139話 第四試合 悪魔の咀嚼音

 大会二日目の朝。

 俺は、日が昇る前に陽だまり亭を出た。

 第四戦で使う『メニュー』を大量に積み込んだ荷車と共に。


「悪いな、ミリィ。デリアは留守だし、マグダは寝てるし、頼れるヤツがいなかったんだ」

「ぅん。へいきだょ。みりぃ、早起きとくいだから」


 荷物が山と積まれた重たい荷車を、ミリィは涼しい顔で引っ張っていく。

 こんな小さな子に荷物持ちさせてるとか……ホント情けないんだが……


「ウーマロやハムっ子たちに頼んでもよかったんだが……あいつら微妙に力弱いんだよな……」

「ぅん……それぞれの種族で特化してる部分は違うからね、しょうがないょ」


 ロレッタやウーマロ、パーシーは、実はそんなに力が強くないのだ。ネフェリーやパウラも、さほどではない。

 獣人族がみんな力持ちってわけではないんだな。

 身近にいるヤツが凄ぇから、すっかり勘違いしていたぜ。


「ミリィさん。疲れたらすぐに言ってくださいね。紅茶を持ってきたので、好きな時に休憩しましょう」

「ぅん。ぁりがとう、じねっとさん。でも、まだ平気」


 にこにこと、疲れた様子など一切見せずに、ミリィは荷車を曳いている。


 ジネットとミリィ以外の面々は、日が昇ってからエステラたちと一緒に来ることになっている。

 俺がこんなに朝早くに出発したのは、作戦の一環なのだ。

 料理が登場した時のインパクトが、勝敗を左右すると言っても過言ではないからな。


「ぅふふ~、ふふ~ん♪」


 荷車を曳くミリィが鼻歌を歌う。

 やけに上機嫌だ。


「ぁのね、みりぃね……今、すごく嬉しいの」


 にこにこと、屈託のない笑みをこちらに向け、頭につけた大きなテントウムシの髪飾りを揺らしながらミリィは言う。


「てんとうむしさんに頼られて、みんなのお役に立てて、みりぃ、とっても嬉しい」


 これは、四十二区が一丸となって戦う大会だ。

 自分も何かをしたい。そう思うヤツはきっとたくさんいて、そういうヤツらは協力を惜しんだりしないのだろう。

 だから、こうして朝早くから荷物持ちなんて面倒くさい仕事を頼まれても、ミリィはにこにこと嬉しそうに笑っているのだ。


「ミリィ」

「ぅん?」

「ありがとな。すげぇ助かる」

「ぇへへ……」


 グッと力を込めて、ミリィは荷車を曳く。少し早足になったのは照れくさかったからかもしれない。

 そんなミリィの後ろ姿を見て、ジネットがくすりと笑みを零す。

 目が合うと、ジネットは俺にも満面の笑みをくれた。


 うん。

 勝たなきゃな。

 ここで負けるわけにはいかねぇよな。


 四十二区のみんなが、必死んなって頑張ってんだからよ。



 たとえ、俺がどうなろうが…………何がなんでも、勝ってやる!





