火葬師

陸 理明

第1話「餓鬼街道」



 チカチカチカチカチカチカ……


 助手席に座っていた賢城さかきたみは、少し前から後続車がパッシングを続けていることに気がついていた。

 パッシングとは車のライトを上向きのハイビームと通常のロービームとを瞬間的に切り替えることをいい、運転手同士の合図に使われるものだ。

 感謝から抗議まで様々な意味を有するものとされているが、後続が先行する車に対してこれだけしつこくパッシングを繰り返すことは普通ない。

 それは免許もなく運転にさして興味のない女子高生の彼女でさえもわかることだった。

 しかも、後続車のおかしな行動はそれにとどまらない。

 車間を極端なまでに詰めてきたり、クラクションを軽く鳴らし続けるなど、どう考えても嫌がらせとしか思えない行動を繰り返しているのだ。

 運転席の兄、琢磨も苛立ちを隠せなくなっている。


「なんだ、さっきから……」

「変な人かな?」

「だろうな。くそ、山道だからずっと一本道だってのに、あいつ、何を考えてやがる」

「停まったほうがいいんじゃない?」


 たみとしては、さっさと道路脇に車を停止させて、追い抜かせてしまった方がいいと思ったのだが、琢磨の意見は違った。


「こっちに絡むつもりなのかもしれない。そうすると、車から降りると危険な気がする」

「そういうこともあるのか……」


 後続車の行動は確かに常軌を逸している。

 あまり関わり合いになりたくないという兄の意見ももっともだ。

 彼女たちが乗っているプリウスは、山梨県甲府からの帰り道を高速道路を使わず、甲州街道を上っていた。

 まだ新婚な上、子供が産まれて物入りな兄夫婦は、高速料金をけちって下の入り組んだ道を選んだのだ。


「大丈夫、お義姉さん」


 後部座席でチャイルドシートに収まった長男をあやしていた義理の姉に声をかける。

 おっとりしたタイプだが、よく見るとやや引きつっている。

 兄妹の会話を聞いていたのだろうか、心配げな顔をしていた。


「正直に言うと、ちょっと怖いわね、たみちゃん」

「ですよね」

「変なことにならないといいけど……」


 義姉がプリウスの視野の狭い後部ガラスから後ろを見る。

 まだチカチカとパッシングが続いていた。


「でも……」

「どうした、万里子?」

「後ろの車って、タクシーみたいなんだけど……」

「タクシーだって?」

「まさか」


 パッシングやクラクションに苛立ちすぎていたからか、よくよく観察をしていなかったことに気がついて、兄妹はバックミラーを覗いてみた。

 夜なのでわかりづらいが、確かに緑色のボディーに黄色いストライプが入り、屋根に社名のついた表示灯をつけている。

 個人ではなくて法人のものらしい。

 ピッタリとついてきているのも、職業運転手としての腕があるからだろう。

 たみは首をひねった。

 いくらなんでも、タクシーという企業に勤めている人間がこんな嫌がらせをするものだろうか。


「お兄ちゃん、ちょっと停車しよう」

「どうしてだ?」

「タクシーの人なら、別に喧嘩とかを売るつもりじゃないんと思うんだ。だから、もしかしたらこっちに何かがあって教えてくれているのかもしれない」

「―――その考えもあるか」


 琢磨も妹の意見が最もっともなものだと考え直した。

 こんな山奥でしかも深夜に近い時間帯に、タクシーの運ちゃんが執拗に嫌がらせをする理由は思いつかないからだ。

 むしろ、こっちにコンタクトを求めているという説の方が納得できる。

 そこで、琢磨は道端にやや開けた場所があるのを見つけると、ハザードランプをつけて合図をすると、そこにプリウスを停車させた。

 意図を汲んでのか、タクシーも同じ場所にやってきた。

 だが、それなりにスペースがあるというのに、かなり遠くの位置に停車したのが、たみには理解できなかった。


「万里子はここで待っていてくれ。何があっても俺たちが戻ってくるまではドアを開けるなよ」

「わかったわ」

「たみは僕についてきてくれ。一応、言っておくが何かあったときのために、スマホでやりとりを録音しておいてくれないか」

「うん、お兄ちゃん」


 兄妹は用心してからプリウスから降りると、後ろのタクシーへと向かった。

 タクシーからも二人の人間が降りてきたが、ライトの逆光で見づらかった。

 そのうちの一人は、タクシードライバーらしいズボンとベスト、ネクタイ、そして帽子をかぶっている。

 もう一人は、服装からすると、釣り人のようだった。

 渓流釣りでもきていたのか、渋めの色合いのシャツと多機能ベストを着ている。

 運転手と客としか思えない。

