160話 川の異変

 デリアに連れられ、俺は川へとやって来た。


 二日間降り続いた豪雨によって、以前よりかは幾分水量が増している。

 薄く濁った川が勢いを増して流れている。

 だが。


「水量が、あまり増えていないな」


 思ったよりも水が少ない。本来なら、もう少し水位は上がっているはずだ。


 各所に点在する溜め池は、この雨でそれなりに水位を回復させていた。まだ安心とまではいかないが、とりあえず危機的状況は乗りきった、そのレベルの貯水量にはなっている。おおよそ30%というところか。

 溜め池の水位を安定させるためには、川からの放水が必要になる。


「エステラを呼んだ方がいいかもしれないな」


 四十二区はもとより雨量の多い地域だ。一番低い位置になることも相まって、毎年この時期には相当量の水が流れ込んでくる。

 そのため、各貯水池の容量はかなり多めに取られている。


 極端な話、貯水池の水が40%程度あれば生活には事欠かない。

 残りの60%分は、多過ぎる水を溢れさせないための『水害のための対策』なのだ。


 なので、パッと見では少なく感じても、生活に支障がなかったりするのだが……今の川はその『ちょっと少な目』を優に超えている気がする。


「だから、川が流れてこないんだよ」


 デリアが川上を指さして訴える。


 陽だまり亭に来た時からデリアは焦りの色を隠さず、しきりに同じことを訴えている。

 要領を得ないため、実地調査に来たわけだが……

「川が流れてこない」ってのは、「水位が戻らない」ってことじゃないのか?


「あれだけ雨が降れば、川の水は倍になってるはずなんだ」

「今年は渇水気味だったから、予想より水位が増えなかったってことだろ?」

「そうじゃない! 四十二区に雨が降ったってことは、上の川でも雨が降ったってことだろ?」


 上の川……ってのは、二十九区のことだろうか。


「上の川とここの川、二つ分の川の水がここに流れてくるはずなんだ!」


 単純に二倍というわけではないだろうが、あの雨量からすれば、確かに少ない気がする。

 上の川……二十九区で何かあったのか?


「ニュータウンに行ってみるか」

「上流だな! よし、森を突っ切るぞ!」

「ちょっと待て! 街道を通った方が早いだろう!」


 河原を上流に向かって駆け出すデリア。

 この川の上流は深い森の中へと続いており、その原生林は野生の獣が棲む危険で険しいプチジャングルだ。

 こっちの森は四十二区の崖側に広がり、湿地帯へと繋がっている。

 生花ギルドの手が入っていない、生まれたままの野生の森だ。そこを突っ切るのは、デリアでもなければ相当苦労を強いられる。


 幸い、川の上流は森を抜けてニュータウンへと出ている。

 整備された道を行った方が早い。俺が一緒の場合は特に。俺は都会っ子だからな。


「そうか、ロレッタのヤツが堰き止めてるんだな……アイツめぇ、意地悪しやがってぇ……!」

「いや待て待て。そんなわけないだろう?」

「もしロレッタが意地悪してるんだったら、お尻ぺんぺんしてやるっ!」


 痛そうだな、デリアのお尻ぺんぺんは。


「堰き止めてるのがウーマロだったら?」

「……尻を、潰すっ!」


 手加減一切なしだな。行為は同じなんだろうけど。


「まぁ、あいつらが川を堰き止める理由なんかねぇよ。もっと別の問題があるはずだ」

「なぁ、ヤシロォ……」


 途端に不安げな表情を見せるデリア。

 ……な?

 一回甘やかすと、すぐこういう顔するだろ?