「あの、ヤシロさん。あの方は……」


 四十一区の中央広場に差しかかった時、ジネットが俺の服を引っ張ってきた。

 中央広場に佇む巨大ブナシメジ像……もとい、精霊神像の前に蹲る人影があり、ジネットはそいつを指して言う。


「四回戦の対戦相手の方ではないですか?」


 ジネットの言う通り、その人影はピラニア顔の大男、暴食魚グスターブだった。

 確か、以前も熱心に祈りを捧げてたっけな。


「信心深いヤツだな」

「今日の勝利を祈っておられるのでしょうか?」

「なに? なら、邪魔しなけりゃな」


 精霊神を味方につけるとか、そんなもんズルいからな。


「よぅ、グスターブ」

「おや? あなたは確か、四十二区の……」


 今日も声が高い。

 こんな早朝でも高いままなんだな。


 ……負けるかっ。


「(裏声)ははっ! 今日は、よろしくね!」

「……どうして、そんな甲高い声でしゃべるのですか? 私の声はそんな感じに聞こえているのでしょうか?」


 ピラニアの顔が若干引き攣る。

 こんなに友好的に話しかけているというのに。


「そんな必死にお願いしないといけないほど、勝つ自信がないのか?」

「いえいえ。これは私の日課ですので。勝負のことは心配していませんよ。どうせ、私の圧勝ですので」

「へぇ……」


 小癪なことを抜かしやがる。

 いいだろう。お前みたいな信仰心の塊みたいなヤツには効果覿面な攻撃をしてやろう。


「おい、精霊神。グスターブはお前の力なんか必要としてないってよ。お前、いらないってさ」

「そ、そんなことは言ってませんよ!?」

「だから、俺に力貸してくれよ。グスターブに勝てるように」

「ズ、ズルいですよ!? 私が先にお祈りをしていたというのに!」

「祈りに先も後もないだろう? そもそもお前、『勝てますよ~に』とは祈ってないんだろ? じゃあ、俺の方が先じゃねぇか」

「祈っていましたとも! そもそも、私は毎朝『今日一日が素晴らしい日でありますように』と祈っているのです! 勝利すれば、それは素晴らしい日だということではないですか!」

「え~……でもさ、仮に負けても、マーシャに褒めてもらえればいい日になるんじゃねぇの?」

「マッ……マーシャさんに……」

「『負けちゃったけど、よく頑張ったね』って」

「そ……それは…………」

「ほい、じゃあお前は勝たなくていいな。そういうわけだ精霊神。俺に勝たせてくれな」

「ちょっと待ってください! やはり勝って、その上で私のことを認めてもらえることこそが私の本懐なのです! 精霊神様! どうか、私にこそ真の勝利を……!」


 俺を無視して巨大ブナシメジに膝をつくグスターブ。

 その背後から鼻につく声と言い方で煽ってやる。


「うっわ……、こいつ女にモテるために精霊神を利用してやがる……サイテー」

「ちょっ!? なんてことを言うんですか!? ち、違いますよ、精霊神様! 私は微塵もそのような不純なことは……!」

「考えてないのか? 本当に? 『微塵も』?」

「いや…………多少は…………そういうことも…………」

「はーい、スケベ! 邪! 女の敵! 精霊神を使って女をモノにしようとした最低半魚人!」

「私はピラニア人族です!」

「スケベの?」

「スケベではありません!」

「『微塵も?』」

「適度スケベです!」


 グスターブは混乱している。

 こいつ、面白ぇ。


「精霊神よぉ。こいつに味方するのはやめた方がいいぜ。お前まで『ムッツリーズ』メンバーだと思われるぞ」

「誰がムッツリーズですか!?」


 ダンダンと、地面を踏みしめ怒りをあらわにするグスターブ。

 ピラニアの目が鋭く尖り、俺を睨む。


「もしこれで負けたら、あなたのせいですからね!」


 まぁ、対戦相手なんだし、お前が負けたら俺のせいだろうな。

 ってことは、こいつはまだ知らないので、今は黙っておく。


 ギリギリと歯ぎしりをして、グスターブが背中を向ける。


「この屈辱は、試合で返します。次の試合に勝って、四十二区には敗北を味わわせて差し上げますよ! お覚悟を」


 言い捨てて、グスターブが歩き去る。

 遠ざかる背中を見つめ、ジネットがあわあわと慌て始める。


「ど、どうしましょう、ヤシロさん!? なんだか闘争本能に火が点いてしまったようですよ」


 ふむ。燃える闘魂を持ったヤツは厄介か……なら。


「精霊神様。グスターブが『さっきの無しで』って百回唱えるまで、マーシャとすれ違い続けますように」

「ちょっとぉー! なにお願いしてくれちゃってるんですか!?」


 物凄い勢いで駆け戻ってきたグスターブ。

 必死の形相だ。


「はい。すれ違いタイム、スタート」

「も、もうっ! さっきの無しでさっきの無しでさっきの無しでさっきの無しで……!」


 俺を一睨みした後、ブナシメジ像の前に跪き、グスターブは物凄い早口で『さっきの無しで』を唱え始める。信仰心が高過ぎると、こういう些細なことも気になっちゃったりするんだよな。

