後日譚15 亜人、亜種、亜系統

「要するに、獣人族が『亜人』で、虫人族が『亜種』、その中でもヤママユガ人族は『亜系統』と呼ばれてる……ってことでいいんだな?」


 三十五区から帰ってきた翌日、俺はエステラと話をしていた。

 場所は陽だまり亭。

 隠してこそこそ話すようなことではないと、マグダが言ったからだ――




 昨日、陽だまり亭に戻ってきたのは夜になってからだった。

 ジネットの留守を見事に守りきったマグダとロレッタを盛大に褒めてやり、その流れで三十五区で起こったあれこれを話して聞かせてやったのだ。そのせいで、ロレッタはそのまま一泊していくことになったのだが、本人が楽しそうにしていたのでよしとする。


 で、流れ上、どうしても『亜人』だ『亜種』だという話になってしまったわけだが……


「……ヤシロは気にし過ぎ」

「エステラさんもです」


 獣人族の二人はあっけらかんと、そんなことを言った。


 俺としては、獣人族とか虫人族という呼び方もこいつらに不快感を与えているのではないかと考えたりもしたのだが……


「……区別は当然」

「そうですよ。むしろ、全員いっしょくたにされると色々困るです」


 獣人族たちの並外れたパワーや、獣特徴、習性なんかはどうしたって人間とは違う。

 それは、外国人同士が別の言葉を使う、程度のことなのだそうだ。

 習慣にしても、日本で言うところの宗教みたいなもので、やりたい者が勝手にやっていればいい、くらいの考えなのだという。「区別しないために、みなさん宗教は捨てましょう!」とはいかない。

 仏教徒、キリスト教徒、イスラム教徒と、各々を区別してもそれが不快感を与えるものではないのと同じようなことらしい。


 宗教上、豚肉を食べられない人がいたとして、それに合わせて全員に豚肉を禁止するのもおかしいし、隠れるようにこそこそ食べなきゃいけないってのもおかしい。本人が、本人の意思でそうすればいい。周りは普通にしてればいい。

 そのような内容のことを、マグダとロレッタは語っていた。

 ケモ耳をみだりにもふってはいけない……くらいのことに注意していれば、不快感はないそうだ。



 ――というわけで、みんなのいる場所でミーティングを開くことにした。


 最初は、エステラも難色を示したが、「変に隠し立てする方がやましく見えるぞ」と説得すると了承してくれた。

 で、ようやく情報の共有化をしてもらおうってわけだ。


「概ね、ヤシロの言っていることで正しい」


『亜人』という呼び名は、俺以外の全員が知っていたようで、周りにいるジネットたちもうんうんと頷いている。

 が、「概ね」とはどういうことか?