 だから俺は言ったんだよ、安易に甘やかすのはよくないって。

 そもそも、もし俺が四十二区にいなければ、今回の問題は領主とギルド長であるデリアで解決しなきゃいけない問題だったんだぞ。


 デリアには、もうちょっとしっかりしてもらわないといけない。


 だから……


「俺が一緒に考えてやるから、そんな顔すんなよ」

「……うん」


 ……こういう時の対処法をデリアに教え込んでおこう。今後一人でちゃんと出来るように。

 その方が、後々の手間が省けるし、川漁が円滑に進んだ方が陽だまり亭的にもメリットがあるからな。

 今回は、やり方をレクチャーしてやる。それだけだ。


「へへ……ありがと、な。ヤシロ」


 何がそんなに嬉しいんだか。

 デリアは肩をすぼめて口元をにまにまと緩めている。


「ヤシロはさぁ、『大切な人』には優しいんだよな?」


 そんな過ぎた会話は忘れちまったな。

 ……『精霊の審判』に引っかかるから口にはしないけど。


「ふへへ…………くひぃ」

「川の一大事なんだろ。……さっさと行くぞ」

「おう!」


 ……まったく、嬉しそうな顔しやがって。こんな時だってのに。

 にやにやの止まらないデリアに発破をかけ、俺たちは河原を後にした。







 河原を離れ街道へと入った辺りで、俺たち目掛けて走ってくるヤツがいた。


「おにーちゃーん!」


 ……………………ンンンンドギュンッ!


 みたいな音が俺の隣を駆け抜けていく。

 ……速い、速いよハム摩呂。


「ほちょっ!? お兄ちゃん、突然の、消失やー!」


 あっという間に通り過ぎ、もうすでに豆粒くらいの大きさになっているハム摩呂が向こうの方でなんだか慌てている。……お前自身が自分の足の速さに対応出来てねぇのかよ。


「ハム摩呂ー! いいから戻ってこ~い!」

「うんー!」


 こちらに気が付き、先ほどよりも控えめの速度で戻ってくるハム摩呂。

 ……そういや俺、なんで一目でこいつをハム摩呂だって認識出来たんだろう? 見た目ほとんど他の弟たちと変わらねぇのに。……なんというか、雰囲気?


