学術都市

氷室の学士

 カイトの遺体を港町へ送り届け、弔いを済ませた。ダゴン教団の者からは恨みも買ったはずだが、神壊学府からの汐詠媛奪還の交渉を請け負っているため、表立って命を狙われるようなことはなかった。


 ゴウザンゼは既にザハンの元にはおらず、都へと出立した後だった。汐詠媛は都ではなく、王族に連なる領主が治める、北の街へと運ばれた。領主が学問に造詣の深いことから、神壊学府の拠点の一つになっているという。魔女の釜を取り仕切ったジゼルの言葉では、血判の主は、どこへ行こうと引かれ合い、必ず出会うことになるという話だった。ならば港町に留まらねばならない理由もない。俺は汐詠媛の無事を確認する為にも、北の街へ向かうことにした。


 気候が温暖で、肌を出しても平気だった港町とは違い、北方は気温が低い。北にそびえる山には、雪が降り積もっているという。


『せっかくだから、雪というものも、この目で見ておきたいわよね』


 領主が建てた大学は、管理の行き届いている、荘厳だが華美に流れないものだった。神壊学府の一員、ムニョス博士が、ここで教鞭をとることを任されているという。俺が面会を申し出ると、事情を把握しているのか、すんなりと許可が下りた。


 小柄な女子学徒に案内されたのは、大学の敷地内に流れる川沿いに併設された、倉庫のような建物だった。書物だけでなく、各地から集められた呪具に祭具の類、様々な魔物の標本が詰め込まれた瓶の群れが、雑多に詰め込まれている。


「こちらです」


 女子学徒が密閉されていた重い扉を開くと、中から冷気が溢れ出してきた。氷室か。慣れた様子で傍らに置かれていた防寒具を羽織り、俺にも同じものを着るよう勧めた。氷室の中は幾つかの部屋に分けられいる。女子学徒は奥に進むと、そのうち一番奥の扉をノックした。


「博士、入ります」


 その部屋は、学者が住むに相応しい佇まいを見せていたが、一つだけ場にそぐわない、奇妙なものが存在した。部屋の中央に、浴槽が据えられている。


「エルメル、それがアイホートの雛を抱え込んでる狂人かい?」


 極低温の室内で、氷の浮かぶ浴槽に身を沈めた女が声を掛けた。うねる黒髪の下で目を細めると、浴槽の脇の台に手を伸ばし、置かれていた水晶の眼鏡を掛けた。


『失礼な女ね。狂人はどっちよ』


 ムニョス博士は気だるげな様子でへらへら笑うと、ざぶりと浴槽から身を起こした。蒼白い身体の胸と腰を、紐のように細い布でわずかに隠している。慌てて駆け寄る女子学徒が白衣を羽織らせると、博士はびしょ濡れのまま、書き物机の前の椅子に腰を下ろした。


「ああ、気を悪くした? ごめんね。あまり人と会わないから、失礼の基準が分かんなくてさ。何か冷たい物でも飲む?」


 暖かいものにして欲しい。エルメルと呼ばれた学徒が淹れてくれた茶は、俺の前に出される頃にはすっかり冷たくなっていた。


「話は聞いてるよ。身体の中のそれ、自分でねじ込んでくれって頼んだんだって? ねえ、どんな感じ?」


 俺の胸元にずいと顔を近づけ、半眼にどこか病的な好奇の色を浮かべながら、問いを重ねる。


「メリットとデメリットどっちが大きい? 死ぬまでに得られる加護は、差し出す生に比べ、割に合うものなの?」

『――この女……』


 不敬だ。雛神様の不興が伝わる。雛神様から賜る強さは、脳内体内に流れる物質の調整だけでなく、護るべきものをその身に宿すという信念と一体のもの。決して切り離してその軽重を量ることのできるものではない。


「生きてるうちに解剖――は無理でも、死んだらぜひ検体して欲しいもんだけどね。ま、それはおいおい頼むとして、今日は深きもののサンプルの話だっけ? えーっと――」

「博士、これですね?」


 ムニョス博士はごそごそと机の上の本と書類の山をかき回し、何かを探し始める。エルメルが懐から取り出した鍵束を手渡した。


「無くすからって預けてたんだっけ。偉いぞー。賢いなー。ほうびになでてやろう」


 目を細めるエルメルの頭を乱暴に撫で繰り回すと、博士は俺に付いて来るよう促し部屋を後にした。



 ぺたぺたと間抜けな音を立てるサンダル履きで向かった先は、倉庫の地下。鍵束の鍵を三度使った先には、じっとり湿った石室――おそらく牢獄――があった。


「まだ殺してないよ。暴れないよう処置は施したけどね」


 広い石牢の床には魔方陣が描かれ、その上には長大な蛇とも魚ともつかないものが、幾本もの鉄杭に貫かれ縫い止められていた。人間の少女の様な顔は、どんな種類の感情も浮かべてはいない。ただ歌うように口を動かし続けている。


「感情操作の唄だね。この程度なら術式で再現できるから、どうしても捌いてみたいってほどのものでもないな」


 汐詠媛は自らの痛みを麻痺させるため、歌っているのだろう。敗者に対する扱いは、本来どんなものでも他人が口を挟む類のものではない。だが、静かに伝わる雛神様の憤りと、カイトと交わした約束は、俺にとって見過ごしていいものではない。


「返してあげても構わないんだけど、代わりに一つ言うこと聞いてもらえるかな?」


 まるで邪気の感じられない表情のまま、毀神の徒は首を傾げてみせた。

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