「認識の不足というか……まぁ、最初から話せばきっと理解してくれると思うよ」


 そう言って、エステラは『亜人』という言葉が誕生したいきさつを語り出した。


「昔、人間の街に人間しかいなかった時代があったんだ。世界は広く、多人種が出会うことはそうそうなかった」


 やがて、文明が発達し生活が向上していくと、人間は領土の拡大を図った。

 冒険家が新大陸を目指して旅に出て、新たな国があちらこちらに誕生した。


「そうしてようやく、人間は自分たちとは異なる人種に遭遇するんだ」


 エステラが三本の指を立てて俺の前へと突き出してくる。


「人間がとても及ばない、驚異的な力を持った三つの人種。人龍、人狼、そして人魚だ」

「人龍? 龍人じゃないのか?」

「ボクたちが『りゅうじん』と呼ぶのは龍の神様のことさ」


 なるほど、『龍神』か。


「神様って、精霊神以外にもいるんだな」

「そりゃあね。他の神を崇拝する人たちも多くいるしね。でも、龍神は神様というより……『強力過ぎて近寄ることすら出来ないレベルの生物』って意味合いが強いかな」

「それって、つまり……ドラゴンのことか?」

「まぁ、そうだね。巨大で強大なドラゴンを見て、昔の人間たちは『アレは神だ』と定義づけたんだろうね」


 人智を超える存在を目の当たりにした時、人は畏怖の念と尊敬の念を抱く。

 どちらが大きいかによって、恐怖するか崇拝するかに分かれるのだろうが、「こいつは、自分とは次元の違うものだ」という認識は同じだろう。


「もっとも、人龍も十分人智を超える存在だけどね」

「見たことねぇなぁ」

「オールブルームにはいないんじゃないかな? というか、その三種族は、あまり人間との共生を好まないんだよね」


 人龍と人狼と人魚は、それぞれの国で静かに暮らしているというわけか……


「ひとつの例外を除いてな」


 昨日、三十五区の街門で別れる際に「また今度、い~っぱい海とお魚のお話しよ~ね~☆」と、満面の笑顔で手を振っていたマーシャという名の人魚がいる。

 共生を好まないどころか、自ら進んで人間と関わりを持っている。面白そうなことにはすぐ首を突っ込んでくるしな。


「人魚は、あんまり細かいこと気にしないんだよね。マーシャはその中でも図抜けているけどね」


 今さっき話した内容を否定するような親友の存在に、エステラは苦笑を浮かべる。

 まぁ、害がないってことはいいことだよな。

 海を自在に泳ぎ回れる人種なんて、敵に回したら厄介極まりないもんな。


「そして、この三種族を皮切りに、人間は様々な人種の者と出会うことになるんだ」

「……それ以降に出会った人種を、人間は『亜人』と呼称するようになった」


『亜人』という言葉を言いたがらないエステラに代わって、マグダがそう説明する。

 気を遣われてるぞ、エステラ。

 差別をしていた側の方がより気にしているって証拠だな。

 って、別にエステラが差別をしていたわけではないんだがな。「同じ人間として」ってやつだろう。


「その間に、人種間での戦争やいさかいがあって、和解したのはずっと後になってからなんだけど……」

「……人間以外とも、獣人族は戦争をしていた。人龍や人狼とも戦ったと聞く」


 人間が世界中に進出して、他の人種も新天地を目指すようになった。

 その結果、世界中のあちこちで戦争が起こってしまったわけだ。


「結局、統率力と技術の勝った人間が勝利を収め、獣人族は人間たちに支配される形で戦争は終結したです」

「…………うん。そう、だね」


 ロレッタの補足に、エステラが表情を曇らせる。

『支配した』ってのが、心苦しいのだろう。

 気にすんなよ、もう。お前が支配してたわけじゃないんだから。


「まぁ、戦争に勝ったというか、異種族間で話し合い共生していく道を選んだってことだよ。実際、人間は最初の三人種には勝てなかったんだから」


 人龍、人狼、人魚は人間には負けていないのか。

 ……あ、なるほど。


「それで、その最初の三人種以降に出会った獣人族を『亜人』って呼ぶようにしたんだな」


 戦争終結直後の価値観では、人龍、人狼、人魚、そして人間は対等であり、その四人種がいわゆる『人類』であったのだ。

 戦争で立場を弱めた他の獣人族と、そこで区別化したのだろう。特別扱いすることで、これ以上戦火を広げないようにと。


「そう。だから、マーシャたち人魚は……その……『亜人』には、含まれていない」


 凄く言いにくそうに『亜人』と口にしたエステラ。

 一度口にすれば、次からはもう少しスムーズに言葉が出てくるだろう。


 ややこしいのだが、しっかり理解しておかなければいけないのは、『獣人族=亜人』ではないってことだ。

 獣人族は、俺が勝手に呼び始めた呼称で、マーシャもその範囲に含まれる。だが、マーシャたち人魚は『亜人』には含まれていない。もちろんキャルビンもだ。

 ……ってことはだ、マーシャなら貴族になれるってことなんだろうか?