 俺に言わせりゃ、宗教なんてだいたいが思い込みみたいなもんだからな。


「さ、今のうちに、俺たちは悠々と会場に向かおうぜ」

「あの……よろしいのでしょうか?」

「信じる者は救われる。精霊神がそんなくだらないいたずらに加担なんかしないと信じていれば、あんなムキになって解除の呪文を唱えることもないんだ。信心が足りないんだよ」

「そういう……もの、でしょうか?」


 俺には神様なんてもんは見えない。

 見えないのであれば、想像で語るしかない。

 だとすれば、そんなもんは言ったもん勝ちなのだ。


 グスターブよ。精々無駄な体力を使い、精神を疲弊させておいてくれ。

 また会おう……会場でな。


 誇らしく胸を張って、俺は会場への道を進んだ。

 大食い大会でなく、口論大会なら、きっと誰にも負けないのになぁ、なんてことを思いながら。







 そうして、大会二日目が始まった。

 今日も観客席は満員だ。立ち見まで出てやがる。


 まぁ、ここで四十一区が勝てば試合終了だからな。

 しかも、四回戦はグスターブが出るという情報が出回り、大方の予想ではこの四回戦が最後の戦いになるとされているわけだ。

 そりゃ、見たいヤツも多いだろうな


「さぁ! 今日も張り切って応援するさね!」

「「「ぅおおおおおおっ!」」」


 前日に引き続き、ノーマは超ミニ&胸の谷間「どーん!」なチア服を着て応援に力を入れている。


「今日はあたいも、全力で応援するぜ!」

「あたしも、頑張るですっ!」


 前日敗北を喫した二人も、今日はお揃いのチア服を着て応援団に回ってくれている。

 デリア……ボィーン!


 じゃ、なくて……デリアが元気そうでよかった。

 マーシャのところで一晩話をして、吹っ切ってきたのだろう。

 持つべき者は友達だよな、やっぱ。……俺にはいないけどね、友達とか。ふん。


「ヤシロさん。大変ですわ!」


 一試合目の準備が進む中、イメルダが血相を変えて駆け寄ってきた。

 四十区の方で何かあったようだ。


「四十区の、四試合目の選手は………………お父様ですわ!」

「はぁっ!?」


 お父様って……木こりギルドのギルド長、スチュアート・ハビエルか!?


「なんでも、ここで一位にならなければ四十区の敗退が確定するため、『ここはギルド長の出番でしょう!?』と、上手く乗せられたみたいですわ!」


 うん……なんか乗せられてる図がすげぇ目に浮かぶ。



「「「ハービッエル! ハービッエル! ハービッエル! ザービッエル!」」」

「しょ、しょうがねぇなぁ……じゃあ、ワシが出る!」

「「「わぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~!」」」



 みたいなことだろう、どうせ。


「で、どれくらい食うんだ?」

「普通ですわね」

「……何しに出てくるんだよ?」


 試合を諦めたか……というか、最終的な責任を、四十区の大物に背負わせて有耶無耶にするつもりなんだろうな。


「……四十一区は、予定通りグスターブが出るもよう」


 偵察に行っていたマグダからの情報で、今回の出場者は確定した。

 俺、ハビエル、そしてグスターブだ。


 さてはて……勝てるかな。



 ――カンカンカンカン!



 スタンバイの鐘が打ち鳴らされる。

 じゃ、行くとするか!


「ヤシロさん!」


 舞台へ向かおうとした俺に、ジネットが駆け寄ってきた。

 なんだかとても不安そうな顔だ。


「あ、あの……本当に、あのメニューで……よろしいんでしょうか?」

「あぁ」


 今回のメニューは俺が考え、エステラを説得してねじ込ませてもらった。

「これでなきゃ勝機は無い」と言ってな。


 ついでに、エステラにはもう一仕事頼んである。

 朝一でリカルドとデミリーに話を付けてもらい、ちょっとしたデモンストレーションを行う許可を取りつけてもらった。


 なぁに。デモンストレーションといっても、観客の前で食材をカットするだけの、簡単なものだ。マグロの解体ショーとか、盛り上がるだろ? あんなノリだ。ショーだよ、ショー。


