12話 誠意と真心

 この世界には『精霊の審判』というものが存在する。

 そいつのおかげで、契約書に書かれていない事柄であっても拘束力を発生させることが可能となる。

 つまり、借用書に期限が書かれていなくても、「いついつまでに返せよ」と言って、相手が「分かった」と言った場合、それが期日となるのだ。


 もっとも、期日破りが発覚した後に『精霊の審判』を発動させる必要があるのだが。


「……来なかったか」


 ジネットがエプロンドレスとミニスカをようやく着慣れ始めた頃のある夕方。

 俺は客席の椅子に座って入り口をジッと見つめていた。


「ヤシロさん。どうかされたんですか?」


 入り口をジッと見つめる俺に気が付いたジネットが声をかけてくる。

 仕事中に私語とは……なんて言うつもりもない。

 なにせ客がいないのだから。


 折角の爆乳エプロンドレスも、毎日お茶を飲みに来るムム婆さんが「あら、可愛い服ねぇ」と褒めてくれたくらいの反響しかない。

 本当に、客の来ない店だ……

 どうにかしないといけないな。

 …………宣伝でもするかなぁ。


「ヤシロさん?」


 考え込んでいたようで、返事をし忘れていた。

 気が付けば、ジネットが真正面から俺の顔を覗き込んでいた。

 おぉ……っ! 谷間がっ! 谷間が覗いているっ! いや、谷間を覗いているのは俺なんだが。


「ジネット、ナイスだ!」

「え? …………ふにゃあっ!?」


 俺の視線に気が付き、ジネットが飛び退く。

 その際にぽい~んと揺れる。

 ナイスぽい~んだ、ジネット! 計算して出来る芸当じゃない。

 ジネットが天然で、本当によかった。


「も、もも、もう! ヤシロさん! 懺悔してくださいっ!」


 懺悔ねぇ……俺よりもっとしなきゃいけないヤツがわんさかいる気がするんだよなぁ。


 そうして、俺の視線はまたしても入口へと向いてしまう。


「来ないな」

「どなたがですか? あ、エステラさんですか?」


 エステラは別に来なくてもいい。

 俺が待っているのは……


「グーズーヤだ」

「あぁ。あの大工さん」

「そう、食い逃げ犯だ」


 ジネットはどうも、なんでもオブラートに包もうとする癖がある。

 大工よりも食い逃げの方がインパクトあったろうが。


 で、そのグーズーヤだが。

 あいつはこれまで食い逃げした640Rbをきちんと支払うと言ったのだ。

 契約書にこそ書きはしなかったが、期日は今日だ。

 現在の時刻は夕方。正確には十八時三十四分だ。

 つまり、あと数時間でタイムリミットだ。そうなれば、ヤツは俺との約束を破ったことになる。


 俺は穏便に済ませたいと思っていたんだがなぁ……

 まぁ、向こうがそのつもりなら、こっちはこっちのやることをやるまでだ。

 何がなんでも探し出して、『精霊の審判』にかけてやる。

 罪には罰を。

 ここで容赦なんかしたら、今後この店は舐められ続けることになるからな。

『この店では料金を踏み倒してもお咎めなしだ』なんて噂が立ったらおしまいだ。

 客の質は一生上がらないだろう。


 今日来なければ、明日職場に乗り込んで衆目のもとで『精霊の審判』をかけてやる。

 これは一種のパフォーマンスだ。

 俺に逆らうヤツはこうなるという、非常に分かりやすい宣伝だ。


 そういや、こんなことをやっていたヤツがいたな。

 確か、バーで見かけた強面マッチョことゴッフレードだ。

 ヤツは取り立て屋らしいが、なるほど、こっちの世界でも考え方は一緒のようだ。


 舐められたら終わり。


 昔の不良漫画みたいなセリフではあるが、別に乱暴な表現ではなく、商売には必要不可欠な概念なのだ。

 人のいい大家さんが悪質な住人に五年間分もの家賃を踏み倒されて四百万近い損失を被った例などもある。これなどはまさに、事業主が顧客に『舐められた』事案だ。そもそも、五年も家賃を滞納させることがおかしい。それを「可哀想だからもう少し待ってあげよう」などと甘いことを言うからそこに付け込まれる。