 以前イメルダと話をした際にはそこんとこ知らなかったからな。可能性はあるな。


「最初の『亜人』はイヌ人族だったと聞いてるです」

「……マグダも」

「そうだね。歴史書ではそう記されているね。人間とイヌ人族は協力して、大きな街をいくつも創り上げてきたんだ」


 オールブルームを取り囲む巨大な外壁を思い浮かべる。

 ……なるほどな。ありゃ、人間だけじゃ無理だわ。


「それから、トラ人族やハムスター人族なんかが、その街へ流入してきたんだよ」

「あたしたちハムスター人族は昔から非力だったですから、『保護してですー』って感じで人間の国に入れてもらったそうです」


 争いよりも共生を待ち望んでいた人種もいるのだろう。

 とにかく、そういう風にして、今現在の共存共栄は形成されていったらしい。


「そうして、人間と獣人族が協力して、最初に創り上げたのが、ここ、オールブルームなんだ」


 オールブルームは、この世界において、結構歴史のある街らしい。

 といっても、数千年も続く歴史……みたいなことはなく、数百数十年というところらしい。平和になったのは割と最近だと言えるだろう。


「それから街が発展するにつれ、もっと多様な人種が流入してくるんだけど……トリ人族の登場によって、人々の考え方は大きく覆されることになるんだ」

「トリ人族が?」


 なんだろう? あまり好戦的なイメージも、狡猾なイメージもないのだが……

 ようやく訪れた平穏を覆すような何かを、トリ人族がもたらしたというのだろうか………………ん? 『トリ』人族?


「オールブルームに初めて訪れた二人のトリ人族は、とても同じ人種には見えない風貌をしていたんだよ」


 そいつらは、今では『スズメ人族』、『ダチョウ人族』と呼ばれている人種だったそうだ。……そりゃ、まるで別物に見えるよな。


「そこから、さらに細かい人種名で呼称するようになっていったんだよ」


 なるほど。

 パウラがイヌ人族で、ネフェリーがニワトリ人族と呼ばれているのには、そういういきさつがあったのか。ゴールデンレトリバー人族じゃないんだもんな。


「もっとも、イヌ人族は同族間の異種族結婚が盛んだったっていうのも、イヌ人族って呼称が定着している理由ではあるんだけどね」


 パウラの父はブルドックだが、パウラはゴールデンレトリバーの特徴が色濃く出ている。つまり、父親がブルドックで母親がゴールデンレトリバーなのだろう。同族間の異種族結婚ってのはそういうことだ。

 色んな種類が混ざっちまってるから、いっしょくたに『イヌ人族』と呼んだ方が楽なのだろう。

 ネフェリーんとこは、両親ともにニワトリだもんな。

 種族によって同族結婚を好むとか、そういう傾向の強弱ってあるのかもしれないな。


「……今では、異種族間の結婚は特別なことではなくなった」


 と、マグダが俺をジッと見つめながら言ってくる。


「……むしろ普通。よくあること。推奨されるべき事柄」


 ジッと……じぃ~っと見つめてくる。

 ……その視線に他意はないよな? 親切に、それもかなり熱心に教えてくれているだけだよな?


「…………心を奪って逮捕されることも、しばしば」

「ぐふっ!?」


 き、気管が詰まった……

 それって、アレだよな? ミリィの店で俺がマグダに言った、トレンディ臭がプンプンする………………忘れてくれないかなぁ、そのフレーズ。可及的速やかに。


「そのうち、何人族って呼び名すらなくなるかもしれないね。ボクたち若い世代は、もっと自由に恋愛をすることが可能なんだから」


 と、自分で言ってちょっと照れているエステラ。

 こいつの場合、人種以前に貴族って縛りが結構きつそうではあるけどな。

 エステラが獣人族の婿をもらったりすることは、果たして可能なのだろうか…………………………なんだろう。そういうのを想像すると…………ちょっとイラッてするな。


「巨乳遺伝子につられて、悪いウシ人族にたぶらかされるなよ?」

「たぶらかされるか!」


 まぁ、……なら、いいのだが。

 どういうわけか、腹の底のムカムカも、今の一言でちょっとすっきりしたし。なんでなんだろうねぇ。…………ふん。


「話を戻すけど……」


 荒れた呼吸を整えて、エステラが再び語り始める。


「トリ人族以降、細分化された人種が増えていき、街はさらなる発展を遂げたんだ。獣人族の力は多方面に渡って優秀でね。魔獣が縄張りにしていたせいで手出し出来なかった深い森も開拓出来るようになった」


