後日譚19 二人はいい子
「……おかえりにゃさいませ」
「…………マグダ、噛んだのか、今?」
「……にゃんのことにゃ?」
「あぁ……わざとなんだ」
セロンのところから戻った俺とエステラを、マグダが獣っ娘口調で出迎えてくれた。
ディナータイムのピークも過ぎて、夜はすっかり更けていた。店内に客の姿はなく、今日はこのまま店じまいになるだろう。
だからまぁ、これは何かの遊びなのだろう。
「いつの間に始まったんだ、獣っ娘フェア?」
「頑張ったヤシロさんとエステラさんへのサービスだそうですよ」
厨房からジネットが顔を出す。
手にお盆を持ち、こちらへと歩いてくる。
「夕飯、用意しておきました。食べてくださいね」
時刻は夜。
ちょうど腹が減っていたところだ。
「エステラさんも、よろしければ」
「いいのかい? 助かるよ。お腹ぺこぺこだったんだ」
図々しくもお言葉に甘える気満々のエステラ。
そういう時は「いえ、時間も時間ですので」って辞退しろよ。京都辺りじゃ『ぶぶ漬け』出されちまうぞ。
まぁ、ジネットの場合はそんなニュアンス微塵も含んでないんだろうけどな。
「お前らはもう食ったのか?」
「はい。いただきました」
「……今日のパスタは絶品だった」
「ふふ、ありがとうございます」
料理を褒められて、ジネットが嬉しそうな顔をする。
セロンのところで小一時間ほど話し込んでいたため、他のみんなは既に食事を終えてしまったようだ。
まぁ、夕飯時は客が増えるから、どうしても飯を食う時間がずれたりしてしまうってのは、いわば飲食店で働く者の宿命だ。
みんな一緒に食事ってのは、教会での朝食以外ではなかなか難しかったりする。
「お兄ちゃんにゃ。コーヒーの入れ方店長さんから教わったですにゃ。試しに飲んでですにゃ」
う~ん……ロレッタはいまだに「にゃ」をマスターしてないのか。
その「にゃ」を「じゃ」に変えるとババアみたいになるぞ。「ですじゃ」みたいな。
俺が席に着くと、目の前にコーヒーカップが置かれる。
エステラの前には、ジネットが紅茶を置いた。エステラはコーヒーより紅茶派だからな。
「忌憚なき意見を聞かせてほしいですにゃ」
朝、マグダが持ってきてくれたのは、自分で淹れた風を装ったジネットのコーヒーだったが、今回は本当にロレッタが淹れたようだ。
緊張した面持ちでこちらを窺っているロレッタ。
「どれ……」
ロレッタの淹れたコーヒーに口をつける……………………苦っ!?
「……お前、何した?」
「えっ? えっ? あの、て、店長さんに教わった通りの淹れ方をベースに……」
「『ベースに』……?」
「じ、自分なりのアレンジを……」
「余計なことすんなっ!?」
「にゃふぅっ!? お兄ちゃんが怒ったですにゃっ!?」
「にゃ」じゃねぇよ「にゃ」じゃ!
まずは基本に忠実に! アレンジはその先だ! 十年修行してから言いやがれ、アレンジだオリジナルだなんて言葉は!
「罰として、全部飲め」
「む、無理ですっ!? 普通のでさえ苦いですのに!?」
ってことは、普通より苦いって自覚はあるんだな……
「味見出来るようになってから淹れろ。それまでは禁止だ」
豆がもったいない。
ここ最近はコーヒーの需要も増えてきたんだからな。
コーヒーゼリーは、今や陽だまり亭の人気メニューだ。
コーヒー豆も無駄には出来ない。
「飲めないほど苦いのかい?」
「それほどではないが、飲む意味が見出せないレベルではあるな」
「あ、じゃあこうするですにゃ! ミルクとはちみつをたっぷり入れて……!」
「だから変なアレンジすんなってのに!」
甘ったるくなったコーヒーなんか余計飲めねぇわ。
「ヤシロさん。コーヒー、淹れ直してきましょうか?」
ロレッタの失敗作を見て、ジネットが窺うように聞いてくる。
ロレッタのコーヒーは、まったくもって飲めたものではないのだが…………
「いや、俺はこれでいい」
豆を無駄にするのも忍びないしな。
「お兄ちゃんっ!」
突然ロレッタが俺の首に抱きついてくる。
なんだよ、急に!?
