166話 領主会談
「……どうしよう、これ」
エステラがげんなりとした表情を浮かべている。
手には落花生の入った袋がしっかりと握られている。
「まぁ、帰ってから近隣住民にでも振る舞ってやればいいだろう」
ルシアは慣れているのか、あまり表情が引き攣っていない。……若干は引き攣ってるんだけどな。
ギルベルタに自分の分の袋も持たせて優雅に路地裏を歩いている。
こんなにもらっても食いきれねぇよ……というくらい手土産を押しつけられるのは迷惑以外の何物でもないのだが、それにしたって――
「このピーナッツ、消化ノルマがあるにしても、無料でこんなに配っていいのか?」
「無料ではないぞ」
「は?」
「忘れたのか、カタクチイワシ。『BU』を通過する商品には、関税がかけられる」
「いや、通過じゃねぇじゃん!?」
なんて連中だ。
勝手に押しつけて、持って帰ろうとするとそれに税をかけるってのか!?
「嫌ならここで平らげて帰るんだな」
「顔中吹き出物だらけになるわ」
ナッツの油を舐めるなよ。
「つまり、捌き切れないくらい購入した商品を押し売りしてるってわけだな」
「売買ではない。あくまで贈与と関税だ」
「結果、一緒じゃねぇか!」
どうせ、『BU』内で作った豆は『BU』加盟区が買い上げて、ノルマと称して領民に消費させているのだろう。区で買い上げた豆に区が関税をかけて、区が税金を受け取る。
結局、金を払わされるのは強引に豆を押しつけられた来訪者だ。
ほら見ろ。押し売りじゃねぇか。
「ねぇヤシロ……君は昔『俺、ナッツが大好きなんだっ!』って言ってなかったっけ?」
「
実際の重量は大したこともない小袋が、精神的にずしりとのしかかるのだろう。
エステラの足取りはとても重い。
「こいつを陽だまり亭で提供することは可能なのか? 当然、金は取って」
「もらった物を商品として提供するのは問題ないよ」
「んじゃあ、お前のピーナッツももらってやるよ」
「そうだね。そうしてもらった方がこっちも助かるよ。定食の横に山盛りの落花生を添えて提供しておくれよ」
「それじゃ、二十九区と同じじゃねぇか」
陽だまり亭は、客に不快な思いを強要したりはしねぇんだよ。
「ピーナッツバターでも作るさ。もしくは、ハニーローストピーナッツか、ナッツのはちみつ漬けにでもするかな」
「何それ!? 物凄く美味しそうな予感がするんだけど!?」
物凄く食いついてきた。
見るのも嫌ってたくらいの拒否感だったのに。
まぁ、これだけピーナッツを大量に余らせている区で出されるものが、そのままのピーナッツって時点で、たぶん加工品はないんだろうなって思ったけどな。
どれもこれも簡単に作れるから、持って帰って作ってみよう。
商品として提供して、関税分くらいは取り戻さなきゃな。
「ナタリア。君の分もヤシロにあげてくれないかな?」
「えぇ。もちろんです。ただし、完成試食会には是非ご招待いただきたいですね」
「そこは当然だよ! ね、ヤシロ?」
「いや、完成試食会ってなんだよ……」
そんなオーバーなものじゃねぇぞ、ピーナッツバター。
フードプロセッサーがないからちょっと面倒くさいなぁ、くらいの料理とも呼べない加工品だぞ。
「そういうことなら、我々の分も進呈してやる。ありがたく受け取り、私たちとミリィたん、ウェンたん、ハム摩呂たんを招待しろ」
「当日はお泊まりを希望する、遅くなるようなら、私は」
こっちはこっちでわくわくとした目を向けてくる。……言うんじゃなかったかな。
こっそり持って帰ってこっそり作ればよかった。
「あ、そういえば……」
不意にエステラが、路地裏の向こう側――街の南側へと視線を向ける。
「この先って、四十二区なんだよね…………シスターの耳に届いたかもしれないね、今の会話」
「ははっ、心配すんな。……どっちみち匂いを嗅ぎつけて試食会に紛れ込んでくるから、あのシスターは」
ベルティーナ相手に、食い物を隠そうなんて無謀なことはもう考えない。
きちんとあいつの分を確保しておく方が、結果損害が少ないのだ。ベルティーナの曲がったヘソを元に戻すのはかなり骨が折れるからな。
「ふふ……誰かれ構わず甘やかしているようだな、カタクチイワシよ」
「誰がだ。きっちり報酬はもらってるっつうの」
なんらかの形でな。
タダ働きとか奉仕とか、俺がそんなことするわけないだろうが。
なんらかの形で、俺の利益へと還元してやるさ。どんな手を使ってもな!
