三、終わらないお茶会

 ナザリックの秩序は正しく保たれ、仕事は遅滞ちたいなく進む。

 シモベたちの想いがどうであれ、粛々しゅくしゅくとして。


「セバスさまぁ」


 銀器を磨くという、英国執事ならばもちろん義務として為す仕事に黙々と取り組んでいたところに、舌足らずな甘い声がかかる。

 手は止めず、目を向けることもせず、


「エントマ。どうかしましたか」

「お茶会で紛糾ふんきゅうしてるんですぅ。助けてほしいですぅ」

「お茶会? ……ああ、戦闘メイドたちで集まって開いているんでしたね」

「はいぃ。なんかぁ、姉さまたちがヒートアップしちゃってぇ。早くしないと殴り合いになりそうなんですけどぉ」

「……それはまた、穏やかではありませんね。案内しながら、事情を説明してもらえますか?」

「意見の相違というかぁ。議題に対して答えがまとまらなくてぇ」

「その議題とは?」

「御名前のこととぉ、御席のこととぉ、御部屋のことですわぁ」


 思わず、手が止まった。


「……は?」


 間の抜けた返答は、自らが『執事』に求める品位からすれば明らかに落第で、ついセバスは眉をひそめた。銀器磨きは一通り済み、美しく飾り立てるように収納しながら、エントマの間延びした説明を聞く。


「ほらぁ、今回のことでぇ、至高の御方々の化身とも呼ぶべき御方々が存在なさると分かったじゃないですかぁ。それは夢の中のことだといいますけれどぉ、夢の中からだって至高の御方々の化身たる御方々なら出て来られそうじゃないですかぁ。それでぇ、本来の至高の御方々とぉ、至高の御方々の化身の御方々とがぁ、皆様ご帰還なされたときには御名前と御席と御部屋をどうすればいいのかとぉ」


 帰還。

 その響きに、セバスはぎり、と奥歯を噛みしめた。


 冷静であれ、と己に言い聞かせる。

 激情をぎりぎりでき止めて、発した声はしかし常よりも低く、圧を帯びる。


「……エントマ。本当にそう信じているのですか」


 レベル100のセバスが発する圧は、その半分程度のレベルでしかないエントマには十分に重みをもつ。


 しかし彼女は動じない。

 擬態の顔が表情を変えないのは当然のこととして、身振りも口調もいつもの愛らしさを保ち、いっそ親しく甘えかかってなじってみせるように言う。


「セバスさまだっておっしゃったじゃないですかぁ。いつか至高の御方々はお帰りになるってぇ」

「ええ。私もそのことは信じています。ですが、……ですが、あなたが『化身』と呼んだ、あの御方々は」


 まがい物、とは呼びたくなかった。


 その忌々いまいましい表現が、ちらほらと耳に入らないではなかった。

 不敬とたしなめようにも、御方々自身が己をそう呼び、一部のシモベたちにもそのように認識するよう命じたというのであれば、是非も無い。


 セバスの躊躇ためらいを、エントマは沈黙でやり過ごす。

 鋼の執事は咳払いに苦渋を隠し、感情を殺した声で、


「……『化身』と呼んだあの御方々は、本来の至高の御方々の想いや記憶が偶然に形を成されたもの。それは『夢』という特殊な状況下においてしか顕現けんげんされないと聞いております」


 エントマはゆったりとした服の袖を口元に運ぶ。

 両手で口を押さえて含み笑いするような、その仕草。


「だからぁ、なんですかぁ?」


 小馬鹿にしたような響きは、セバスに怒りよりもむしろ戸惑いを抱かせる。


 エントマは普段、こんな礼を失した振る舞いはしない。


 セバスはプレアデスたちにとって直属の上司なのだ。

 至高の御方々より定められた役割をないがしろにするようなNPCはいない。


「そりゃあ普通は戻られないかもしれませんけどぉ。至高の御方々の化身であらせられるからにはぁ、奇跡だって起こせるかもしれないですしぃ。でもぉ、私たちがちゃんとご帰還の準備をととのえておかなかったらぁ、きっと失望されちゃってぇ、帰れるとしても帰ってきてくださらないですよぉ」