 困ってないヤツほど困ったフリが上手く、強かなヤツほど泣くのが上手い。

 絶対反省しないヤツは反省したフリが上手いしな。

 演じる余裕があるんだよ。心底反省してるヤツにはあるはずのない『余裕』が、そいつにはあるんだ。


 さらに自分の演技に酔って、気が付けば悲劇の主人公になってるヤツは一切反省していないと言っていい。「私、最低だよね?」とか「全部、俺が悪いんだ!」とか、泣きながら訴えかけてくるヤツはほとんどが自分に酔っている無反省野郎だ。

「そうだ、お前が悪い」と言われれば悲劇の主人公に酔えるし、「そんなことない」と言われれば罪が許されたと心が軽くなる。

 結局、相手に対し謝罪する場面で「私が」「俺が」と言っている時点で、そいつは自分のことしか考えていないのだ。

 なんでそうなってしまうのか。


 それはそいつが相手を『舐めているから』なのだ。


 余裕のないヤツは、黙る。

 逃げ場を完全に塞がれ、限界まで追い詰められたヤツは口を噤むものだ。

 己の命運を握る相手に対し、見苦しく言い訳など出来ない。反省している者はただ黙って、すべての権利を相手に委ねるものだ。


 まぁもっとも、誠意ある謝罪を『敗北宣言』と勘違いして増長するヤツは三流だけどな。

 さっきも言ったが、本当の謝罪をする者は心身ともに憔悴しきっている状態だと言える。全権を相手に委ねるのは、人として相当なダメージだからな。そんな状態の者にさらなる無理難題を吹っかけたらどうなるか……相手は爆発する。爆発は本人もろとも、周りにも甚大な被害をもたらすものだ。そうして自滅した取り立て屋を、俺は星の数ほど知っている。

 まぁ、爆発の仕方は色々あるが……どれもろくな結末を迎えていない。


 反省と謝罪。こいつは争いに利用するものではなく、争いを回避、終結させるために行うことなのだ。それを忘れたり履き違えたりすると「自分が優位に立てるように」と画策してしまう。

 謝罪をする側も受ける側も、そういう浅ましい感情を抱いてはいけないのだ。

 そんなもんがある時点で『和解』などは成立しない。

 一度破綻した関係は、二度と修復は出来ない。修復したように見えても、絶対に以前とは違っているものなのだ。


 と、つまり何が言いたいのかというと……


 この世界にも反省をしないクズヤロウがいて辟易するなってことだ。


 グーズーヤ。

 閉店までに店に来なければ………………お前の人生終わらせてやるからな?


「あの……ヤシロさん?」


 ジネットが不安そうな表情で俺の顔を覗き込む。


「顔が……怖い、ですよ? どうかしましたか?」

「いや。俺は割とお人好しなんだろうなぁ、って思ってな」


 本来なら、二度と信頼してもらえないような行いをしたグーズーヤを、俺は信用してやったのだ。

 おかしな話だ。さっさと乗り込んで回収してしまえばよかったものを……金がないならそれなりに方法はあったのだ。なぜそれをしなかったのか……

 知らず知らずのうちに、随分と影響されてしまっているのかもしれないな、このお人好しに。


「ジネット。もしかしたらだが……俺は明日からしばらく家をあけるかもしれない」

「え? どこかへ行かれるんですか?」


『いかれる』……『怒れる』……いや、『イカれる』かもしれんな。

 少々、人間の枠を逸脱した、『イカれた』お仕置きなんかも、必要になるかもしれん。


「あぁ……イカれてくるかもしれん」

「へ?」

「なんでもない」


『騙されるヤツがバカなのだ』

 そして、俺はバカじゃない。

 ……俺を騙せるなんて考えてんじゃねぇだろうな、グーズーヤ?