「ところでエステラ様」
曲がり角の前で、ナタリアがふと立ち止まる。
涼しげな顔でこちらを向いている。
「私としたことが、うっかりインクを切らせてしまいまして……新しく購入したいのですが、よろしいでしょうか?」
「あ、うん。構わないよ。それじゃあ筆屋に行こうか」
「それでしたら、この先になります。ルシア様、回り道をお許しください」
「なに、気にするな。時間ももう少しは余裕があるからな」
太陽は空の天辺に近付いている。
間もなく正午だ。筆屋に寄ってから領主の館に向かえば頃合いだろう。
ナタリアの立ち止まった角を曲がり、入り組んだ道を進むと、くすんだ色の建物があり、入り口に筆をかたどったプレートがぶら下がっていた。
筆屋の店内はこぢんまりとしていながらも、整理が行き届いていて窮屈さは感じなかった。
インクのつんとした匂いが店内に充満しており、文房具屋というより新聞屋のようなイメージを抱かせる。
「いらっしゃい。筆かい? インクかい?」
腰の曲がった婆さんが、カウンターの向こうからぜんまい式のからくり人形のような速度で姿を現す。
壊れかけの店長だな。
「インクをいただきたいのですが」
「他所の人かい?」
近場にあったインクの瓶を取ろうとしていた手を止め、ナタリアの顔を見上げる婆さん。
「じゃあ、ちょっと待ってな」
カウンターを離れ、奥へと引っ込んでいく。
数分後、婆さんは小型の、携帯しやすそうな筒に入ったインクを持って戻ってきた。
「こいつなら、持ち運びに便利じゃし、滅多なことでは零れることもないじゃろう」
「お気遣い、ありがとうございます」
「なぁに。べっぴんさんを見ると、昔の自分を思い出しちまってねぇ。つい親切にしてしまうのさ。ひっひっひっ……」
「『精霊の……』」
「ヤシロ。めっ」
なんだよ、エステラ。その可愛らしい叱り方は、ジネットの真似か?
なんにせよ、客のニーズにあわせて最適な商品を提供してくれる優良な店のようで一安心だ。
もっとも、若干割高な物を勧めらているのかもしれないがな。
まぁ、ナタリアが納得しているようだからそれでいい。
「では、私たちはこれで」
「あぁ、ちょいとお待ち」
代金を払い、店を出ようとした俺たちを、婆さんが呼びとめる。
店の入り口までやって来る。お見送りか? ……と、思ったのだが。
「こいつはサービスじゃ。持ってお行き」
――と、ポテトチップスBIGサイズくらいの袋を、『各々』に手渡す。
……まさか、これは…………
「豆じゃ」
「最悪の店だったな!」
どこが優良店だ。押し売り業者じゃねぇか!
「また……増えてしまった…………ははっ、ははは……」
両手に豆の袋を抱えて、エステラが能面みたいな顔で乾いた笑いを漏らし続けている。
くそ……地味に重い!
「なんでインクを買って、豆が付いてくるんだよ! しかも今度はエンドウ豆!」
どうせなら落花生で統一して欲しかったぜ。……エンドウ豆、どうやって消費しようかなぁ。
ずんだ餅でも作るか?
