181話 トレーシーの胸の内
トレーシーの『癇癪癖』を直し、代わりに『BU』の情報と、多数決での一票をもらう。
悪くない条件だ。双方に利がある。
ただし、それはトレーシーが『BU』の中で上手く立ち回れれば、の話だが。
「あ、あの……オ、オオオ、オオバ、ヤシ、ヤシ、ヤシシシシ…………様」
「怖がり過ぎだっ! あと、そこで終わるとオオバヤシになるから! それもはや別人だから!」
大食い大会での俺のイメージが最悪だったようで、トレーシーはすっかり俺を怖がっている。
言われてみれば、ここに来てから一度も目を合わせてもらっていない。
そして、「怖がり過ぎだ」って怒鳴ったら泣きそうな顔してるし……っていうか、ちょっと泣いてるし!
「大丈夫だ。取って食ったりはしねぇよ」
「せ……『精霊の……』」
「信じろやっ!」
トレーシーが「ぴぃっ!」と泣き、ソファを越えて背もたれの向こうへ身を隠してしまった。
つか、いきなり『精霊の審判』使おうとするとか、失礼極まりねぇぞ、テメェ。俺がしかるべき地位の人間なら即戦争だぞ。
「す、すす、すみません……あの、どうしても……『ウサギさん惨殺事件』が脳裏にちらついてしまって……」
「……四回戦も見てたのかよ。決勝戦を観戦したって言ってたろうが」
「決勝戦『も』観戦させていただいたんです……」
まぁ、とりあえず、俺のイメージが最悪になるシーンばかりをばっちり目撃して帰っていったわけか……まさか、あの一件がまだ尾を引いていたとはな。
しかし、こんなおどおどした性格で領主なんか務まるのか?
ちょっと脅されれば簡単に屈しそうな気がするんだが……
俺の視線を避けるようにソファに身を隠すトレーシー。まるで初めて戦場に引っ張り出された新兵のような怯え方だ。
そんな、小動物のようにぷるぷる震えるトレーシーを眺めていると、控え室のドアが開きネネが部屋へと入ってきた。
「お待たせいたしました。ミルクとお砂糖をお持ちしました」
「ネネッ! 一体どれだけ時間をかけるのだ!? すっかりコーヒーが冷めてしまったではないかっ!」
「も、申し訳ございませんっ!」
……そして、この変わりようだ。
さっきまでぷるぷる震えていたかと思えば、今は仁王立ちでネネを叱責している。般若みたいな顔をして。
「まぁまぁ、トレーシーさん。急にお願いしたこちらにも責任があるから、そんなに責めないであげてよ」
「はいっ、エステラ様。……はぁ、お優しい…………」
……で、今度はとろ~んとした表情で熱っぽいため息を漏らす。
この人、もはや病気なんじゃないだろうか。
さらに言うなら、『BU』の連中で集まれば、これほどの「エステラ大好き病」すらおくびにも出さず、きりっとした顔で他の領主と肩を並べているのだ。
こいつの中には無数の人格がいるのか…………いや、違う。
こいつは、その場その場で、周りの空気に流されまくっているのだ。
「こういう場面ではこうしなければいけない」「こういう時はこうするのが普通」という意識が過剰に働き、感情や衝動すらも凌駕しているように見える。そしておそらくその通りなのだろう。
『BU』の連中は、異常ともいえる同調現象に支配されている。
そんな中、領主という固っ苦しい生き方を強要されていたトレーシーは、幼少期から精神的に相当な抑圧を受けていたと推察される。
情緒不安定にすら見えるこいつの多重人格性こそが、こいつの情緒を守るための術なのではないか……そんな気がしてならない。
ちょっと、試してみるか。
「エステラ、ナタリア。ちょっといいか?」
「へ、なに?」
「お伺いしましょう」
俺はエステラとナタリアに手招きをし、顔を近付けて密談を始める。