「今度はちゃんと成功させるですっ! 美味しいヤツ飲んでもらうですっ!」
「あぁ、はいはい。言われた通りにしてりゃ、それなりのものは淹れられるからな」
「それなりじゃなく、ちゃんと美味しいやつを淹れるですっ!」
だから、そこで変に力むから失敗するんだっつの。
「飲む意味を見出せたようだね」
紅茶を片手に、知った風なことを言うエステラ。
なんだよ、飲む意味って。『豆がもったいない』以外にあるか、そんなもん。
「……ヤシロは甘々」
「あぁ、だから苦いコーヒーも飲めちゃうわけだ」
なんだそれ。上手いこと言ったつもりか?
……にやにやすんな。
ここでこのコーヒーを捨てたら、そりゃさすがのロレッタもへこむだろうなぁ、くらいのことしか考えてねぇよ。
マズいが飲めなくはないんだ。飲むさ、そりゃ。
そんで、これがいかにマズいかを切々と語り聞かせてやる。二度と失敗しないようにな。
「おい、マズッタ」
「酷いですっ!? そりゃ、このコーヒーはマズいかもしれないですけどっ! 他のものはちゃんと美味しく作れるですよっ!」
「コーヒーを飲むから離れろ」
「イヤです! 『オイシイッタ』って言うまで離れないです!」
いや、お前ロレッタだろう。
いいのかよ、『オイシイッタ』で……
「お二人とも、お食事は何にされますか?」
奥歯の奥が「いぃー!」ってなる一息つけないコーヒーを飲んで一息ついたところで、注文を聞かれた。
何を食うかは全然決めていなかったのだが……
「じゃあ、絶品のパスタで」
「あ、ボクも同じのを」
「はい。少々お待ち下さい」
ぺこりと頭を下げ、ジネットが厨房へと入る。
エステラは紅茶を飲んでくつろいでいるが、俺はロレッタに取り憑かれて全然くつろげない。飯が来るまでこのままじゃないだろうな?
そんな俺と俺の首に巻きつくロレッタを、マグダはジッと見つめている。
「……実は、店長もマグダと同じものを食べていた」
「パスタか?」
「……そう」
最近、パスタの人気が上がってきている。
発売当初は二軍扱いだったことを考えると胸アツだ。
「……つまり」
無表情のマグダの口角が「にやり」と持ち上がる。
「……ロレッタだけ仲間外れ」
「はぅっ!? そういえばあたし、今日はオムライスを食べたですっ!?」
「いいじゃねぇかよ、それくらい」
「なんかいやですっ! 店長さん! あたしにもパスタお願いするですにゃー!」
思い出したかのように獣っ娘を発揮して、ロレッタが厨房へ駆け込んでいく。
……夕飯を二回も食うな。
「マグダ。君、面白がっているだろう?」
「……ロレッタは、可愛い」
エステラのため息に「むふー」と満足げに答えるマグダ。
後輩いじりとか……お気に入りの子をいじめちゃうタイプか?
「ロレッタ、やめとけ。あとで一口やるから」
「いや、なんか、注文したらお腹空いてきたです。一人前イケるです!」
「……賄いを二人前も食うんじゃねぇよ。金取るぞ」
「にょにょっ!? じゃ、じゃあ、今日の閉店作業と、お風呂の準備と、寝る前の戸締まり、全部あたしがやるですっ! パスタ代、働いて払うです!」
「ロレッタ、必死だねぇ。ふふ……」
力説するロレッタを見て、エステラとマグダがニヤニヤしている。
なんだろう……ロレッタって、愛されてるのかいじられてるのかよく分かんねぇな。
まぁ、愛されるいじられキャラなんだろうけど。
「ヤシロ。もう食べさせてあげたら?」
「いや、つぅかさ……」
働くならパスタくらい食わせてやっても構わんが……というか、ジネットがなんだかんだ言って食わせてやるのだろうが……それよりも気になることがある。
「ロレッタ。お前、泊まるの?」
「ほぅ?」
「いや、戸締まりとか風呂の準備とか言ってるからさ」
「ギルベっちゃんが泊まるとか言い出した時から泊まる気満々だったですよ?」
「いやいや。ギルベルタ、帰ったし」
途端に、ロレッタの瞳が一回りくらい大きくなりうるうると潤み出す。
「も、もう心がお泊まりモードになってるです! この盛り上がった気持ちのまま帰るなんて悲し過ぎるです!」
「い、いやっ、泊まっていい! 泊まっていいけど、ちょっとなんでかなって思っただけで……あぁ、もう! マグダ、ロレッタの寝間着を用意してやってくれ!」
