいる全員が、同じことを考えていると思いきや……


「いや、掃除をすればいいだけの話だ。こんなこともあろうかと、掃除道具は持ってきている」

 母木先輩が言った。

「こんなこともあろうかとって、どんなことがあると思ってたのよ!」

 鬼胡桃会長が呆れて言う。

 母木先輩は、自分の荷物の中に、雑巾やブラシ、洗剤やゴーグル、マスクなど、一通りの掃除が出来る道具を詰めていた。

 というか、先輩のスポーツバックの荷物、殆どが掃除道具だ。


「掃除で片付いたとしても、料理は無理でしょ?」

 鬼胡桃会長が訊く。

「僕、ちょっとキッチン見てきますね」

 御厨が言って、奥のキッチンを見に行った。

 食器や、鍋、フライパンなどの調理器具は一応、揃っていたけど、包丁は棚に錆びたものが一本、入っているだけだった。刃がボロボロで、とても使えそうにない。


「大丈夫です。こんなこともあろうかと、包丁持ってきました」

 御厨が言う。

 万能包丁に、出刃包丁、菜切り包丁に、ペティナイフ。

 御厨はそれらを荷物の中に忍び込ませていた。

 もし、警察官に職務質問を受けるようなことがあったら、すごく面倒なことになっていたかもしれない。


「まったく、あなた達は……」

 ヨハンナ先生がこらえきれずに笑った。

 確かに、こんなこともあろうかと、掃除道具や包丁を持ち歩く高校生はいない。


「さあ、女子のみんなは銭湯に行って、汗を流して来てくれ。さっぱりして帰ってくる頃には、ここはもう綺麗になっているし、食事も用意できているだろう」

 母木先輩が言う。


 女子達はお互いに顔を見合わせた。

「それなら、とりあえず、銭湯、行こうか」

 ヨハンナ先生が言って、みんなが頷く。


「篠岡先輩は、なにか、こんなこともあろうかと、用意してる物はないんですか?」

 弩が僕の前に来て訊いた。


「いや、特に……あっ、でも、そうだ。みんな銭湯に行くなら、これを持っていってください。こんなこともあろうかと、みんなのパンツ、持ってきました」

 僕はそう言って、自分の荷物の中にしまってあった、女子、一人一人のパンツを渡す。

「あなたは、なんで私達のパンツを自分の荷物に入れて、持ってきてるのかな?」

 僕からパンツを受け取りながら、鬼胡桃会長が訊いた。

 なんか、会長のこめかみの血管がピクピクしている。

「はい、今回みたいな夏の野外フェスは、突然の夕立とか、ゲリラ豪雨とか、天候の変化でずぶ濡れになることもあると聞いたんで、念のため用意しておきました」

 濡れたものを着ていたら夏でも風邪をひいてしまう。だから僕は、みんなが着替えられるように、パンツの他に、Tシャツやショートパンツ、タオルも持ってきていた。

 花園と枝折、そして我が家に居候する女子、全員分、まとめて持って来ている。

「まあ、確かに、あなたには私達のクローゼットとか、洋服ダンスを自由に見てもらってるし、衣類の管理は任せてはいるけれど……」

 それでも鬼胡桃会長は、渋い顔をしていた。


「先輩、私達は分かってるからいいですけど、他の人は勘違いするので、『女子のパンツを持ってきた』とか、声高に言わないほうがいいですよ」

 弩が言う。

「そうなのか?」

「そうなのです」

「わかった、今度から気をつける」

 世の中、まだ色々と面倒臭いみたいだ。



「よし、それじゃあ、かかろう」

 母木先輩が号令をかけて、僕達主夫部は作業にかかる。

 女子達は連れ立ってスーパー銭湯へ行った。

 河東先生は、縦走先輩に背負われたままで、萌花ちゃんがぺこぺこ頭を下げている。


 僕達はひとまず、部屋を縦横無尽に走っている、蜘蛛の巣を払った。

 それが終わると、防塵マスクとゴーグルで完全武装した母木先輩が、床の上の埃やゴミをほうきで全部掃き出す。

 その後で、母木先輩は床の拭き掃除を、御厨がキッチンを使えるようにして、僕は窓を拭いた。


「洗剤はこれを使ってくれ」

母木先輩がそう言って、僕に霧吹きが付いた紫色のボトルを渡す。

「荷物になるからこれしか持って来なかったが、何にでも使えて汚れがよく落ちる、万能洗剤、スペクトラムXXXトリプルエックスマーク2だ。これは僕が長年、掃除をしていて辿り着いた、現時点で究極の洗剤だ」