「おにーちゃーん!」


 大きく手を振って俺の前までやって来たハム摩呂が、こてんと首を傾ける。


「……はむまろ?」

「あぁ、よかった。人違いじゃなかったようだな」


 この反応をするのはハム摩呂だけだ。

 間違いなくこいつはハム摩呂だ。


 あぁ、怖い怖い。こいつらを見分けられるようになったら、俺、ロレッタファミリーの一員みたいに思われちゃうな。


「おにーちゃん。我が家の、一大事やー!」

「何があったんだ?」

「それがねー」

「ちょっと待てよ、ハム摩呂!」

「あー! 親方ー!」


 たった今気が付いたかのように、ハム摩呂がデリアに向かって両腕を広げる。

 なんか懐いているようだ。……他の弟たちは怯えていたみたいだけどな。


「ハム摩呂! お前、ダメだぞ!」

「はむまろ?」

「ん? 違うのか?」

「ちがうの?」

「ん?」

「ん?」

「同じレベルで会話すんなよ、お前ら。俺が置いてけぼりになってんじゃねぇかよ」


 もう、そいつはハム摩呂だから話を進めろよデリア。

 何が言いたいんだよ。


「ヤシロはあたいのお願いを聞いてくれるんだぞ。お前はあとだ」

「何番目?」

「え? ……っと、よ、四番目!」

「あと二人、俺は誰のお願いを聞かなきゃいけないんだよ……」


 増やすなよ、勝手に。


 なんとなく、デリアとハム摩呂を近くに置いておくと話が一向に進まない気がしたので、ハム摩呂の話をさっさと聞き出してしまうことにする。


「で、何があったんだよ?」

「川の水の、出社拒否やー!」


 ハム摩呂の言葉に、デリアの目が見開かれる。

 驚きと不安が綯い交ぜになった顔をこちらに向ける。


「ヤシロ……っ、早く、早く行こう!」

「まぁ、落ち着け! とりあえずハム摩呂の話を聞いてからだ」

「行きながら聞けばいいだろう! ハム摩呂! ほら、来い!」

「そんなに焦っても仕方ないだろう。平常心を失うと、思わないところで手痛いミスをしかねないぞ。いいから落ち着け」

「でもさぁ……!」


 川のことが心配で、デリアは今盛大に焦っている。不安に塗り潰されそうになっている。

 そんな状況で衝撃的な光景……例えば、川の水位が下がっているとか、滝が細くなっている様なんかを見たら……どんな暴走を起こすか分かったもんじゃない。

 ハムっ子たちみたいに「崖を崩そう!」とか言い出しかねないし、デリアが本気になったら壊せてしまうかもしれないから厄介だ。


 ここは、あえてこの場でハム摩呂の話を聞いて、一度頭をクールダウンさせてやった方がいい。


「ハム摩呂。落ち着いて、順を追って話してくれ。ニュータウンで何があったのか。お前は何を見たのか。それから、家族の一大事ってのはなんなのか。それを一個ずつ答えるんだ」

「うんー!」

「あぁ、もう…………もどかしい」


 お気楽な表情のハム摩呂を、苦渋に満ちた表情で見つめるデリア。

 デリアは、こういう場面での『我慢』を覚えて身に付けるべきだ。

 今後、こういうトラブルを一人で解決出来るよう成長するためにはな。


「雨上がるまで、川禁止されてたー!」


 確かロレッタが言っていたな。「水の勢いが増して危険だから弟妹に川遊びを禁止している」とか。小さい子が真似をするから、全弟妹揃って禁止にしていると大雨の日に言っていた。


「雨やんだから、今朝みんなで川遊び行ったー!」

「それで!? 川はどうなってたんだ!?」

「デリア。急かしてやるな。ハム摩呂のペースで話させてやれ」

「むぅ~…………!」


 デリア、こらえろ。

 お前のためにもなるから。


「滝、ほとんどなくなってたー!」

「なっ!?」


 声を漏らしたのはデリアだったが、さすがに俺も驚いた。

 滝が……なくなった?


「こ~~~んな細い水がちょろちょろしてたー!」


 親指と人差し指で輪を作り、それをギュッと萎めてみせるハム摩呂。

 それはいくらなんでもオーバーだとしても、滝の様子が激変したというのは事実だろう。

 ちょろちょろか……


 四十二区の上――二十九区で何かが起こっているのか…………はたまた、誰かが何かを『仕出かしやがった』のか?


「ヤシロ! もう行こう! 早く行こう! あたい、もう我慢出来ないよ!」

「待て! 最後にもう一つ!」


 ハム摩呂がもっとも訴えたかった話をまだ聞いていない。


「お前の家族の一大事ってのはなんだ?」

「水浴びが出来ないー!」


 しょーもな!?


「川で浴びろよ……」

「川の水も少ないから、入っていいか悩み中ー!」


 悩み中?

 悩んでた、じゃないのか?

 今現在も滝のところで悩んでるというのだろうか。


「おねーちゃんが、すっぽんぽんで悩み中ー!」

「デリア、急ぐぞっ! ハム摩呂も来いっ!」


 ハム摩呂を小脇に抱えて、俺は運動神経にムチを打って全速力で走り出す。


「ちょっ!? ヤシロ! 急にどうしたんだよ!?」


 ロレッタがすっぽんぽんで悩んでいるんだぞ!? 覗き……もとい、助けに行かなくてどうする! それも今すぐに!


「焦ってもしょうがないんじゃなかったのかよぉー!?」

「こうして立ち止まっている間にも、状況は刻一刻と変化しているんだ! 時は金なり! 俺たちには、立ち止まっている時間なんかないだろうぉぉがぁぁああ!」


 俺は今、風になるっ!


 暴走機関車も真っ青な激走で、俺はあっという間にニュータウンへとたどり着いた。







「あー! おにーちゃーん!」


 脇目も振らず滝へと直行した俺を出迎えたのは、バスタオル一枚だけを体に巻きつけた、妹だった。


「おねーちゃーん! おにーちゃん呼んできたー!」

「えらいー! ほめてつかわすー!」

「妹じゃねぇか!?」

「ん? ウチのおねーちゃんやー」

「ウチのおとうとやー!」

「いや、ハム摩呂から見たらお姉ちゃんなのかもしれねぇけどさっ!」


 お前らが「おねーちゃん」って言うと、ロレッタかと思うだろうが、普通!?


