167話 陽だまり亭への帰還

 四十二区に戻ったのは、とっぷりと日が暮れた後だった。


「マグダ~、ちょっと手伝ってくれ~!」

「……なに?」


 ドアを開けてマグダを呼び出す。

 ルシアのとこの馬車が陽だまり亭の庭に横付けされている。ここから豆を運び出してほしいのだ。


「すまんが、これを運んでくれないか……俺はもう、見るのも嫌なんだ」


 くっそ、この豆どもめ……馬車が揺れる度に豆臭さを放ちやがって…………


「……買い付け?」

「押し売りだよ」

「……そう」


 深くは聞かず、『二十九区』という烙印が押された木箱をひょいひょいと持ち上げる。

 軽々とまぁ……


 当然といえば当然だが、二十九区で関税を取られたこれらの豆は、『BU』内の他の区を通過しても関税をかけられることはなかった。烙印があれば通過出来るらしい。

 なら、あの木箱を使い回せば……と、思ったのだが、烙印にはご丁寧に日付までもが入っていた。日本で見たデータ印みたいな作りだった。もっとも、こっちは金具を組み合わせて高温で熱するんだけどな。


「お兄ちゃん、お帰りなさいです」

「あれ、ロレッタ。まだいたのか?」

「今日はお泊まりしていくです」


 いつもなら、閉店作業も終え、ロレッタは帰っている時間だ。


「もし万が一、お兄ちゃんが遅くなることがあったら、あたしが店長さんとマグダっちょを守らなきゃと思ったですっ!」


 えへんと、鼻息を盛大に漏らして胸を張る。

 長らくエステラとルシアがそばにいたからお前の胸が大きく見えるよ。

 あ、いやでも、ナタリアとギルベルタも同じだけ一緒にいたから、それと比べれば小さいか。


「まぁ、間を取って普通だな」

「なんですか!? 帰って早々悪口ですか!? あたし普通じゃないです!」


 きゃいきゃい騒ぐロレッタに、小袋に入ったピーナッツを渡す。

 ぶーぶー文句を言いながらも、ロレッタが豆を店内へと運んでいく。


「それじゃあ、私たちはこれで」


 豆を全部降ろしたところで、御者が二人揃って頭を下げる。

 大型の馬車を長い距離、事故を起こさず移動させるには、交代要員が必要になる。万が一にも御者がダウンして移動出来ない、なんてことがあっては困るからな。


 そんなわけで、馬車を見送り店に入ろうとしたところで――


「おかえりなさい。ヤシロさん」


 ジネットが出迎えに出てきた。

 手が濡れており、今の今まで厨房で作業していたのだとハッキリ分かる。


「すみません。遅くなりまして」

「いや、別に出迎えとかしなくていいからな? 仕事中なんだし」

「でも。やっぱり、無事に帰ってきた姿を早く見たいですから」


 微笑み、嬉しそうにそんなことを言う。

 ……俺を照れさせてどうする気だよ。おだてても何も出んぞ。


「今日は、お土産がたくさんですね」


 満面の笑顔を振りまくジネットとは対照的に、俺の顔からは表情が抜け落ちていく。

 ……思い出させるなよ、それを。


「『BU』に行く度にこういう目に遭うらしい」

「そうなんですか? 凄いですね」

「もらいものじゃなくて、押し売りされたものだ。喜ばなくていい」

「いえ。遠い区の物が手に入るのは、やはり嬉しいですよ」


 こいつは……俺のネガティブをことごとくポジティブに修正しやがる。

 何がそんなに嬉しいんだか。豆だぞ豆。

 ぽりぽりみんなで齧って「楽しいですね~」とか言うつもりか?


 ……言いそうだな、ジネットなら。


「さすがに量が多いからな。少し加工品を作ってみようと思うんだ」

「新しいお料理ですかっ!?」


 物っ凄い食いついてきたっ!?

 こいつら、俺が作る料理を特別なものと勘違いしてんじゃねぇのか?