トレーシーはいまだネネを不当に叱責しているので聞かれることはないだろう。
「……というわけで、ちょっと試したいことがあるんだ」
ざっくりと、俺の考えを伝え両者の協力を乞う。
俺の睨んだ通りなら、トレーシーは上手く釣れるはずだ。
そして、それが上手くいけば、トレーシーの『癇癪癖』を改善することも容易かもしれない。
「それで、ボクたちは何をすればいいんだい?」
真剣な瞳を俺に向けるエステラに、今回のミッションを分かりやすく伝える。
「俺を可愛がってくれ」
「……………………は?」
間の抜けた顔で硬直するエステラ。
分かりにくかったか? ならもっと具体的に言ってやろう。
「生まれたての子猫を愛でるように、俺のことを全身全霊で可愛がるんだ」
「ヤシロ…………世の中には『不可能』という言葉があってだね……」
「どこが不可能だ!? ちょいちょい垣間見せる俺の中の可愛い部分を、ほんのちょっとオーバーに褒めそやし、もてはやし、時に頬ずりすればいいだけだよ」
「それのハードルが高過ぎるんだよ! 四十二区にもう一個街門を作る方が簡単そうなくらいにねっ!」
「なんでだよ!? 俺、ちょいちょい可愛いだろ!?」
「どこから来るの、その自信!?」
「………………みゅう」
「ごめんヤシロ。グーで殴りたい」
なぜだ!?
こんなにも可愛いのに、なぜこいつには伝わらないんだ!?
「……これだから、感性の乏しいヤツは」
「ボクのせいにしないでくれるかな……」
「それで、ヤシロ様。私たちがその苦行を行うことで、どんなメリットが得られるのですか?」
「さらっと『苦行』とか言うなよ、ナタリア……まぁ、そうだな。メリットというより、最低条件だと言った方がいいかもしれんな」
お前らが俺を可愛がるのは、権利を得るための行為ではなく、義務であると思え。
トレーシーの『癇癪癖』を直し、『BU』へ対抗するための切り札を得るための、避けられない任務だ。
「……そうですか。了解いたしました」
「えっ、……了解しちゃうの、ナタリア?」
「エステラ様も胸を膨らませてください」
「『腹を決めろ』って言いたかったのかな!? ボクの意思でどうこう出来るならとっくに膨らませてるよ!」
「俺を可愛がる」というとても簡単なミッションを躊躇い尻ごみするエステラをナタリアが説得する。
ちらりとこちらに視線を向けるエステラは、色白な頬をほんのりとピンク色に染めている。
「ほ……頬ずりは、絶対しないからね」
そんな、よく分からない最終防衛ラインを独自に設定し、エステラがようやく首を縦に振った。
よし、ならば作戦決行だ!
「トレーシー!」
延々とネネを叱責していたトレーシーだったが、俺に名を呼ばれると肩を震わせ、身を縮めてこちらに視線を向けた。
蛇に睨まれた蛙のように身を縮め、冷や汗をダラダラ流している。
……本当に失礼なヤツだよな。
だがしかし! それもここまでだ!
あと数分もすれば、お前は俺を「可愛い」と思うようになる!
俺は両手を軽く握って可愛らしい子猫のポーズをとり、トレーシーに向かって愛くるしい声で鳴いた。
「にゃ~ん」
「ぴぃっ!?」
……トレーシーも鳴いた。いや、泣いた。
だがそれも想定内だ!
さぁ、カモン! エステラ、ナタリア、お前たちの出番だ!
「………………うわぁ……」
「想像以上にきっついですね……」
「って、おぉーい!」
ドン引きしてんじゃねぇよ! 可愛がるんだよ! つか、今のだってそこそこ可愛いだろぅが!
想定外の裏切りに合いいきなり躓いてしまったが、まだ挽回出来る!
俺は二人に目配せをして作戦決行を促す。
「…………はぁ」
ため息吐くな、エステラ!
可愛いやろがぃ! ほらよく見て!