「つか、豆、何種類あるんだよ」
「無論、七種だ」
自分では荷物を一切持たないルシアが涼しい顔で言う。
七種……たしか、『BU』加盟区は二十三区から二十九区の七区だから……各区が一つの豆をアホほど大量生産してるってわけか。
ここのソラマメのように……
「なんで収穫量にノルマまで設けてるくせに、こんな押し売りみたいなことしてやがんだよ……」
余るなら作らなきゃいいだろうが。
「まぁ、それも理由があってのことだ。気になるなら尋ねてみればいい」
事情を知っているのであろうルシアが、ついっとアゴで前方を指す。
「あそこに集まっている、『BU』の中枢たちにな」
視線を向けると、そこは朝に訪れた領主の館だった。時刻は正午。いよいよ乗り込むわけだ、敵の本陣へ。
領主の館には、朝はなかった豪奢な馬車が何台も停まっていた。
まさに、今しがた集結したばかりなのだろう。これから厩へ移動させるところらしい。
「まずは、この邪魔な荷物を馬車へ置きに行くか」
手ぶらのルシアが、ギルベルタの抱える豆袋を指して言う。
俺も賛成だ。こんなもんを持って会談なんぞ出来るはずもない。
豆を置きに厩へ向かうと、朝対応してくれた『お馬番』の爺さんがにこにこと馬車まで案内してくれた。
俺たちの馬車は、馬から外されて車庫の一番奥へと移動させられていた。……他の領主が全員帰るまで外に出させない腹積もりなんだろうな。
「お客様方の馬車はあちらになります」
最奥を手で指し示し、爺さんはぺこりと頭を下げる。
そして、馬車へ向かおうとする俺たちの背中に、こんな呪いの言葉を投げかけやがった。
「お客様への贈り物を馬車に積んでおきました。心ばかりのおもてなしでございます。どうぞ、お納めください」
その言葉に、背中から嫌な汗が噴き出す。
俺とエステラは揃って駆け出し、ルシアの馬車の扉を開けた。
そこには、木箱が人数分積み込まれており、その中にはびっしりとソラマメが詰まっていた。
……ここに来て、自区の名産品…………
「喜んでいただけたようで何よりでございます。……では」
ニヤリとほくそ笑んで、爺さん……いや、ジジイが場を離れる。
……馬車に鍵でもかけておくべきだった。物が盗まれるよりも性質が悪いかもしれん。
「……ヤシロ。ソラマメの美味しい食べ方、何パターンくらい知ってる?」
「…………ジネットに聞いてくれ」
ソラマメ……どうやって食ってたかなぁ…………塩茹でくらいしか思い浮かばない。いや、何かあるはずだ。思い出せ…………女将さんの知恵袋に、きっと何かいい情報が眠っているはずだ…………思い出せ、俺!
