第12話 私誘拐事件 11

「どうもお待たせしました。警察です」


 その声と共に、一人の女性が紺色のスーツ姿で入室してくる。若い女性だ。年は二十代半ばといった所だろうか。肩口で揃えたショートカットの黒髪が若々しさを際立たせる。

 入ってきたのは彼女一人。


 ……まずいかもしれない。


 私は焦燥感により心の中で汗を掻く。

 彼女は警察手帳を責任者と思われる男性に見せて訊ねる。


「通報のあった件について、まずは詳しくお聞かせ願えないでしょうか?」

「あ、はい。当モールにて誘拐事件と思わしき出来事が発生しまして、その……」


 モールの責任者が事件のあらましを説明する。


「そうですか。大体理解出来ました」


 深く頷くと彼女は制帽を正して、


「つまり誘拐犯はあちらにいる男です!」


 ビシリ、と刑事は入り口を指差す。

 ……いや、知っているから。

 というかそう説明しただろ。

 何故得意げに胸を張るんだろうか。


「どうです? 私の名推理が光ったでしょう?」

「は、はあ……?」


 ……ダメだこりゃ。


 この警察の女性は駄目だ。

 ここまで無能だとはっきり分かる人は生まれて初めて見た。

 もっとも、生まれてからまだ半年なのだけれど。


「――お前は何を馬鹿やっとるんだ!」


 鋭く叱りつける声が部屋に響く。

 視線を向けると、入り口にえんじ色のスーツの上に黒のコートを羽織った初老の男性が立っていた。

 穏やかそうな男性からあのような怒声が発せられるとは意外だった。

 女性の方も背をぴんと伸ばして頭を下げる。


「はい! すみません警部!」

「全く……付いた途端に走り出して私を置いていく元気はあるのは良いことだが、刑事として先走り過ぎないことも大切だ。気を付けるように」

「はい! 以後気を付けます!」

「ということでご迷惑をおかけしました」


 警部が頭を下げる。

 こちらの警部はまともそうだ。


「では、先程まで説明を受けていた内容を、私に端的にしてくれ」

「了解しました!」


 ポンコツ刑事が敬礼をして説明を開始する。


 ――ここだ!


 私はモールス信号を、警部に向かって放つことを決めた。

 この警部ならば、女性刑事からの話を聞きながらでも何らかの意図を汲み取ってもらえるかもしれない。ならば長時間拘束されるこの時を逃せば、もしかすると機会を失うかもしれない。

 とはいっても、放つ方法は先程の母親の時と同じにするわけにはいかない。流石に警部の胸元に吸い付きに行くのは色々とクレイジーだ。

 ではどうするか。

 私はモールス信号を、泣き声という手段を用いて行うことを決めた。

 というか母親の時にもそうすれば良かったのでは、と言われそうだが、泣き声を放つのは疲れるのだ。

 だが、そんなことを思っている余裕はない。

 大きく息を吸い、私は実行した。


 短く泣く。

 長く泣く。


 この組み合わせで先程と同様のメッセージを伝える。

 伝われ。

 伝われ。

 疲れるけど、伝われ。

 母親が焦った様子で宥めてくるけど止めない。

 よしよしと言いながら優しく揺らしているけど、泣くのを止めない。

 ……眠たくなってきた。。

 くそう。この赤ん坊の身体め!

 反射って恐ろしいものだ。

 だが私は諦めない。

 根性で泣き続ける。

 眠りそうになるのを泣くことで打ち消す。


 ――そうやって四苦八苦しながらも。

 ついに私はやり遂げた。


 ベビーカーを調べろ、と伝えきった。

 でもまだ心配だ。

 二周目に行こう。

 体力はきついが、頑張ろう。


 そう息を吸い込んで再び泣こうとした、その時。


 ぬっ、と覗き込んでくる影があった。

 あの警部だった。


 よし、成功だ。

 あの警部は私の先の声に何か思う所があったのだろう。

 彼は私の顔をじっと見て、そして


「おーよしよし。怖かったねー。もう大丈夫だから泣かなくてもいいんだよ」


 頭を撫でてきた。

 思わず泣き声を止めてしまった。


「うんうん。おじちゃん、助かるなあー」


 おじちゃんって年じゃないだろう、というツッコミをしたくなったが、いかんせん、赤子なので「あうあう」としか言えなかった。

 そのことを返事だと解釈したのだろう、警部は満足そうな笑みを浮かべて私に背を向けた。

 そしてベビーカーの横まで行って――



 ――

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