 ……きっと盛り上がるぜ…………ふふふ。


「ジネット。お前はひたすら料理を作り続けてくれ。そして……」


 俺はジネットの両肩に手を置き、くるっとジネットを反転させる。

 そして、その背中に告げる。


「なるべく、俺のことは見ないでくれ」

「……はい。分かりました」


 神妙な声で言い、ジネットは振り返ることなく、特設キッチンへと戻っていった。


 舞台に上がると、ハビエルが片手を上げて声をかけてきた。


「よぉ! よろしくな」

「出しゃばりめ」

「がはは! お互いさまだろうが!」


 やけに上機嫌のハビエルだが……膝がガクガク震えている。

 そういやこいつ、物凄く緊張に弱いんだっけな?

 開会式前にもプルプルしてたっけ?


「ギルド構成員の前だからって、あんまカッコつけない方がいいぞ。あとで恥をかくことになる」

「は、はん! バカなことを、言うんじゃねぇよ! ぜ、全然、こんなの、全然、よ、余裕だわい!」


 そのセリフがもうすでにテンパってるっつの。


 そして、もう一人……舞台上には俺を睨みつける男がいた。


「よう、今朝ぶりだな。ちゃんと百回唱えてきたのか、グスターブ」

「もちろんだ!」


 やっぱり、声は甲高い。ふざけてるのか。


「しかし、私は運がいい。まさか直接勝負することが出来るとは…………」


 鋭い牙が並ぶピラニアの口が、ニヤリと歪な形に変わる。


「この大観衆の前で大恥をかかせてあげますよ! 私が、精霊神様の像の前でかかされた羞恥を……十倍にして返して差し上げます!」


 う~む。こいつはギャグが通じないタイプなのかな……


「今ここでお尻を出したら、それくらいは恥ずかしいと思うんだが…………出そうか?」

「おやめなさい! あなたにも未来はあるでしょうに!」


 いや、尻を出したくらいで壊れる未来って……いや、尻を出しても平気な未来の方が問題か?