 日本じゃ、そこらのスーパーで手に入るようなありふれたものくらいしか作れねぇぞ、俺は。


「料理というか、調味料みたいなものだ」

「調味料?」


 首をこてんと傾けた後、急に「ぱぁあ……っ!」と顔を輝かせる。

 そして、とっておきの秘密を打ち明けるような、わくわくした表情で俺に手招きをする。


「実はですね、今日、とっても美味しい調味料をいただいたんです」

「いただいた? 誰に?」

「アッスントさんです」

「『売っていただいた』だな」

「はい。代金はお支払いしました」


 いただいたとは言わねぇよ、それ。


「今まで食べたこともないような調味料でしたので、是非ヤシロさんにも食べていただきたいんです!」


 昇りつめたテンションそのままに、ジネットは俺の手を両手でしっかりと掴み、店内へと引っ張り込む。

 早く早くと急かす子供のような笑みを浮かべている。よほど美味しかったのか…………いや、この顔は、最近ちょいちょい顔を覗かせるようになった「イタズラ顔」だな。

 ジネットは何かを企んでいる。

 もっとも、くっだらない企みなんだろうが。……激辛調味料とか、そんなところだろう。


 店内に入ると、豆の木箱が積み上げられ、その上に小袋が載っていた。

 エステラとナタリア、ルシアとギルベルタ、そして俺の分。要するに、『BU』で押しつけられた豆を全部引き取ってきたわけだ。

 …………はぁ。見ているだけで胃がもたれる。


「ヤシロさん。これです!」


 俺をフロアに残し、厨房へと駆けていったジネットが、中瓶に入った調味料を持って戻ってくる。

 しっかりと密閉されたその瓶の中には、とろりとしたオリーブ色の液体――オリーブオイルらしきものの中に赤い獅子唐が入っていた。


「ピカンテオイルか」

「――っ!?」


 瓶を持っていたジネットの両肩が跳ねる。


「……ご、ご存知だったんですか?」

「いや、まぁ、故郷で見たことがあってな」


 イタリアンレストランに行くとよく出てくるヤツだ。

 タバスコみたいな感覚で使っていたな。


「す、すみませんっ、ヤシロさんが辛くてビックリするところを見てみたくて、このようなイタズラを……っ!」

「いや、いい! いい!」


 そんなに反省されるようなことでもない。むしろジネットがこういうイタズラを画策するようになったのは、それだけ現在の生活にゆとりがある証拠だとも言えていい傾向だと思っている。


「それくらいのイタズラはむしろ大歓迎だよ」

「そうなんですか?」

「あぁ。そうだ」


 食堂内の空気がまるで違うのだ、ジネットに笑顔がある時とない時では。

 数日前のような、悩みに笑顔が曇っているのはあまり好ましくない。

 笑っていてくれた方が、こっちも安心出来るというものだ。


 客だってみんなそう思っているだろう。


「ジネットの笑顔を見ると、楽しい気分になれるからな」

「ふぇっ!?」


 素っ頓狂な声を上げて、手に持ったピカンテオイルの中瓶をぽろりと落とす。

 ――危ねぇっ!? ……ビックリしたぁ……よくキャッチ出来たな、俺。


「わ、わたしの笑顔で、ヤシロさんは楽しい気分になれるんですか?」


 ん?

 いや、『俺が』というか、『みんなが』なんだが……


「で、ではっ、これからもずっと笑顔でいられるよう頑張りますね! イタズラもいっぱいします!」

「いや、いっぱいはしなくていいから!」

「大歓迎されましたので、たくさん考えておきますっ!」


 元気に言って、ジネットは厨房へと駆けていく。

「パイオツカイデー」なんて言葉を呟きながら。……あいつはどこへ行ってしまうのだろう。

 つか、これから豆の加工品を作りたかったんだが……


「……ヤシロ」

「お兄ちゃん」


 マグダとロレッタが、俺の背後に音もなく歩み寄る。


「……そのソースはいいもの。是非食べるべき」

「そうですそうです。ドッバドバかけて食べるといいです」


 ……こいつら、ジネットのイタズラにまんまと嵌められたな?


「そうだな。じゃあ、パスタを用意してくれ」


 移動が長く……あと豆にうんざりしていて……夕飯を食っていなかった。

 陽だまり亭に入ると、不思議と腹が減るもんだな。


 ロレッタが、「これにかけて食え」とばかりに硬そうなパンを持っているが、俺はこの街のパンがあまり好きではない。味が悪いことも去ることながら、教会の銭ゲバ司祭に金が流れるのかと思うと無性に腹が立つのだ。


