13話 川漁ギルドのギルド長

 現在、陽だまり亭は改装工事中のため、一時的に店を閉めている。


 だが、食堂が休みだからといって、俺たちに休んでいる暇などない。

 利益を上げなければ生きていくことは出来ないのだ。


 今すぐ金が手に入らなくとも、今後経営を優位に進めていくための根回しや下準備というものが必要になる。

 今は、それらを抜かりなく行う時期なのだ。


「そんなわけで、川漁をしている連中のところへ行くぞ」

「それでしたら、四十二区の西側に大きな川がありますから、そちらへ行けばお話を聞いてもらえると思いますよ」


 西側というと……湿地帯の方か?

 あぁ、そういえば湿地帯から逃げる時に一度泳いで渡ったことがあったな。

 水量からして、結構な漁が出来そうな大きな川だったっけか。


「そういえばエステラ」

「なんだい?」


 こいつは今日も、さも当然という顔をして俺たちと行動を共にしていやがる。ホント、仕事とかしなくていいのか? 「どうせ、結婚して養ってもらうしぃ~」みたいな甘い考えでいるんじゃないだろうな? そういうのはFカップくらいある美少女でなければ成功率が…………

 まぁ、こいつの将来などどうなっても構わんのだがな。


「農家や漁師にはギルドはないのか?」

「あるよ」

「あるのかよ!?」


 だったら、行商ギルドとの交渉はギルドが請け負ってやれよ。

 モーマットみたいに、土いじりしかしたことのないようなヤツに交渉をさせるからこの前のような事態に追い込まれるのだ。

 そういう頭の弱い連中に代わって交渉事を請け負うのがギルドとしての責務だろう。


「農業ギルドや川漁ギルドの権限はとても弱いんだ」

「なんでだ?」

「各区に存在するからさ」

「…………よく、分からんが?」

「つまりだね……」


 エステラが語った説明はこうだ。

 行商ギルドは全区に権限を持ち、行商に関しては絶大な権力を持っている。

 それは、複数の同系統ギルドが乱立して価格破壊を起こさないためであり、その権限は街全体によって保障されるものである。

 要するに、各区の領主全員が「行商に関してはお宅のギルドに一任しますよ」と委任している状態なのだ。

 全領主が同時に、同条件で委任するのは、特定の区に利益が集中しないように牽制する意味合いも含んでおり、それ故に領主であってもギルドに対し強権を発動することは難しい。そんなことをすれば、自分以外のすべての領主を敵に回すことになりかねないからな。


 このように、全区を股にかけ、オールブルーム内に一ヶ所しかないギルドは領主の睨み合いを背景に相当な権力を有している。

 行商ギルドのように区民の生活に直結しているギルドなんかだと、領主に対してすらも強気な交渉を行うことが可能なのだ。

「お前の区に商品を流さないぞ」という脅しが使用出来るからな。もっとも、それは最終手段で、実際は行使せずチラつかせて交渉カードとしているだけだろうが。

 謝罪同様、相手の善意に働きかける交渉は踏み込み過ぎるとダメージが何倍にもなって跳ね返ってくるものなのだ。


 まぁ、そんなクソみたいな組織だから、四十二区なんて最底辺の区を治める領主を盛大に舐め倒しているのだろう。

 四十二区内での行商ギルドの振る舞いは、以前より目に余るものがあるようだ。

 それに強く出られない領主もどうかと思うけどな。


 一方、農業ギルドや川漁ギルドは各区に一つずつ存在している。

 それは、領土を治めているのが領主だからだ。

 その区の領土で行う生産活動に、他の区の領主が口を出せるわけもなく、農業と川漁、酪農と綿織物などは各区にそれぞれギルドが存在する。

 そのようなギルドは、当然領主の影響を色濃く受けることになる。なにせ、トップが領主なのだから、その領主を牽制する手段がない。

 領主が一言、「畑一反につき税金をいくらかけるんで、そんな感じでシクヨロ!」と言えばそれに従わざるを得ないのだ。逆らえば漏れなく失業だからな。


 で、そんな領主の言いなりギルドが、領主にすら意見出来る強豪ギルドに対し意見が出来るかと言えば…………答えは火を見るより明らかだ。


「だからね、君のゴミ回収ギルドも行商ギルドから一度クレームが入れば吹き飛ばされるかもしれないね」

「そこを踏ん張るのが領主だろうが」

「さぁ、どうかな。君たちを儲けさせるために区民全員の生活を危険にさらすような真似は出来ないんじゃないか?」

「……めんどくせぇシステムだな、ホント」


 悪徳業者がどこまでも幅を利かせられるシステムだ。

 ……一体、誰の懐に賄賂が流れ込んでいるんだろうな。


「あれ、ってことは、ゴミ回収ギルドって……」

「当然、四十二区限定のギルドだよ」

「……領主の言いなりなわけだな」

「まぁ、ここの領主はいちいちギルドの活動に口を出さないから、あんまり気にしなくてもいいと思うよ」

「いや、口を出さないから行商ギルドのいいようにされてんじゃないのか?」

「君は領主に口を出してほしいのかほしくないのか、どっちなんだい?」

「活動には口出しせずに、責任はまるごと背負ってほしい」

「…………君らしい回答だね」


 エステラがため息を漏らす。

 お前知らないのか? ため息をつく度に胸の膨らみがなくなっていくんだぞ?