 なんにしても、こいつ、実はいいヤツなんだな。


「よし分かった! お前が勝ったら俺の尻を見せてやろう!」

「見たくありませんよ!」

「ハビエルのもつける!」

「なお要りません!」

「……見せる気はなくてもよ……そうきっぱり拒否られると、なんでか、ちょっと傷付くな、オイ」


 なんの意味もないところでハビエルが無駄にダメージを喰らったようだ。

 グスターブ、酷いヤツだ。


「その代わり、俺が勝ったら、エステラの尻を見せてもらう!」

「見せないよっ!?」


 突然、エステラが舞台上に現れた。

 その後ろにはリカルドとデミリーがいる。ちなみに、エステラは領主代行モードだ。


「デモンストレーションを行う代わりに、ボクたち領主と領主代行が近くで監視させてもらう。不正などはあり得ないだろうけど、念のためにね。了承してくれるね?」

「おう、構わねぇぞ」


 俺が了承すると、領主たちの後ろからナタリアがナイフを片手に登場する。

 ナタリアがカットしてくれるのか。


「不肖、このナタリアが、デモンストレーションを行わせていただきます」


 ナタリアの言葉に合わせて、ナタリアの目の前にテーブルが運ばれてくる。

 そこには何も載っていない皿が置かれていた。


「では……」


 と、ナタリアがナイフを構え…………懐から、真っ赤なリンゴを取り出す。

 以前ミリィと採りに行った、あのリンゴだ。


「はっ!」


 リンゴを空中に放り投げ、二回三回とナイフを振るうナタリア。

 皿の上に落下したリンゴは、綺麗に八等分にカットされ、花が開くように皿の上に転がった。


 凄い技術だ。

 だが、本番はこれからだ。


 八等分されたリンゴを一つ手に取り、ナタリアが器用に切り込みを入れていくと……

 可愛らしいウサギさんリンゴが出来上がった。


「わぁ!」

「かわいい!」


 客席から、そんな声が上がる。


「ほぅ、これは。なかなか……」

「ふん。まぁ、いんじゃねぇの?」


 デミリーとリカルドの反応も上々だ。

 こういう技術があるという発表会としては、まぁ成功だろう。


 なんともほんわかした雰囲気に包まれる中、ナタリアが四つのリンゴをウサギの形にカットして皿に並べる。

 そして、その皿を……選手のテーブルへと運んだ。


 ――ざわっ……


 会場がどよめいた。

 誰もが言葉を失い、「まさか……違うよね?」なんて拭いきれない不安を隠すことなく会場へ視線を注いでいる。

 リカルドとデミリーも、先ほどの柔らかい表情はどこへやら……顔の筋肉を強張らせていた。

 エステラに至ってはググッと顔を逸らしこちらを見ないようにしている。


「さぁ、第四回戦を始めようか」


 俺が言うと、声になっていない悲痛な叫びが会場を駆け巡った。

 まだ現実を直視出来ていないヤツがいるようなので、はっきりと言ってやろう。


「第四回戦は、このウサギさんリンゴ(四ヶ入り)がメニューだ!」

「いやー!」

「やめてー!」

「ウサギさんがかわいそー!」

「嘘でしょ!? 嘘だと言って!」


 阿鼻叫喚。

 俺の言葉を聞いた観客たちが一斉に叫び声を上げた。


 だが、知ったこっちゃない。

 試合で使うメニューは、前の試合の最下位が決めていいことになっているのだ。

 四十区だって、誰も食えないであろう辛いチキンを選んで、自区に有利になるよう小細工をしたじゃねぇか。


 このメニューに、何か文句でもあるのか?


 ちらりと視線を向けると、ハビエルは真っ青な顔をしており、グスターブは……


「おぉ……なんということでしょう……精霊神様…………」


 祈りを捧げてやがった。


「おいおい。大袈裟だな、お前ら……これは、ただの『リンゴ』だぜ?」


 俺の言葉には、誰も反論出来ないようだった。


「さぁ! さっさと始めようぜ!」


 俺はその場にいる連中すべてを無視して自分の席へと着く。

 食いたくないなら食わなきゃいい!


 俺は、食うけどね!


「そ、そうです……これはリンゴです…………」

「だ、だよな……リンゴ……これはただのリンゴだ……」


 ブツブツ言いながらも、グスターブとハビエルも席に着く。


「ボクは、もう失礼するよ……」


 エステラが踵を返し足早に通用口へと入っていく。

 あいつは、情が移ると別れが悲しくなるとか言ってたしな。見たくないのだろう。


「俺はここで見させてもらうぞ、オオバヤシロ!」

「では、私もそうしようかなぁ」


 リカルドとデミリーは舞台上に残り観戦するようだ。

 ったく、この領主どもは……誰もVIPルームを使いやがらねぇ。


 選手の前に皿が置かれて――試合が始まる。



 ――ッカーン!



 開始の鐘が鳴り、砂時計が反転させられ砂が落下を始める。


「た、食べますよっ!」


 グスターブが腹を決めてウサギさんリンゴに手を伸ばす。


「『ぅわ~い! 家族でお出かけなんて、嬉しいなぁ~』」

「なっ!?」


 グスターブがリンゴを掴もうとした瞬間、俺はウサギさんリンゴAにアテレコをする。

 すると、ウサギさんリンゴに触れる直前でグスターブの手が止まった。わなわなと震えて硬直している。


「『こらこら。あんまりはしゃぐなよ~』『お父さん、お母さん、早く早く~!』……この時、この幸せなウサギさん一家は……後にあんな惨劇が起こるなど、思ってもみなかった」

「あぁっ! 無理です! 出来ません! 私には、幸せなウサギさん一家を引き裂くようなことなど…………出来るはずもありません!」

「『お父さん。これからもずっと、ず~っと、家族四人で、一緒に暮らそうねっ』」

「うぉぉおおっ! 誰一人欠けさせてなるものですかぁ!」


 よしっ! 思惑通りだ。


 以前、ジネットとエステラはこのウサギさんリンゴを食べることが出来なかった。

 マグダですら抵抗を覚えていたくらいだった。


 この世界の精霊神像はみな抽象的な造形で、この街の住民はこのウサギさんリンゴのようなディフォルメされたものを異様に可愛く思う傾向がある。

 ただし、それがグスターブやハビエルに当て嵌るかは疑問だった。

 可愛らしい女子たちならともかく、オッサンどもが可愛いウサギさんを食べられない、なんて可能性は低いのではないかと危惧していたのだが……どうやら、俺は賭けに勝ったようだ。