「……了解した」
「ぅわ~い! お兄ちゃんもマグダっちょも大好きです!」
はぁ、ビックリした……
何も泣かなくても……
「泊まる気でいて、それが無しになるってのは、そんなに悲しいもんなのか?」
「もちろんです! それはもう、一瞬目の前が真っ暗になるくらいです」
「そんなもんか?」
「そんなもんです!」
ロレッタの目は真剣だ。捨てられることを察知した子犬みたいな目をしている。
そうか、そんなになのか。
だとしたら、ギルベルタは相当寂しい思いをしたかもしれんな……
明日、ちょっとくらいはサービスしてやるか。あいつが何をすれば喜ぶのかなんて知らないけど……まぁ、なんかしてやろう。
「ふふっ。君も、女の子の涙の前では形無しだね」
「んなことねぇよ」
「今度ボクも泣いてみようかなぁ。それで君が優しくなるのなら」
「嘘泣きは『精霊の審判』に引っかからないのかよ?」
「さぁ、試したことないからね」
エステラが嘘泣きを武器にしたことなんか、きっと一度もないのだろう。
こいつは、そういうズルい手段を使わない。
真っ直ぐ過ぎるバカ領主だからな。
「だったらエステラさん! 『にゃー』って鳴くといいです!」
「うん……『なく』の意味が違ってるね」
「え、でも。『にゃー』って鳴くと、お兄ちゃん優しくなるですよ?」
「え、なに? 俺ってそんなイメージも持たれてるの?」
「持ってるですにゃ」
「だから、お前のはちょっとお婆ちゃんっぽいって」
「マジですかにゃ!?」
うむ。自覚はなかったようだ。
わざわざ教えるようなもんでもないからなぁ……
『ネコ語の正しいやり方はこうだっ!』
『こうですかにゃ!?』
『ちが~う! もっと可愛くっ! もっと心を込めてっ!』
『はいにゃ!』
……アホくさいったらないな、その光景。
必要ならマグダが伝授するだろう。店員の教育はマグダに任せておけば間違いない。………………でも、ないか? たまに変なサービス始めようとするし…………え、俺が監督するの? なにそれ、拷問?
「おまたせしましたぁ」
嫌な思考をかき消すように、ジネットの跳ねるような声が聞こえてくる。
厨房から舞うような足取りで『絶品』と評されたパスタを運んでくる。
「ナポリタンです」
テーブルの上に、赤いパスタが置かれる。
トマトベースのソースを絡めた陽だまり亭風ナポリタンだ。
輪切りのソーセージと、ちょっと大きめのピーマンがいいアクセントになっている。
「やったねっ」と、エステラが手を叩いて喜んだ。
「嬉しそうだな」
「うん。ちょっと甘口で、ボクは結構好きだな、このパスタ」
「俺はタバスコかけるけどな」
タバスコも自家製だ。
唐辛子を少量のレモンと塩を入れたお湯に浸け込んで、しっかり寝かせたらお酢と一緒にすり潰す。
どろっとしたら裏ごしして舌触りをよくしておく。
簡単でお手軽なタバスコの作り方だ。
「ボク、それはちょっと苦手かな……舌が痛いんだよね」
「あたしも、ちょっと……」
お子様には分からない大人の刺激は、トルベックの大工たちオッサン連中には概ね好評であったりもする。
こいつのおかげで、パスタの支持層が増えたと言っても過言ではない。
客のいない陽だまり亭で、甘辛いナポリタンを啜る。
「音を立てて啜らないでくれるかい?」なんて指摘されたり、トマトソースが跳ねてエステラの服に染みを作ったり、「パスタを出すようになってから、シミ抜きの仕事が増えたってムムお婆さんが言ってましたよ」と嬉しそうにジネットが報告をしたり。
なんでもないような会話をしながら食事を続け、あっという間に平らげてしまった。
「それで、ヤシロさん。ウェンディさんはなんとおっしゃっていましたか?」
俺が完食、エステラもあらかた食い終わった頃に、ジネットがお茶を入れつつ尋ねてくる。
俺たちの食事を待ってくれていたのだろう。こういうさり気ない気遣いがいいんだよなぁ、ジネットは。
見習え、周りの女子ども。
「セロンは明日、陶磁器ギルドの集会に出なけりゃいけないらしくて無理なんだと」
「では、ウェンディさんも?」
「いや、ルシア直々のご指名だと伝えたら、一人で付いてくるって言ってたぞ」
「そうですか。これで、ルシア様がご機嫌を損ねられることもないでしょうね」