 母木先輩が言った。

 スペクトラムXXXマーク2って、なんか、怪獣を倒す決戦兵器みたいな名前だ。

 でも、母木先輩が言うなら間違いないだろう。


「先輩、スペクトラムXXXマーク2すごいですよ、一拭きでガラスがピカピカです」

 使ってみると、曇りガラスみたいだった窓が、みるみる綺麗になっていく。

「先輩、スペクトラムXXXマーク2、シンクの汚れも、簡単に落ちました」

 御厨が言う。シンクも輝きを取り戻して、ガス台のしつこい油汚れも一拭きだ。

「スペクトラムXXXマーク2は、除菌も出来るしな」

 母木先輩は床をスペクトラムXXXマーク2で磨きながら言う。

「えっ、スペクトラムXXXマーク2は、除菌も出来るんですか?」

「ああ、スペクトラムXXXマーク2は、除菌も出来るぞ」

「スペクトラムXXXマーク2はどこで売ってるんですか?」

「スペクトラムXXXマーク2は、非売品だ。僕は、メーカーの人と知り合いになって、試作品をモニターしてるんだ」

「へえ、スペクトラムXXXマーク2は試作品なんですね」


 なんか、スペクトラムXXXマーク2言い過ぎて、疲れた。



 二十畳くらいの部屋なら、僕達三人で、一時間もかからずに掃除が済んでしまう。

 もう、床に寝っ転がっても大丈夫だし、シンクも、ガス台もピカピカに輝いていた。

 汚れが落ちたガラスには、何もないと勘違いしたカナブンが、ぶつかってくる程だ。


「よし、次は食事と布団だな」

 母木先輩が言う。

 御厨がここに来る道で見掛けたスーパーに買い物に行って、僕と母木先輩は、近くの寝具店に、布団と枕を借りに行った。


 綺麗になったキッチンで御厨がパパッと作った料理を、管理事務所で借りてきたテーブルの上に並べる。


 今晩のメニューは、


 汁なし担々麺

 エビとアボカドの生春巻き

 アジの南蛮漬け

 レンコン豚つくね

 トマト入りサンラータン

 みょうがのマヨネーズ和えサラダ


 どれも、簡単に出来て、さっぱりと食べられるものばかりだ。



 準備が整った頃合いで、頭にタオルを巻いた女子達が帰ってくる。

 みんな、僕が用意したTシャツにショートパンツの格好だ(河東先生はフェス会場の物販で縦走先輩が買った『脳筋ゴリラ』のTシャツを着ている)。

 河東先生は、お風呂に入って漸く、酔いが覚めつつあるのか、自分で立って歩いてきた。


 みんな、お肌艶々で、さっぱりした顔をしている。


「わぁ、広ーい」

 花園が言って、床の上を裸足で滑った。


「見違えたね。寄宿舎の私の部屋より、綺麗かも」

 ヨハンナ先生が言う。

 そ、それは、先生が散らかすからです。


 鬼胡桃会長も驚いたように小屋の中を見渡した。

「今回に限っては、認めるしかないわね」

 鬼胡桃会長は、そんなふうに言う。


「我が主夫部は、世界中、どこにあっても、どんな状況でも、妻である女子をみすぼらしい環境で眠らせることはない。主夫部といる限り、妻である女子には、常にふかふかの布団と、温かい食事が用意されるのだ!」