「……分かった。マグダが最近マスターしたパスタを持ってくる」

「お、教わったのか?」

「……うぃー、むっしゅ」


 …………どこで覚えるんだろうなぁ、あぁいうの。


 得意満面の無表情で、マグダが厨房に入る。

 器用な顔をしているな、あいつは。


「えっと……あたしとこのパンはどうしたらいいですかね?」


 取り残されたロレッタとパン。

 とりあえず、パンは厨房に戻しとけ。まだ口を付けてないから客に出せる。

 ロレッタが触っているが……ロレッタファンに出してやればむしろ大喜びするだろう。

 もっとも、手が清潔でなければロレッタに責任を持って処分させるがな。


「ロレッタ。お前、今汚いか?」

「もうちょっと聞き方ってあると思うです! 清潔です! 妖精や精霊がビックリするくらい清潔ですよ!」


 なら、問題ないだろう。


「パンを置いたら、ちょっと手伝ってくれ。落花生の殻を剥く」

「はいです! …………多いですね」

「今日は試作だけして、明日、お前の弟妹に手伝わせてくれ」

「分かったです! 任せてです!」


 駆け足で厨房へと戻り、ボウルを片手に戻ってきたロレッタ。

 ちらちらと、厨房を振り返る。


「どした?」

「店長さんが、厨房の隅でうにうにしてたです」

「……何やってんだ、あいつは」

「ネコが顔を洗ってるみたいだったです。あれきっと、頭とか背中を撫でると『ころんっ』ってひっくり返ってお腹撫でさせてくれる感じですよ」


 懐き過ぎなネコがたまにそんな動きをするっけなぁ。

 俺もちょっと撫でさせてもらおうかなぁ、お腹。


「とりあえず剥くです! 店長さん、そのうち正気を取り戻して手伝いに来てくれるです」

「んじゃあ、今日はもう店じまいでいいか、店長代理の代理」

「ほにょ!? あたし、店長代理の代理ですか!? いいんですか!?」


 マグダが店長代理だからな。

 そのマグダが席を外している以上、この場の最高責任者を任せられるはロレッタしかいないだろう。


「許可を頼む」

「むはぁー! ついにあたしもここまで出世したですか!? 閉店の許可、出せちゃうですか!?」

「そうだ。だから早く許可をくれ」

「ん~……どーしよっかなぁ~です」


 こいつ……ちょっとでも長く最高責任者の地位に居座る気だな。


「早くしないと、店長代理が戻ってきて、さっさと閉店しちまうぞ」

「ぬわぁ! それは困るです! 閉店の許可を出すなんて、一年に一度あるかないかです! 譲るわけにはいかないです! お兄ちゃん、閉店してきてです!」

「へいへい」


 そんなわけで、表のプレートを『Close』にひっくり返し、陽だまり亭は閉店した。


 さぁ、ここからは試作の時間だな。


「何を作るですか?」

「とりあえず、ピーナッツバターとハニーローストピーナッツは決定してるんだよな」

「なんか、凄く美味しそうです!」


 ロレッタも凄い食いつきだ。


「ハニーって付くものは大抵美味しいです!」

「え? そっち?」


 俺はてっきり、ピーナッツバターの方に食いついているのかと思っていたのだが。


「ピーナッツもバターも甘くないですからね。ときめくなら、ハニーローストピーナッツの方です、女子として!」


 エステラたちも、もしかしたらそっちに反応していたのかもしれないな。

 そうだよな。ピーナッツバターって、知らない人が聞いたら、甘い味は想像出来ないかもしれないな。


「んじゃ、剥くか」

「……じゃすとあもーめんと」


 落花生を取り出したところで、マグダが戻ってきた。

 手には出来たてのナポリタン。……異世界で『ナポリ』もないんだけどな。まぁ、そういう名前だし、しょうがないだろう。


「……熱々を召し上がれ」

「おぉ、いい匂いだな」

「……ヤシロは、汗フェチ」

「お前の汗の匂いの話じゃねぇよ! パスタの香り!」


 汗をかいたマグダに「いい匂いだな」とか言ったら、俺捕まるわ!


 いつもの席に座ると、そこまでマグダがパスタを運んでくれた。

 俺の目の前にパスタを置き、フォークとスプーンを用意してくれる。


「……召し上がれ」

「よし、じゃあ折角なんでこのピカンテオイルをかけて……」


 と、ピカンテオイルの瓶を持ち上げると、その腕をマグダにガシッと掴まれた。……ピクリとも動かない。


「おい。……なんの真似だ?」

「……マグダの初パスタ。きっと美味しい」

「おう。だから温かいうちに食わせてくれよ」

「……そんなふざけたもので味を台無しにするのは許容出来ない」


 ふざけたものって言っちゃったよ!?