ウェンディがいないとルシアが怒る……か。
まぁ、それはそうだろうが、今回は『会わせたい人物』ってのに関係のある呼び出しだろう。
おそらく、会っておくべきだと判断したのだろう。
そのことからも、明日会う人物は、人間と深い関わりを持つ獣人族……虫人族であると予想される。
たぶん、楽しい話ではないのだろう。
ジネットを連れて行っていいものかどうか…………
「……? どうかしましたか?」
「いや」
思わず見つめてしまった。
不思議そうに小首を傾げるジネット。
こいつは、人の負の感情に敏感に反応し過ぎるところがあるからな。不安だ。
「そういえば、ちょっと気になってたんだけどさ」
食事を終え、エステラが口元を拭きつつジネットに尋ねる。
「ミリィはなんの用だったの?」
ネフェリーをボディーガードにして……まぁ、大方ネフェリーの方が進んで買って出たとこなんだろうが……夜道を歩いて陽だまり亭にまでやって来たのだ。
何か用事があったのだろう。
「実はですね」
まるで、その質問を待っていたかのようにジネットの顔に笑みが咲いた。
「ミリィさんからいい物をもらったんですよ」
そう言って、ジネットがテーブルに小さな包みを置く。
飴玉くらいの大きさで、紙の包みに覆われたそれは――まさしく飴玉だった。
「ミリィさんが、ベッコさんのところからもらったお花を育ててハチミツではないお花の蜜を採って、それで作ったんだそうです」
「………………は?」
「ですから、ミリィさんがベッコさんの……」
「……ベッコの家のそばにあった花を株分けしてもらい、現在自宅そばで育てているらしい」
「その花からたくさん花の蜜が採れたそうです」
ジネットの言葉を補足するようにマグダとロレッタが説明をしてくれる。
つまり、ミリィが自宅で育てている花の蜜で飴玉を作ったのか。
ベッコ云々の話は余計だったな。この飴玉はミリィが頑張って生み出したものなのだ。
そう思った方が味も良くなることだろう。ベッコみたいな不純物は、この話に含まない方がいい。
「食ってみていいか?」
「はい。とても美味しいですよ」
「お前らは食ったのか?」
「……美味だった」
「頬袋が幸せで膨らむような甘さです」
全員食ったらしい。
くっそ、俺のいない間に。
さっそく包みを開けてみる。
ハチミツよりもやや白っぽい。大きさは小指の第一関節から先くらいだ。
香りは無く、表面は少々ベタついている。自家製って感じが凄くするな。
口へと放り込むと、……うむ。甘さ控えめだ。ハチミツのような濃厚な甘さがなく、あっさりとしている。
ハチミツではなく、花から直接採った蜜を使っているからこういう味になるのだろうな。
ハチミツには、ハチが分泌する酵素が含まれていて、花の蜜よりも凝縮された甘さになる。色も、花粉が混ざることで黄色っぽくなっている。
ミリィの花の蜜飴は、そういう成分は一切含まれず、純粋に花の蜜だけなのだ。
これは、新感覚の味だな。
子供の頃吸った花の蜜は、こんな味だっただろうか?
「美味いな」
「うん。ボクも好きかも、この味」
エステラも気に入ったようだ。
「これ、大量生産とか出来りゃ、一財産当てられるかもしれんぞ」
「ミリィがそんなことを考えるとは思えないけどね」
「だからこそ、俺たちでバックアップをだな……!」
「ミリィさんは、たまに採れる分で、たまに作るくらいがいいとおっしゃっていましたよ」
あ、そう……残念だ。
だが、花を何よりも大切にしているミリィだ。蜜のために花を雑に扱うようなことはしないだろう。
「それに、あまり量が採れないそうです」
「まぁ、花の蜜なんて、一輪にほんのちょっとしかないからね」
「……実に惜しい」
「どこかに、必要以上に蜜が溢れ出てくるお花でもあればいいですのに」
悔しがるマグダとロレッタ。
しかし…………
必要以上に蜜が溢れ出る花…………
「アレが使えるか?」
「あぁっ、アレか! うん。いいかもしれないね」
「そうですね。もし使えるなら、たくさん作れそうですね」
三十五区の花園には、ちょっとビックリするくらい大量の蜜を出す花が咲き乱れているのだ。
アレが使えれば、大量生産も夢ではない。味もいいし、これは……売れるっ!