 ジネットを見ろ。悩みなんかまるでない能天気娘だからあんなに乳がデカい。


「あ……っ」


 俺とエステラがギルドに関する話をしている間、おそらく話についてこられなかったのであろうジネットは黙って隣を歩いていたのだが、河原が近付いた辺りで急に声を上げた。


「アレは……」


 ジネットの視線を追ってそちらを見ると……


「げぇっ!?」


 そこには、体長が2メートルはあろうかという巨大な熊が、こちらに背を向けて座っていた。

 デカい!

 パッと見ただけでも、服を着ていないことからそいつが獣であることが分かる。

 ……こんな街の中に熊が出没するのか…………っ!


 やばい、逃げなきゃ。

 熊の恐ろしさはテレビなんかでよく知っている。ヤツらはシャレにならない生き物だ。死んだフリをすればいいとか、大きな音を鳴らせば逃げていくなんてのは全部迷信だ。ヤツらは、やる時はやる生き物なのだ。


 ……気付かれたら、確実にやられる…………


「(おい、みんな……音を立てずにそっと逃げるぞ……)」


 二人にだけ聞こえるように小声で言う。

 しかし、ジネットはそれが聞こえなかったのか、とんでもない行動に出やがった。


「こ~んにちわ~!」


 その熊に対し、大きく手を振って大声で挨拶しやがったのだ。

 こいつ何してんの!?

 知り合いか何かと勘違いしてんの!? どう見ても熊じゃん! 全身毛むくじゃらじゃん!

 もしあいつが襲いかかってきたら、俺はお前を囮にして真っ先に逃げるからな!?


 と、その時、視界の隅でノソリ……と、熊が動いた。

 ……あぁ、食われる。俺はここで終わるんだ。

 そんな諦めの境地に至りつつも、往生際の悪さを露呈するように体が自然と踵を返す。

 こんなことなら二十九区で見かけたマンガ肉を食っておけばよかった。

 あったんだよ、骨が突き刺さったマンモス的な感じの肉が。

 だが、一個600Rbもしやがって……「ふざけんな!」と思ったんだよなぁ。あぁ、どうせなら食っておけばよかった……エステラかジネットの金で。


 なんて、この世の未練が脳裏をよぎり始めた俺の耳に、野太い声が聞こえてきた。


「お~! ジネットちゃ~ん!」

「オメロさ~ん! お仕事お疲れ様で~す!」


 …………今、しゃべった?


 寂びたブリキのおもちゃのように、ギギギ……とゆっくり振り返ると、数メートル前にいた巨大な熊がこちらを向いて手を振っていた。

 全身毛むくじゃらで、どう見ても熊なのだが……すっげぇ小さいビキニパンツを穿いていた。男子競泳用ブーメランパンツをTバックにしたようなヤツだ。……え、なに、あれ?


「どうしたね? 今日はみんなで河原を散歩かい?」


 トコトコと歩み寄ってくるその巨大な熊は、俺たちの目の前まで来ると立ち止まった。

 ……つか、こいつ、熊か?

 なんか、顔が……


「……念のために確認したいんだが……」

「ん? なんだ兄ちゃん?」

「あんた、クマ人族か?」

「いんや、アライグマ人族だが?」

「紛らわしいわっ! あと、デカい!」


 俺が怒鳴るとアライグマ人族のオメロはビクッと肩をすくませた。

 両手で頭を抱えるようにして、つぶらな瞳をウルウルさせてこちらを見つめてくる。


「そんなこと言われても……オレは生まれた時からこの体だし……」

「いや怒鳴ってすまなかった。なんか、スゲェ怖かったから、つい……」


 まぁ、野生の熊じゃなくてよかったということにしておこう。


「で……なんでさっきから横向いてんだ、エステラ?」

「う、うるさい……しょうがないだろう、そんな格好をされていては……」


 そんな格好と言うが……


「どこか変か?」

「そ、そんな際どい水着で女子の前に堂々と立たないでほしいものだね!」


 いや……これ、どう見ても野生の動物じゃねぇか。

 これに対して恥ずかしいって……お前、思春期か?