「わ、わぁ~、ヤシロは、かわっ……かわい……だなぁ」
誰だよ、「カワイ」!? ちゃんと「可愛い」って言いきれや!
「エステラ……」
「な、なんだい……?」
「…………撫でても、いいよ?」
「…………ぐ、……グーで?」
それは「撫でる」じゃねぇな。
一向に絡んでこないエステラ。これじゃあ作戦が台無しだ。
仕方ない。向こうが来ないならこっちから行くまでだ!
「にゃ~ん!」
「えっ!? わっ、ちょっ!?」
俺はエステラに飛びつき、ぐりぐりと頭をこすりつけた。
「わぁっ!? ちょっ、待っ、ヤシ、ヤシロ! 分かった! 可愛い! 可愛いからっ!」
「にゃにゃ~ん!」
「ふなぁぁあああ! くすぐっ…………くすぐったいって……きゃははははっ!」
エステラはわき腹が弱いらしく、頭でぐりぐりすると笑い転げ始めた。
「ヤ、ヤシロッ、人目っ、人目があるからっ!」
「もふ~ん!」
「鳴き声なんで変わったの!? ちょっ、やめっ、きゃははははっ!」
なんだか面白くなってきたっ。
よぉし、エステラ! 足腰立たなくしてやるっ!
「ナ、ナタリアッ!」
「了解です!」
しかし、エステラは劣勢だと悟るやすぐさま援軍を要請した。
一騎当千、ナタリアの投入だ。
俺は首と肩をがっちりと固められ、あっという間に拘束されてしまった。見動きが……取れないっ!
「はぁ…………はぁ……よくもやってくれたね…………さぁ、ヤシロ…………たっぷり可愛がってあげようじゃないか……っ」
「ま、待て、エステラ! その目は可愛がる時の目じゃない! 捕食者の目だ! 落ち着け!」
「問答…………無用っ!」
エステラが両腕を広げ、十本の指をわきゃわきゃ動かしながら飛びかかってくる。
俺の全身を悪寒が縦横無尽に駆け回る。……身の危険っ!?
「よ~し、よしよしよしよし!」
「ぅおい、エステラ! 嫁入り前の娘がどこ触って……にょほっ! にょははははっ!」
「ナタリア! 君も存分に可愛がってあげるといいよ!」
「ではお言葉に甘えまして……よ~しよしよしよし!」
「や、やめろぉ~! にょほほほほっ! こちょばっ……こちょばゆい!」
「よ~し、よしよしよしよし!」
「よ~し、よしよしよしよし!」
「お前ら一体、ナニゴロウさんだっ!? むはははははっにょほほほっ、し、死ぬっ! 死ぬからっ!」
正直に話そう……俺は、くすぐりが大の苦手だ。
「悪かった! さっきはちょっと調子に乗っただけなんだ! だから、もう、やめっ……!」
「ヤシロは可愛いなぁ~、ね、ナタリア?」
「えぇ。とても可愛いですね」
「もういい! もういいからぁ!」
「可愛い可愛い」
「可愛いですねぇ、お~よしよし」
満面の笑みを浮かべる悪魔が二体、俺を覗き込んでいた。
ヤバい……このままじゃ…………殺されるっ!?
そんな命の危機を感じ始めた頃……ついにヤツが食いついた。
「あ、あのっ、エステラ様っ!」
透き通るような白い肌をほのかな桃色に染めて、トレーシーが両方の瞳をキラキラと輝かせていた。
心持ち落ち着きなく、そわそわとした態度で抑えられない衝動を吐露する。
「わ、私にも、その可愛い生き物を撫でさせていただけませんかっ!?」
「「………………えっ?」」
言葉を失ったのは、俺を挟んで拘束していた二人だった。
やはり、俺の読み通り――トレーシーは感情が状況に大きく左右されるヤツなのだ。
トレーシーの変貌ぶりに、エステラもナタリアも驚いているようだが、俺は内心ほくそ笑んでいる。これで確信出来たからな。
トレーシーの『癇癪癖』は直せる。そして、こいつを味方に取り込むことも可能だ。
……ただまぁ、笑い過ぎて体力が尽きかけているので、指一本動かせないんだけどな、俺。……エステラ、ナタリア……やり過ぎだ。
「撫でたいです! 可愛いです!」
「え、……っと…………本気で?」
「はい。可愛いです」
あり得ないものを見るような目でエステラとナタリアがトレーシーを見つめている。
いや、可愛いは可愛いだろうが。
「じゃ、じゃあ……どうぞ。噛まれないようにね」
誰が噛むか。
つか、何勝手に許可出してんだよ!?
