第60話 アミューズメントパーク

 食堂の床を木洩れ日がまだらに照らしていた。

 林を抜けて窓から入ってくる風が、ひんやりしていて心地いい。


「なるほど、ここか」

 寄宿舎の食堂で、母木先輩が言った。

 放課後、ホームルーム終わりで僕達主夫部は食堂に集まっている。

 心配した鬼胡桃会長も駆け付けてくれた。

 本当は授業も受けずに文化祭の準備をしたかったんだけど、そういうわけにもいかない。


「そうです、ここです。ここでカフェをやるんです」

 弩が言った。

 僕達は毎日ここに来るからあまり気に止めてなかったけど、改めて見てみると、この食堂の雰囲気はカフェにぴったりだ。


 室内には、作り物ではない、時代を経た建物が持つ重厚感がある。

 僕達が磨き込んだ柱や床は飴色に輝いているし、真鍮しんちゅう製のドアの取っ手や、窓の錠など、全てに於いて凝ったデザインが施された贅沢な作りだ。


 窓から見えるのは木々の緑だし、林に騒音がさえぎられて、ここは学校の敷地内だってことを忘れてしまうくらいの環境だ。


 飾り付けなしで今すぐカフェが始められる。


「この寄宿舎も学校施設ですし、誰も使用許可を申請していないので、ここを文化祭で主夫部が使ってもいいですよね?」

 弩が鬼胡桃会長に訊いた。


「ええ、まあ、確かにここは……そうね」

 盲点だったけれど、規則には違反していない。

 会長も認めるしかないようだ。


「ここにカフェを作ります。いえ、カフェだけじゃありません。この寄宿舎全体を総合アミューズメントパークにします。」

 弩が高らかに言う。

「どういうことだ?」

 僕が訊いた。

 カフェは分かるけど、アミューズメントパークって、どういうことだ。


「はい、ぼやがあった第二視聴覚室から場所を移してカフェをやるだけなら簡単にできます。でも、私達はそれだけでは済まなくなりました。借りてきたテーブルや椅子が煤で汚れてしまったので、弁償しなければなりません。それで、もう少しお金を稼がないといけなくなったのです」

 文化祭の出店については、常識の範囲内で金銭を稼ぐことが認められている。

 よほど暴利ぼうりむさぼったりしない限り、自由だ。


「それに、火を付けて主夫部を妨害した犯人に、思い知らせてやるのです。主夫部を妨害すると、主夫部はそれ以上のことをやって大きくなる。妨害は無意味だと知らしめるのです。だから、この寄宿舎全体をアミューズメントパークにします」

 弩はノートを一冊持っている。

 そのノートには弩が考えた計画がぎっしりと書き込まれていた。

 授業中や、休み時間を利用して、急遽計画を練ったんだろう。

 弩は抜擢された責任者としての職責しょくせきを、まっとうするつもりだ。


「文化祭まで、もう二日もない。カフェ以外の展示を、一から準備をしている時間はないと思うが」

 母木先輩が言う。

「いえ、大丈夫です。今ある施設を利用します。ちょっと来てください」

 弩はそう言うと、僕達を風呂場の脱衣所に導いた。

 脱衣所には、先日僕達が作った洗髪台がある。


「ここは、ヘッドスパにします。ここでお客さんの髪を洗って、頭皮をマッサージしていやします。主夫部の皆さんに髪を洗ってもらうのは、寄宿生に大人気ですが、当然、文化祭に於いても人気になると思います」

 弩が言った。

 確かに洗髪は寄宿生に人気があって、毎日のようにしている。

 その上、学校中の女子の髪を洗えるなら、僕達には願ってもないことだけど。


「次はこっちです」

 弩はそう言って、縦走先輩がトレーニングルーム代わりに使っている102号室に導いた。

「ここにある縦走先輩のトレーニング器具を使って、御厨君のお母様、現役モデルの『天方リタ』さんによる、美しいスタイルを保つエクササイズ講座を開きます。さっき御厨君のお母様には許可を頂きました。スケジュールも取って頂きました。泊めてもらっている恩もあるし、息子のためでもあるし、喜んで協力すると言って頂きました。もちろん、縦走先輩にも部屋や器具を使う許可をもらっています」

 弩は昼休みなどを使って、許可を取る交渉まで進めていたらしい。


「そして二階です」

 僕達は弩について二階に上がる。


「ここでは鬼胡桃会長にご協力頂いて、いつも着ているボルドーのワンピースの予備をお借りします。そして、希望者がそのワンピースを着て写真を撮れる『なりきり生徒会長』のアトラクションとします」

 弩が言うと、

「いやよ! そんなの」

 鬼胡桃会長が声を荒げた。


 しかし、弩はそんな鬼胡桃会長を前にして一歩も引かない。


「いいですか、鬼胡桃会長、考えてみてください。生徒会長はみんなの憧れです。ヒーローに憧れた子供がそのヒーローと同じ格好をしたくなるように、アイドルに憧れた子がそのアイドルの真似をするように、みんなは生徒会長と同じ格好をしてみたいのです。一生に一度は鬼胡桃会長と同じ服を着て、生徒会長になりきってみたいのです。これはそんな夢を叶えるアトラクションです。どうですか、生徒達の夢を叶えてあげませんか? これは鬼胡桃会長の衣装だからこそ、出来るアトラクションなのです」