 最初の計画どうしたんだよ? 俺に「辛いー」って言わせたかったんじゃねぇのか?

 まぁ、言わないけど。


「大丈夫だよ。このオイルのことは知ってる。そもそも引っかかりはしなかったんだ」

「……そう?」

「あぁ。大丈夫だから、食わせてくれ」

「…………分かった」


 マグダの手から解放され、俺はフォークを握る。

 最初は何も手を加えない、マグダの味付けを楽しむとするか。


 たっぷりとソースを絡めて口に運ぶ。


「ん……、美味い!」

「…………ほっ。……当然」


 緊張の糸が緩んだ途端、素直に安堵の息を漏らすマグダ。

 だが、その後はいつも通りの強気なマグダだ。


 麺に火が通り過ぎているので、歯ごたえは悪くなっているが、味は問題ない。

 客にはまだ出せないが、及第点だろう。


「茹でた後の味付けで時間をかけ過ぎたな」

「……フライパンの動かし方がイマイチよく分からない」

「今度教えてもらえ、そこらへんも」

「……すぐマスターする」


 マグダが意欲を燃やしている。

 こりゃ、マスターするのも時間の問題だな。

 いつの日か、料理がツートップになったりするのだろうか。


「というわけで、ピカンテオイルを使わせてもらうぞ」

「……折角の味が台無しになる」

「大丈夫だよ。こう、たらーっと一回しかけて…………」


 細く垂らしたオイルをくるりと一周回しかける。

 俺は辛いのが結構いける口なので、ちょっと多めにかけるのが好きだ。


 よく混ぜて、口へと運ぶと……うん! 美味い!


「いい辛さだ。ピリッとした刺激が食欲をそそるな」

「……おかしい」

「もだえ苦しまないですね……」


 俺をジッと見つめるマグダとロレッタ。……なに、お前らもだえ苦しむほど大量摂取したのか?