俺もう体力ないんだからな? 検証も終わったし、これ以上可愛いキャラ続ける必要ないんだぞ。分かるよな? 説明したよな?
「では、オオバヤシロさん。失礼します」
エステラの真似のつもりか、十本の指をわきゃわきゃ動かしながらトレーシーが近付いてくる。
おい……やめろ…………もういいんだ、それは……やめ……っ!
「えいっ!」
「にょはーははははっ! ひゃっひゃっひゃっひゃーっ!」
「あぁ、可愛い。可愛いです、とっても」
「おまっ、お前! さっきまで怖がって目も合わせられなかったクセに……にゃははっ!」
「たった今、オオバヤシロさんの可愛さに気が付いたのです!」
「気付いたんじゃねぇ、流されただけだ!」
「撫で撫で」
「やめろぉおぉ! ふひっ、ふはははっ……くそっ、こうなったら恐怖を思い出させてやる……っ! カエルにするぞ! ウサギさんを頭から丸かじりにするぞぉっ!」
「うふふ。そんなこと言って……可愛いですね。撫で撫で」
「変わり過ぎだろ、お前ぇ!?」
こいつは、ある意味恐ろしい。
恐ろしいまでに主体性のないヤツだ。
こんなもんが領主なんかやってたら、ほんのちょっと働きかけるだけでその区を乗っ取るなんて容易いんじゃねぇか?
もしかして、『BU』の領主連中ってみんなこのレベルなのか…………だから、アホみたいな豆政策なんかが可決しちまったのかもしれない…………怖ぇ……多数決、怖ぇ。同調現象、超怖ぇ……
「あ、あの、トレーシー様……っ」
夢中で俺を撫で回すトレーシーに、ネネがおっかなびっくり声をかける。
トレーシーの背後に立ち、泣きそうな顔で進言する。
「い、いくら、オオバヤシロ様が可愛いお方だとしても、だ、男性であることに変わりはありませんので、過度の触れ合いは避けるべきかと……トレーシー様もまた、御婚礼前でいらっしゃいますし……ですので」
「ネネッ!」
「はいっ!?」
「お客様が私にも是非にと言ってくださった厚意に対し、つまらぬ理屈でケチをつけるとはどういう了見だ!?」
いや、待てトレーシー! 今のは100%ネネが正しいだろ!?
嫁入り前の若い娘が男の脇腹とか腹周りをわしゃわしゃ撫で回すのは世間的にNGだ。
つか、撫で回しながら癇癪起こしてんじゃねぇよ!
「だいたい貴様は……っ!」
「なぁあ、もう! 撫でるか怒るかどっちかにしろっ!」
よそ見しながら撫で回すトレーシーの手が、いささかデンジャラスゾーンへ接近してきたため、あくまでトレーシーの名誉のためにその両手を勢いよく払いのけた。
トレーシーの白く細い腕は、その見た目通り大した筋肉が付いておらずひ弱で、俺が振り払った勢いそのままに持ち上がり広がっていった。
左右に開き、頭上に持ち上がる。
大きくバンザイをするような格好になったトレーシー。腕がぴんと伸びることで胸が張り、胸が限界まで張ったところで……ブチッ…………という音がした。
その刹那、「ブチッ」だった音は「ビリビリッ」に変わり、最終的に「バツンッ!」という大きな音を響かせた。
そして、それと同時に、不毛なる大地だったはずのトレーシーの胸元に、地殻変動が起きたかのように二つの大きな山が出現した。
ばっっっいぃぃぃい~んっ!