 牛の乳搾りで赤面しちゃう系?


「いやぁ、すまんかったすまんかった。レディの前でこんな格好は失礼か。すぐに上を着てくるよ」


 オメロはトコトコとさっきいた場所へ上着を取りに戻る。

 ……つか、足音可愛いな、おい。


「ジネットは平気なんだな。オッサンのブーメランパンツ」

「ぅええっ!? へ、平気ではないですよ!? でも、アレはオメロさんの仕事着ですので、そういう目で見るのは失礼かと思いまして……」

「じゃあ、真っ裸で仕事をしているダンサーがいても直視出来るんだな?」

「そんな人はいませんよねっ!?」

「いや、もしいたらだよ」

「いませんもん!」

「じゃあ俺がその第一号になる!」

「なら、ボクが即座に自警団に通報するよ」


 むぅ……横槍が入ったか。

 まぁ、俺には見せつけたい願望はないからいいけど。どちらかといえば見たい方だ。


「ところでジネット、真っ裸で仕事をする女性に心当たりはないか?」

「存じ上げかねますっ!」

「いや、俺もジネットを見習って、相手の仕事姿をねっとりたっぷり観賞しようかと思ってな」

「わたしは、そんなことしてませんよっ!?」


 真っ赤な顔をしてジネットが吠える。

 そうか、知らないか……でもどこかにいるとは思うんだよな。……今度探してみるか。


「おう、これでいいかな?」


 オメロが上着を羽織って戻ってきた。

 って、おい!

 下穿いてねぇじゃねぇか! 海パンのまんまじゃん!


「まったく……以後気を付けてほしいものだね」

「そうですね。少し照れますからね」

「いや、これでいいのっ!?」


 なんだか女子二人が「やれやれ」みたいな感じで納得してるんですけど!?

 下半身まるで変わってないぞ!?

 お前らの羞恥ポイントってどこなの!?


 ……もしかして、下半身はOKな街なのか?


「なぁ、ジネット」

「はい。なんですか?」

「ちょっと尻を見せてくれないか?」

「懺悔してくださいっ!」


 ダメなんじゃん!?

 ……基準が分からねぇ……難し過ぎるだろ、オールブルーム…………


「で、今日は何か用事でもあるのかい?」


 下半身ブーメランパンツアライグマこと、オメロが改めて尋ねてくる。


「オメロさんは、川漁ギルドの副ギルド長をされているんですよ」

「よしてくれよ、ジネットちゃん。副ギルド長なんつっても、名前だけでなんの権限もない役職なんだから」


 そういう割には、得意顔だ。

 なんだかんだ言いながら、その肩書きに誇りを持っているのだろう。

 なら、こいつに話を通せばすんなり事が運ぶかもしれんな。


「川で捕れる魚に関して、少し相談したいことがあるんだが」

「魚に関して?」


 不思議そうな顔をするオメロ。しかし、すぐに何かに思い至ったようで、手をパンと打ち鳴らす。


「そういや、モーマットのヤツが何か言ってたな、新しいギルドが出来たとか、野菜の価値が上がったとか……アレのことかい?」

「はい。それのことで、ギルド長さんとお話をさせていただきたくて……ね、ヤシロさん」

「あぁ。そこで、副ギルド長であるあんたから、ギルド長に話を通してくれないか?」

「い~~や、むりむりむりむりむりむりむりむりむり!」


 凄い拒絶反応だ。

 デカいアライグマがプルプル震えている。


「親方に話しかけるなんて……オレ、ビビっちまって絶対無理だよ」


 こんなデカいアライグマが怯える親方ってのはどんなヤツなんだ?

 そんなに怖い人物なのか?


「……親方はな……クマ人族の中でも一、二を争う腕っぷしの強さで、ここいらじゃ敵うヤツなんかいないんだ。おまけに、すぐに手が出るし……手加減を知らねぇから何度死にかけたか……」

「危険人物じゃねぇか!」

「危険人物なんだよ!」

「放し飼いにすんなよ、そんなヤツ!」

「あんなもん、飼えるヤツがこの世にいるもんか!」


 オメロは必死の形相だ。

 そんなに怖いのか……


「オメロ。お前が川漁ギルドを代表して交渉してくれ」

「そりゃあ無茶ってもんだ! 親方を無視して勝手なことをすりゃあ…………明日、河原で洗われてるのはオレかもしれねぇ……」

「いや、お前以外に河原で何かを洗うヤツいねぇだろ」


 全人類がいろんなものを洗うと思うなよ、このアライグマ。


「と、とにかく、親方に会って直接話をつけてくれ。オレは遠くで見守っているから」

「いや、近くにいろよ」

「とばっちりを食らうのは御免だ!」

「さっきお前が親方のことを『あんなもん』呼ばわりしていたことをバラすぞ?」

「やめてくれぇ! マジで殺されちまう! この通りだ!」


 デカいアライグマが土下座をした。

 一切の躊躇いがなかった。

 命がかかっている者の潔さだ。

 ……こいつ、マジか?