 時間は刻々と過ぎていき、日が暮れて、夜になった。



 ……はぁ。

 まったく、どの世界でもクズはクズだってことか……


 虚しさと苛立ちが合わさって、妙に冷静になっている。

 ただ、正常な精神状態ではない。

 心が、冷えきっている。


「ヤシロさ~ん! そろそろお店閉めますね~!」


 カウンターの向こうで、ジネットが俺に向かって言う。


「……時間切れか」


 入口へ向かうジネット。

 その背を追うような格好で、俺も入口へと向かう。

 タイムアウトの瞬間に立ち会うのだ。ジネットがあのドアを閉めた瞬間、グーズーヤの人生は終わる。……俺が終わらせてやる。


「あれ? ヤシロさん、お手洗いですか?」

「いや。いいから、気にしないで閉めてくれ」

「はい……?」


 普段は閉店作業になど立ち会わない俺がここにいることに、ジネットは不思議そうな顔をする。

 俺はそんなジネットから目を逸らした。

 こいつを見ていると『甘さ』が伝染しそうだ。


 視線を外し、閉店の瞬間を待つ。

 ドアの閉まる音がしたら、そこでアウトだ。



 と、その時。



「待ってくれッスー!」


 食堂の外から賑やかな音が聞こえてきた。

 複数の者がどたばたと走る音…………そして、ドアが勢いよく開かれ、誰かがなだれ込んでくるような音が。


「まだ閉店してないッスか!? 間に合ったッスか!?」


 駆け込んできたのは小柄なキツネだった。

 いや、服を身に着け二足歩行で人語を話しているってことは、キツネ人族なのだろう。


「お食事ですか? でしたら、まだ大丈夫ですよ?」


 ジネットが笑顔で言う。

 ……あぁ、そうか。こいつにはラストオーダーという概念はないのか。

 教えておかなければいつか損失を被るな。


「どっひゃぁああっ!?」


 微笑むジネットを見てキツネ人族の男は奇声を上げた。


「べ、べ、ベッピンさんッスねぇ!? オ、オイラ、き、きききき、緊張ちょうちょちょう、しししして、はなはなはなはなはははははははははは……っ!」


 なんか壊れた!?

 なんだこいつ!?


「おい、いいから落ち着けよ。なんなんだよお前は?」

「あ、しょうもない顔をした男ッス。お前なら緊張しないで話せるッス」

「……なんなんだよ、お前は?」


 ケンカ売ってんのか?


「実は、ウチの見習いがとんでもないことをしでかしたと……ん?」


 人のよさそうな笑みを浮かべていたキツネ人族は、急に怖い表情になり、入口へと視線を向ける。

 そして、おもむろに立ち上がりドアの外へと顔を出して怒鳴り声を上げた。


「オラッ! いつまでそんなとこにいるッスかっ!? さっさと入ってくるッス! ヤンボルド、無理矢理にでも連れてくるッス!」


 その声は恐ろしく、体育会系の怖い先輩を想起させる。いや、その筋の人の恫喝に近い。

 あまりの変わりようにちょっと面食らってしまった。


「あ、すみませんッスねぇ。すぐに来ますんで」


 俺たちに向ける顔は、元の柔和なキツネ顔だった。

 ……なんだ、こいつ?


 すると、ドアがゆっくりと開き、そこから筋肉ムキムキのデカい馬が体を半分覗かせる。


 って!? なんだこのいかつい馬はっ!?

 何が起こってるんだよ、今ここで!?


 なんだこれ? 

 なんなんだ?


 思考が混乱する中、その馬が俺の方を向いた。

 無言のまま、ジッと、つぶらな瞳で見つめてくる。……なんだよ?


「……………………にゃー」

「なんでだ!?」


 思わず突っ込んでしまった。

 なぜ馬がにゃーと鳴く!?