……もっとも、あれを商売に使うのはルシアが許さないだろうから、作れたとしても贈与用とかになりそうだけどな。
「しかし、飴かぁ……こう、久しぶりに食うと、なかなかいいもんだな」
喉でも痛くない限り、進んで食べることがなくなっていたが、ガキの頃は始終口に含んでいた気がする。
砂糖や果物からも作れるから、いくつか作ってみるかな。
カラフルな飴を作れば、ガキ共が食いつくだろうし。
やってみてもいいかもな。
カリコリと、素朴な甘さの飴を口の中で転がしつつ、そんなことを漠然と考えていた。
飯が終わると、エステラはそそくさと帰っていった。
エステラもエステラで、明日の準備があるのだろう。
俺もさっさと寝てしまわないとな。早起きは苦手だ。
「ヤシロさん。お湯、お先にどうぞ」
「いいのか?」
「はい。わたしは、明日の仕込みをやってしまいますので」
ジネットはこれから明日一日分の仕込みを行うらしい。
教会への寄付もあるし、朝だけでは到底終わらない。
「手伝うか?」
「いえ、平気です。マグダさんとロレッタさんがお手伝いしてくださるそうなので」
「……いかにも」
「大船に乗ったつもりでお任せですっ!」
むふんっと、マグダとロレッタが揃いのポーズで胸を張る。
なんだか今日は随分協力的だな。
「……好印象を与えて、あわよくば…………」
「……むふふ、です」
……何かを企んでいるらしいことはよく分かった。
ジネット。あんまりこいつらに仕事を振るなよ。恩を着せられるぞ。
「じゃあ、俺は先に休ませてもらうな」
「あ、お兄ちゃん! あたしがお湯運んであげるです! お兄ちゃんよりかは力あるですから!」
「そうか? じゃあ、頼む」
「えへへ。頼れるいい娘、ロレッタをよろしくです」
「……何がだ?」
「なんでもないです。ただ、ちょこ~っと、『一緒がいいなぁ』とか思ってくれるだけでいいです」
「…………いや、よく分からんが」
「……ロレッタ。しぃ~」
「はぅっ!? そ、そうでした。お兄ちゃんは警戒心の塊ですから、多弁は危険です……なんでもないです!」
「いや、この流れで『なんでもない』とか言われてもな……」
まぁ、なんでもないってんなら気にしないことにするが。
一切っ! 一切合財っ! それっぽいおねだりオーラを感知してもスルーすることにしよう。
「……ヤシロ」
「なんだ?」
「……あとで洗いに行く」
「それは断るっ!」
「……マグダの体は…………泡立ちがいいっ」
「知らんし! 何で洗う気だ!?」
「ヤシロさん……えっと、懺悔してください」
「迷うなら言うなよ!? お前も一瞬『あれ、これはヤシロさんに言ってもしょうがないですよね……』って思ったよな!?」
「し、しかし、同じ職場で働く者として、そういった風紀の乱れは看過するわけにもいかず……」
マグダに注意するって選択肢はないわけか……甘やかしやがって。
「いいから、マグダはジネットの手伝いをしてやってくれ。ロレッタも、お湯を運んだらよろしく頼むな」
「……了解。マグダは『そばに置いておきたいいい娘』だから」
「あたしも分かったですっ! 『旅のお供に最適の何かと役に立ついい娘』ロレッタですから!」
…………えっと、スルー、スルーっと。
部屋にデカいタライを置いて、ロレッタに湯を張ってもらう。
ロレッタが部屋を出てから、ゆっくりと湯を浴びる。
肩まで浸かることは出来ないが、これはこれで、なかなか気持ちがいい。
マグダとロレッタが何を考えているのか、まぁ大体想像はつくが……
さすがにそれを認めてやるわけにはいかないしな……下ごしらえもしちまってるし。
まぁ、そのうち店を休みにして遊びにでも……
『……守備はどう?』
『なんか、反応がイマイチです』
『……そう』
ドアの向こうから、声を潜めた会話が漏れ聞こえてくる。
……わざとやってんのかってくらいはっきり聞こえる。
『お兄ちゃんは鈍感ですから、もっとアプローチをかけるべきだと思うです』