「豆のことはそれくらいにして、領主どもに会いに行くぞ。問題は、水門と賠償……どちらも譲るわけにはいかん問題だ。気を引き締めろ、二人とも」
「――はい。そうですね」
エステラの表情が引き締まる。
そんな様を見つめていると――
「カタクチイワシ」
――ルシアに名を呼ばれた。
「そんな、『気を引き締めるついでに胸まで引き締めちゃって、ぷぷぷっ』みたいな顔で見てやるな、気の毒だ」
「見てねぇわ!」
「……ヤシロ……君って男は……」
「だから、見てねぇって!」
「エステラ様。それよりも、ルシア様にかなり酷い暴言を吐かれていたことにお気付きください」
「え? ……あ、そうか!」
「さぁ、今こそ、『人のことが言える胸か、このなだらかおっぱい。コインが挟めるようになってから言え』と反論してください」
「いい度胸だな、エステラよ!?」
「落ち着いてほしい思う、ルシア様。ナタリアさんのもの、今の発言は。そして、『五十歩百歩』思っている、ここにいるみんなが」
「「誰が五十歩百歩だ!?」」
「とりあえずお前ら……全員酷いな」
俺がドン引きしてるって、誰か気付けよ。領主の館でなんの話してんだ、お前ら。
つか、気を引き締めろよ。
「鍵がかかるならしっかり施錠しとけよ。これ以上増えられても捌き切れん」
「了解した、私は。しっかりとかけておく、鍵を」
「あと、『BU』の連中が集まってるみたいだけど……そいつらが各々『手土産だ』とか言って豆渡してこないだろうな?」
「それは大丈夫だ。あくまで、『自区内での消費』にノルマがあるだけで、外に持ち出しては意味がないからな」
……なんというか、ガキが決めたみたいなルールだな。
制度として未熟なんてもんじゃねぇだろ、それ。
「んじゃ、行くか」
「そうだね。みんなとの約束もあるし、四十二区にとって有利になるよう頑張ろう」
拳を握り、エステラが力強く言う。
「我々も、くだらぬやっかみで損益を出さぬよう、気合いを入れねばな」
「了解している、私は」
ルシアとギルベルタも気合い十分だ。
「では、まいりましょう。僭越ながら、入り口までエスコートさせていただきます」
姿勢を正し、戦闘モードのナタリアが俺たちを先導するように歩き出す。
敷地内にいる者たちがこちらをチラチラと窺っているが、毅然と進むナタリアに気後れしているように見える。
その後ろにはルシアもいるわけで、こいつらが揃って本気オーラを出すとかなりおっかない。
もし、こいつらと面識がなく、いきなりこのオーラを浴びせられたら、俺なら一時退却を選択する。それほどまでに隙がない。
まったく、大したもんだよ、こいつらは。
――と、そんな二人の背中を見つめ、エステラが少し悔しそうな表情を浮かべる。
「ボクも……いつかはあぁいう威厳が出せるように……」
「無理すんなって。あぁいうのは、一種の才能だから」
「でも、ボクだって領主なんだし、いつかは……っ!」
「お前はお前のいいところを伸ばせばいいんだよ」
エステラが他人を寄せつけないオーラを撒き散らす様なんて想像出来ない。
こいつは、他人に寄り添って、誰より身近に立って一緒に悩みを解決してくれる、そんな領主であるべきだ。
「ナタリアはお前を裏切ったりはしない。なら、役割分担でいいじゃねぇか」
「……そう、かな?」
「そうだよ」
「……うん。そうだね」
エステラには、エステラにしかない武器がある。
そして、その武器は――初見の俺を一時撤退させる『だけ』のこいつらのオーラよりもはるかに強力で手強いものだ。
お前は自信を持っていい。
俺を、こんなところまで引っ張り出せる、その能力をな。
……ま、教えてやらないけど。
「ようこそ、三十五区領主、ルシア・スアレス様。四十二区領主、エステラ・クレアモナ様。お待ちしておりました」
館の入り口に、眩しいくらいの銀髪をした美女が立っていた。
ピンと伸びた背筋、決して大きくはないのに耳にはっきりと届くよく通る声、そして主張し過ぎない明確な存在感。
おそらく、この館の給仕を取り仕切る長なのだろう。