 グスターブはバカがつくほど信仰心の強いヤツだから、こいつはきっと食えないだろうなとは、思っていたがな。


「えぇい! ワシは食うぞ! こんなもん、ただのリンゴだろうが!」


 グスターブの向こうで、ハビエルが己を鼓舞させリンゴを手に取る。

 させるかっ!


「『お父様っ! ワタクシ、お父様のそのようなお姿を見たくはありませんわっ!』」

「イメルダッ!? お前、イメルダなのかっ!?」


 ハビエルが、手に持ったウサギさんリンゴに問いかける。真面目な顔で。あ、摘まんでいたのを大切そうに両手で持ち直した。


「『美しいものは、永遠に壊されてはいけないのです! ワタクシは、心からそう願っていますわっ!』」

「イメルダッ! 間違いない、このウサギさんリンゴはイメルダだ!」

「……いえ、違いますわよ、お父様」


 舞台の下でイメルダ(本物)が引き気味の顔で呟く。


「ひ、卑怯だぞ、オオバヤシロ! 正々堂々戦ったらどうだ!?」


 リカルドが拳を握り、俺を強く非難する。


「何が卑怯だ? 食事中のおしゃべりは禁止だなんてルール、どこかに書いてあったか?」

「そ、それは…………だが、他の選手の妨害になるようなことは、当然のモラルとして……!」

「ただの独り言だ、気にせず食えばいい」

「気になるに決まってるだろう!?」


 キャンキャンとうるさいヤツだ。


「さてと、外野は無視して、俺も食~べよ~っと!」

「……なら、お前も同じ目に遭うがいい! 『ぴょんぴょんっ、ボク、かわいいかわいいウサギさん! 甘いお菓子が大好きなんだ、ぴょんぴょん』!」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「…………リカルド、頭大丈夫か?」