 エントマの声にはいまだ、どこか小馬鹿にした響きがある。


 ……否。


 小馬鹿にしているのは、セバスのことではない。

 彼女が嘲るのは、己自身――

 いや、自分たち姉妹なのだ。


 化身と彼女らが呼ぶ御方々が戻るまいと、エントマも分かっている。

 他のプレアデスたちだって、そうだ。

 アインズがそれとなく皆に伝えたことからも、間違いは無い。


 そこに希望があるはずもない。


 なのに、彼女らは。

 それでも、信じたいのだ。

 信じずにはいられないのだ。


 アインズの叡智えいちがそれを否定した以上、決して起こり得ないのだと承知していながらも。


 彼女らはすがらずにいられなかった。

 至高なる御方々の化身たる存在であれば、

 アインズの予測をも超える可能性があるはずだ、と。


 そんな期待自体が不敬だと、

 誰に言われるまでもなく、彼女ら自身が身に染みている。


 セバスはため息を吐く。


「……分かりました。参りましょう」

「助かりますわぁ。こっちですぅ」


 エントマは、くいくい、とセバスのひじをつかんで引っ張る。

 セバスは小さく苦笑いを浮かべ、促されるままに歩んだ。


 虚しい望みだとしても、それを捨て去ることが出来ないならば。

 鬱々うつうつと孤独にふけり悲哀にひたり絶望にいんするよりも、

 叶わぬと知っていながら希望を語り、夢を描き、いつか奇跡が訪れるときに備える方がよほどいい。


 少なくともそれは、前に進むための力になる。





 ……などという、セバスの好意的かつ理想主義的解釈は。

 テーブルを囲んで展開されるプレアデスたちの論争を前にして、呆気にとられて霧散するのだが。







「ですからっ、ユリ姉さま! ここは発音で問題ありません! 本来の至高の御方を『弐式炎雷にぃしきえ~んらい』様とお呼びし、至高の御方の御化身を『弐式炎雷にしーきぇんらぁいぃ』様と!」