 弩が一気にまくし立てた。その話は理路整然りろせいぜんとしている。

 そんな弩には、鬼胡桃会長も気圧された。

 というより、いつもと立場が逆転して、会長は戸惑っているようだ。


「会長、お願いします!」

 弩が頭を下げる。


「そ、そうね。生徒会長はみんなの憧れだものね。まあ、いいわ。貸してあげる。自由に使いなさい」

 ついに鬼胡桃会長が折れた。

 弩は鬼胡桃会長を言いくるめてしまった。

 これはさすがとしか言いようがない。


「そしてもう一つ、大がかりなアトラクションがあります」

 弩がそう言って階段を降り、今度は僕達を一階の111号室の前に導いた。

 あの、開かずの間だった部屋だ。


「ここは、地下の防空壕と通路を利用して、『地下洞窟探検』のアトラクションとします。ろうそくを持って二人ずつ地下に降りてもらって、外の物置小屋に抜けるまでの通路を歩いてもらいます。まさしく、探検気分が楽しめる一大アトラクションです」

 弩は声を弾ませて言った。

 111号室の下にあるのは本物の防空壕だし、文化祭のお化け屋敷なんかよりも、よほど雰囲気があって、怖いアトラクションになるかもしれない。


 弩は寄宿舎に今あるものを利用して、アトラクションを作り出してしまった。

 まさに寄宿舎全体がアミューズメントパークだ。


「でも、これだけ色々なアトラクションを運営するのには人が足りないぞ。とても主夫部だけでは回せない」

 母木先輩が現実的なことを言った。


「そこは考えてあります。部活やクラス単位の出展や、ステージの出し物に参加していない生徒を誘って雇おうと思っています。多くは出せませんけど、アルバイト代も出しますし、せっかくの文化祭なので参加して思い出を作るほうが楽しいって言えば、受けてくれる生徒もいるんじゃないでしょうか」

 確かに、去年僕は文化祭に参加しなくて後悔した。

 参加している生徒が羨ましかった。

 こういう募集に乗ってくれる生徒もいるだろう。


「どうでしょう? 寄宿舎のアミューズメントパーク、やりませんか?」

 弩が僕達に訊く。

「二日で出来るか?」

「はい、出来ます。いえ、やりましょう」

 弩は即答した。


 この短期間で、弩はすっかりマネージャーになっている。

 経営者になっていた。

 弩が自信たっぷりに言うし、質問には的確に答えるから、アミューズメントパークでも、なんでも、出来そうな気がしてくる。


 少なくとも僕はもう、弩についていこうって気持ちになっていた。


「よし、やろう」

「やりましょう」

「面白そうだな」

「やるか」

 主夫部の男子が口々に言う。

 僕達の様子が可笑しかったのか、鬼胡桃会長が笑った。

 朝はひしがれていたのに、もうやる気を取り戻している僕達が可笑しかったらしい。

 鬼胡桃会長は声を上げて笑った。

 会長がこんなに無邪気に笑う様子を、僕は初めて見た。



「では、みなさんの役割分担です。一分一秒の時間を無駄に出来ません」

 弩はあらかじめノートに書いてあった分担表を示す。

 分担表は真っ黒だった。


 どうやら弩は、僕達を文化祭当日まで寝かさないらしい。



 ところで、中学校から帰ってきた花園と枝折にも何か手伝わせようとしたんだけど、寄宿舎の中を探しても二人は見当たらなかった。

 メールをしても、スマホに電話をかけても返事がない。


 二人はどこに行ってしまったんだろう。



 

    ◇



 廊下を二匹の黒ウサギが歩いていた。

 無表情な黒いウサギの着ぐるみの中身は、体格からして女生徒だろうか。


 二匹は仲良さそうに手を繋いで歩いていた。

 二匹のうち一匹は、長い耳が片方折れている。


 文化祭前夜の喧噪けんそうの中では、二匹の黒ウサギが手を繋いで廊下を歩いていても、誰も疑問を抱かない。

 時々、一緒に写真を撮ってくれと頼む生徒がいて、ウサギ達は快くそれに応じた。



 二匹の黒ウサギは校舎を自由に歩いて、やがて喧噪から外れてひっそりと静まり返った第二視聴覚室に辿り着いた。

 耳の折れたウサギがドアを開けて、二匹は中に入る。


 煤けた室内には焦げ臭い匂いが充満していた。

 消火剤が撒かれたそのままの状態で放置されている。


 二匹のウサギは教室中を隈無く観察した。

 妖しく光るつぶらな目で、漏らさず全てを記録しているかのようだ。


 すると耳の折れた一匹が、テーブルの上に、丸く、煤がついていない部分があるのに目を留めた。直径15cmくらいだろうか。

 ウサギは時間をかけてそこをじっくりと観察する。


「しーちゃん、どうしたの?」

 耳の折れていない一匹が訊いた。

「うん。はなちゃん、私、犯人分かったよ」

 耳の折れたウサギが答える。

「もう分かっちゃったの? さすがはしーちゃん」

 耳の折れていないウサギがそう言って、折れているウサギの背中に抱き付いた。


「お兄ちゃんを困らせる人は許せないよね」

「そうだね、許せないね」

 黒ウサギが言う。


 無表情な着ぐるみの顔からは、その感情を読み取ることは出来なかった。

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