心なしか、ナタリアとギルベルタから張り合うような闘気が発せられている気がする。
「我が主の元へご案内いたします。こちらへ……」
姿勢を崩さず振り返り、銀髪の給仕長が俺たちを館へと誘う。
入り口の左右に控え大きなドアを開け支える給仕も、まるで無機物のように存在感を消し影に徹している。
ナタリアの顔をそっと窺い見ると、給仕たちの所作、立ち居振る舞いを余すことなく素早くチェックしている。対抗意識でもあるのだろう。
「ヤシロ様……」
俺の視線に気が付いたのか、姿勢を崩さないまま、ナタリアが俺だけに聞こえる小さな声で話しかけてきた。
「給仕長がナンバーワンでEカップです」
「どこ見てたんだよ、お前!?」
「ヤシロ様と同じところを、です」
「勝手に人の視線の行き先決めつけてんじゃねぇよ」
俺レベルになると、わざわざ見なくても、歩く時の音で分かんだっつうの。
長い廊下を進み、仰々しい扉の前へとたどり着く。
入り口をこんなにデカくする必要があるのかというような大きさのドアが威圧感たっぷりに立ち塞がっている。
「こちらで主がお待ちです。どうぞ、お入りください」
給仕長の礼に合わせて、ドアの両サイドに控えていた給仕たちが音もなく動き、ドアを静かに開く。
開け放たれたドアの向こうには大きく長いテーブルが置かれており、横一列に七人の偉そうな連中が座っていた。
まるで、裁判官と陪審員の前に連れ出された被告人のような立ち位置だな、俺ら。
「ようこそ、二十九区へ。さぁ、席に着きたまえ」
居並ぶ領主たちの前に、二回り以上小さなテーブルが置かれている。椅子は二脚。
座席からしてこちらが目下だと主張している。それを対面させて、圧力でもかけるつもりなのだろう。
「失礼する」
ルシアが短く言い、エステラはそれに同調するように軽く会釈をしてから椅子へと腰を下ろす。
四等級貴族と言えど、こちらが必要以上に遜るような必要はないようだ。
ルシアの態度は、同等の貴族に対するそれであり、エステラも下手な発言を避けるいつもの対応だ。
それが気に入らないのか、七人の領主の中にはあからさまに顔をしかめた者もいたが……
『BU』の面々に向かい、左手にルシア、右にエステラが座る。
ルシアの左斜め後ろにギルベルタが立ち、エステラの右斜め後ろにナタリアが立つ。
自然と、俺が両給仕長の間――中央に立つ格好になった。
目の前の領主たちも、各々給仕長と思しきものを傍らに従えている。
先ほどの銀髪美人が七領主のウチ、中央に座る男の背後へと近付き立ち止まる。
あいつが二十九区の領主か。
壮年と呼ぶには少し若く、二十代の中頃に見える。
その男が、堅苦しくも威圧的な声音で言葉を発する。
「さて。本日、わざわざ来てもらったのは他でもない……」
テーブルに肘をつき、胸の前で指を組む男は、会社の重役のような態度でこちらを睥睨すると明確な言葉で要求を突きつけてきた。
「そなたらの過失によってもたらされた水不足の賠償を支払ってもらう。これは既に決定されたことであり、いかなる反論も持ち出す余地はないことを、そなたたちは心しておかなければいけない」
高圧的な言葉はなおも続く。
「こちらの求める賠償を速やかに手配し、深い反省の元に納めるのであれば、今後も我々は良好な関係を持続することが可能であろう」
わざわざ呼びつけておいて、「これは決定事項だ。文句を言わずにすべて飲み込め」という通告だけとは、礼に欠けるなんてレベルじゃない。
時と場合によっては宣戦布告と取られても文句は言えない所業だ。
「こちらの要求する賠償内容は、各区ごとに書類にまとめてある。そちらを見て可及的速やかに対応することを望む」
「あの、少しいいでしょうか」
エステラが小さく手を上げ、発言権を求める。
すると、二十九区の領主は表情一つ変えず、まるでセンサーに反応があった機械のように淡々と言葉を口にする。
「かの者の発言を許可してもよいと思う方は挙手を」
その言葉を合図に、七人のうち二人が挙手をする。
いきなり多数決が始まった……なんだ、こいつら?