「お前んとこのギルド、よくそれで運営していけるな……」


 副ギルド長がここまで怖がっていて、連携とか取れているのだろうか?

 親方の言うことに絶対服従な組織だったりして……それじゃあ親方じゃなくて親分じゃねぇか。


 ジネットがオメロをなだめ、土下座をやめさせている。

 肩を落とし、オメロがぐったりしている。

 こいつは連れて行かない方がいいかもしれないな。

 俺たちだけで交渉か……


 なんとも嫌な予感がする。

 なにせ、アライグマでさえこのサイズだ。

 クマ人族…………


「よし、帰ろう」

「ダメですよ、ヤシロさん! この前お店に来てくださったペトルさんに、『是非親方と話してほしい』と頼まれているんですから」

「じゃあそのペトルとやらを呼んでこい! 確か、そいつは人間だったはずだよな? 人のよさそうな顔をしたオッサンだったはずだ。そいつを間に挟ませろ」

「あぁ、ダメだよ、兄ちゃん。ペトルはギルドの下っ端だ。大方、親方の使いっパシリにされたんだろうが、あいつを間に挟むだなんて……ペトルが死んじまうよ」


 なんでお前んとこのギルドはすぐに死人が出るんだ。

 そんな危険人物に、直接交渉しろというのか?

 無理難題吹っかけられたらどうすりゃいいんだよ……


『ワシの言うことが聞けねぇってのか、あぁん!?』


 脳内で、強面の親分が恫喝してくる様が想起される。

 ……怖過ぎる。


 物凄く行きたくない……


「しかし、親方がペトルを店に行かせたんだとしたら……早く行かないと、あとが怖いかもしんねぇなぁ」


 なんか、行くも地獄戻るも地獄状態になってないか、これ!?


「そうだ。ジネット。お前は会ったことがないのか、ここの親方に」

「いえ。ないです」


 ないのかよっ!?

 結構頼りにしてたのに!

 知り合いなら、この人畜無害なジネットを緩衝材に、話をスムーズに進められると踏んでいたのだが……


「とりあえず、会いに行ってみませんか? きっといい方ですよ」

「お前のその根拠のない自信はどこから来るんだ?」


 ここまでの会話聞いてたか?

 恐ろしい熊なんだぞ、お前が会いに行こうと言っているのは。


「とはいえ、会わないわけにもいかないんじゃないのかい?」


 エステラが涼しい顔で言う。

 いいよな、お前は。部外者だから。


 あ、そうか。


「エステラ。今日からお前を『陽だまり亭臨時交渉人』に任命する」

「ボクを犠牲にしようとするのはやめてくれないか?」

「こういうのは、女の方が上手くいくんだよ」

「その根拠は?」

「おっぱいが嫌いな男など、この世に存在しないからさ!」


 そう!

 どんな男であっても、美少女とおっぱいにはきつく当たれないものなのだ!

 ……って。


「あぁっ、しまった! こいつにはおっぱいが無いっ!?」

「ホント、グーで殴るよっ!?」


 なんとか美少女枠でエントリー出来ないだろうか?

 ……服装と一人称と胸の無さで中性的になっているからなぁ……俺も最初男だと思っちゃったし。

 それならジネットを交渉人にするべきなのだろうが……ジネットに交渉など不可能だ。

 あいつは言われたことをなんでも「はい、よろこんで」と了承してしまうに違いない。


「エステラ、大豆を食って牛乳を飲め」

「言いたいことはそれだけかい?」


 エステラが懐に忍ばせたナイフに手をかける。

 まったく。ちょっとスペースが余っているからって、懐にそんな危険なものを忍ばせたりして……とは、口が裂けても言わないけれど。だって、目がマジなんだもん。あれ、本気で人を刺すヤツの目だ。


「しょうがない。とりあえず会うだけ会うか」


 話し合いが無理そうな相手ならダッシュで逃げればいい。

 その際、どん臭いジネットがもたついて親分に捕まるかもしれんが、……その時間を利用すれば俺だけは確実に逃げ出せる。うん、完璧な作戦だ。『俺さえ無事ならそれでいい大作戦』だ。


「それじゃあ、オメロ。親分のところまで案内してくれ」

「いや、親方なんだが……」


 どっちでも似たようなもんだろうが。細かいヤツだ。


「しょうがない。とりあえず、食われないように注意して交渉をするぞ」

「どんな生き物を想定してるんだい、君は?」


 熊だよ熊。

 ガオーで、ザシューで、頸動脈スッパー、鮮血ドッバーのあの熊だよ!