「おっ、……おっぱいが生えたっ!?」
その声は、果たして俺のものだったのかエステラのものだったのか、定かではない。
だが、俺たちは皆等しく驚嘆したのだ。
トレーシーの胸に突然現れた、推定Gカップの巨乳にっ!
「ヤシロッ! 君はついにおっぱいを生やす魔法を身に付けたのかい!?」
「身に付けてるかそんな魔法!」
身に付けたなら、その瞬間から使いまくってるわ!
突然のことにパニックを起こすエステラ。
そして冷静にその二つの膨らみを観察し、苦々しげに顔を顰めるナタリア。
「……あと一歩及ばず、ですか……っ」
どうやら負けを認めたらしい。
俺はというと、この混乱した状況を打破すべく状況確認のために、ある意味でいうところの責任と義務感と使命感に突き動かされて、トレーシーの胸元をじっくりと観察する。健全な瞳でっ!
その胸元には、何物にも矯正されていない大きな膨らみがゆっさゆっさと……すなわち、ノーブラッ!
ドレスのふわふわとした胸元の飾りの下に、もっとふわっふわの天然のトレジャーが隠れている!
この手に掴みたい、あのトレジャーをっ!
騒がしいこちらの様子を、イマイチ何が起こっているのか理解していない様子できょとんと眺めるトレーシー。しかし、俺たちの視線が自身の胸元に注がれていることを知り、己の視線を同じ場所へと落とす。
「は……っ!? きゃあっ!?」
ようやく事態を把握したトレーシーが慌てて胸を押さえる。
柔らかさが売りの食パンのCMのように、押さえつけることでその柔らかさが一層強調される「膨らみがへこんでいく瞬間」を目の当たりにして、俺たち三人は確信する。
あのおっぱいは本物だとっ!
「一体……何がどうして……」
「も、もも、申し訳ございませんっ」
呆然とするエステラに、大慌てのトレーシーが謝罪する。
「エ、エステラ様にこんな駄肉をお見せするなんて……恥ずかしいっ! 見ないでください、エステラ様っ!」
「よぉ~し、ならば俺が代わりにガン見してやろうっ!」
「2メートル下がって、ヤシロ。……刺すよ?」
「貴様になんの権利があるというのだ、エステラ!?」
「外交問題に発展させないためという、領主の権限だよ!」
むぅ……ならば致し方ない。
遠くから眺めるだけで我慢してやろう。
「あ、あぁ、あのっ、これはその…………ち、違うんですっ!」
まるで別の生き物かのようにゆっさゆっさ揺れる大きな膨らみを抱きかかえ、トレーシーが顔を真紅に染める。突けば破裂しそうなほど顔に血液を集め、瞳には大量の涙が溜まっていた。
「わ、私……っ、私は、エステラ様のような領主になりたいと……少しでも近付きたいと思って…………それで、まずは格好から入ろうかと……っ!」
「…………ねぇ、泣くよ?」
トレーシーの素直な気持ちを聞いて、エステラの表情がすとーんと抜け落ちる。
すとーんと、……すとーんとな!
「すとーん」
「うるさいっ!」
トレーシーとは違う意味で瞳に涙を溜めるエステラに睨まれる。
そこいらの魔獣なら尻尾を巻いて逃げ出しそうな、凄まじい迫力だ。
「エステラ様には、見られたくなかった…………こんな姿……」
「よぅし、なら代わりに俺が……!」
「ヤシロ。100メートル離れて」
館から出ちゃうじゃん。
俺だけ退場?
「エステラ様のように、スタイリッシュで、格好のいい領主になりたいと思って…………ぅうっ、 ネネッ! 何をしているのだ!? さっさと新しい『さらし』を持ってこないか!」
「は、はいっ! ただいま!」
八つ当たり全開の怒号に、ネネが部屋を飛び出していく。
……エステラの真似をするために、こんな巨乳を『さらし』で押さえつけていたのか?