そこで初めて、二十九区の領主が顔の向きを変える。
「理由を伺っても?」
手を上げた一人の女性に、二十九区の領主は視線を向けている。
ちなみに、二十九区の領主は手を上げていない。
「彼女は四十二区の領主であり、おそらく、発言の内容は水門に関することだと推察されます。水門は四十二区にとっては死活問題となるため、ここで意見を封殺するのは得策ではないと考えました」
「ふむ……」
アゴを押さえ、二十九区の領主は数秒黙考する。
「反対意見は、ありますか?」
その問いには、誰も答えない。
「では、改めて。かの者の発言を許可してもよいと思う方は挙手を」
今度は七人中六人が手を上げた。
二十九区の領主も手を上げている。
「賛成多数。よって、かの者の発言を許可します」
そう宣言したのち、二十九区の領主はエステラへと向き直る。
「発言を許可する」
「……ど、どうも」
これには、エステラも戸惑いが隠せないようだ。
こちらを完全無視して勝手に議論を始め、多数決によって発言の許可を下ろす。
それも、まるでプログラムを組み込まれた機械人形のように最適化された無駄のない動きで。……穿った見方をすればルーチンワークのように簡略化されたやっつけ作業のようでもある。
こいつらが、日常的にこういうことを行っている証拠だ。
なんとも言えぬ……不気味な連中だ。
笑顔もなければ私語をする者も、だらけた姿勢をする者もいない。
全員がピシッと姿勢を正し、無表情でこちらを窺っている。
ホラーだな、まるで。
「水門の件は、当然気になるのですが……」
「水門は既に開放されている」
「えっ……?」
エステラの話の途中で、カミソリのような鋭利な言葉で二十九区の領主が結果を告げる。
水門はすでに開いているらしい。
「そなたらの訪区は事前に聞いていた。水門は、あくまで今会談へ出席してもらうための方策であり真の目的ではない。よって、訪区が確認された時点で開放させた。安心するがいい」
「……ど、どうも」
なんと言っていいか分からない。エステラはそんな顔をしている。
取りつく島がない、とでもいうのか――こいつらの話し方は常に自己完結している。こちらの意見など聞く耳を持たないということなのだろうが。
「水門が開かれたのなら、安心です」
「では、以上で閉会と……」
「いや、待ってください! もう一点! ボクが言いたいのはこっちがメインなんです!」
さっさと締めようとする二十九区の領主に食ってかかるエステラ。
立ち上がり、テーブルに手をついて身を乗り出す。
「ボクたちは……」
「かの者の発言を引き続き許可してもよいと思う方は挙手を!」
エステラの言葉を掻き消すような勢いと大きさで、二十九区の領主が再び挙手を求める。
今度は五人が挙手をし、そのまま可決となった。
……いちいちやるのか、多数決?
勢いを削がれたエステラは立ったままながらも、はっきりとトーンダウンして自分の主張を訴える。
「ボクたちが水不足の原因であるという根拠が希薄であり、到底受け入れられません。賠償をはじめ、こちらに対する対応の再考をお願いします」
エステラが話をしている間、ルシアはただ黙って対面する領主を睨みつけていた。
こいつ一人で向こう七人と同等レベルのオーラを発しているのではないかと思えるほど、ルシアからは攻撃的な波動が放出され続けている。
「ならば、証拠の提示を求める」
「…………へ?」
それは、事前に決定されていたことなのか、多数決も仲間内での協議もなく、二十九区の領主がこちらへ反論してきた。
「そなたたちの行った『花火』というものが今回の水不足を引き起こしたのではないという証拠を示すようにと言っている」
それを証明するのは、ほぼ不可能だ。
仮にもう一度花火を打ち上げて翌日に雨が降ったとしても、「今回は雨が降ったが、以前の水不足の原因でないことの証明にはならない」と言い逃れされるだろう。
わざわざ『今回の水不足』と限定している点から考えても、そういう難癖をつけるつもりに違いない。
エステラの口が止まった。
どっちにせよ、今すぐそんな証拠は出せない。
俺はエステラの肩に手を載せる。
相当緊張していたのか、手が触れた瞬間、エステラの肩がびくんっと跳ねた。