 個々に優れた能力を持った獣人族。それらを統率し街を発展させた人間たち。

 そんな風に、オールブルームは大きく成長していったのだそうだ。


「ただ、少し人種が増え過ぎたんだよ……」


 そう漏らして、エステラは途端に表情を曇らせる。


「見かけ上は対等に見える人間と獣人族だけど、その間にははっきりとした差別意識があったんだ」

「獣人族が『亜人』と呼ばれることに不快感を表し始めたんだな」

「そう……その通りだよ」


 最初のメンバーだけなら、各々の役割や立ち位置を暗黙のうちに理解し得たのかもしれない。

 しかし、あとから流入してきた者たちは、その暗黙の了解を無条件で押しつけられることになる。

『亜人だから』という、その一言で。

 それはやはり、不満も噴出してくるだろう。


「数も力も、圧倒的に獣人族が上だったんだ。当時の人間は狼狽し、悩み抜いて……打開策を打ち出した」

「それが……『亜種』か」


 被差別者の溜飲を下げるにはどうすればいいか…… 

 簡単なことで、更に下の地位の者を作ればいい。

 江戸時代の身分制度も、身分の低い者の不満は、さらに身分の低い者を生み出すことで有耶無耶にされてきた。

 だが、それは、なんの解決にもなっていない。


「そして、そんな時になって、ようやくオールブルームに接触してきた人種がいたんだ……」

「それが、虫人族だったってわけだな」


 エステラは、無言のまま、しかし明確に首肯する。


 ミリィやウェンディを見ていても分かる通り、虫人族は少し臆病な節がある。

 おそらく、人種的に根付いている性格や習性というものが、他の人種よりも臆病であり穏やかだったのだろう。

 十分に安全を確認して、その上で思考に思考を重ね、議論なんかを繰り返して……ようやく、人間への接触を試みたのだ。


 しかし、どんなものでもそうなのだが……軌道に乗ってから後乗りする者は、立場が弱くなる。

 虫人族は、獣人族の不満を逸らせるために利用されたのだ。


「それでも、メリットの方が大きいと踏んで、虫人族たちはこの街に入ってきたんだな」

「争いと飢えが限りなく起こりにくい環境だったからね」


 外壁の外には恐ろしい魔獣が跋扈している。

 非力な種族なら、庇護を求めて街へ入ってくるのも頷ける。


「……それでも、長い間バランスは保たれていた」

「はいです。虫人族……当時、『亜種』と呼ばれた人たちも、それなりに楽しい暮らしをしていたと聞くです」


 マグダとロレッタが補足をする。

 人間が貴族となり、大型のギルドのトップを獣人族が占有し、虫人族はその小間使いのような扱いを受けていた。

 それでも、この街にいることが出来れば生きていけた。……それだけ必死な時代があったというわけだ。


「不満がないなら更に下の身分なんか必要ないんじゃないのか?」


 この街には『亜種』の下にもう一つ、『亜系統』と呼ばれる者たちがいた。


「『亜系統』は、『亜種』の扱いに不満を抱き、人間に反旗を翻した者たちなんだよ」


 謀反……ってわけか。

 そして、その謀反は失敗に終わり……自分たちの立場をさらに悪くしてしまったと…………


「ムカデ人族やクモ人族、ナメクジ人族に、ヤママユガ人族等が結託し、王都へと攻め込んだんだよ」


 おぉう……見事に日本の女子が嫌いそうな人種ばっかりだな。


「彼らは元々『亜種』の中でも弱い立場にいた者たちなんだ。だから、耐えられなかったんだろうね……きっと」


 上の身分の不満を逸らすための低い身分。その中でも、最も低い身分に落とされた者は……一体どんな気分を味わうのだろうか…………


「……『亜系統』は、『カエルよりはマシ』レベル」

「嘘を吐いたわけでもないですのにね……」


 エステラが言いにくいであろうことはマグダとロレッタが代弁してくれる。

 しかし……罪もないのに虐げられる身分か…………やるせねぇなぁ。


「けれど、彼らの勇気は世界を変えるだけの力があったんだ。その当時はほんの小さな波紋でしかなかったけれど……その波紋はやがて大きな波となり、世界をひっくり返すような大きな渦となってこの街をのみ込んだ」