「あの、ヤシロさん。ヤシロさんが不安なのでしたら、わたしがお話をしましょうか?」

「ジネット、お前は陽だまり亭を潰す気か?」

「えぇっ!? なんでそうなるんですか!?」


 もういい。

 腹を決めるしかない。

 なに、大丈夫だ。出会っていきなりガオー、ザシューはないだろう。


「親方なら、この川の上流で漁をしているはずだ。行けば分かるよ」


 オメロはそれだけ言うと、そそくさと帰ってしまった。

 ……本当に付いてこないとは。

 お前らの未来がかかった交渉をするんだぞ? 自覚あるのか?


「それじゃあ、行きましょうか、ヤシロさん」


 ジネットはどこまでも明るい。

 分けてほしいよ、その能天気さを。


 歩き出した俺の足取りは重い。

 踏み出す一歩一歩は、死地へ赴く敗残兵の如くだ。


「しかし、君はビビり過ぎじゃないのかい?」

「あのな、エステラ。俺は、人間相手ならどんなヤツにだって負けない自信がある」


 口でなら、だけどな。


「けれど、理屈も通じない相手なら話は別だ。俺は腕力には自信がないんだ」


 実際、五十代間際のオッサン如きに刺されて一度他界している身だ。

 俺が一端に強ければ、あんなやつれきったオッサンに負けはしなかっただろう。

 俺の戦闘能力など、その程度なのだ。


「でも、街で普通に生活されている方ですし、本当の熊というわけではないと思いますよ?」

「本当の熊は武器を使わないからな。……一層厄介な相手だと考えた方がいい」

「ネガティブだな、君は……」


 バカヤロウ。

 慎重なんだよ。

 人生に無頓着なヤツは、見え見えの落とし穴にすら嵌り込んでしまうからな。


「あっ! あれはなんでしょうか?」


 ジネットが指さした先に、丸い樽のようなものが置かれていた。

 川の中に少し浸るように置かれた大きな樽。人間がすっぽり入れそうな巨大さだ。

 ……まさか、あの中にいるわけじゃないよな?


「行ってみましょう」

「あ、おい!」


 ジネットが樽へと近付いていく。

 俺たちも急いで後を追う。

 勝手な行動を取られては敵わん。

 あいつなら、ちょっと押しちゃって樽を川に落とすくらいのことは仕出かしそうだからな。


「わぁ……お魚がいっぱいです」


 俺たちが追いつく前に、ジネットは樽の中を覗き込んでいた。

 その中にいたのが猛獣だったら、お前食われてたかもしれないんだぞ。危機感ってもんがないのか、こいつは。


 ジネットの隣に立ち、中を覗き込む。

 樽の高さは、俺の胸くらいなので覗き込むのは容易だった。


 中には無数の魚が泳いでいた。

 こいつは…………


「鮭、か?」


 よく覗き込んで見てみる。

 どこからどう見ても鮭だ。

 アゴのシャクレ具合も、鱗の色も、傷付いたヒレも。どれもこれもが完全に鮭だった。


 手に取ってもっとよく見てみたいな。

 と、樽の中に手を伸ばした時――


「あたいの魚を盗もうってのか、あんたたち!?」

「――っ!?」


 突然、背後から怒号が飛んできた。

 心臓が割れたかと思った。


 慌てて振り返ると、そこには一人の女が立っていた。

 紫がかった長い髪を腰の辺りで一つに結び、きりっとした顔つきの美しい女だ。

 しかしながら、体つきはがっちりとしており、身長は俺よりデカい……目測だが、180弱くらいはありそうだ。

 そして、鍛えられた太ももと、八つに割れた腹筋。さらに剥き出しの上腕二頭筋は男の俺でもため息を漏らしてしまいそうなほど美しく引き締まっている。

 その肉体美のなせる技なのだろうが、ホットパンツと胸だけを隠すチューブトップのようなものしか身に着けていないにもかかわらず、彼女はとてもオシャレに見えた。

 そして、頭のてっぺんにちょこんちょこんとついている丸っこい耳。

 クマ人族は…………クマ耳美女だった。


 だが、そんなことよりも……

 最も目を引いたのは、引き締まった体から不自然なまでに突き出した二つの膨らみ。

 THE・DEKAPAI!

 物凄い巨乳だ。


「……デカい」

「そうですね。大きな方ですね」

「ジネットちゃん。ヤシロに同意しない方がいいよ。彼は君とは違うものを見ているから」


 なんとも張りのありそうなおっぱいだ。

 まるで『皮まで食べられるマスカット』のようだ。


「で? どいつが首謀者だい?」


 首謀者?

