第100話 牛タンを噛みしめる

「おかえりなさい!」

 ヨハンナ先生を、玄関で、みんなで出迎えた。


「ただいま」

 紺のスーツ姿で、少しやつれたヨハンナ先生が言った。

 先生は、旅行鞄を肩に掛けて、両手に紙袋を提げている。

 やつれているのは、研修で散々絞られたのだろうか。

 それとも研修後の宴会とかで、セクハラ教師達の相手をしたからだろうか。

 どっちにしても、よく頑張って来たねと、褒めてあげたい。


「あっ、鬼胡桃会長さんだー!」

 ヨハンナ先生の後ろから、花園が飛び出てきて、会長に抱きついた。

 林間学校帰りの花園は、青い学校指定ジャージで、背中にリュックサックを背負っている。

「車で帰る途中、歩いてる花園ちゃんを拾ったの」

 先生が言った。

 花園は日に焼けて、少しだけ逞しくなったみたいだ。

 花園に抱きつかれた鬼胡桃会長が、困って眉尻を下げている。

 あんなふうに堂々と会長の胸に飛び込んでいける花園が、羨ましい。

 すごく、柔らかそうだし。


「ところで、あなた達、何で増えてるの?」

 先生が、萌花ちゃん、鬼胡桃会長、縦走先輩を見て訊いた。

 確かに、増えている。


「私は、静かに勉強する環境を求めて、ここに来ただけです」

 鬼胡桃会長が言った。

「私は………腹一杯食べられる環境を求めて、ここに来た」

 縦走先輩が言う。

「母と喧嘩しちゃいまして……」

 萌花ちゃんが言った。

 もちろん、萌花ちゃんの母親は、三年生の学年主任で、職員室牛耳る河東先生だ。

 ヨハンナ先生が頭を抱える。

「塞君、あなた私がいないあいだ、苦労してたのね」

 先生が同情してくれた。



「先生、それおみやげですか?」

 縦走先輩が先生の持つ紙袋を指して言った。

 先輩は紙袋に何かを嗅ぎつけたらしい。

「そうそう、これね。おみやげだよ。みんなで食べよう」

 先生がそう言って、僕に紙袋を渡した。

「牛タンだ!」

 紙袋の中を覗き込んだ花園が言う。


 先生のおみやげが牛タンだと分かった途端、みんながクスクスと笑い始めた。

「な、なによ」

 みんなに笑われて、先生が戸惑う。


「先生の研修先から、たぶん牛タン買ってくるだろうと思って、今日の夕飯は、焼き肉パーティーの準備が整ってます」

 僕が言った。

 先生の思考はもう、お見通しだ。


 リビングには、テーブルと座卓を並べて、ホットプレートが据えてある。

 みんなで食べる焼き肉仕様の食卓が整えてあった。

 タマネギやカボチャ、ナス、ピーマン、野菜もたくさん切ってある。

 キャベツともやしは山のように用意した。

 先生が買ってきてくれた牛タンに加えて、特売で買ったおいた牛肉も、この際だから全部解凍してある。

「さすがは、塞君ね」

 先生が、やられたという感じで頭を掻いた。

 野菜を切っただけで、調理自体は楽だったけど。


「ビールも、ビールジョッキも、ちゃんと、冷やしてありますよ」

 僕が言うと、

「あなたはなんて良い生徒なの! もう、ハグしちゃおう」

 先生がハグしてくれた。

 むせ返るようなヨハンナ先生の匂い(ちょっと汗臭いけど)。

 先生、みんなの前で大胆な。


「じゃあ、先生も花園も、焼き肉パーティーの前に、汗流して来てください」

「先生、一緒にシャワー浴びよう」

 花園がそう言って、ヨハンナ先生を連れて、風呂場へ行く。

 やっぱり、花園は羨ましい。



「乾杯ー!」

 先生の音頭で、焼き肉パーティーが始まった。

 先生はジョッキのビールを、一息で飲み干す。

「やっぱり、この一杯のために、生きてるわぁ」

 ヨハンナ先生が言った。

 濡れた髪にタオルを巻いて、スリップ一枚のヨハンナ先生。

 風呂上がりで上気していて、すごく色っぽい。

「面倒くさい研修のあとのビールは最高だよね」

 発言とビジュアルに、ギャップがありすぎる。


 では、さっそく、先生が買ってきてくれた牛タンをホットプレートで焼かせてもらおう。