「身分制度の撤廃だな」

「うん。時の王が即位すると同時に獣人族たちを縛る身分を撤廃したんだ」


 といっても、王族と貴族の身分は残したままなのだが……それでも、市民平等を説ける指導者はそうそういない。相当な勇気と決断が必要だからな。


 だが、その時代の王が頑張ったおかげで、オールブルームには平等と平和がもたらされたわけだ。

 今現在のオールブルームの礎を築いたと言っても過言ではないだろう。

 下手すりゃ、ミリィやウェンディが虐げられている世界だったのかもしれないのか……見たくねぇぜ。エステラやジネットがマグダたち獣人を虐げ、マグダやロレッタがミリィたちを……なんてな。

 もしそんな街だったら俺はどんな行動を取っただろうな………………まぁ、あり得ない『If』なんか考えたってしょうがないか。

 その時代の王が差別撤廃のきっかけを作り、何年もかけてこの街は平等を勝ち得たのだ。それは、この街の住民たちが自ら選び取った道だったのだ。


 居心地がいいわけだよな、この街は。


「……ちなみに。今、この付近でゴロツキギルドを形成している連中も、『亜系統』と呼ばれた者たちの末裔」

「食中毒事件のイグアナ人族とか、出店を襲ってきたカマキリ人族とかか?」

「ちょっと、血の気の多い人種が多いです。けど……周りに巻き込まれて暴動に加わった者も少なくないと聞いてるです」


 ウェンディなんかを見ていると、とても暴動だの謀反だのという言葉とは無縁に見えるが……いや、しかし、あの母親なら…………ウェンディも怒ると怖そうだし……

 なんにせよ、何十年も前の話だ。今を生きる連中が背負う必要のないもんに違いはない。


「難しいよね……実際」


 腕を組んで、椅子の背もたれに体を預けるエステラ。大きく体を反らせて天井を仰ぎ見る。


「……もうすでに無いはずのものを、無くす……っていうのはさ」


 この街に差別は無い。

 無い……はずなのだが、そいつはまだ確実にそこに「有る」。


 んじゃ、そんなもんが一体どこにあるんだっつぅと……

 それは、そこに住む者たちの心の中に深く深く根付いているものだったりする。

 こいつを取り払うのは相当に難しい。


 誰に遠慮する必要もないのに、馬車を利用しないミリィ。

 そのミリィがわざわざ四十区まで出向いていたのは、そこに住むというヒメカメノコテントウ人族の婆さんに注文を受けたからだった。……もしかしたら、他の者には頼めない理由でもあるのかもしれないな。無いとは言い切れない、くらいの可能性で。


 あとは、三十五区の花園にいたカブトムシ人族のカブリエルたちの反応。あいつらとは意気投合出来たが、……他の虫人族とはどうなるか分からん。カブリエルが言うには、虫人族の中には人間に対しあまりいい印象持っていない連中が多いようだ。