「ヤンボルド。ふざけるのは今度にするッス」

「………………はい」

「しゃべれんのかよ!?」


 ってことはウマ人族なのだろう。と思っていたら、左肩を大きく肌蹴た服を着ていた。

 入り口から覗いていた時は肌が出ている部分しか見えなかったから馬かと思ったのだ。


「………………暴れる」

「ったく……」


 ヤンボルドとかいうウマ人族の言葉に、キツネ人族の男はため息を漏らし、一度食堂から出て行く。


「あ、一回出ますけど閉店しないでくださいッスね! すぐ戻ってくるッスから!」


 言い残して、キツネ人族は出て行った。

 姿が見えなくなってすぐ、また組の若頭みたいな恫喝が聞こえてきた。


「手間かけさせんなッス! さっさと行って誠心誠意謝罪してくるッス!」


 ドスドスと、二度ほど打撃音らしきものが聞こえてきた。

 ……蹴りかなぁ、あの音は。


 そして、朗らかな笑みを浮かべて戻ってきたキツネ人族と一緒に姿を見せたのは、グーズーヤだった。

 グーズーヤは店に入るなり床に四肢をつき、深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでしたっ!」


 土下座ね……

 土下座するくらい反省しているなら、もっと早く一言でも二言でも言いに来ればよかったんだ。払えないなら払えないで「もう少し待ってくれませんか」とな。

 それすらせずにいきなり土下座をされてもな……


「あ、あのっ! 顔を上げてください! お支払いでしたらいつだって構いませ……」

「いいや! そういうわけにはいかないッス!」


 ジネットがまたふざけたことを言いかけたが、俺が止めるより早くキツネ人族の男がそれを遮った。

 ……の、だが。


「なんでお前は俺の方を向いているんだ?」

「ベッピンさんを見ると緊張しちゃうッスよ」


 シャイ過ぎるだろう。

 キツネ人族の男は、そのまま俺を見つめて言葉を続ける。


「いいですか、お嬢さん!」

「俺がお嬢さんに見えんのか、お前は?」

「いえ、顔は兄さんに向いてるッスけど、心はお嬢さんに向いてるッスよ」


 ややこしいことをしやがる。


「約束は、そう簡単に反故にしちゃいけないッス。信用は、得るのは難しいッスけど、失うのは一瞬ッスから」

「ですが……」

「この男のためにも、温情はかけないでやってほしいッス!」


 そう言われ、ジネットは口を閉じる。

 自分の優しさが相手をダメにする。それは以前俺にも言われていることだ。さすがのジネットも、そう言われてしまえば甘いことを言えなくなる。


「ただ、お金は用意出来なかったッス」


 そう言って、キツネ人族の男は俺の目の前に膝をつく。それに倣うようにヤンボルドも膝をつく。


「グーズーヤはまだまだ見習いの身ッス。仕事も半人前で、そんなもんだから給料も全然やれてないッス」


 キツネ人族とヤンボルドの後ろで、グーズーヤは身を丸めてうな垂れている。

 先輩か上司かは知らんが、自分の目上の人間に土下座までさせてしまって……今の心境的には針の筵に違いない。

 完全に憔悴しきっている顔だ。


「どうか! オイラが立て替えることを了承してほしいッス! この通りッス!」

「立て替え?」

「はいッス! 大工たるもの、納期を遅らせるのは恥じッス! 絶対やってはいけないことッス! 今後、一切仕事が来なくなるッス!」


 そんな大事なのか、納期遅れって?

 しかしキツネ人族の目は真剣そのもので、己の人生を懸けて話をしているように見えた。


 確かに、グーズーヤは『陽だまり亭で飲食した分の代金を支払います』と契約書に書いている。

『精霊の審判』的には、「支払う」と言った者が支払わないと『嘘』と見做されるのかもしれない。

 つまりこれは、「金は払うから『精霊の審判』は勘弁してくれ」という交渉なのだろう。


 キツネ人族の男は『信頼』を得ることの大変さを説いていた。

 そんな者の仲間から『カエル』にされた者が出れば、きっと商売に支障をきたす……いや、死活問題なのだろう。


「なぁ、お前。名前は?」

「え、オイラッスか?」


 キツネ人族の男は目を丸くした後、姿勢を正して丁寧に言った。


「オイラは、ウーマロ・トルベック。四十区に拠点を置くトルベック工務店で棟梁をやっているッス」

「四十区の大工か」

「はいッス。でも、依頼があればどこの区でも駆けつけるッス。新築からリフォームまで、良心的なお値段で請け負うッス」


 ここで宣伝してどうする………………いや、待てよ。


「見たところ、グーズーヤは随分反省しているようだな」

「それはもう! オイラたちがきつく締め上げてきましたッスから」


 グーズーヤは名を呼ばれて委縮したのか、さらに身を縮こまらせる。


「実は、ここ最近グーズーヤの様子がおかしいッスねって思って……それで問い詰めたら、こんなとんでもないことをしでかしていたって知ったッス。それで、一も二もなく謝りに行くッスよって、こういうことになったッス」