ゆっくりとこちらへ首が向く。
「……一度持ち帰ろう」
「……うん、そうだね」
水門は開かれたようだし、『BU』の連中と面通しも出来た。
『BU』の歪な形態も少しだが感じることも出来たしな。作戦を練り直すにはいいタイミングだろう。もともと、水門のために取り急ぎ駆けつけたわけで、もう少し情報を集めたいと思っていたところだ。
「では、証拠を示すか、要求に応じるか、どういう対応を取るかを持ち帰り協議してくる」
氷のような声でルシアが言い、音もなく立ち上がる。
立ち上がる際に、絶好のタイミングでギルベルタが椅子を引いていた。すげぇな、ギルベルタ。
「そなたらは、猶予がそれほどないことを理解しなければいけない。あまり待たせるようであれば、再び水門を閉じることになるだろう」
「…………」
エステラの唇がきゅっと引き結ばれる。
「そなたたちは、こちらはいつでも川を堰き止めることが可能であるということを、正しく理解しておかねばならない。また同様に、海漁ギルドの関税を上げることも容易いことであることも、重要な情報として認識する必要がある。話は以上だ。お引き取りを」
二十九区の領主の言葉を合図に、出口のドアが開かれる。
結局、名前すら名乗りやがらなかった。
ここまで分かりやすくケンカを売ってくるヤツは久しぶりだ。
「行こう」
俺たちにだけ聞こえる声で、ルシアが囁く。
俺とエステラは同時に首肯し、その後に続く。
部屋を出る前に、もう一度『BU』の連中の顔を見ておいてやる。
また、会うことになるだろうが…………とりあえず、覚えさせてもらったぞ、お前たちの顔を。
部屋を出ると、速やかにドアが閉められ、俺たちと『BU』の領主たちは隔絶された。
今頃、ドアの向こうで「はぁ~、緊張した~」とか言っているなら可愛げもあるのだが……そんなこともなさそうだ。ドアの向こうは、まるですべてが凍りついてしまっているかのように無音で、なんの気配も感じられなかった。
「ヤシロ様……」
室内では終始無言を貫いていたナタリアが、俺の隣へやって来てこそっと耳打ちをする。
「向こうのテーブルにいた、女性をご覧になりましたか?」
領主の中に一人だけ女性がいた。挙手をして、エステラの発言権を許可するよう求めたヤツだ。
「彼女なのですが…………Aカップでしたね」
「お前、何見てたの、だから!?」
「女領主はみんな貧乳説に説得力が増しましたね!」
「うるさいよ、ナタリア!」
「無礼だぞ、給仕長!」
即座にエステラとルシアに噛みつかれているナタリア。
「ルシア様は、領主界では巨乳派なのですね」
「む……うむ、そうなるかもな」
しかし、ルシアがあっさりと寝返った。いや、陥落した。
……安いなぁ、お前のプライド。
「とりあえず、それぞれの区に戻ろう」
「そうですね。協議はまた後日にしましょう」
一度三十五区へ寄り、その後馬車で四十二区まで送ってくれるということになった。
少し遠回りになるが、ルシアの馬車は速いから、そっちの方が助かる。
「明日、改めて四十二区へと赴く」
「そんな。ルシアさんにばかり負担をかけては申し訳ないですよ。今度はボクの方から出向きます」
「陽だまり亭に行きたいのだっ!」
ルシア、渾身の叫びである。
そして、「分かってるな、カタクチイワシ!? ピーナッツバター、作っとけよ!」というメッセージが込められた視線を俺に向ける。……分かってるよ。
「陽だまり亭に行けば、美味い料理を食べながら、可愛い虫人族の触角をぷにぷに出来るからな。基本的に私がそちらに赴くようにする」
「悪いな。うちではそういうサービス行ってねぇんだわ。出禁にすんぞ、この変態領主」
そうして、俺たちは二十九区を離れた。
その前に、俺たちの前に大量に停められている各区領主たちの馬車を退かせて、ルシアの馬車を外に出すという非常に面倒くさい作業があり、その作業に当たってくれた業者の人間から「サービスです」と、……豆をもらって、俺たちはようやく二十九区を離れることが出来た。
……マジで、どうしろってんだよ、この大量の豆…………
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