「ナーベラル、それは短絡的というものです! 御名前の音数が多い御方の場合、シモベたちの間で発音の大混乱が発生します!」

「ですからっ! 何度も申し上げているように、特訓です! ナザリックのシモベ全てが完璧に発音を覚え込めばっ」

「アインズ様にまでそれを強制するつもりなの?」

「うっ……で、ですがユリ姉さま、ろくな代案を出してくださらないじゃないですか!」

「……それは、まあ……あとから考えるわ」

「ほら! ユリ姉さまはすぐそうやって! 建設的な議論は具体的な案から始まりますっ! そう、たとえば『やぁまいこ』様と『やま~いこぉ』様という具合に……」

「とりあえず殴ってから考えるわ」

「ちょ、ユリ姉さまああぁぁ!?」


 とりあえず、セバスはユリの腕をねじってテーブルに押さえつけた。

 ナーベラルはようやく執事の到着に気付き、慌てて目礼する。

 別の議論に熱中していたらしいルプスレギナとシズも気付いて、口々に挨拶した。

 腕をねじり上げられたままのユリは冷静に、


「ようこそおいでくださいました。お知恵をお借りしたいと思っていたんです」

「こうした場に呼んでいただけたことは嬉しく思いますが。ユリ、何かあるごとにひとまず殴って解決しようとするのはやめなさい」

「たいへん失礼いたしました。つい私の拳がうなるのです」


 反省していない。

 むしろ反省したら負けだと思っている節がある。

 などというのは邪推だろうか。


 セバスはユリを解放し、ユリは着衣の乱れをととのえる。

 ナーベラルは身構えているが、どうやら殴りかかられそうにないと悟って、肩の力を抜く。


 その間にも、ルプスレギナとシズは自分たちの議論に戻ったようだ。


「うーん。円卓の間に八十席以上、余裕をもった間隔を開けて置くのは無理があるっすかねー」

「…………無理。無理。無理」

「抽選で毎回どちらの御方がお座りになられるか決めるとか?」

「…………もしもくじ運の悪い御方がおられたら、ナザリックが戦場になる」

「それは困るっす」

「…………うん」

「本来の御方々が集まる日と、化身の御方々が集まる日で、分けていただけるといいんすけどねー」

「…………でも、私たちで勝手に決められない」

「うーん。至高の御方々の御手を煩わせるのは嫌っすねー。どうにかいい感じのお膳立てがしたいっす。……円卓の間って増やせないっすかね?」

「…………ナザリックの内装に手を入れたりしたら、みんなが怒る」

「そっすよねー。私も怒るっすよ、そりゃあ。しっかしそうなると、本格的に手詰まりっすねー……」


 ルプスレギナはちらりとセバスをうかがうも、ユリが牽制けんせいするようににらむので目をらす。


 鋼の執事は呼び名論争に強制参加と相成ったらしい。

 真剣な表情で、「では二つ名を必ず御名の前にお呼びすることを義務づけるというのは……」などとやっている。


 ルプスレギナはらした視線の先にちょうどいた妹に目をつけ、


「そっちはどうっすか……って、あー」

「…………溶けてる」


 ソリュシャンは顔面からテーブルに突っ伏し、顔の輪郭はもにょもにょと溶け出してテーブルに広がりつつある。

 テーブルの表面は一切溶かしていないから、まだ余裕はある……はずだ。


「大丈夫っすかー? 気を強く持つっすよ」

「ええ……そうね。ありがとう」


 くぐもった声はいつもより低く聞こえる。

 エントマがソリュシャンの隣に座り、


「セバス様を呼んできましたぁ。何かいい案思い付きましたかぁ?」


 ソリュシャンは突っ伏していた顔を引き上げる。

 どろんとしていた顔面にどうにか形を戻すも、頬のあたりには糸を引いて垂れ下がるものがある。

 死んだ魚のごとき目はいつも通りのはずだが、心なしか闇が深い。


「余っている御部屋はあるけれど……でもそのうちの一つはアインズ様から直々にアルベド様に与えられているの。つまりね、ここで余っている御部屋を化身の御方々に、ということになると……それはすなわち守護者統括と化身の御方々を同列に置くということになる……」

「あー……」

「アルベド様のお部屋と、化身の御方々の御部屋には明確な区別が必要。でも、どうやってその違いを出せばいいのか……内装なんかは御方々御自身の御希望に添う形にしたいし、そうなるとあらかじめ私たちがどうこう出来ることはない……かといって……」


 ばちゃん、と水音立ててソリュシャンが沈んだ。

 再び溶け出す顔面。

 あちゃあ、という顔をしてルプスレギナは見下ろす。


 エントマは「困りましたわぁ」と呟く。

 つんつん、とソリュシャンの溶け出した部分をつついては、「ほんとに困りましたわぁ」と嘆息する。


 シズはしばらく黙っていたが、機械オイルのドリンクをこくりと飲んでから、せめてもの慰めに「…………うわあ」と言ってみた。

 ソリュシャンに言ったのだかエントマに言ったのだか、判然としない。


 ルプスレギナは肩をすくめ、シズと自分たちの議題に戻る。


 どうせソリュシャンだって、諦めたわけではない。

 思考停止に陥るようなやわじゃない。

 それが至高の御方のことに関するならば、当然。


 答えが出るかと問われれば、おそらく出ないだろう議題を。

 お茶会のたびに担当を変え、相方を変え、繰り返すことになるのだろう。


 ルプスレギナは紅茶に口を付け、ぐいっと伸びをする。


 お茶会はまだ、終わらない。

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