 だが、運転手の方はたみたちの方へは近づいてくる様子がない。

 仕方がないので、兄妹は用心しながらそちらに歩み寄った。


「……何かあったんですか?」


 琢磨が口を開くと、運転手が彼を指さした。

 不躾な態度なのでむっとするが、すぐにおかしなことに気がつく。

 運転手は彼を指さしている訳ではなく、もっと別のところ、正確にいうと琢磨の乗っていたプリウスだったのだ。


「ああああ、あれを……」

「アレ?」


 妹と視線を合わせ、訳が分からないと思いつつ、後ろを振り向く。

 最初はわからなかった。

 だが、すぐに異変に気がついた。

 タクシーのヘッドライトのおかげではっきりとわかる。

 琢磨の白い愛車はそのままであったが、彼にとっては見慣れない光景でもあった。

 白い―――まだ買って一年も経っていないプリウスの屋根の上に―――黒いものがしがみついていた。

 細長い棒状のなにかを生やし、ドアの上部にひっかけ、落ちないようにしがみついていたのだろう。

 その細いものは手足だ。

 人のものに良く似た四肢であった。

 四肢がついている先は当然胴体であるはずだが、丸っこく、下腹が出っ張ったようなバランスの悪い不格好さで、震えながら屋根に鎮座する置物のようでさえある。

 だが、何よりも不気味そのものであったのはまばらな髪に隠されるようにして人間たちを見つめる双眸だった。

 黄色いオパーズのような、爛々と輝く憎しみと―――何かに満ち満ちた不吉。

 この冬の寒空の下で、一切の衣類を身にまとっていないだけで人間とは認められない。

 そんなものが……車の上に陣取っているのだ。


「ひいっ」


 たみの咽喉がかつて聞いたことのない音を立てた。

 ひきつけさえ起こしかねない、おぞましい感情の沸き立ち。

 それは恐怖というものだ。

 十七歳の少女の精神こころを喰らわんとする穢れであった。

 このままいけば、きっとたみは無意識の壁のどこかに治せない致命傷を受けていたことだろう。

 トラウマという名の。

 だが……


「ふーん、奥地に溜まる餓鬼の類かよ」


 不遜な声、不敵な響きが、少女を現実に引き戻し、剛く堅い心の殻を再び用意した。

 眼前に存在するおぞましさを駆逐する、一条の光のように。


「運ちゃん、サンキュー。あんたが頑張ってくれたおかげで、あんなものを人里まで下ろさせないで済んだよ」


 立ちすくむタクシードライバーの肩を気安く叩いて、ゆっくりと歩み出たのは乗客であったらしい釣り人だった。

 ヘッドライトがその背中を照らしていた。


「あ、あんたが追えっていたんでしょうが……」

「俺様ちゃんの頼みを快く聞いてくれたあんたのお手柄さ」


 釣り人の喋りは横柄ではあった。

 だが、不思議と安心できる何かが秘められていた。


「おい、プリウスの兄ちゃん」

「な、なんだ?」


 すぐに自分のことだとわかったのか、琢磨がキョドりながらも応じた。


「あんたのプリウスの上にいるあれはな。餓鬼という奴だ。飢え死にした人間の残留思念が空気中の目に見えない物質と同化して、可視化された幻のようなもんだ」

「幻……」

「だけど、見てればわかるが、どうみたって現実のものでしかなさそうだろ? ああいう状態になった残留思念のことを、世の中では〈悪霊〉というのさ」


 悪霊、という単語の禍々しさにたみたちは震えた。

 確かに、確かに、ここにいる全員の眼にはあれは人に徒なす悪い幽霊にしか見えない。

 錯覚や幻で誤魔化せるほど、薄らぼんやりとしたものでは到底あり得ない。


「ちょっと前にコンビニで休憩しただろ。俺様ちゃんもそこにいたんだが。そのときに、きっとあれがあんたのプリウスの屋根にしがみついたんだ。放っておいたら、あんたたち、あれを武蔵立川まで運んじまうところだったんだぜ。しかも、十中八九、あんたたちの家に棲みつかれていただろうな」


 釣り人の言う通り、たみたちはコンビニでコーヒーを飲んだり、軽くストレッチをしたりするきゅうけいをとっていた。

 その時にあの化け物が張り付いたのかと思うと、ぞっとしない。


「餓鬼というのはな……飢えて死んだ人間のものだから、それに憑りつかれると間違いなく精神を狂わせて取り返しのつかないことになる。そうなるまえに止められそうで運が良かったな」

「き、君は何を言っているんだ」

「プリウスの中にはまだ誰かいるのかよ?」


 釣り人は琢磨の質問に答えようとはせず、言いたいことだけをいい、聞きたいことだけを聞くというスタンスだ。

 たみはそんな場合ではないにも関わらず、


(うわー、なんて傍若無人なのかな、あの人)