「おねーちゃん、はしたない格好やー」

「お嫁に行けなくなった、瞬間やー!」

「行け行け! お子様の裸なんか物の数に入るか!」


 しかもバスタオル巻いてるしな! ノーカンだノーカン!

 こんなもんで喜ぶのはハビエルくらいのもんだ!


「…………疲れた」


 大量分泌されていたアドレナリンが一瞬で蒸発して体内から消失した気分だ。

 疲労感がどっと体内から押し寄せてきた。……あ、心臓ヤバイ。破裂する。……吐く。


「おぃい! ヤシロぉ! あたいを置いていくなよなぁ…………って、どうしたんだ?」

「悲しい現実との、ご対面やー!」

「ん? あれ? 妹じゃねぇか。ロレッタは?」

「おねーちゃん、陽だまり亭ー!」


 そうだよな!

 だって、教会の飯から帰った直後にデリアが来てそれからいろいろしてたから、そろそろロレッタが陽だまり亭に出勤してくる時間だ。

 ここにいるわけないんだよな!

 ちょっと考えたら分かったことなのに、チキショウ!


「ぬゎぁああっ!?」


 俺が、ちょっと立ち直れないくらいの脱力感に襲われて地面と睨めっこをしている横で、デリアが腹の底からの絶叫を上げる。オメロが聞けば、マンドラゴラの十倍の確率で魂を抜かれてしまいそうな絶叫だ。


「ヤ、ヤシ、ヤシロッ! あ、あれっ! あれ見ろ、あれぇ!」


 乱暴に肩を掴まれ、揺すられ、体をぐわんぐわん揺さぶられながら、俺は重たい頭を持ち上げてデリアの指さす先に視線を向ける。


「…………えっ?」


 そこには、ちょっとばかり信じがたい光景があった。


「……マジで、滝が、ない」


 ハム摩呂の話は大袈裟でも誇張されたものでもなんでもなく、本当に、滝が消失していた。

 言っても、水量が「落ちたなぁ」くらいの、細くなった滝があるのだろうと思っていたのだが……


 滝は、完全に止まっていた。


「ヤシロ……これ、ど、どど、どう、なってんだ? あたいに分かるように説明してくれ」


 そんなこと言われても、俺にも状況が分からないのだ。説明など出来るはずが……


「ヤシロォー!」


 ニュータウンに、エステラの声が響き渡る。

 切迫した、真剣な声が。


「エステラだぞ、ヤシロ。なんかあったのかな?」

「……だろうな」


 こちらに向かって駆けてくるエステラの手には、高級そうな羊皮紙が握られている。


 俺は立ち上がり、デリアも背筋を伸ばす。ただ事ではない空気を肌で感じたのだろう。

 ハム摩呂と、バスタオル姿の妹が俺の腰に縋りついてくるほどに、エステラの表情は鬼気迫るものがあった。


「大変なことになったよ……っ!」


 乱れる呼吸もそのままに、ほぼ瞬きもしないでエステラは言う。

 握られた書簡には、見たこともないエンブレムが描かれていた。


「本当は、領主間のいざこざは、ヤシロに頼らずにボクだけで乗り切ろうと思っていたんだけど……」


 そんな前置きと共に差し出された書簡に目を落とす。

 デリアも覗き込んでくるが、目が滑るのかすぐに顔を上げて俺の横顔を見つめることに徹したようだ。


「…………なんだ、これ?」


 どこに向けていいのか分からない、怒りにも呆れにも驚きにも似た感情がヘドロのように噴き出して喉に詰まる。

 言葉が出てこない。

 なんだこれ?

 どういうことだ?