 母木先輩が高らかに言った。

 カッコイイ。

 女子達の目が全員、ハートになっている。

 鬼胡桃会長も、うっとりしていた。

 御厨の目もハートになっている。


 母木先輩が言ったのは、理想かもしれない。

 でも、僕達は、母木先輩が言った通りの主夫となるために、精進しなければならないのだろう。


「それじゃあ、みんな、食べてて。今度は僕達が汗を流してくる」

 僕が言うと、

「いえ、あなた達が帰ってくるのを待つわよ。だから、早く行ってきなさい」

 鬼胡桃会長が言った。

 会長……

「統子、ありがとう」

 母木先輩が言う。

「な、なによ! 別にあなた達と一緒に食べたいとか、思ってるわけじゃないんだからね!」

 会長が顔を真っ赤にして言った。


 僕達は、女子達を待たせないよう、走って銭湯に向かう。

 帰りも走って来たから、せっかく汗を流したのに、帰ってきた頃には、また、汗だくになってしまった。




 食事が終わって布団を敷いていると、フェスの打ち上げを抜け出して、古品さんと、錦織がバンガローに来る。

 な~なとほしみかも一緒に来た。


 三人は胸に「Party Make」とロゴの入った黒のTシャツを着ている。

「わあ、『Party Make』のお姉ちゃん達だ!」

 興奮した花園が、三人に次々に飛びついた。正直、羨ましい。


「どうだった? 私達のライブ?」

 古品さんが訊いた。

 でも、なんか、古品さんの目を正面から見られない。

 あんなにキラキラしたステージを見せられたあとで、そのスターが目の前にいるのかと思うと、緊張した。

 夏休みが始まる前は普通に話していたし、寄宿舎でゴロゴロ寝ている古品さんから、洗濯のために靴下とかTシャツとかを剥ぎ取ったりしてたのに。


「最高でした。すごく、カッコ良かったです」

 僕は、そんなふうに普通に答えるのが精一杯だ。

 このあと、ほしみかにもな~なにも同じことを訊かれたけど、僕は上手く答えられずに、ただ、もじもじするだけだった。



「よし、みんな集まったし、花火やろう! さっきあなた達がお風呂行ってる間にコンビニで買ってきたの」

 ヨハンナ先生が言う。

「コンビニの棚にある分、全部買い占めてやったよ!」

 ヨハンナ先生、買いすぎです。


 河東先生が布団に倒れ込むように寝てしまった中で、僕達は花火をした。


 手持ち花火を持って、花園と枝折が走り回る。弩もそれに加わって二人を追いかけた。


 二人で持つ手持ち花火があって、鬼胡桃会長と母木先輩が、喧嘩しながらそれを一緒に持って、火を点ける。


 打ち上げ花火を連続して上げるスターマインをやって、その前で「Party Make」の三人がダンスをしてくれた。

 僕達だけに見せる、特別なライブが始まる。


 ヨハンナ先生が買ってきたのは、花火だけじゃなかった。

 しっかりとビールも買っていた。

 先生は僕達の花火を見ながら、ビールを煽る。

 でも、今日は許してあげよう。

 先生も大変だったろうし。


 萌花ちゃんが、花火をする僕達の写真を撮っている。

「こんなに暗くても撮れるの?」

 僕が訊くと、

「はい、こんなこともあろうかと、F0.95の最高に明るいレンズ持ってきました」

 萌花ちゃんが言った。

 こんなこともあろうかとって、萌花ちゃんも僕達に毒されつつあるみたいだ。


 こうして、僕達はキャンプ場の外れで遠慮なく、騒いだ。

 崩れかけた寂しいバンガローが却ってよかったのかもしれない。


 地面に立てたロケット花火が、倒れて水平に飛んでいって、寝ている河東先生の網戸の耳元で破裂したときは、ちょっとびっくりしたけど(幸い、河東先生は熟睡していて、起きなかった)。



 打ち上げ花火と手持ち花火がなくなって、最後にみんなで線香花火に火を点けた。


 静かに、線香花火の玉を見ていると、なんかしんみりしてしまう。

 これで夏が終わってしまう、そんな気持ちになった。


「先輩に作ってもらった浴衣、持ってくればよかったですね」

 僕の隣で線香花火を持っている弩が言う。

「でも、いいです。来年また花火をするときに、あの浴衣、着ますから。初めて作ってもらった大切な浴衣ですから」

 弩が言った。


 来年もまた、こうして弩やみんなと、花火、出来るだろうか。

 来年、三年生は卒業してしまうし、古品さん達「Party Make」は、僕達の手が届かないスターになっているかもしれない。


 でも、きっとまた集まれる。そんな気がした。

 根拠はないけど。


「あっ」

 弩が言って、弩が持つ線香花火の玉が地面に落ちた。

 落ちてびっくりした拍子に、弩が僕の手を握る。


 暗いし、みんなに見えない位置だから、僕は握った手を、ずっとそのままにしておいた。

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