『……では、さり気なくその気にさせるための練習をしておくべき』
『じゃあ、あたしがおねだりするので、マグダっちょはお兄ちゃん役をやってです』
『……心得た』
『えっと……「お兄ちゃん。あたし、三十五区に行くとEカップになれる気がするですっ!」』
『「……マジでかぁ。そりゃすげぇ。よし一緒に行こー」』
『完璧ですっ!』
『……ヤシロはそれでいい。だが、馬車にはエステラも乗っている』
『むがぁっ!? しまったです! そこを忘れていたですっ!』
『……ロレッタの胸の成長を……ヤツは絶対許さない』
『じゃあ、違う手を考えるです』
『……もっと、止むに止まれない感じが出ると尚よい』
『止むに、ですか…………「お兄ちゃん。あたし、三十五区に包丁落としてきたかもですっ!」』
『「……包丁がなきゃ料理が出来ないなー。しょうがない、一緒に取りに行くかー」』
『またしても完璧ですっ!』
『……うむ。これならヤシロもきっと……っ』
ドア、オープン。
「連れてかないからな?」
「にょはぁ!? お兄ちゃん!?」
「……なぜここに?」
いやいや。俺の部屋の真ん前だっつの。
ドアを開け、首を廊下に出すと、ドアの前にマグダとロレッタが座り込んでアホな作戦会議を開いていた。……わざと聞かせるためにそこで話してたんじゃないのかよ……なんで二人してマジビックリしてんだよ……
「いや、あの、こ、これはその…………別に何かやましいことをしていたわけでは…………あの……あ、そ、そうですっ! ただの覗きですっ!」
「悩んだ結果、物凄くやましいところに着地しちゃってるけどっ!?」
「はぁあっ!? これではあたしとマグダっちょがただの変態にっ!?」
「……マグダは、ロレッタを止める係」
「むはぁっ!? 裏切りが発生したですっ!? 自分だけ被害を逃れようなんてズルいですっ!」
「……ヤシロ、平気だった? マグダは、心配した」
「ズルっこいです! ズルっこいですぅっ!」
あぁ、もう、煩わしい。
なまじ、湯に浸かった後だから、ドアのこっち側ではあられもない格好してんだよな、俺。もちろん、二人には見えないようにドアの陰に身を隠してはいるが……
「とりあえず分かったから。ジネットの手伝いしてきてやれ。な?」
「むぁぁ! 信じてです! 違うです! あたし、変なことしてないですっ!」
「バッ!? ドアを持つな! 今開けられるとマズいんだよ!?」
「信じてですっ!」
「分かった! 分かったから、ドアから離れろっ!」
「……きゅぴーん、察知」
「おぉ、マグダ。気が付いたか、助け……」
「……ロレッタ、加勢する」
「おぉおいっ!?」
ヤバイ!
腰に巻いたほっそいタオルを片手で押さえているせいで、ドアを閉めているのは右手一本だ。
マグダが本気を出したら引っ張り出されてしまう……丸出しでっ!
「い、言うことを聞くいい娘には、ジネットと一緒に行く日帰り旅行をプレゼントだっ!」
「……ロレッタ。ヤシロを困らせてはダメ」
「その変わり身の早さ、もはや神がかっているですよ、マグダっちょ!?」
マグダの寝返りにより、ロレッタは速やかに排除された。
…………はぁ。健全な少女にとんでもないものを見せてしまうところだった。
「まぁ、なんだ……明日は無理だけどよ」
こいつらが頑張っていることはよく知っている。
ジネットだって、こいつらのためなら融通を利かせてくれるだろう。
ここで約束しちまっても、問題なんかないだろう。
「今やってるあれこれが片付いたら、またみんなで遊びに行こうぜ。今度は、ちょっと遠出してよ」
「お兄ちゃんっ!」
「おい! こっち来んな! 俺、今裸だからな!?」
「にょひっ!? お、お兄ちゃんっ、あた、あたしたちに隠れてな、なな、何してたですっ!?」
「風呂入ってたんだよっ! お前が持ってきてくれたお湯を使ってな!」
「そういえばそうだったですっ!?」
忘れんの早っ!?