「やかましいわ! テメェの真似をしただけだろうがっ!」


 リカルドの顔が真っ赤に染まる。 

 相当恥ずかしかったようだ。

 まぁ、『ぴょんぴょん』は、ねぇわなぁ……


「はいはい、ウサギさんぴょ~ん、ウサギさんぴょ~ん」


 リンゴを持って、テーブルの上を跳ねさせてみる。


「テッ、テメェ! 俺をバカにしてるのか!?」

「ぴょ~んぴょ~んぴょ~ん……」


 三度跳ねた後、俺はそのウサギさんリンゴを口へと運び……


「ガブーッ!」


 これでもかと噛み千切った。


「「「「「ぎゃあああああああああああああああああああっ!?」」」」」


 観客席に絶叫が響く。


「う~めぇっ! ウサギ、うめっ!」


 ワザと口を開け、粉々になった肉片を見せつけながら咀嚼を繰り返す。

 シャックシャック、シャックシャック――と、咀嚼音を響かせながら。


 グスターブとハビエルは顔面蒼白になり、呆然と俺を見つめている。

 ……もうひと押ししておくか。


 俺は次のウサギさんリンゴを手に取り、今度は自分のリンゴに声を当てる。


「『おのれ、よくも兄さんを! 兄さんの仇だ!』」

「いいぞ! ガンバレウサギさん!」

「そんなヤツ、やっつけちゃえ!」


 観客席からリンゴに声援が飛ぶ。

 だが。


「あまいわ、小童がっ!」


 俺はウサギさんリンゴを高々と持ち上げ、耳を表すリンゴの皮を持ち、勢いよく引きちぎった。


「耳、ブッチーッ!」

「「「「「いやぁぁあああああああああああああああああああっ!?」」」」」

「そして、むーしゃむしゃむしゃぁあああっ!」

「「「「「やめたげてーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」」」」」


 そして、残りのリンゴ二つを両手に持ち、右にガブー、左にガブーと、わんぱくな食べ方をする。


「「「「「ウサギさぁあああああああああああああああああああああああんっ!?」」」」


 絶叫が轟く中、俺はすっと手を上げて、高らかに宣言する。


「おかわりっ!」

「悪魔っ!」

「鬼っ!」

「冷血漢っ!」


 ありとあらゆる罵声が飛び交う。

 だが、これでいい。


 勝負がかかった場面で、追い詰められた者は、普段では絶対行わない行動を『仕方ないから』という理由で実行することがある。

 この場合なら、勝ちを譲りたくないグスターブが、俺に対抗するために心を鬼にしてウサギさんリンゴを食べることだってあり得るのだ。

 そうなれば、俺に勝ち目はない。


 俺が勝つためには、徹底的に精神を追い詰めてやるしかない。

 もともと心にある『こんなかわいいものを食べるなんてかわいそう』という思いに、会場全体から醸し出される『ウサギさんを食べるなんて酷い』という思いが合わさり、今、この場所でウサギさんリンゴを食べることは極刑に値する罪であると錯覚させるのだ。


 知っているだろうか。

 人間は、周りの声に流されやすいということを。

 明らかに間違いであるにもかかわらず、その場にいる者の九割が『間違っていない』と主張すれば、本人は間違っていると確信していても『間違っていない』という主張をしてしまうのだ。

 もしかしたら、間違っているのは自分かもしれないと、錯覚して。


 その逆なら尚のこと、多少の罪悪感を抱いていた事柄に対し、その場にいる九割以上の者が『やっちゃダメだ』と主張した時、そいつはきっとその行動を起こせなくなる。


 グスターブもハビエルも、もう、ウサギさんリンゴを食べることは出来ない。

 特に、その場所に『絶対に嫌われたくない人物』がいるなら、尚更な。

 マーシャとイメルダが、今回のキーパーソンとも言えるわけだ。


「あー美味しー! 可愛いウサギさん、ちょーーーうめーーーー!」

「悪魔ぁー!」

「血も涙もないのかぁー!」

「誰か、あいつを止めろー!」

「精霊神様! あの者に天罰を!」

「もうこれ以上ウサギさんをいじめないであげてぇえー!」


 ま、俺は気にせず食うけどね。


「おかわり!」

「「「「「いやぁぁあああああああああああああああああああっ!?」」」」」


 結局、怒号飛び交う四十五分間で、ウサギさんリンゴを食べたのは俺だけだった。

 結果は、俺が八皿で、グスターブとハビエルがゼロ皿。

 これで、四十区の敗退が確定した。


 それにしても……


「ぐすっ……ウサギ……ウサギさんが……っ!」

「酷い……どうして、こんな…………」

「悪魔め…………悪魔め…………っ!」


 ……ものすげぇな、この街の連中は。

 ちょっと過剰反応過ぎやしねぇか?