「な、なぁ! ヤシロ、エステラ! 何があったんだよ?」


 デリアに急かされるも、俺自身この状況がのみ込めない。

 ここに書かれている言葉が俄かには信じられず、すぐには説明が出来なかった。


「あのな、エステラ! 今ヤシロは、あたいとハム摩呂のお願いを聞いて、なくなった滝をなんとかしようってしてくれてるんだ! 凄く重要で、凄く急ぎなんだよ! 面倒を持ち込むのは後にしてくれねぇかなぁ!?」

「その点だけは心配ないよ、デリア……」


 今にも倒れそうな、覇気のない声でエステラが言う。

 口元が微かに震え、乾いた笑みが浮かんでいる。


「ボクの持ち込んだ面倒ごとも、この滝のことだからさ……」

「へ? 滝がなくなったことと、関係あることなのか?」

「関係あるどころか……」


 あまりにも意味不明で、解決の糸口が見えない時、人は笑みを漏らすことがある。

 今はまさにそんな時だ。


「二十九区から通達が来たんだよ。まぁ、正確には、二十九区を含む領主たちの連名だけれどね……」


 エステラの声が、歪に震える。

 俺も、笑っちまいそうだ……だってよぉ――


「二十九区にある川を、水門で堰き止めたらしい」

「はぁっ!? なんでだよ!?」


 その堰き止めた理由ってのがよぉ――


「『四十二区が異常気象を引き起こし、水不足を招いたから』……だ、そうだ」


 ――そんな、意味不明な理由なんだからよ。


「……ぇ、え? どういう、ことだ?」


 デリアの視線がエステラからこちらに向けられる。

 だから、俺はここに書かれている、『四十二区が異常気象を引き起こす原因となった愚行』とやらを読んで聞かせてやる。


「『四十二区が【打ち上げ花火】なる兵器を使用し、空への集中砲火を行ったため雲が消失し、此度の旱魃(かんばつ)が引き起こされたものと認定し、これによる損害賠償を求める』……だそうだ」

「花火……って、あの、花火か?」


 ウェンディたちの結婚式の時に俺たちが盛大に打ち上げた花火。

 あれのせいで雲が焼き払われたと、こいつらは言うのだ。

 その結果、この旱魃が引き起こされたと……


 それを賠償しろと……

 脅しではないと証明でもするためか、水門まで閉じて川を堰き止めたと……


「…………バカなんじゃねぇの、二十九区?」


 それは、俺にしては珍しく、心から漏れ出した言葉だった。

 素の感情を他人にさらすなんて、詐欺師にはあっちゃいけないことなんだが……


「明日の午後、二十九区まで話を聞きに来いって、向こうは言ってきているんだ」

「まぁ、言われなくても殴り込んでやりたいところだが……」

「ヤシロ……」


 エステラが申し訳なさそうな表情を見せる。

 どこか悔しそうでもあり、ほんの少し泣きそうだ。


「力を、貸してくれないかな。今回の相手は本当に厄介なんだ」


 書簡には、七人の名前と共に『BU(ビーユー)』というマークが刻印されていた。

『BU』?

 さっきエステラは「二十九区を含む、領主たちの連名」だと言った。連名…………連盟?


「……また、ヤシロを巻き込んでしまうことになるけれど……花火のことは君の方が詳しいし……絶対に失敗出来ない交渉になりそうだから……だから……」


 拳を握り、唇を噛み締めて、エステラが苦しそうに言葉を紡ぐ。

 ……アホめ。


「今更だろ。水車の時なんか、完全に丸投げだったじゃねぇか」

「あれはっ、……だって、四十二区のみんなはヤシロのこと好きだし、いざとなればボクの力でいくらでもカバー出来ると思ったから……」


 けれど、今回俺を巻き込もうとしている事案は、こちらを敵視したいやらしい連中であり、いざという時に手を打てない可能性の高い不透明な交渉だと、そういうわけか。


 エステラは、領主の座に就いて以降、領主間の交渉に関して俺を頼ることはほとんどなかった。

 領主になり、己の職務に真正面から向き合っていると、ナタリアから聞いたことがある。

 俺に声をかける時は、本当にどうしようもなくなった時。


 自分の意地なんかより、四十二区の領民を最優先に考えて、そうするのがベストだと判断した時だけだ。


 もしかしたら、エステラは足漕ぎ水車くらいは思いついていたかもしれない。

 ウーマロが、「二十九には水車がある」と言っていたからな。エステラなら、それを見たことがあっても不思議ではない。


 その上で、困った四十二区の連中を救うのに俺を担ぎ出した。

 いつものように「さぁ、お手並み拝見」というスタンスで。


 ……こいつの魂胆なんか、俺にはお見通しなんだがな。


 どうせお前はあれだろ?