 この女は何を言っているのだろう?


 そう思った瞬間、クマ耳美女の腕が俺の襟首を締め上げた。


「あたいの獲物を横取りしようなんざ、いい度胸じゃないか! 死ぬ覚悟は出来てるんだろうね!?」


 出来てねぇよ!

 つか、なんつうパワーだ!?

 こいつ、本当に人間か!?


 俺の体は軽々と持ち上げられ、襟を締める指を解こうと両手でこじ開けにかかるがビクともしない。

 手首の内側をこちょこちょ~っとしても無反応だった。くっそ、ここすげぇこそばゆいところだと思ったのに!


「あ、あの! 誤解です! わたしたちは魚泥棒ではありません!」

「本当かい?」

「はい! もしお疑いでしたら、どうぞ、わたしを『精霊の審判』におかけください」

「…………」


 ピシッと背筋を伸ばして立つジネットを無言で見つめるクマ耳美女。

 ……あの、とりあえず下ろしてくんないかな? 苦しいんだけど……


「…………分かった。お前を信じる」

「ありがとうございます」


 ジネットが深々と頭を下げると、クマ耳美女はようやく俺を解放した。

 ……っはぁぁぁああ~!

 空気のありがたさが身に沁みる!


「悪かったな、疑っちまって」

「いいえ。勝手に樽に近付いたわたしが悪いです。申し訳ありませんでした」

「やめとくれよ。これじゃ堂々巡りになっちまう」

「はい、ではここで幕引きといたしましょう」


 朗らかな笑みを交わし合うジネットとクマ耳美女。


 ……いや、まず俺に謝れよ、お前ら。

 俺はジネットを止めようとしたんだぞ。


「ヤシロ」


 河原に蹲る俺のもとへ、エステラが近寄ってきて、しゃがみ込む。

 慰めてくれるのか? いいヤツだな、お前。


「持ち上げられている時に、二度ほどスネが巨乳に当たっていたけど、感想は?」

「……そんなもん、感じてる暇、あったと思うか……?」


 こいつ……どこまで性根が腐ってやがるんだ…………


「んで、あんたらは一体なんなんだ? あたいに何か用か?」

「わたしたちは、ペトルさんに言われて川漁ギルドのギルド長さんにお話をしにやって来たんです」

「あぁ! ってことは、あんたらが陽だまり亭の?」

「はい。わたしが店主のジネットと申します。そして、従業員のヤシロさんと、お手伝いをしてくださっているエステラさんです」


 エステラがいつ手伝いをしてくれたのか、俺にはとんと覚えがない。


「そうかい。あんたらが」


 クマ耳美女はこほんと咳払いをすると、大きな胸を強調するように張って、自信に満ち満ちた表情で名乗りを上げた。


「あたいが、川漁ギルドのギルド長、デリアだ。よろしくな」

「こちらこそ。よろしくお願いいたします」


 差し出された手をギュッと握るジネット。

 ……の、足元で呼吸困難に陥っている俺。


 なぁ、誰か俺を心配してくれても、罰は当たらんと思うんだが?

 なぁ?


 まぁ。

 ただひとつ分かったことは……

 真っ裸で仕事をする人はいないかもしれんが、限りなく裸に近い格好で仕事をしている漁師はここにいた。

 それが分かっただけでもめっけもんだ!


「んで、農家のモーマットから聞いたんだが、あんたらギルドより高く食材を買い取ってくれるんだって?」

「それは違う」


 その解釈には語弊がある。

 俺たち『ゴミ回収ギルド』が出来るのは、あくまで『商品にならない廃棄物』を買い取る行為だ。

 そして、その買取価格が行商ギルドよりも少し割高というだけのことだ。

 どれだけを余剰分とするかは各々の勝手だが、あまりに目につく行為を続ければ行商ギルドも黙ってはいないだろう。

 ゴミ回収ギルドが廃業に追いやられるだけならまだ可愛いもんだが、行商ギルドのヤツらがそれだけで終わらせるはずもなく、俺らと関わりを持った者たちに必ずや鉄槌を下すだろう。それこそ、死人が出てもおかしくないほどの制裁をな。

 だいたい、それ以前の問題として俺たちに資金の余裕はない。つまり、どんなに余剰分を用意してもらおうと、俺たちが買い取れるのは『自分たちが必要な分だけ』だ。


「変な期待をされても応えられないからな」

「じゃあ、具体的にどんなものを買ってくれるんだ?」


 具体的にか……


「例えば、大量に捕れ過ぎるもの。もしくは捕れても売り物にならないもの、だな」

「売り物にならないものってんなら、そこのが全部そうだ」


 言って、デリアはアゴで樽を指し示す。


「…………は?」


 今、なんと?


「その魚は身が赤いんだ。川魚は白身と決まってるだろ? だから、赤い身の川魚なんて気味が悪くて食べられねぇって、行商ギルドは買取を拒否してんだよ」

「ば…………」


 バカなのか、行商ギルド!?


「焼いて食うと美味いんだけどなぁ……こいつはあたいら漁師しか食わない下魚なんだよ」

「バカなことを言うな!」


 鮭は日本人の心!

 煮てよし焼いてよし加工してよしの最強魚だろうが!


 これは、買いだ!


「とりあえず、この魚は定期的に欲しい。捕れる時期はいつくらいだ?」

「こいつなら、年がら年中ここで捕れるぜ」


 マジでか!

 異世界すげぇな!


「な、なんだか、ヤシロさんが熱いです!?」

「彼のスイッチは、たまに理解しかねるね。……いや、いつも理解しかねるか」


 ふん!

 なんとでも言うがいい!

 鮭を食う習慣がないだなんて、お前ら人生の半分を損してるぞ!?


「よし。じゃあ、こいつを優先的に譲ってくれ」

「いいのか? こんなもん出したって、客は食わないぞ?」

「なら俺が食う。俺が食って、こいつがいかに美味いかを分からせてやる。それでも分からんヤツは食わなくていい!」


 ここでの会話で、俺は重要なワードを聞いている。

『川魚は白身と決まってる、赤い身は気味が悪い』

 なら、こいつを海魚として提供してやればいいのだ。

 嘘にはならない。

 客にはこう言ってやればいいのだから。


『大海原を回遊した赤い身の魚だ』とな。


 捕れた場所は川だが、こいつらは一度海に出て戻ってきた魚なのだ。

 なぁに、こいつらが日本の鮭と同じだという確証はある。

 同じ環境にいなければ、ここまで似た外観にはならない。

 同じサケ科でも川で一生を終えるヤマメは、鮭とはまるで別物みたいな外観だからな。


 つか、わざわざ川だ海だと言わずに、『鮭のムニエル』とか『焼き鮭』とか、そういうメニューにしてやればいい。

 それでも食わないってんなら、フレークにでもしておにぎりとして出してやる。

 でなきゃ、鮭のあら汁か?

 こいつはどんな調理法も出来る便利な食材だ。損をすることはない。


 こいつらがその価値を知らないと言うのであれば……買い叩いてやる!


 ジネットはこれまで、川魚の入荷に10キロあたり1600Rbも使っていやがった。

 鮭が三尾前後で一万六千円とかあり得ないだろう? どこの高級ブランドだよ?


「この魚、10キロ100Rbでどうだ?」


 日本だと、大きめの鮭一尾で三千円くらいだ。

 この鮭は3キロから4キロってとこだから、一尾三百円程度で買おうって腹だ。……さすがに買い叩き過ぎか?


「そんなにいいのか!?」

「……え?」

「あんた、いいヤツだなぁ!」


 デリアが俺の両手を取り、ブンブンと上下に振る。

 やめろっ! 肩がっ! 肩が外れるっ!


「こいつはな、あたいの大好物なんだが……どうも人気がなくてなぁ……ちょっと悲しかったんだよ、実際」


 自分が努力して捕らえた魚を忌避されるのは、漁師にとってはつらいことかもしれない。

 寂しげな表情を見せたデリアは、少し儚げに見えた。


「んでも、あんたはこいつに値をつけてくれた。モーマットの言った通り、あんたはいいヤツだな!」


 いや。

 お前たちの無知を利用して買い叩いているだけだが。


「実は、行商ギルドの連中にさ、『陽だまり亭と取引するなら買取価格を下げる』って脅されちまってな」

「そう言われて、なんで取引しようとしてんだよ?」

「だって、ムカつくだろ!? 命令されてるみたいでさ!」


 まぁ、確実に命令してんだろうけどな。


「だから、行商ギルドが嫌う『陽だまり亭』ってのがどんな連中なのか、この目で見てみたかったんだ」

「見た感想はどうだ?」

「なんか、可愛いな!」

「いや……誰がジネットの見た目の話をして……」

「バッカ! あんたがだよ!」


 デリアはそう言うと、俺の首に腕を回しグイッと抱き寄せた。

 きょ、巨乳が! 巨乳が顔にっ!?


 ……と、思ったのだが。

 デリアの巨乳が頬に触れる寸前、エステラの手が俺の頬とデリアのおっぱいの間に挟み込まれた。


「えぇい、エステラ! なぜ邪魔をする!?」

「商談相手から賄賂をもらうのは、交渉人として失格だと思ったものでね」

「賄賂ではない! 誠意だ!」

「……君は汚職塗れの議員のようだね」


 くっそ!