 ウサギさんリンゴが食べられなくて号泣してたジネットは、別に大袈裟でもなんでもなかったんだな。


「う~ん! 快勝快勝!」


 意気揚々と四十二区待機スペースへ戻ると……なんか、みんなが微妙な顔をしていた。

 うん。とりあえず、全員目を逸らしているね。

 うんうん。分かる。分かるよ。


「お、お兄ちゃんは頑張ったです! みんなのために、一勝を勝ち取って、第五試合に希望を繋げてくれたです!」

「そ、そう……だよな! いや、なんか……凄い試合だったからよぉ……うん、そうだ! ヤシロ、お疲れ!」


 ロレッタが口火を切り、デリアがそれに賛同して、ようやく場の空気が少しだけ解れた。

 ははは……ムリしなくていいのに。


「まっ! 俺にかかればこんなもんよ! はっはっはっ! チョロいチョロい!」


 ワザと高慢に言って胸を張る。

 いまだ引き攣った笑顔がチラホラと見える。


「あ~、しかし、リンゴは大量に食うもんじゃねぇな。悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ」


 ……俺がいない方が、いい時だってあるだろう。

 なんとか、五戦目までには気持ちを切り替えておいてくれよ。


 待機スペースを離れ、俺は会場の出口へと向かう。

 今から一時間くらい姿をくらませてりゃ、少しは空気もよくなるだろう。


 なんだろうな。久しぶりだぜ、この感覚。


 やっぱ俺って詐欺師なんだろうな。

 ……ふふ………………嫌われ者が板についてんじゃねぇか。


 やっぱ、詐欺師なんて生き物は、こうでなきゃ…………



「待ってくださいっ!」



 その声は悲痛で、必死で、ほんの少し泣きそうで……

 俺は、思わず振り返ってしまった。


「リンゴですよ! これは、ただのリンゴです!」


 ジネットが、ウサギさんリンゴとナイフを持って、観客の前に立っていた。

 そして、おもむろにウサギの耳を……いや、リンゴの皮を全部、綺麗に剥いてしまった。


「ほら! リンゴです! ヤシロさんが食べたのは、このリンゴなんですよ!」


 ジネットの手に握られているのは、綺麗に皮の剥かれた、ただのリンゴ。


「わたしだって、食べます。リンゴ、大好きですから!」


 そう言って、リンゴを一口齧った。

 シャクッという音が、やけにはっきりと鼓膜を震わせた。


「美味しいです。とても、美味しいリンゴですよ」


 ジネットは、観客に向かってしゃべっている。

 けれど……なんでだろうか…………その言葉は、俺の心の中にビシバシ届いて……なんか、喉の奥がギュッと締まる気がした。


「ジネット。私にも、その美味しそうなリンゴをくださいませんか?」

「シスター……はい。すぐにご用意しますね」

「ぁ……みりぃも、……たべたい」

「あ、ほな、ついでにウチももろとこかな」

「あたしも食べるです!」

「あたい、甘い物好きだからなぁ、ジャンジャン持ってきてくれ!」

「……マグダは……次の試合さえなければ全部食べ尽くすのに……」

「あんたは我慢するさね。アタシらで全部食べといてやるからさぁ」

「私もぉ、おひとつい~ぃ☆?」

「ちょっと、ネフェリー、皮剥くの手伝ってくれない?」

「もう、しょうがないなぁ、パウラは……くすっ。任せなさい!」


 どんよりと停滞していた重い空気が、一気に動き始めた。

 賑やかに、華やかに、女子たちがリンゴを囲んでわいわいと楽しそうな声を上げる。


「あ、はいはい! オイラ、実は皮剥きすっごい得意なんッスよ! 大工ッスから!」

「拙者も、彫刻家でござる故、少々腕に覚えがあるでござる」

「んなもん、俺なんか狩猟ギルドの支部を任されてる狩人だぜ? 皮を剥ぐなんざ、朝飯前だっつの!」


 野郎どもも、なんだか分からない理由で盛り上がってやがる。


「ヤシロさぁ~ん!」


 そして、ジネットが俺を呼ぶ。

 いつもの声で。

 いつもの笑顔で。


「どうですか? ヤシロさんもご一緒に!」

「……あぁ…………」


 ……くそ。ダメだ。


「食い過ぎて腹痛いから、トイレ行ってからなぁ~」

「はい! あ、では、手を綺麗に洗ってきてくださいね」

「へいへ~い!」


 片手を上げ、ふらりと会場を後にする。



 あんま、気ぃ遣うんじゃねぇよ……



「リンゴなんか、もう一切れだって食えるかよ…………」



 胸がいっぱいだっつうの……



 俺は、こんなやり方しか出来ない。

 こういう方法でしか、目的を達成出来ないのだ。


 カレーを作った時も、大会の初日も、俺らしさを欠いた結果、酷い目に遭った。

 誰かを頼っちまった。

 騙されるヤツがバカなんだと言いながら……他人を信用してしまった。


 変わることなんか出来ない。

 変われるわけがない。


 みんなで楽しくわいわいと?


 していいわけないだろ、詐欺師風情が……




 でもまぁ……




「優勝するまでは、頑張らなきゃな…………『みんなで』」



 胸に何かが支えて息苦しい。何かさっぱりした物が食べたい気分だった。

 出来れば、――リンゴ以外の何かを。






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