 厳しいが面倒見のいい棟梁。

 まさに職人だな。


「けどこいつ、全然金がないみたいで、支払うことが出来ないって言ってるッス。そこで、オイラが立て替えるということで、どうか手を打ってほしいッス!」


 深々と頭を下げるウーマロ。棟梁としての威厳を纏った美しい土下座だ。

 それに倣い、巨大なウマ人族のヤンボルドに、ひょろ長のグーズーヤが揃って頭を下げる。


「……ヤシロさん」


 ジネットが俺に視線を向ける。

「許してあげてくれませんか?」と、はっきりと顔に書いてある。

 ……こいつは、まったく…………


「分かった。立て替えの件は了承してもいい」

「ホントッスか!?」


 俺の言葉に表情を輝かせたのはウーマロとジネットだった。

 ジネットは自分のことのように喜んでいる。……まったく。


「ただし、条件がある」

「じょ、条件…………ッスか?」

「実はな、この食堂をリフォームしてほしいんだが」


 この食堂は相当古く、ガタが来過ぎて倒壊寸前だ。

 建物全部を建て直したいくらいだが、さすがにそれでは時間がかかり過ぎてしまう。

 なので、店舗部分だけでも綺麗にしてもらいたいのだ。


「い、いや、でも…………さすがに、店のリフォームを640Rbと引き換えってのは……」


 日本円にして6400円。さすがにそれでリフォームは鬼畜過ぎるか。

 ……つか、グーズーヤは6400円すら払えないのかよ……そりゃ食い逃げもしたくなるわな。


『精霊の審判』を盾に、6400円で店舗部分の全面改装を申しつけることは可能だろう。「ここで断れば、トルベック工務店からカエルが出たぞと、触れ回ってやる」とでも言えば、ウーマロはすんなりその条件をのむはずだ。


 だが。

 誠意ある謝罪を『敗北宣言』と勘違いして増長するヤツは三流だ。

 俺はそうじゃない。

 ここでウーマロに無理難題を押しつけても、得られる利益は一時的なものだろう。

 おまけに、「あそこはあくどい食堂だ」という風評まで出回る危険がある。悪者はあくまで食い逃げをしたグーズーヤであり、こちらはそれを許す立場でいなくてはいけない。

 欲をかけば、その瞬間こちらが悪者になってしまうのだ。


 人は追い詰めてはいけない。

 追い詰められた人は凶行に走るものだ…………俺が壊滅させた詐欺組織のボスみたいにな。


 知らず、俺は自分の腹をさすっていた。


「さすがに、640Rbでやれなんて言わねぇよ」


 謝罪があったのであれば、そこから先は対等に交渉するべきなのだ。

 こちらが高圧的に出なくとも、誠意ある謝罪が出来る者は、自然と譲歩してくれるものなのだから。向こうが出来る精一杯を、こちらから要求することなく出してきてくれる。

 こちらは手を伸ばさず、手元で受け取るくらいがちょうどいいのだ。

 そうすることで、お互いの間に信頼が生まれる。


 おかしな話だが、詐欺師に最も必要なのは『信頼』なのだ。


「労働に見合った対価はきっちりと支払う。ただ、少しだけ勉強してくれるとありがたいがな」

「そ、それはもちろん! お安くさせてもらうッス!」

「じゃあ、640Rbは受け取らなくてもいい、よな? ジネット」

「はい!」


 不安げな表情で見守っていたジネットは、俺の言葉を聞いて笑顔を取り戻していた。

 きっと、俺が無理難題を吹っかけてウーマロたちを苦しめないか不安に思っていたのだろう。

「料金をまけてもらう」くらいは、許容範囲だと安心しているのだ。


「でもヤシロさん……」


 ジネットがすすすと、俺の隣まで近付いてきて、こっそりと耳打ちをする。


「リフォームするようなお金、ウチにはありませんよ?」

「あぁ、それなら心配するな。俺に当てがある」

「そうなんですか?」

「ジネットにも協力してもらうことになるが……」

「わたしに出来ることでしたら、なんでもしますよ!」


 ……女の子が軽々しく「なんでもします」なんて言うんじゃねぇよ。

 悪いオジサンに売り払われちまうぞ。


「まぁ、こっちも裕福ではないので最大限オマケしてもらうとして……お前ら全員が一ヶ月間飯の心配をしなくていいようにはしてやるよ」

「一ヶ月っていうと……それが三人分で…………」


 と、ウーマロが指を折り計算を始める。


「…………うん。それくらいいただけるなら十分ッス! 本来のリフォームより破格になるッスけど、このバカがご迷惑おかけした分を差し引いて、その条件で引き受けさせてもらうッス!」