 と、思わず引いてしまった。

 あんな調子で喋る人とは友達にはなりたくないし、絶対に彼氏にはしたくない。

 オラオラ系よりもさらに性質たちが悪そうな気がした。


「―――つ、妻と息子が!」


 だが、琢磨の方はそんな態度を気にしている余裕はなかったようだ。

 車中にはまだ彼の大切な家族がいるのだ。

 助けないと、と思ったが、釣り人の言うところの〈餓鬼〉の恐ろしさに近づく勇気が振り絞れなかった。


「いいぜ、助けてやるよ」


 釣り人はまるで散歩にでもいくかのように悠然と踏み出した。

 プリウスの屋根にはりついた〈餓鬼〉が歯を剥きだして、釣り人を威嚇する。

 そこだけ切り取ってみると、まるで野生の猿のようでさえあった。


「何をするんだ!?」

「一応、言っておくがあんたの妻子を助けるためだ。多少の金銭的出費は諦めろよ」

「えっ」

「〈餓鬼〉をあのままにしておくと、あんたの家庭は取り返しのつかない損害を被るんだから、我慢しろってことだ」


 その時初めて、たみは釣り人が手に真っ赤なリンゴを握っていることに気がついた。

 いや、リンゴに見えたのは赤くてサイズが同じぐらいだったからだ。

 人工物の鮮やかな色彩は、非現実的なくらいに目立っている。


「出しゃばんなよ、賢城さかき

「どうして私の名前を……」


 知っているのか、とたみが訊く前に釣り人は大きく手を回し、曲線を描くように丸い物体を放り投げた。

〈餓鬼〉目掛けて。

 正確にはプリウスの屋根に向けて。


 パシャン


 風船が割れるような音がして、透明な飛沫が白い屋根の上で弾けた。

 丸い物体の中身は液体であったのだ。

 足元で弾けるものがあったというのに〈餓鬼〉は身じろぎもせずに釣り人たちを睨んでいる。


「……無視かよ。だがよ、ちったあ警戒したほうがいいぜ。誰も触れられないからといって、てめえらが消滅せずにすむ保証はないぞ」


 釣り人の手が上がった。

 いつのまにか黒い革製の手袋をはめていた。

 輪を作った中指と親指が擦れ合うと同時に火花が散る。


着火チャッカ・オン。―――燃えちまいな」


 プリウスの屋根に青い炎が立ちのぼった。

 炎がぼっと飛んだのだ。

 屋根の上に広がっていた液体が、また燃え上ったのである。

息つく暇もなく炎は瞬く間にプリウスを焦がし、ぼっぼっぼっと転線状に飛んでいく。

〈餓鬼〉の皮膚も例外ではない。

 突如巻き上がった炎上は、火の柱と化し、〈餓鬼〉の身体を覆い尽くした。

 化け物はうろたえ、飛び上り、渦に巻かれ、絶叫した。

 火そのものは大した量ではないが、〈餓鬼〉は薄い紙のように瞬時に黒焦げになって、たばしりながれた火の瀑布によって掻き消えていく。

 時間としては十秒ほどであっただろうか。

 灼熱の輝きはほんのわずかに暴れ狂っただけですぐに鎮まっていた。

 たみたちが事態を理解しきったとき、火が燃え盛った形跡は、据えた臭いと白い車体の黒い焦げ跡だけとなっていた。


「……え、何が、どうなったの?」


 さっきまで確かに存在していたはずの化け物がいなくなったのはわかる。

 だが、何が起きたのかについてはさっぱりだった。

 火をつけた?

 化け物が焼けた?

 焼け死んだ?

 たみは開いた口が塞がらなかった。

 なにがなにやらさっぱりだったからだ。


「運ちゃんはもう戻ってくれていいよ」

「……えっお客さん、ここから歩いて帰るんですか?」

「俺様ちゃんはこっちのプリウスに乗せてもらうから。―――いいな、賢城。どうせ、武蔵立川の方にまでいくんだろ?」

「へ?」


 たみは、今度こそ間違いなく釣り人が自分の名前を知っていることを理解した。


「なんで、私の名前を……」

「選択授業の世界史が一緒だろうが。あと、おまえ、隣のクラスだろ?」

「へっ」


 さっきから「へ」しか言っていない気もしたが、たみの胸中はそれぐらいでしか表せないほどに動揺しきっていた。


「えっと……もしかして……隣のクラスの……」


 そうすると、釣り人は顎をくいっと持ち上げて、


「A組の火藤かとうだ」


 たみもその名は知っていた。

 隣のクラスの男子生徒ということではなく、高校中に鳴り響く悪名の主として。


 ―――火藤かとう飛龍とびたつ

 またの名を〈放課後の放火魔〉。


 過去二年の間に何度も校舎や学校の備品に放火したという疑いをかけられた、武蔵立川高校随一の問題児が彼であった……。

 


 





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます