172話 マーゥル・エーリンの館

 マーゥル・エーリンの館は、二十九区の大通りから少し外れた、川を見下ろす小高い丘の上に建っていた。

 貴族が住むには少し不便な立地らしく、ルシアが眉をひそめていた。


「人間嫌い、というわけではないのだろう?」

「はい。とても気さくでお優しい方です」


 ルシアの中では、不便な場所に住む貴族は、他人との接触を嫌う人間嫌いであるという認識らしい。


「この景色を気に入ったのかもしれませんよ。のどかで、いい見晴らしじゃないですか」


 エステラが、館の前から見える景色に目を細める。

 吹く風を心地よさそうに全身で受ける。


 館からは川が見えており、木や花などの緑も多い。

 確かに、景観はいい。


「とにかく、会ってみるか」


 俺はナタリアに視線を送る。

 その意味を正確に理解したようで、ナタリアはこくりと頷き、――セクシーポーズをとった。


「呼び鈴鳴らせっつってんだよ!」


 こいつは、こっちの意思を全く理解していない! いや、する気がないようだな!


「毎秒ごとスター性を増している、ナタリアさんは」

「調子に乗ってるっつうんだよ、アレは」


 あんまり褒めるなギルベルタ。関係者だと思われるぞ。


 ナタリアに代わってギルベルタが呼び鈴を押す。

 ヂリリリ……っと、金属の鐘を連続で打ち付ける、少々耳障りな音が響く。

 エステラのところは竹の板だったし、そう考えると、やっぱり二十九区は少し進んでいるようだな。

 呼び鈴、ノーマに言って作ってもらおうかな。


「はいは~い!」


 呼び鈴を聞き、館から一人のオバちゃんが姿を現した。

 品のいいマダムといった雰囲気で、ニシンのパイとかを焼きそうだ。


 年の頃は、四十……五十にはいかない、くらいか。


 白髪の交じる髪を綺麗にまとめ、ふっくらとした体をぽわんぽわん弾ませるように駆けてくるそのマダム…………に、俺は……どこかで会ったことがあるような、既視感というか……見覚えが…………


「「マーゥル様!?」」

「はぁっ!?」


 セロンとウェンディが揃って上げた驚きの声に、俺は思わず声を漏らしてしまった。

 マーゥルって、ここの主だよな?


「あら、あらあら。セロンさんにウェンディちゃん。よく来てくれたわねぇ」


 なんで、主が自らいそいそと出て来てんだ?

 見た感じ、来訪者がアポイントを取っている俺たちだと気付いてすらいなかったようだが……


「あ~っら。それじゃあ、こちらの方たちが、噂の?」


 と、まるで初めて芸能人を生で見た田舎のオバちゃんみたいにキラキラした目で俺たちを見てくるマーゥル。

「まぁ~、まぁまぁ!」と、俺たちの周りをくるくる回って大はしゃぎだ。


「どなたが英雄様なのかしら? ご挨拶したいわぁ」


 なんで俺だ!?

 まずは領主にでも挨拶しろよ!


「マーゥル様。こちらが、英雄のオオバヤシロ様です」


 待て、セロン。そんな仰々しい紹介を勝手にしてんじゃねぇよ!

 そもそも俺、英雄じゃないんだわ!


「まぁ~、そうなの~、あなたが」


 一体、セロンにどんな話を吹き込まれたのか、マーゥルは俺を初来日した時のウーパールーパーを眺めるオバちゃんのような目でじろじろ観察する。

 ……なんだろう、すげぇ居心地が悪い。


 にこにことにやにやの境界線上にあるような笑みを浮かべていたマーゥルの表情が、ほんの一瞬だけ固まる。


「……………………あら?」


 それはまるで、遠い記憶を覗き込むような静けさと慎重さで……

 数分俺の顔を真正面から見つめた後、ぱぁーっと表情を輝かせて、ぽんっと嬉しそうに手を打った。


「あなたっ! 教会で幼い子供たちのために募金をしていた人ね!?」

「募金!?」


 おいおい。募金なんて、俺から最も遠いところに存在するような言葉だぞ?

 なにせ俺は、慈善事業とかボランティアって活動が一番嫌いなんだ。

 この俺が募金活動なんかするわけが………………あっ!


 俺の脳裏に、完全に忘れ去られていた記憶が、大掃除の時にひょっこり出てきた十円玉みたく浮かび上がってきた。

 あ、そういや、こんなのあったな、というくらいの気軽さで。


 俺は、ジネットをはじめとする四十二区の連中の、優しさやお人好しという猛毒に当てられて、己の中の詐欺師スキルが鈍ってしまったのではないかと、非常に悩んだ時期があった。

 その時、詐欺の基本テクニックを近場の連中相手に試していたのだが…………


 ローボール・テクニックを応用して、教会の前を行き交う観光客から金銭をむしり取るという詐欺を行ったことがある。

 おんぼろの教会とそこに住むガキどもを見せ、「教会の修繕を訴える署名」と言って、名を書かせ、その上で寄付金をふんだくるという詐欺をまんまと成功させたのだが…………

 確か、その時に書かれた名前が――


「マーゥル・エーリン。あんた、あの時のマダムか!?」

「そうよ~。覚えていてくれたのねぇ。嬉しいわぁ」


 そりゃ覚えてるわ!

 こいつは、「寄付だ」と言って、5万Rbをぽんと手渡してきやがったのだ。

 その行為を見ていた周りの連中も「じゃあ、俺も」「私も」と寄付を申し出て……結局、その金を元に教会は一部リフォームされた。

 さすがに、丸ごとリフォームするほどの額は集まらなかったが、それでも、ガキ共が安心して眠れる寝床を確保するには十分過ぎる額だった。


「この前見に行った時、凄く綺麗になっていて、なんだか、私も嬉しかったわ」


 ……実際、その後のリフォームは、あの時の寄付とは関係ないのだが。


 実は、ウーマロのところで技術を磨いたハムっ子たちが、年少組がお世話になっている教会を訪れ、ことあるごとに修繕、改築を行っているのだ。

 なので現在、教会はトルベック工務店の技術がギュッと詰まった素晴らしい建物へと変貌している。そして、今後も進化を続けていくことだろう。無料で。……いや、違うか。ハムっ子たちの寄付の心によって。


「英雄様の素晴らしいご活躍の数々。セロンさんから聞かせていただいて、とってもわくわくしていたのよ。でも、……そうなの。あなただったのね。なんだか納得だわ」


 何を納得されたのかは知らんが、非常に迷惑だ。


 ……とはいえ、一度詐欺にかけようとした相手だけに、強く出られん……


「あらっ、あらあらっ、いけないわ、私ったら。領主様たちをこんなところにお待たせしちゃって」


まん丸い手をぽふっと叩いて、マーゥルはそそくさと門を開ける。


「さぁ、お上がりください。そこそこ広くて、景色がいいだけの家ですが、きっとおヒマ潰しくらいにはなりますわ」


 にこやかに、自慢するでもなく、おそらく事実なのであろう自慢の館へと俺たちを招き入れる。

 まずギルベルタが先頭を行き、ルシア、ナタリア、エステラと続いて、俺とセロン、そしてウェンディが敷地へと足を踏み入れる。


「あの、戸締まりは私が」

「あら、いいの、ウェンディちゃん? 悪いわねぇ」


 ずっと門のところに待機していたマーゥルに代わり、ウェンディが門を閉める。

 給仕がいないのか、この館には。


「はぁ~、ほんっとうにいい娘ね、ウェンディちゃんは。セロンさん、大切にしなきゃダメよ?」

「は、はい。その、つもりです」


 セロンが恐縮して頭を掻く。

 マーゥルを振ってウェンディを選んだセロンには、なんとも答えにくい質問だろう。


「あらあら、うふふ……」


 恐縮するセロンにマーゥルはそっと耳打ちをする。

 他意などは一切含まない、素直な声で。


「求婚のことは、もう気にしないでね。私は納得しているから」

「は、はい…………あ、いえ……まぁ……」


 答えにくい話題を重ねてきたな……

 そっちはもう気にしてないんだろうが、断った方はそうそう割り切れるもんでもないだろう。

 せめて、話題にするのは避けてほしいだろうな。


 というか、まぁ……年齢的には釣り合っていないよな。マーゥルは自分の資産をセロンに与えるための、いわば融資のような意味合いが強い結婚話だった。

 別に恋愛云々ということではないから、さっぱりしたものなのかもしれないけどな。


 セロンの父、ボジェックの情報では、花に囲まれて暮らす、一生を独身で過ごすと決めた深窓の麗人……ということだったはずだが……深窓の麗人ってイメージじゃねぇんだよな、なんだか。


 まぁ、若い頃は美人だったんだろうなという面影はあるけどな。


 マーゥルとしては、この広い敷地内で、セロンにはレンガ製作に没頭してもらおうと、そんな親切心でも働かせていたのだろう。


「あの、マーゥル様」


 困るセロンを見かねてか、ウェンディが助け舟を出す。


「シンディさんはお留守なんですか?」

「あ、シンディね。いいえ、いるわよ」


 シンディ?

 と、疑問に思った矢先、マーゥルが丸っこくておっとりとした笑みをこちらに向けて、俺の疑問に答えるようにその説明をする。


「シンディは、ウチの給仕を取り仕切ってくれている人なのよ。今ちょっと手が離せなくて、それで、私が代わりに出てきたのよ」


 いやいや。

 主を使うなよ。なんで手が離せないのかは知らんが、優先順位があるだろう。


「ごめんなさいねぇ。私、こういうことってやったことなくて。シンディみたいに上手に出来ないわぁ」

「いえ、ミズ・エーリン。ご本人に出迎えていただけただけで十分光栄ですので」

「あらっ、綺麗な娘ね。あなたがエステラ様?」


 エステラのフォローを聞いていたのかいないのか、マーゥルはエステラの顔を覗き込み、赤い髪にそっと触れ、最後にほっぺたをぷにっとつねった。


「こんなに可愛い女の子を、世の男性は放っておかないわねぇ」

「い、いえ……ボクには、まだそういう話は……」

「『胸も、育ってませんし……』」

「捏造やめてくれるかな、ヤシロ!? 言ってないし、絶対言わないから!」


 ふん。

 謎のナタリア爆モテ事件の後でちょっと褒められたからって嬉しそうな顔をしやがって。

 お前がモテるかどうか、自分の胸に聞いてみろってんだ!

 ……うむ。慣用句としての使い方は間違っているが、使いどころは正しいはずだ。


「では、こちらがルシア様ね。まぁまぁ。噂に違わずおキレイだこと」

「ミズ・エーリンこそ、若々しく美しいではないか」

「あらあら。お世辞もお上手なのね、おほほほ」


 なんだろう……妙に社交界っぽい空気なんだが……早く家に上げてくれねぇかな?


「みなさんを歓迎します。でも、その前に……やっぱり私、名前で呼ばれたいわ。ね、みなさん、そうして。お願い」


 オバちゃん特有の押しの強いお願いに、エステラとルシアは苦笑を漏らしつつも了承の意を示した。

 その代わり、エステラたちに対する『様』付けも無しということになった。


「それでは、案内するわね、ルシアさん、エステラさん」

「ありがとう、マーゥルさん」

「邪魔をするぞ、マーゥル」

「それじゃあ、英雄様もどうぞ」

「俺の呼び名が変わってねぇじゃねぇか、ババア」

「ヤシロッ!?」

「カタクチイワシッ!」


 エステラとルシアが物凄い速度で俺を拉致して庭の隅へと連れ去る。

 なんだよ!? 今のは三段オチのオチ扱いをされたんだろう? ツッコミじゃねぇか。


「いくらなんでも失礼過ぎるよ!」

「貴様の頭は小物入れか何かか!? 空っぽなのか!?」

「わ、分かったよ。名前で呼べばいいんだろう?」


 エステラとルシアが割とマジメに怒っているので、素直に謝罪を述べることにする。

 まぁ、追い返されたらなんの情報も得られないからな。謙虚にいこう。


 と、思ったのだが。


「うふふ。『ババア』って初めて言われちゃったわぁ。新鮮なものねぇ、うふふ。うん、でもやっぱりあんまり嬉しいものではないのね。発見だわぁ」


 マーゥルが、なんでかちょっと喜んでいた。

 領主の姉に当たる貴族に対し『ババア』なんて言えるのは、現領主である弟くらいのもんだろう。が、領主がそんな言葉を使うことはないだろう。

 つまり、マーゥルを『ババア』と呼べるのは、この世界では俺だけということか……


「貴重な体験が出来てよかったな」

「反省の色皆無か!?」


 エステラがピーピー怒っている。

 マーゥルが楽しんでいるならそれでいいじゃねぇか。


「ねぇねぇ。英雄様。……あ、ヤシロちゃんって呼んだ方がいいかしら?」

「ちゃん付けはやめろ……」

「それじゃあ……『ヤーちゃん』」

「『ちゃん』残ってんじゃねぇか」


 どうした、ボケたか? まだまだ若いだろうに、気の毒な。


「それじゃあ、『ヤシぴっぴ』ね」

「どこから出てきた、その奇妙な言葉!?」

「それでね、ヤシぴっぴ」

「もう決定なのかよ!?」


 なんだろう……どんどん不本意な呼び名が増えていく……


「貴様には似合いのふざけた呼び名ではないか、カタクチイワシよ」

「『カタクチイワシ』も十分ふざけてるけどな」


 俺の不幸が大好きなルシアの言葉なんぞは無視して、目の前のマーゥルに集中する。

 今度は何を言い出す気だ?

 つか、いい加減家に上げてくれねぇかな?


「ヤシぴっぴは、私に厳しい言葉を使うことを許可します」


 急に改まって、マーゥルが俺に言う。

 どうも貴族連中は敬われ続けると、それに反発したくなる性分を持っているようだ。

 要するに、『ツッコミ』を入れたりして、親しくしてほしいという申し出なのだろう。


「ねぇねぇ、ヤシぴっぴ」


 マーゥルもそういうタイプの貴族だったようで、嬉しそうに俺へと催促の言葉を寄越す。


「『このメスブタが』って言ってみて?」

「それ、厳しい言葉の粋超えて、新たなワールドに足踏み入れてるからっ!」

「躊躇いのないツッコミ……さすが思う、友達のヤシロ」


 嬉しくもないギルベルタの称賛を受け、マーゥルを見ると、これまたまーったく嬉しくもないが、凄く満足げな表情を向けられていた。


「私、やっぱり、ヤシぴっぴのことが好きだわぁ。ときめいちゃいそうよ」

「お前はイケメンなら誰でもいいのか?」

「図々しいよ、ヤシロ」

「身の程をわきまえぬ者は見苦しいぞ、カタクチイワシよ」


 ……こいつら、なんでナチュラルに毒が吐けるんだ?

 俺のメンタルが豆腐みたいに脆い可能性には考えが及ばないのか?


「私ね、変わったものが大好きなの」

「えっ!? それでヤシロが!?」

「誰が変わったものだ、コノヤロウ」


 お前のぺったんこバストを世界基準にして、こっちの世界で分度器を発明してやろうか?


「マーゥル様は、園芸に大変こだわりをお持ちの方で、気に入るレンガを求めて各区を歩き回ってご自分の目で一つ一つ確認して回ったこともあるそうなんです」


 レンガの話を、嬉々として語り出すセロン。

 レンガにそんな違いなんてあるのか?


「現在、オールブルームにて生産されるレンガの多くは、王家お抱えのレンガ職人が制定した規格に沿っているものがほとんどなんです。使用する土、加熱の温度、大きさや形、色に至るまで、王家のレンガを模したものがほとんどです」

「王家のレンガの真似をしておけば、貴族がこぞって買うものねぇ」


 マーゥルが少し寂しさを滲ませて呟く。

 王家のレンガに似せて作る。それは規格を統一するという意味からも理に適ったものだと思われる。レンガ一つが割れた時に、どこのレンガを使ってもサイズが合うということになるからな。


 だが、それでは物足りないと感じるのが、このマーゥルという貴族らしい。


「どれもこれも面白みのないレンガばかりで、私の欲しいものはなかったの」

「それで、流れ流れて、ついに四十二区にまでいらしたんですか?」


 エステラが若干引き気味に尋ねる。

 普通なら、いいものを探す時はより上のランクの店を調べるものだ。

 だが、ランクを上げれば上げるほど王家のレンガに近付いてしまうのは明白で、マーゥルを満足させるレンガはなかなか見つからなかったのだろう。


 それで、四十二区にまで来るかね?