 言われてみれば、結構減ってるな、これ。


「ちょっと食ってみるか?」

「……平気?」

「俺は大人だからな」

「……なら、マグダも平気」

「あ、じゃあ、あたしも平気ですっ!」


 変な対抗意識を燃やし、マグダとロレッタが一口ずつパスタを口へ運ぶ。

 一瞬顔をしかめるも、大きな目がくりくりと見開かれる。


「……程よい」

「はいです。なんか、後を引く美味しさです!」


 マグダは口に残った後味を堪能し、ロレッタはすぐさま二口三口とパスタを掻き込んでいく。……こら、それ俺んだぞ。


「あ、あの。みなさん。何か楽しそうですけど、一体何を?」


 厨房の隅で蠢いていたらしいジネットが、頬に微かな赤みを残しつつ戻ってきた。

 なんとなく、意識して視線を逸らされているような気がする。


「ぇ……ふぇっ!?」


 ジッと見つめていると不意に視線が合い、その瞬間ジネットの顔が赤く染まる。

 うわぁ、初々しい。…………やめてくれ、マジで。恥ずいから。


「……店長。これが適量」

「そうです! 店長さんのはどう考えてもかけ過ぎだったです!」


 赤い頬でぽややんとしているジネットに、マグダとロレッタがナポリタンの皿を手に詰め寄る。

 ……ほんと、どんだけ使ったんだよ。


「んっ! 美味しいです。辛さがアクセントになって、トマトソースの味が引き立ってます!」

「適量を使えば、辛みは飯を美味くするんだよ」

「そうですね。これは、飽きの来ない辛みですね」


 口に付いたソースを拭きながら、ジネットが感心したように頷いている。

 もう、照れはなくなったようだ。


「で、どんだけ付けたんだよ。こいつらの拒否反応は凄まじかったぞ?」

「いえ、あの……アッスントさんに言われたように、パンに、こう……たっぷりと」

「……噛むと中から辛い汁が溢れ出してくる」

「あれは、辛いというより痛いだったです……」

「そ、そんなに辛かったですか? わたしは結構好きな感じだったのですが。確かにちょっとは辛かったですけど」


 ジネットの料理スキルが、他の連中よりも味覚の許容範囲を広げているのかもしれないな。

 そういや、四十区で買った臭ほうれん草を食った時も、意地で飲み込んでたっけな。


「辛い料理は人を選ぶが、好きなヤツはとことん好きなんだよな」

「確かに。わたしも、基本的には落ち着いた味が好きなんですけど、たまに、無性に辛い物が食べたい時はありますね」

「……四十区の激辛チキン……」

「あぁ……あれは人間の食べる物じゃないです」


 大食い大会で四十区の料理として登場した激辛チキン。

 マグダとロレッタは食べたことがあり、一度食べて以降見向きもしなくなった。相当辛かったらしい。

 しかしながら、その激辛チキンにもファンがいることは事実であり、辛い料理は一定以上の人気を誇っていることは確かだ。


 ……辛い料理…………唐辛子…………


 そこでふと、積み上げられた木箱が目に入る。…………ソラマメ。


「そうだ! 豆板醤を作ろう!」

「とーばんじゃん、ですか?」

「あぁ。ピリ辛の調味料で、炒め物なんかに使うんだ」

「それは、美味しそうですね!」


 豆板醤は、ソラマメに麹や唐辛子を加えて作るものだ。発酵が難しいが出来なくはない。

 女将さんの自家製豆板醤で作る麻婆豆腐は絶品だったなぁ……ただ、熟成に半年くらいかかるんだよな。分量を減らせば一ヶ月~三ヶ月くらいで作れるって言ってたっけ?


「すぐには出来ないか……」

「時間がかかっても、新しいことでしたら挑戦する価値があると思いますよ」


 と、料理オタクのジネットが目を輝かせている。

 ベクトルは違うのだが、若干ベルティーナを彷彿とさせるんだよなぁ、こいつのこういうところ。


「麹ってものを知ってるか?」

「麹といえば、お味噌を作る時に使うヤツですね。名前くらいは知ってます」


 ジネットが知っているということは、この街の中に存在しているということだ。

 なら、アッスントを使えば必ず手に入る。……もとい、アッスントに『頼んだら』、だな。あくまで友好的にいくべきだろう、こういう儲け話をする時はな。


 麹を手に入れたらすぐに作り始めよう。小分けにして少しでも早く熟成出来るようにして、陽だまり亭のメニューに加えるんだ。そうすれば、また違った層の客を獲得出来るはずだ。


「ちなみに、塩麹ってのは聞いたことあるか?」

「しおこうじ、ですか? さぁ、それは初耳です」


 ん~……まぁ、なかなか耳にする機会はないかもな。けど、麹があるなら存在している可能性は高いはずだ。米麹とかも。


「んじゃあ、アッスントに、死に物狂いで探し出してもらうとしよう」

「お兄ちゃんが、アッスントさんをアゴで使う気満々です!?」

「……アッスントは、かつての強敵が味方に付いた途端三下扱いになるという好例」

「いえ、そんなことはないと思いますよ……ヤシロさんもそんなことは思ってらっしゃいませんよ。ねぇ?」

「え? 違うのか?」


 ヤムチャ枠だろう、あいつ?


「もう。ダメですよ、ヤシロさん。お友達をそういう風に言っては」

「え……俺とアッスントって、友達なの?」


 なんか、凄く嫌な気分なんだけど……


「ウーマロさんも、ベッコさんも、ウッセさんも、パーシーさんも、みなさんお友達ですよ」

「うわぁ……濃いメンバーばっかりだな……名前を聞いただけで胸やけしそうだ」

「……モーマットとオメロは除外された」

「セロンさんもです」

「み、みなさんですよ! ね? ヤシロさん?」


 認めたくないものだな、そいつらが友人だなんて。


「……しかし、アッスントを動かすには、それなりの説得力が必要。特に、成功の保証がないものの場合は」


 耳をピンと立て、もっともなことを言うマグダ。

 さすが、よく分かってるな。


「だからこそ、『未知の調味料』の魅力をあいつに見せつけてやるのさ」


 あいつが、「きっと大したことない味だろう」と思ったものが、実はメチャクチャ美味かった。――そんな経験をさせてやれば、実物を見せることが出来ない豆板醤に対しても前向きに取り組んでくれるはずだ。