俺の状態をようやく察し、ロレッタが真っ赤な顔でものすご~く遠くまで後退っていく。
照れんの遅っ!?
「お、お湯の匂いが生々しいですっ!」
そんなことを廊下の隅っこまで避難して叫ぶ。
嗅覚、凄っ!?
……いや、お湯の匂いくらいはするか、この距離なら。
「……ヤシロ」
ロレッタとは対照的に、焦りを見せないマグダ。
ドアの前に立ってこちらを真っ直ぐ見上げている。
「……ありがとう」
それは、少し照れたような語感だった。
おねだりを見透かされ、そしてその望みがすんなりと叶えられたことに、少し恥ずかしさを感じているのかもしれないな。
「…………脇腹もなかなか」
「どこ見てんだよ!?」
違う意味で照れてたっ!?
の、割にはガン見だ!?
「……別に、遠くなくてもいい」
「ん?」
「……お店もあるし」
あぁ……なんだ。
さっきのは一種の照れ隠しだったのか。
甘えん坊のくせに、そんなところで無理しちゃってまぁ……
俺やジネットに迷惑をかけるような甘え方は、マグダ的に少し抵抗があるようだ。
いつもの甘えん坊要求はその場で出来ることや、こっちに時間があり負担にならないようなことばかりだからな。
けどな、マグダ。
俺もジネットも、んなもん、迷惑だなんて思わないぞ。
「……もっと普通のことでも、マグダは……」
「いいんだよ、遠出で」
「…………いいの?」
「俺が、マグダたちと遠出して遊びたいんだよ」
「…………」
こういう言い回しの裏にあるこちらの気持ちを、マグダなら簡単に理解するだろう。
気を遣わないようにと気を遣われている。そう感じたマグダは……きっと、さらに気を遣ってこちらの望む答えを返してくれる。
「……そう」
いつもより、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑んで。
「……なら、付き合ってあげる」
「おう。頼む」
「……うむ。ヤシロだから、仕方ない」
嬉しそうに耳をぴこぴこ揺らして、そう言ってくれる。
服さえ着てれば頭を撫でてやってるところだ。
「……ヤシロ、ありがとう」
「おう」
「…………いい脇腹を」
「そっちかよっ!?」
満足そうな目をして、ちろっと舌を覗かせる。
イタズラ大成功みたいな達成感を滲ませて、マグダが階段へ向かい歩き出す。
「……店長の手伝いをしてくる。マグダはいい娘だから」
「あぁ。しっかりな」
「……あっちでエロい妄想に身悶えている使えないハムっ娘とは違って」
「にょはっ!? あ、あたし別にエロい妄想してないですよっ!? あたしもいい娘ですよっ!?」
「……では、駆け足でこちらへ」
「おに、お兄ちゃんがドアを閉めたら行くです!」
「……思春期の妄想は嗅覚だけで事足りる」
「やめてですっ!? なんか、どんどん恥ずかしくなっていくですっ!」
「いいから、二人とも早く下りろ。湯が冷める」
ロレッタが前を通過出来るようにドアを閉める。
……まったく。
『あ、あの、お兄ちゃんっ』
いまだいささか上擦った感の残る声がドアの向こうから聞こえてくる。
『ありがとうですっ! あたしも、嬉しいですっ!』
『……脇腹が? エロッタ……』
『違うですっ!? お兄ちゃん優しいから大好きですって言いたかったですっ! …………にょぁぁああっ! なに、言わせるですか、マグダっちょ!?』
『……自爆』
『もう! 早く店長さんのお手伝いに戻るです! こうしてる間にも、店長さんなら全部終わらせちゃうですよ!?』
『……むぅ、それはあり得る。急ぐべき』
『じゃあ、行くです!』
騒ぐだけ騒いで、マグダとロレッタはバタバタと階段を下りていった。
賑やかだなぁ、もう。
お湯、ちょっと冷めちまったじゃねぇか。
けどなんでか……
こういう賑やかな方が落ち着くんだよな……なんでかなぁ。
風呂を済ませベッドに入ると、とてもスムーズに眠りにつくことが出来た。
リラックス方法ってのは、人それぞれなんだな……
その夜はいつもよりぐっすり眠れた気がする。
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