第54話 山田太郎殺人事件 07

    ◆



 私と兄はエレベータを利用して一階に降り、目的通り食堂に向かった。

 食堂、というよりも洋館での食事スペース、と言った所で、四角い大きなテーブルが一つあるだけだ。蝋燭台とか乗っている。イメージ通りだ。内部もしっかりと雰囲気作っているのがよく分かる。こういう小道具とかいいよね。

 ……しかし、何で私はこういうイメージ持っているのだろう。

 持っているイメージの種類が最近分からなくなってきた。

 まあいい。分からないのはこれから増やしていけばいいのだから。

 当然、まだ誰もおらず、がらんどうで少し寂しい雰囲気だった。


「ごはんまだだねー」

『ソウダネ』

「何が出るのかなー?」

『ゴウカダトイイネ』

「そうだねー」

『ワタシ タベラレナイケド』

「あー……ごめんね」

『ホンキデアヤマラレテモ コマル』


 それよりも、と私は兄を促す。


『コツクサンノトコロ イコウ』

「うん」


 兄は私に片手を握られながらベビーカーを動かすという器用な真似をしながら、キッチンへと向かう。

 キッチンにはヤクモがいた。今晩の料理の下ごしらえだろう、テンポよく右手に持った包丁を軽快に鳴らしている。


「ん?」


 ヤクモがこちらに気が付いたようだ。勘がいい。……まあ気が付くか、普通。

 こっそり行きたかったが、仕方がない。


『リヨウリヲキケ』

「ねえねえ。今日の晩御飯なあに?」

「それは教えられないなあ。晩御飯を楽しみにしておきな」


 やっぱ駄目か。


「そうなんだー。うん。楽しみにしてるー」

「ん? 坊主、お腹が空いたのかい?」

「うん。いい匂いがしたからお腹減っちゃったー」


 ナイスアドリブ。


「そうか。じゃあちょっとだけ軽めのやつを作ろうか」

「本当?」

「ああ。ママには内緒な」


 ヤクモは人差し指を自分の口元に寄せる。ナイスガイだ。


「ちょっと待ってな。今、ちゃちゃっと作っちゃうから」


 ヤクモは背を向け、再びキッチンに戻る。

 その間に私はキッチンの内部を観察する。

 大型の新しく作られたからであろう、かなり綺麗なつくりだ。広々としたスペース、大きなオーブン、何でも入りそうな冷蔵庫など、かなりの貯蔵量があるだろう。特に冷蔵庫についてはこれ以外にもあるだろうと推察する。理由は、二泊三日のツアーで船が来ないならば、その分だけ食糧を確保する必要があるからだ。それにもしかすると食糧運搬についてはもっと長いスパンなのかもしれない。となると冷凍食品が多いだろう。

 いやいや、冷凍食品を舐めてはいけない。

 昨今の冷凍技術が凄いのは母親の料理で思い知った。

 食卓に並んでいる料理がすべて冷凍食品だったと知った時には衝撃的だった。

 同時に思った。

 料理しろよ母親。

 まあ、料理ってかなり大変だからそれを無理強いするつもりはないが。傍から見たら育児放棄に見られてしまう可能性がある。ただ便利な世の中で簡単に食事が用意できる環境を利用したら責められるのもなんだかなあと思ってしまう。

 うーむ、世知辛い。


 ……話が逸れた。

 閑話休題。


 とりあえず、料理はほとんどが冷凍品だろう。レンジでチンしてハイ完成、というわけではなく、材料を冷凍しているだけだ。そうでないと料理人としての役割がない。

 キッチン奥には外に出るための扉がある。そこからゴミを捨てに行くのだろう。流石に食堂を通るわけにいかないから、これは必要な配置である。

 ……まあ、そんな所か。

 あんまり見どころないな。

 そう判断してここから離れようと兄に指示しようとした時だった。


「あれ……?」

「どうしたのー?」

「ああ、すまん坊主。軽食を作ろうとしたんだが、その材料が少なくなっていてな」

「無くなった?」

「ああ。具体的に言うとおにぎりに使うような材料がな。折角解凍させて冷蔵庫に入れておいたんだが……」

「ああ、それならば先程、私が使用しました」


 背部から声がした。

 その人物はキッチンに足を踏み入れる。


「ニイさん」


「すみませんヤクモさん。お客様の要望で幾つか材料を使わせていただきました。事後報告で申し訳ありません」

「ん、まあ、いいですけど……お客様とは?」


「山田様です」


「ああ、あの人ですか……」


 山田太郎。

 覆面の男。


「晩の食事は一人で軽めのモノを用意してもらえないか、と要望がありました」

「あー、そうですか。個別でしっかりとしたものを用意しても良かったのですが」

「それはヤクモさんに悪いからと断られてしまいました」

「……こういうこと、慣れているんでしょうね」


 しみじみとした口調のヤクモに「ええ、そうですね」とニイは肩に手を置く。


「それはさておき――私が料理を勝手にしたのは申し訳ありませんでしたが、どうしてキッチンにいらっしゃらなかったのですか?」

「あ、その、えっとですね」


 だらだらと青い顔で汗を掻いているヤクモ。


「す、すみません。ちょっと一服してました……」

「一服ですか。それにしては長いような気がしましたね」

「たばこの匂いが料理に付かぬよう、着替えて来たので……」

「その心意気は認めますが、ほどほどにしてくださいね」


 ニイは苦笑いをして、その場を離れた。


「……参ったなあ。かっこ悪いとこ見せちゃったな」


 残されたヤクモは、兄に向かってはにかんだ笑みを見せる。


「坊主、こんな大人になっちゃ駄目だぞ」

「何でー? おじさん駄目じゃないよー」


 兄が両手をぱたぱたと羽ばたかせる。


「だって料理人って美味しい料理でみんなを笑顔にさせるんでしょー? それってすごくすごいことじゃん!」

「坊主……」


 ヤクモは目に涙を浮かべるのを隠そうと上を向いて掌を目元に当てる。


「よぉし! 今日はとっておきの料理を作ってやるからな! 晩御飯楽しみにしておけよ!」

「うんー。楽しみにしているねー」


 手を振って兄は私を連れてベビーカーごと、キッチンを去って行った。


「大丈夫だった?」


 食堂を出たあたりで兄は問い掛けてきた。

 大丈夫とはなんだろう、と一瞬思考したが、すぐに思い当たったのでメッセージを伝える。


『ウン ミルトコロワ ゼンブミタ』

「そうなんだ。僕には全然何があるか分からなかったよ」


 あははと笑う兄に、私は少し疑問が湧く。


『ダイジヨウブ?』

「ん? 何がー?」

『オナカ』

「あー、結局出してもらえなかったねー、おやつ」


 おやつじゃなくて軽食だが。


「でもお腹減ってなかったからいいやー」


 この兄、策士である。


 と。

 そんなこんなしている内に三十分経ってしまい、小さな探検は終了。


 私達は玄関へと向かった。

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