「じゃあ、交渉成立ってことで」

「よろしくお願いするッス!」


 俺はウーマロと固い握手を交わす。

 そして、ここへ来てほとんど口を開いていないグーズーヤに視線を向ける。



「グーズーヤ」

「は、はいっ!」


 声は上げたが、視線は上がらず、グーズーヤは俯いたまま体を強張らせていた。


「いい上司を持ったな。あんま迷惑かけんじゃねぇぞ」

「…………はい」


 ここまでのことをしたウーマロを、第三者を介して称賛しておく。

 これで、ウーマロは自分の行いが無駄ではなかったと確信し、自尊心も保たれ、こちらに対しても「認めてくれた」といういい印象を持つことだろう。

 何より、「認めてくれた」相手に対しては「裏切れない」という心理が働くものだ。

 店舗のリフォームは、きっと力を入れて取り組んでくれるはずだ。


 そして、カチコチのグーズーヤだが……こいつもそろそろ救済してやらないと、壊れてしまいそうだ。


「失った信頼は働くことで取り戻せ」

「…………はい」

「ウチのリフォームで結果を残せよ。頑張れば、きっとジネットからご褒美がもらえるから」

「……え?」


 顔を上げたグーズーヤに、俺は視線で「ジネットを見てみろよ」と伝える。

 グーズーヤの視線がスライドしジネットへ向かうと、ジネットは弾けるような笑顔で頷いた。


「はい! お仕事期間中の皆さんのお食事は、わたしが腕によりをかけて作らせていただきます!」


 そう言った後、気まずそうな顔で俺を見る。


「……と、いうことでいいんですよね?」

「あぁ、そうだな。昼と夜の飯くらいはご馳走してやってもいいんじゃないか」

「ホントッスかっ!?」


 ウーマロが歓喜の声を上げる。


 その前で、俺はジネットにこっそりと耳打ちをする。


「(……どうせ、食材は余り気味だしな)」

「(はい。ご馳走して、その分頑張ってもらった方が『お得』ですね)」


 そう言った後、ジネットはくすくすと笑う。


「なんだか、わたしもヤシロさんみたいになっちゃいましたね」


 いいや。

 全然甘いけど?

 まぁ、そう思っておけばいいさ。


 お前が善意でしか人と接することが出来ないのなら、俺がその善意を武器に変えてやる。


 謝罪しに来た先で、完全無欠な善意に触れる。

 これで、グーズーヤはもちろん、監督責任を負ったウーマロもこちらに恩義を感じ、いい仕事をしてくれるだろう。

 それこそがメリットになる。


 そして、その先にもう一つおいしいメリットが待っているのだが……まぁ、それはあとのお楽しみだな。


「それじゃあ、いつから工事に入れる?」

「明日は準備をするとして……、明後日からでも始められるッス」

「なら、こちらも休業の準備をしておこう。厨房もやってもらうから、教会への寄付は……」

「はい! 教会で一から作るようにしましょう!」


 ……いや、中止って言いたかったんだけど…………まぁ、いいか。


「じゃあ、今日のところはこれで失礼するッス!」

「あ、待った」


 立ち上がるウーマロたちを呼び止めて、俺は胸ポケットに入れていたグーズーヤの借用書を破り捨てる。

 目の前で破り捨てることで、こいつらを信頼した証とする。


「夜道は暗い。気を付けてな」

「ありがとうッス。兄さん、いい人ッスね」


 そう言ってウーマロは外へ出て行く。

 ヤンボルドとグーズーヤがそれに続き、グーズーヤは店を出る直前に、俺たちに向かって深々と頭を下げた。


 ドアが閉まり、本日の営業は終了する。


「うふふ」


 ドアに鍵をかけ、ジネットが嬉しそうに笑う。


「どうした?」

「ヤシロさんがいい人だって、ウーマロさん、言ってましたね」


 勘違いも甚だしいがな。


「分かってもらえたことが、なんだか嬉しいです」


 そう言ってにっこりと笑うジネットが、やっぱり一番のお人好しなんだろうなと、俺は思った。


 打算に打算を積み重ねた結果が今の俺だ。

 いいヤツなわけがない。


「しばらく店を休むから、常連客に挨拶して回ろう」

「そうですね。折角足を運んでもらったのにお休みだと悪いですし」


 いや、リニューアルオープンの日には絶対に来いよという圧力をにこやかにかけに行くだけなのだが……チラシでも作ろうかな。


「ついでに、ゴミ回収ギルドの仕事もしよう」

「そういえば、この前来店してくださった川漁をやっている方が、ギルドに関して聞きたいことがあるとおっしゃってましたよ」

「それから、果物関連と小麦、あと米と砂糖なんかも交渉しに行きたいところだな」

「酪農家さんはどうしますか?」

「牛乳か……そこも行こう」


 期せずして時間が出来た。これは有効に使わなければ。




 俺は、来るべきリニューアルオープンに向けて、四十二区内を奔走するのだった。






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