「そのために、ロレッタ!」

「はいです!」

「落花生を剥けっ!」

「さっきから、かなり剥いてるですよ!? お兄ちゃんが食事してる時も、なんならこの会話の間もずっと剥き続けていたですよ!?」


 ロレッタのちまちました努力のおかげで、ボウルにちょろっとピーナッツが溜まっていた。

 普通の成果だな。もっとこう、「えっ、もうこんなに!?」みたいな展開にはならないものか……ならないのがロレッタなんだよな。


「お前はホンット普通だな」

「普通やめてです! 結構頑張ってるです!」


 頑張ってコレだから普通だと言っているんだ。


「ジネットにやらせてみろ。二秒で全部剥き終わるぞ」

「そんなことないですよ!? 無理ですからね!?」

「とか言いつつも~?」

「無理ですよ!? ほら、もう二秒経ってますから!」


 過度な期待をかけてみたのだが、あわあわするだけで一向に手が進まなかった。

 しょうがない。普通に剥くか。


「じゃあとりあえず、全員二十個ずつ持て」


 山のようにある落花生を、各々に二十個ずつ配る。一つのテーブルを四人で囲み、落花生を手に持つ。


「一番最初に全部剥いたヤツが優勝だ」

「わぁ! なんだか面白そうですね」

「……ふっふっふっ。実はマグダは、落花生剥きが得意」

「すでに十数個剥いている、経験者のあたしに敵うと思ってるですか? 経験者の力、見せてやるです!」


 なんだか、上手い具合にノッてくれた。

 まぁ、とりあえずはピーナッツバター分あれば問題ないだろう。


「んじゃ、レディ……ゴー!」


 俺の合図とともに、全員が一斉に落花生を剥き始める。

 甘い……甘いぞ、お前ら!

 中学時代、落花生にハマって毎日のように食べていたために「落花生の王子さま」と呼ばれたこの俺に敵うなどと、本気で思っているのか!?


 王子の本気、見せてやるぜっ!


「むーきむきむきむきむー!」

「お、お兄ちゃんが気持ち悪いくらいに早いです!?」

「……はぁぁああっ!」

「むぁぁあっ!? マグダっちょ! 『赤モヤ』はダメですよ!? 何ちょっと出そうとしてるですか!?」

「よいっしょ……よいっしょ……」

「店長さん、遅っ!? ビックリするくらいに手際が悪いです!?」

「むきむー! むきむー! ……出来た!」

「変な掛け声なのに、本気で速いです、お兄ちゃん!? ただなんで最後がいつも『むー』なのか気になるです!?」

「……ロレッタの妨害が入らなければ、マグダが勝っていた」

「あたし、そんな悪いことしてないですよ!? 普通のこと言っただけです! むぁあ! 自分で普通って言っちゃったです!?」

「はい。わたしも終わりました」

「みんなにつっこんでる間に、店長さんにまで抜かれちゃったです!?」


 一人ギャーギャーと騒ぎ、まったく手が動いていなかったロレッタ。

 こいつは大体そんな感じだよな、いつも。


「負けたヤツは、殻掃除」

「罰ゲームあったですか!? もう一回! 今度は集中してやるです!」

「……うむ。珍しくロレッタと意見があった。四年に一度の奇跡」

「そんなに意見食い違ってないですよね、いつも!?」

「……再戦を希望する」

「わたしもやりたいです。楽しかったです」

「しょうがねぇな……まぁ、胸を貸してやってもいいぜ」

「お兄ちゃんが、たった一回の勝利で凄く尊大な態度に!?」

「もしくは、胸を一日貸し出してくれると嬉しいぞ」

「あ、いつものお兄ちゃんです。なんかホッとするです」


 そんな感じで、落花生早剥き競争は、結局六回戦まで行われ、一回目でコツを掴んだジネットが驚異的な伸びを見せ、三回戦以降誰も太刀打ち出来ないスピードを見せつけ四連勝したところで終了となった。

 覚醒ジネットには誰も敵わない。……なんかもう、マジックみたいだもんな、最後の方。



 かくして、大量のピーナッツが用意出来たので、俺はそれを使ってピーナッツバターを作った。

 砕いたピーナッツをすりこぎで潰して、摺って、ペースト状にして、砂糖とバター、それにほんの少しだけオリーブオイルを混ぜていく。

 フードプロセッサーの偉大さを再認識しつつ、真夜中に差しかかる頃に完成させた。


 マグダとロレッタはすでに眠っており、ジネットだけが手伝ってくれていた。

 試食は、明日だ。さすがに疲れた。


 明日はこいつでアッスントと交渉だ。

 まぁ、上手くやるさ。


 殻剥きとすりこぎでパンパンになった腕をさすりながら、俺は眠りについた。






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