相当苦しかったろう……それのせいで怒りっぽくなっている可能性もあるな。
「エステラ。『巨乳は最高』って十回唱えろ」
「そんなことをするくらいなら、舌を噛み切って生涯を閉じてやる」
バカ。そうじゃねぇよ。
トレーシーの『癇癪癖』を治すためには、余計なストレスを可能な限り排除してやる必要があるだろう?
「あんなもんを着けてたら、あいつはずっとイライラしたままだぞ。お前だって分かるだろう? 巨乳を無理矢理押さえつけた時の、胸が締めつけられる苦しさ……あ、ごめん。分かんないか」
「違う意味で胸が締めつけられる苦しさを味わってるよ、今ね!」
物理的な苦しさは分からずとも、体に無理を強いることのつらさは想像が出来るはずだ。
「お前が巨乳を肯定すれば、トレーシーだって『さらし』なんかを着けようとは思わなくなるはずだ! そうすれば……」
「ネネさんが叱責される頻度も減る……と?」
「いや。そうすれば、俺の楽しみが一つ増える!」
「協議は破談に終わったようだね!」
非協力的なエステラのせいで、世界に悲劇を生むアイテム(←さらし)の使用は止められなかった。
エステラと同じ世界へ自ら足を突っ込むなんて…………折角のGカップなのに!
「お、お待たせしました!」
「遅いぞネネッ! さっさと巻き直すのだ!」
「は、はい! 直ちに!」
真新しい『さらし』を握りしめ、ネネがトレーシーへと駆け寄る。
……のは、いいんだけどさ。
「なぁ……ここで『さらし』を巻き直すのか?」
それなら、ドレスを脱いで、ノーブラのおっぱいをぽろ~んとさらして、その上でぐるぐるぎゅっぎゅっと巻き付けていく様を心ゆくまで堪能させてもらうが。
「はっ!? きゃあ!?」
「オ、オオバヤシロ様!? いつからそこに!?」
「いや、ずっと居たろうが」
領主、給仕長共に盛大にテンパッている。
……どんだけうっかりさんなんだ、お前ら。『八べぇ』『九べぇ』って呼ぶぞ。
「も、申し訳ありません! こんなお見苦しい駄肉をお見せしてっ! どうか、見ないでくださいませっ」
「いやいや。俺は気にしてないぞ」
「ヤシロ。2キロ離れて」
トレーシーを背に隠すように、俺の前へ立ちはだかるエステラ。
つか、2キロも離れちゃ館すら見えねぇっつの。
「あ、あの……一度私室へ戻らせていただきます……間もなくランチの用意が整いますので、しょ、食堂でお待ちくださいっ、ではっ!」
トレーシーの言うところの『駄肉』をさらす羞恥に耐えられなかったのだろう。トレーシーは真っ赤な顔をして控え室を飛び出していった。
何者にも拘束されない自由な膨らみは、走る振動にあわせてゆっさゆっさ盛大に揺れ動いていた。
トレーシー……グッジョブ!
「よし。それじゃあ、トレーシーさんの準備が終わるまでの間に――」
トレーシーとネネが出て行った扉を見つめていたエステラが、満面の笑みを浮かべてこちらへと振り返る。
「――ヤシロを説教しておこうか」
「なんでだ!?」
「胸に手を当てて聞いてごらんよ!」
「トレーシー! すまんが貸してほしいものが……」
「自分の胸だよ!」
その後、トレーシーが戻ってくるまでの間、エステラにこんこんと説教をされ、外交的礼儀についてせつせつと語り聞かされた。……ソファの上に正座させられて。
そして、再び『さらし』を装備して胸をぺったんこに加工したトレーシーと共に控え室を出て、食堂へと向かう。
こうしてようやく、ランチの時間と相なったわけだ。
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