 ランクを下げれば品質も下がると考えるのが普通なのに。


「半ば諦めかけていた時に、セロンさんのレンガに出会ったのよ。一目で虜になったわ。独創的で、優しくて、丁寧で……」


 うっとりと、斜め上の空をぼーっと眺めてため息を漏らすマーゥル。

 今、こいつの頭の中に浮かんでるのがレンガだと思うと、ちょっと面白いけどな。


「まぁっ、いけない! またこんなところで長話をしてしまって。ダメねぇ、私。お話が大好きで、ついつい……ホント、シンディがいないと全然、何も出来ないんだから……」

「主様っ!」


 門のところでため息を漏らすマーゥル。

 そんな家主を呼ぶ声がして、館から一人の婆さんが姿を現した。

 こいつがシンディか?


「まぁ、シンディ。用事はもういいの?」

「はい。お風呂場のぬめり、除去しておきましたよ」

「何やってたんだ、給仕長!?」


 お前、風呂掃除のために主に訪問客の相手任せたのか!?


「優先順位考えろよ! 給仕長だろ!?」

「あんら、まぁ……主様。こちらの殿方は?」

「この方はね、噂の英雄様こと、ヤシぴっぴよ」


 わぁお……何一つ俺の情報が含まれていない……


「ヤシぴっぴ…………ステキ」

「どこが!? てか、やめて!」


 婆さんが謎の呼び名の語感に目を細める。

 そして、俺の全身を上から下から見つめて、ぽっと頬を染める。


「この仕事に就いて四十五年。私を叱ってくれた人は、ヤシぴっぴが三十年ぶり二人目ね」

「なんだよ、その新記録出した時みたいな、でも決して嬉しくない報告は……」

「前に叱ってくれたのは、私の師匠でもある以前勤めていた館の給仕長……殿方では、ヤシぴっぴがは・じ・め・て」

「エステラ、ナイフ!」

「何をする気だい!?」

「そんな残酷なこと、口に出来るか!」

「じゃあ行動にも起こさないように!」


 もう、ババアに好かれるのとか十分なんだよ!

 行く先々で好かれてたまるか!


「まぁ、私ももうこんな歳ですからねぇ……」

「そうだな。好いた惚れたにうつつを抜かす時代は終わったよな。あぁ、よかった」

「せめて、口調だけでも若々しくしないと、相手にされないわね」

「口調だけ変えても相手にしないけど!?」

「ヤシぴっぴが彼ぴっぴになってくれたら、シンディぴっぴはマンモス嬉ぴーよ?」

「若者口調のつもりが、最後で物凄い時代を感じる代物になり果ててたな!?」


 それはそうと、もう何回言ったか分かんないけどさ……『強制翻訳魔法』さぁ、遊ぶなよっ!