 綺麗に切れ込みが入った、塩味の牛タン。

 みんながホットプレートを見詰める中、両面を丁寧に焼く。

 その匂いだけで、ご飯が食べられそうだ。

 最初に焼きあがった六枚を、女子達の皿に配った。


「美味しい!」

 一番で口にした花園が言う。

 みんなが、ゆっくりと極上の一枚を噛みしめた。

 そしてとろけそうな顔で、ため息を吐く。 


「さあ、どんどん焼いて、もう、学校で配るために買ってきた分まで焼いていいよ」

 お酒が入った先生が言った。

「おおー」

 と、みんなで拍手する。

 遠慮なく、たっぷりと焼かせてもらう。


「先輩も、焼いてばかりいないで食べてください」

 弩がそう言って、僕の取り皿に焼き上がった二切れを入れてくれた。

 牛タン独特の歯応えがたまらない。

 噛んでいると、噛むほどに、どんどん旨みが出てくる。


「ほら、縦走さんはもう少し、お野菜も食べなさいよ」

 さっきから、鬼胡桃会長が焼いた肉を、遠慮無く次々に口に運ぶ縦走先輩。

「肉でお腹いっぱいにして、隙間があったら野菜を食べよう」

 縦走先輩が言った。

 なんという肉食系。

「あっ、それ私が何度も裏返して育ててたお肉なのに、なんで取っちゃうの!」

 鬼胡桃会長が縦走先輩を睨む。

「次を焼けばいいだろう」

「そういう問題じゃなくて」

 もう、大騒ぎだ。


 枝折が笑っている。

 二人を見て大笑いしていた。

 普段感情をあまり出さない枝折には珍しいことだ。

 枝折から、こんな笑顔を引き出してくれた縦走先輩と鬼胡桃会長に感謝したい。


 でも、枝折の笑いのツボが分からない。



「縦走先輩、まだ、焼きますか?」

「いや、いい。お腹いっぱいだ」

 とうとう、縦走先輩がギブアップするくらい、僕達はたらふく食べた。

 もうみんな、デザートに用意しておいたスイカも喉を通らないくらい、お腹いっぱいになっている。

 みんな足を投げ出して座ったり、リビングの床に寝転がっていた。


 女子達をお腹いっぱいにして、こんなふうに恍惚の表情にさせるのは気持ちいい。

 御厨が女子をお腹いっぱい食べさせてぽっちゃりにしようとするその気持ちが、今は分かる気がする。


 焼き肉パーティーが終わって、リビングを片付けた。

 ビールのジョッキを持ったまま、テーブルに突っ伏しているヨハンナ先生を起こす。

「ほら、先生、股を閉じてください!」


 片付けの間に、女子達には、順番にお風呂に入ってもらった。

 最後に僕が風呂に入って、ガスの元栓を閉め、戸締まりを確認する。



「今日も、みんなで、リビングで寝ますか?」

 弩が言った。

 やった、今日も廊下で寝ることから、逃れられるかもしれない。

「狭かったら、塞君は先生と一緒に、客間に寝てもいいわよ」

 ヨハンナ先生が言う。先生はまだ相当酔っぱらっているみたいだ。

「駄目です!」

 弩が言った。

「先生と生徒、不謹慎です!」

 鬼胡桃会長が言う。

「お兄ちゃんは、こっちで寝るから」

 花園が言った。

「なによ、私だって一人で寝るの寂しいし」

 ヨハンナ先生が言って、僕の手を引っ張る。

 花園と弩が、反対の手を引っ張った。


「まあまあ、みんな、僕を取り合って喧嘩なんかしないで。僕はみんなのものですから」

 そう言った途端、廊下に追い出された。

 弩が廊下に僕の布団と枕を投げて寄越す。


 あの、いえ、冗談ですから。


 その後、小一時間かけて謝って、なんとか、みんなが仲良く雑魚寝するリビングの端に寝かせてもらえた。

 電気を消して、眠りにつく。


「先生、もうこれは、みんなで寄宿舎に帰ったほうがいいんじゃないですか?」

 横になりながら弩が訊いた。

 確かに、これだけ人数が増えたら、その方が炊事や洗濯に便利だ。


「それが、みんながいない夏休みの間に、普段出来ない修繕をすることになって、寄宿舎には今、業者さんが入ってるの。水回りとか、電気系統とかの工事をしてもらっているから、帰っても、水も、電気も使えないんだよ」