 そして、三十五区の領主ルシアが言っていた、『会わせたい者』……

 そいつはきっと、この問題に大きく関わってくるような人物なのだろう。


 …………根深いな。

 アッスントの忠告が、今になって身に沁みてきたぜ。

 非常に面倒くさいことに首を突っ込んでしまったらしい。


 だが……


「だからといって、このまま放置はしたくねぇよな」


 ウェンディたちの結婚。それにミリィやエステラが、たまにとはいえ、こんなくだらないことで心に影を落とすなんてのは看過出来ない。

 お前らは、年中笑ってりゃいいんだよ。バカみたいにな。そっちの方が、きっと似合っている。


「……消すことが出来ないってんなら」


 こいつはかなり強引な手ではあるのだが……


 俺は立ち上がり、そこはかとない期待を込めた瞳で見つめてくる連中に向かって言ってやる。

 ……つか、お前らさぁ………………そんな目で見んなって、いつも言ってんだろうに……


 まぁ、今回は……ほら、アレだ…………セロンとウェンディを焚きつけた責任ってのもあるし……あと、ほら……アレとか………………まぁ、しょうがなくだ。うん。


「塗り替えてやろうぜ、その古い価値観をな」


 もともとやろうと思っていたことを、少々大袈裟にやっちまえばいいだけのことだ。

 光るレンガが誕生した時から……いや、それよりもうちょっと前にはもう考えてはいたかもしれないが…………とにかく、こっちはとっくにやる気になってて、ずっとタイミングを見計らってた状態で、「婚約しました」って言いながら実はまだプロポーズもしてなかったセロンにちょっと焦れたりしたくらいで、結局のところそいつが上手くいけば陽だまり亭が儲けられるカラクリになっているからさっさとやってしまいたかったって側面から見れば俺のための大イベントってことになる、例のアレ――結婚式を大々的に行ってやればいい。

 それも、いっそのこと三十五区まで巻き込んで、盛大に、過去に類を見ない大掛かりなバカ騒ぎを巻き起こしてやろうじゃねぇか!


 思ってたよりも、ずっと、かなり大掛かりな準備が必要になるだろうが……


「お前らの力に、大いに期待したい」

「はい。任せてください」


 さっきまで――

『亜人』だ『いさかいだ』って話をしていた時は、泣きそうな表情を顔面に張りつけていたジネットが、ようやく笑みを浮かべる。

 何をするなんて言わなくても、もとより協力するつもりなのだろう。


 そして、他の連中も。


「……オールブルームの模範となるべき最先端区域、四十二区が手本を示せばいい」

「そうです! みんなで楽しめば、きっとみんなもっと仲良くなれるです!」


 途端に勢いづいて、やる気を遺憾なく見せつけてくる。

 もちろん、こいつも――


「さてと……今度は一体何をやらされるんだろうね、ボクは」


 そんな憎まれ口を叩きつつも、すでに気合いは十分、そんな表情を俺に向けてくる。


「何をすればいいのかは、正直なところまだ分からん……が、とりあえずは『普通』の準備は済ませておこう」


 ここで言う『普通』は、俺の知る『普通』だ。

 要するに、俺が納得出来るような結婚式と披露宴を執り行うための準備だ。

 そこは最低ラインとして、万全を喫しておきたい。


 その上で、この厄介な問題をちょこちょこっと引っ掻き回してやる。

 ウェンディの両親の説得も、根っこの部分は同じ問題なのだと言えるだろう。

 なら、動くのは明日、ルシアが会わせたいという人物を見てからでもいいだろう。


 今日は、一日かけて四十二区内で協力者を募って……


 なんてことを考えていると、陽だまり亭のドアがノックされた。

 ここのドアをノックする者はそうそういない。

 営業中はノックなどせず、自分でドアを開けて入ってくるのが普通だ。

 ノックをするのは店が閉まっている時くらいのものなのだが…………


「はい。ただいま~!」


 不穏な気配を感じた俺とは対照的に、無防備に席を立ちドアへと駆けていくジネット。こいつは何も感じていないらしい。

 そして、ためらうことなくドアを開け放つ。


「来ちゃった、私は」


 そこに立っていたのは、三十五区の領主に仕える給仕長――ギルベルタだった。

 不穏な予感は的中……ってことか。


「ルシアから、何か伝言でも預かってきているのか?」

「いいや、と否定する、私は」


 ドアを押さえるジネットの前を通り、ギルベルタは店内へと入ってくる。

 そして、俺たちが座っているテーブルのそばまで来ると、俺をジッと見下ろしてきた。

 そして、ゆっくりと口を開く。

 薄く色づいた唇が形を変えて、言葉を紡ぎ出す。


「あーそーぼー」

「お前、何しに来たの!?」


 丸一日潰す覚悟で往復するようなすっげぇ遠いところから、そんなことを言うためにやって来たってのか!?