 四十二区の住民を俺が助ければ、俺の株が上がる。砕けた言い方をすれば、俺のことを好きになる。

 俺が領民に好かれれば――もう勝手に俺が四十二区を出ていけなくなる。

 ジネットたちだけじゃなく、もっと多くの者を大切に思うようになれば、俺の足はここから離れにくくなる……なんて、そんなことを考えてるんだろう。


 そうやって人に気を遣って……俺に気を遣って……、限界まで一人で踏ん張って、いつもふらふらになってんだろ?

 アホめ。


「手遅れになる前に助けを求めたことだけは評価に値する」

「う……なにさ、その言い草は……」


 もっと気楽にやれっての。この新米領主。

 最初からなんでもかんでも上手くいくと思うなよ。


 上手くいくようになるまでは、多少の無茶は聞いてやるよ。

 四十二区が脅かされると商売どころじゃなくなるし、俺の利益が減るからな。


 それに……


 まぁ、お前も、結構『大切なヤツ』だったり、するしな。



「この書簡を読んだだけで嫌ってほどに感じたんだが……」


 手にした書簡をぴらぴらと揺らし、警告は発しておく。


「こいつら、俺らから搾取するつもりだぞ。ありとあらゆる脅しをかけて」

「……うん。だと思う」


 なら、エステラ一人では不安だ。

 こいつは、他の領主と違ってからめ手を不得手としている。

 いつも真っ直ぐ、誠心誠意、実直に対応するしか出来ない甘ちゃんだ。


 ジネットに負けず劣らず『カモい』んだよ、お前は。


「どんな連中かは知らんが……」


 堰き止められた滝の、そのもっと向こうへと睨みを利かせる。

 胸を張って、腕を伸ばして二十九区を指さして宣言する。


「買ってやるぜ、このケンカ。俺を敵に回したことを、後悔させてやるっ!」



 久しぶりに……しゃぶりつくしてやろうじゃねぇか、カモ共を、骨の髄までな。



「……ヤシロ、顔が悪の親玉みたいだよ」

「失敬だな」

「事実を述べたまでだよ。……けど」


 まだ硬さの残る笑みが俺に向けられる。


「そんな顔を見てホッとしてしまう、ボクも大概だけどね」


 肩をすくめて笑うエステラ。

 少しは、不安が晴れたようだな。


 さて……どうしたもんかな。この案件。


「なぁ、ヤシロ……あたい、今の話さっぱり分かんなかった。けど、気を引き締めなきゃいけないことが起こったってことだけは分かった」

「あぁ……あとでお前にも分かるように噛み砕いて話してやるよ」


 デリアの表情が引き締まる。

 川のこととなれば、デリアは他人事ではない。

 今のデリアの表情からは、鬼気迫る物を感じる。


 にも拘らず、俺の腰回りからは緊張感のない声が聞こえていたりする。


「おにーちゃん、あたしまだすっぽんぽんー!」

「服着ろ、風邪引くから」

「着てるー! お気にの、服やー!」

「うん、お前のことじゃないんだ、ハム摩呂」

「はむまろ?」

「……ところで、ヤシロ。このカオスなメンバーは、何チョイスなんだい?」


 俺がチョイスしたんじゃねぇわ。


 とりあえず、妹はハム摩呂と一緒に家に戻らせて、エステラとデリアを引き連れて陽だまり亭に戻ることにした。

 ちょっと飯でも食って、一度状況を整理したい気分だ。



 堰き止められた滝をもう一度見て、俺たちはニュータウンを後にした。






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