 ヨハンナ先生が言う。

「その代わり、二学期からはリニューアルした寄宿舎で過ごせるから。トイレもウォシュレット付きになるし、各部屋に高速インターネットも通るし」

 先生が言った。

「高速インターネット!」

 弩はそこに反応するか。

 さすが、ゲーマーだ。


「リニューアルって、内装とかも変わっちゃうんですか?」

 萌花ちゃんが訊いた。

「ううん。内装とか、外観はそのまま。もちろん壊れてる箇所は直すけど、あの雰囲気は絶対に壊さないでって、お願いしてあるから」

 それを聞いて、みんなが安心する。

 特に、あの洋館を雰囲気のあるスタジオとして使っている萌花ちゃんは、安心したようだ。


「ところで、主夫部の篠岡先輩以外の男子部員とか、古品さんとか、どうしてるんですか? みんなで集まれたらいいのに。夏休みの間に、一度くらいみんなで集まって、こうして焼き肉パーティーとか、バーベキューとか、できたら良かったんですけど」

 萌花ちゃんが言う。


「御厨はもう、モルディブのバカンスから、日本に帰ってきたらしいよ」

 僕が教えた。

 御厨が僕に帰国を報告してきたメールには、モルディブの海の上のコテージで、ビーチチェアに横になったモデルの天方リタの水着写真が添付してあった。

 でも、自分の母親の水着写真を送ってくる御厨はどうなんだ。

 まあ、すごく綺麗だったけど(光の速さで保存した)。


「母木先輩はどうしてるんですかね?」

 僕が訊いた。

 全国を回って、ボランティアの清掃に参加しているという母木先輩からは、時々メールも来るけど、山奥で電波が届かないところに行ったりもするのか、連絡は途切れがちだ。


「母木は、今、ちょうど次のボランティアとの合間で、家に戻ってるみたいよ」

 鬼胡桃会長が言う。

「会長さん、なんで母木先輩のこと、知ってるんですか?」

 弩が訊いた。

 なぜ、そんな分かりきったことを訊くんだ。

「べ、べ、別に私からあいつの行動を調べたとか、そういうことじゃないんだから。あいつの方から、元気にしてるか、とか、変わりはないか、とか、勝手に連絡してくるだけなんだからね!」

 暗くて見えないけど、会長はたぶん、顔を真っ赤にしている。


「じゃあ、あと、古品さんと錦織先輩が来られれば、みんな揃いますよね」

 萌花ちゃんが言った。

「でも古品さんは、今週末、最後の夏フェス出演があって、錦織先輩もそれに付いて行ってるから、二人は無理そうだよ」

 弩が言う。

「そうか、そうだね」


 せっかく、母木先輩も御厨も帰ってきてるのに、全員集まれない。

 古品さんは仕事だから、予定を外すことも出来ないし、みんなで夏の想い出を作るのは無理なのか。


 いや、でも……

 そうだ。

 僕は閃いた。


「向こうが来られないなら、こっちから行けばいいんじゃないかな?」

 僕は言う。

「えっ?」

「みんなで、古品さんが出るフェス見に行きましょうよ!」

 夏休み、みんなで出掛けられるし、みんながそこに集まれる。盛り上がれる。

「賛成です!」

 布団から起き上がって、弩が言った。

「賛成!」

 萌花ちゃんも起き上がる。

「花園と枝折ちゃんも、行っていいの?」

 花園が訊いた。

「もちろん」

 弩が言って、花園が弩に飛びつく。

「先生も、大丈夫ですよね」

 僕が訊いた。

「休みだし、予定は空いてるけど……」

 先生が言葉を濁したのは、引率の心配をしているのだろうか。


「私は、勉強があるけど、まあ、どうしてもっていうのなら、しかたがないわね。付き合ってあげないこともないわ」

 鬼胡桃会長が言った。

 縦走先輩に訊こうとしたら、縦走先輩はもう、布団の上で寝息を立てている。

 でもたぶんOKだろう。フェスにはフードコートとかあって、たくさん食べ物あるし。


「じゃあ、決まりです。みんなで、夏フェスに古品さんの『ぱあてぃめいく』を応援しに行きましょう」

 僕が言って、起きているみんなが、「おー!」と拳を突き上げた。


「でも、移動手段はどうするの? 暑いし、歩くのはいやよ。電車とかでも、これだけ人数が多いと、収拾がつかないでしょ?」

 鬼胡桃会長が訊く。

「それも、僕に当てがあります」

 僕は、その点についても閃いていた。


「みんなで乗れる、魔法の乗り物があるじゃないですか?」

 僕が言うと、

「えっ? 魔法の乗り物?」

 みんなが首を傾げる。

 いや、暗闇で見えないけど、首を傾げたんだと思う。


「そうです。ね、萌花ちゃん」

 僕が萌花ちゃんに話を振った。

「えっ?」

 振られた萌花ちゃんが戸惑っている。


「えっ、えっ? なんですか? 篠岡先輩?」

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