「友達だから、私は、おっぱいの人の。そして、言った、おっぱいの人は、『遊びに来い』と」

「いや、だからって、昨日の今日で……つか、よく休みをもらえたな、給仕長」

「………………?」

「ん?」


 ギルベルタがゆっくりと首を動かし、「こてん」と傾ける。

 ……こいつ、まさか。


「とっていないが、私は?」

「無断欠勤っ!?」


 なにしてんの!?

 給仕長だよね!?

 なんか色々仕事あるよね!? つか、お前がいないと給仕たちが仕事出来ないんじゃないのかよ!?


 なのに、無断欠勤!?


「だ、大丈夫なのかい……その、ルシアさんの護衛、とかさ?」


 エステラが、極限まで引き攣った顔でギルベルタに尋ねる。

 そうだよ! 確か、ルシアの護衛もお前の仕事だったよな!?


「さぁ? 分からない、私には。初めてだから、このようなことは。明日になれば分かる、大丈夫だったかどうかは」

「それで『大丈夫じゃなかった』ってなった時、シャレにならんだろうが……」

「けれど、何よりも大切にするべき、友達は」


 ……この娘…………これ、マジで言ってんだもんな。

 融通って言葉知ってる? 利かないなんてレベルじゃないよな、お前は。

 融通を全否定してやがる。


「カレーが食いたい」って言ったら、「カレー」だけ持って「ライス」を無視しそうなタイプだ。

 もしくは「該当するものが多数あったのですべて持ってきた」とか言って、カレーうどんとかドライカレーとかカレーせんべいまでひっくるめて、「カレー」と名の付くものを片っ端から持ってくるか、そういう面倒くさいことをしそうなタイプだ。


「絶対ルシア怒るぞ……」

「そして、その怒りの矛先はヤシロに……」


 怖いこと言うんじゃねぇよ、エステラ。80%以上の確率で実現しそうなんだから、せめて口には出さないでくれ。


「…………迷惑かけたか、私は?」


 俺たちの狼狽ぶりを見て、ギルベルタがしゅんとうな垂れる。

 あぁ、もう……本当に両極端なヤツなんだから……


「迷惑かけたのはルシアにだ。今回はしょうがないが、次からはルシアに一言相談してからにしろよ。ルシアのことも大切だろ?」

「もちろん」


 そこは淀みなく、きっぱりと肯定するんだな。

 忠誠心みたいなものは、あるにはあるんだな。


「今も、ルシア様の身を案じている、私は。今日は二十五区、十五区の領主様との会談がある日だから、ルシア様は」

「なんて重要な日に無断欠勤しちゃってんの、お前!?」


 格上の区の領主との会談がある日に給仕長が行方不明って……さすがにルシアが不憫になってきた。

 まぁ……三十五区レベルになれば、こういう不測の事態に備えて、何かしらの対策は打ってあると思う…………思いたい………………思わせてほしい。でないと、胃に穴が開きそうだ……


「…………嬉しかった、私は…………初めて出来て、友達が…………少し、はしゃぎ過ぎた………………帰る」

「あぁ、待て待て!」


 そんな、肩をすとーんと落とした寂しげな感じでとぼとぼ歩くんじゃねぇよ。拾って帰りたくなるだろうが。


「エステラ。ルシアのところ、現在どんな感じになってると思う?」

「まぁ、慌ててはいるだろうけど……ルシアさんは抜かりのない人だから、何かしらの対策を取って、問題なく仕事をこなすだろうね」

「私に万が一のことがあった場合は、代わりに陣頭指揮を執る、副給仕長が」


 副給仕長なんてのがいるのか?