「さぁ、シンディ。みなさんを館へ」

「はい、主様。さぁ、皆様、こちらへ」


 シンディという給仕長の登場により、ようやく俺たちは館へと入れるらしい。

 なのだが、それをウェンディが制止する。


「申し訳ありません、シンディさん。少し待っていただけますか?」

「おや、ウェンディさん、どうかされましたか?」

「私、マーゥル様にお花を持ってきたんです」

「まぁ、そうなの!? 嬉しいわぁ。さぁ、シンディ。受け取って頂戴」

「はいはい、ただいま」


 本来なら、真っ先に給仕長が出てくるはずで、まさかの館の主自らの出迎えに驚いて今まで忘れていたらしい。

 豆を押し付けられてまで買った花と、ナタリアがアホほどもらってきた花が馬車いっぱいに積み込まれている。

 馬車の中で話したのだが、この花はすべてマーゥルへのプレゼントにすることにした。

 花の持ち出しには、また税金がかかるからな。

 それが原因で、ウェンディは二十九区に入ってから花屋に行ったわけで。


「まぁ、まぁまぁ! こんなにいっぱい。嬉しいわぁ~」

「ほとんど、ナタリアさんからの贈り物になりますが」

「ナタリアさん……というのは、こちらの方かしら?」


 大量の花に囲まれてご満悦のマーゥル。

 そのそばに立ち、ナタリアが恭しく頭を下げる。


「初めまして。クレアモナ家に仕える給仕長のナタリアと申します」

「まぁ~、綺麗な方ね」

「はい。そうですね」

「ナタリア。自重して」


 いまだ自信満々のナタリア。

 しかし、マーゥルやシンディはナタリアに対し異常な興味を示したりしなかった。

 花屋の前では、通行人の女も、うっとりとしたため息なんかを吐いていたというのに。


「街では、さぞおモテになられたでしょう?」

「えぇ、それはもう」

「ナタリア、何度も言わせないでくれるかい? じ・ちょ・う!」


 これは、何かある……

 マーゥルの笑みはそんなことを俺に直観させた。


 こいつは、ナタリアだけが異常にモテた理由に心当たりがあるようだ。


「知りたい? ヤシぴっぴ」


 またしても、こちらが疑問に思ったことに答えるようにマーゥルが解を寄越してくる。

 年の甲か、こちらの質問したいことなど百も承知だと言わんばかりだ。


 だが、そういう技術なら俺だって……


「ナタリアだけが異常にモテる理由が……俺たちの欲している情報の一部、もしくは重要なことと関係あるんだな?」

「うふふ……お利口さんね、ヤシぴっぴは」


 わざわざ、このタイミングで『俺』に言ったのだ。

 こいつは、領主を差し置いて、俺に声をかけてきた。


 もし、今回起こった一連の騒動に関し、エステラやルシアにではなく、俺に何かを伝えようとしているのであれば……このマーゥルとかいうオバさんは、ちょっと只者ではないかもしれない。


 まるで、商談の際にはなんだかんだと中央へしゃしゃり出ていくのは俺だと、見抜いている……そんな気がした。


「実はね」


 と、マーゥルが花束を抱えて俺たちに向き直る。

 全体へ向けて話すように、思うままに口を開閉させる。


「ウチの館は、このシンディ一人しか給仕がいないのよ。どうも、私とは合わない人が多くてね」

「主様の趣味に合わせるのは大変なんですよ、私も苦労しております」


 余計な茶々を入れたシンディを「もう!」と軽く睨んで、軽~く拳を握って振り上げて見せる。

 それも、ふざけ合っているような雰囲気でだ。

 シンディが怒られていなかったってのは本当かもしれないな。


「それでね、今日この後、新人給仕の面接を行う予定なの。その予定を少し早めてもらいましょう」


 新人給仕の面接……?


「四人呼んであるから、ヤシぴっぴたちも見学していくといいわ」


 なるほど。

 新人で募集するってことは、面接に来るのはこれから仕事を得ようとしているもの……つまり若者が多いってわけか。

 この街の若者の言動や趣味嗜好が分かれば、歪に大きくなった『BU』の実態も見えてくるかもしれない。


 そこまで見越してんのかよ、マーゥルは。

 ……まぁ、ただの偶然かもしれないけどな。


「ヤシロ。見せてもらおうよ」

「そうだな。ただ、面接で給仕長が三人に囲まれる新人には同情を禁じ得ないけどな」


 圧迫面接にならなきゃいいけども。


「それじゃ、面接会場へ向かいましょう」


 そう言って、マーゥルは館の隣にある小さな小屋へと入っていった。

 本館とは別に建てられた別館のようだ。


 なるほどな。

 採用が決まってもいないヤツをおいそれと館に入れるわけにいかないもんな。


 こうして、俺たちは二十九区、ひいては『BU』に潜む問題の洗い出しを兼ねて、マーゥル・エーリン邸の給仕面接に立ち会うことになった。


 ……しかし、結局入れなかったな、館。






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