 この手の向こうにぽよんぽよんが待っているというのに!

 張りのある、ダイナマイツなぽよんぽよんがっ!


「ん? あ、悪い悪い! 男にこういうことしちゃいけないんだっけな」


 エステラの妨害のせいで、無防備なおっぱいが警戒レベルを上げてしまった。

 デリアは俺を拘束していた腕を離し、俺を解放する。


 くそぉ!

 もうちょっとだったのに!


「…………なんて、弾力なんだ……」


 俺の邪魔をしたエステラが、俺以上にへこんでいる。

 何がしたかったんだよ、お前は。


「とにかく! あたいはあんたらが気に入った! ギルドが難癖つけてくるかもしれないが、そんなもんは知らん! あたいにケンカを売る勇気があるなら買ってやるさ!」


 行商ギルドも、こういうタイプ相手には交渉がしにくいだろうな。


「あ、あの、でも。決して無理はなさらないでくださいね」


 ジネットが不安げな顔で言う。


「交渉というのは、きちんと考えて、状況を判断した上で行わないと足をすくわれてしまいますから」

「どの口が言ってるんだっ!?」


 思わずツッコミを入れてしまった。


 こいつ、よく言えたな、そんなこと!?

 無計画、無配慮になんでも「YES」と言ってしまうお人好しが!


「けどなぁ……行商ギルドより、あんたらと仲良くしたいからなぁ」

「しかし、君だけの判断で川漁ギルド全員の生活を脅かすわけにはいくまい?」

「川漁ギルド全員の?」


 あぁ、こいつ、分かってないんだ。

 エステラがそのあたりのことを噛み砕いて説明し始める。


「陽だまり亭には金銭的余裕はない。よって、自分たちで使う分しか買い取ることは出来ない。その金額は、決して川漁ギルド全員の生活を保障出来るものではない」


 うんうんと、デリアは頷きながら話を聞いている。


「必然的に、川漁ギルドは今後も行商ギルドと付き合いを継続する必要がある。その際、陽だまり亭に加担したせいで不利な条件を吹っかけられる危険があるんだよ……分かるかな?」

「つまり…………殴って黙らせればいいのか?」

「いや、違う……ヤシロ。ボクはこの手の人が苦手なんだが……」


 エステラから選手交代の要請が来た。

 しょうがねぇな。


「デリア、行商ギルドにはこう言っておけ」


 この手のタイプには、簡潔に、分かりやすく、それ以外考える余地のないことを端的に告げるに限る。


「『陽だまり亭には、赤い身の川魚を売ってやることにした』ってな」


 行商ギルドが売り物にならないと判断している下魚。それを売りつけてやったということは、川漁ギルドが陽だまり亭との商談を突っぱねたという意味合いになる。

 まさしく『売り物にならないゴミを売りつけた』ということになるのだ。


 このオールブルームにおける物の価値と知識のある者相手だからこそ、有効的な一言だと言っていい。

 そう言っておけば、行商ギルドも当面は川漁ギルドに対して風当たりを強くすることもないだろう。

 尚且つ、それによって俺らゴミ回収ギルドへの今後の警戒が弱まればさらに都合がいい。

 ちなみに、『赤い身の魚以外を売らない』とは言っていないところも重要なポイントだ。


「そう言えばいいのか?」

「あぁ。そう言えば、行商ギルドもうるさく言わないし、俺たちもお前たちもみんなハッピーだ」

「うん! 分かった! んじゃあ、そう言っとくぜ!」


 たぶん、何も理解していないのだろう。

 だが、それだからこそ、行商ギルドに探りを入れられてもボロが出ることはないはずだ。

 理解していないヤツは隠す以前に何も知らないのだから。


 こいつは事実だけを言えばいいのだ。


 そして、その事実をどう解釈するかは相手の勝手、ということだ。


「君にしては、まともな交渉だったね」

「俺は、こう見えて善人なんだぞ?」

「その言葉……今回だけは『精霊の審判』にかけないでおいてあげるよ」


 まるで信じられていないようだ。

 まぁいいさ。

 こっちは格安で川魚と海魚の鮭を手に入れることが出来たんだ。

 大儲けと言ってもいい。


「ヤシロさん!」


 そして、嬉しそうに微笑む陽だまり亭の店主。


「みんな幸せで、嬉しいですね!」


 ……なんだろうなぁ。

 こいつのお人好しは、最早病気じゃないかと疑うレベルなんだよなぁ。


 まぁ、もっとも……

 最近はその笑顔にちょっと癒されている俺が、いたりするんだけどな。



 ……少し気を引き締め直さないといかんかもしれんな。

 浮かれている場合じゃない。


 俺は、こいつらとは住む世界が違うんだ。

 それだけは……絶対に忘れちゃいけない。






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