 なら、問題ないか。


「ただ、人間、副給仕長は」


 …………なんだろう。それだけのことなのに、すごく大問題な気がしてしまうのは……


「ルシアさん……荒れそうだね」

「はは……目に見えるようだ」


 ルシアは獣人族を差別しない代わりに、とてつもなく贔屓をする。

 お気に入りのギルベルタがいないと、とてつもなく不機嫌になることだろう。

 ……副給仕長をはじめ、給仕のみんな。なんか、すまん。


「帰ったら、ちゃんと謝るんだぞ」

「そうしたら、遊んでくれるか、おっぱいの人は、私と?」

「あぁ。もう来ちまったもんはしょうがねぇからな。会談はいつからなんだ?」

「もう始まっている」

「おぉう……」


 なんだろう、この、完全に手遅れだと逆に開き直れちゃう感じは……

 もう、いっそのこと今日一日は思いっきりギルベルタと遊んでやって、今後こういうことが起こらないようにと注意してやるのがいいんじゃないかと思えてきた。


「明日、俺も一緒に謝ってやるよ。……俺の言い方にも原因がないこともないしな」


 相手が普通の思考回路をしていれば、俺の言動に罪は一切ないんだがな。


「……優しいな、おっぱいの人は」

「あと、そのおっぱいの人ってのやめろ」

「被るからか?」


 と、ジネットを指さして言う、ギルベルタ。


「被りませんよ!? わ、わたしも、やめてくださいね!?」

「ヤシロと、ジネットだ」

「おっぱいのヤシロと、ジネットのおっぱい」

「お前ワザとやってねぇか?」

「ヤシロと、ジネット……だけでいいのか、呼び方は?」

「だけだ。それが、友達の呼び方だ」

「分かった。次からそう呼ぶ、私は」


 心なしか嬉しそうな表情を浮かべて、ギルベルタは小さく首肯する。

 素直過ぎるギルベルタには、呼称を教えるのも一苦労だ。


「……ヤシロ」


 と、マグダが俺の服をちょいちょいと引っ張る。


「……感情の読みにくい相手。絡みにくい」


 うんうん。お前が言うな?

 どっちかっていうと、ギルベルタの方がまだ表情筋動いてるからな?

 マグダの感情を的確に読み取れるのは俺くらいなもんだからな。


「そこのネコの人」

「……マグダはトラ人族。訂正を要求する」

「要求を受け入れ、速やかに謝罪する、私は。トラの人」

「……許す。…………で、なに?」

「感情が読みにくいな、あなたは」


 お前が言うなリターンズ。

 お前ら二人とも、自分を顧みるってことしないのか?


「あの、ヤシロさん。どうされるおつもりですか?」


 ジネットが不安そうな表情で俺を見つめてくる。

 こいつがこういうことを言う時は「どうか、寛大な処置を」とお願いしたい時だ。

 ……俺が寛大でも、ギルベルタの場合は色々厄介なんだがな。


「エステラ」

「分かってる。ナタリアに言って、ルシアさんに手紙を送っておくよ。早馬を使って、すぐに届くよう手配する」


 さすが、他人の苦労を背負い込む天才だ。

 問題児が巻き起こした不祥事の収め方を心得ている。


「わざわざ遠いところを来てくれたんだ。すぐに追い返すのは忍びない。ヤシロが責任を持って、四十二区を案内してあげるといいよ」


 寛大な領主をアピールしつつ、面倒ごとを丸投げしやがったな。

 まぁ……結局そうなるんだろうなと、薄々は感じていたけどな。


「行き届いた対応、心より感謝する、私は」

「なぁに、大したことじゃないよ。気にしないでいいよ」

「寛大だな、おっぱいの人」

「ボクをその呼び方で呼ぶのはやめてもらおうか!?」

「アンチおっぱいの人?」

「アンチじゃないよ!? むしろウェルカムだけども! とにかくエステラでいいから!」


 どうしても「おっぱいの人」を残したいのかお前は。

 普通に名前で呼べっつの。


「これで解決した、すべての問題は」

「「「「いやいやいや……」」」」


 俺とエステラとマグダにロレッタが一斉にツッコミを入れる。

 ジネットも困り顔で苦笑を漏らす始末だ。


 時刻は昼前。

 こりゃ、今日明日は波乱を覚悟した方がよさそうだな。と、窓の外の快晴を見上げて、俺は思った。





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