136G.アイスロックナデシコ オールドロックエンパイア

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 天の川銀河、サージェンタラス・流域ライン

 カンルゥ・ウィジド皇王元首国、中央星系『央州』。

 本星『タカ・マッカ・ハラ』、皇国主都『皇京』。


 ここ三大国ビッグ3の中で最も古い歴史を持つ皇国の中心地は、動乱の真っ只中にあった。


 起源惑星からこの星系に辿り着いた当時に作られた建造物、それに最新の巨大構造物が混在する古い都。

 山中から壮麗な寺社仏閣が俗界を見下ろし、都市ではささやかなヒトの営みと、膨大な熱量を放つ活動が背中合わせに行われている。

 そびえ立つ三角屋根の施設、高層ビルの脇を走るさびれた道路、透過金属製の空中歩道、積層型区画の断面から見える地下繁華街、立ち並ぶ朱色の鳥居とその中を通る中央道。

 そして、それら風景の中にはヒトが溢れ返っていた。

 単なる人混みではない。

 洪水のような人々の流れは、政府行政院の国家運営に怒るデモ行進だ。


『国家非常事態宣言下での集会は許可されていません。直ちに解散しなさい。命令に従わない場合は強制排除します。

 皇宮特発法第5条「国民保護に要する危険要因の排除」により武器使用が認められている。直ちに解散しなさい』


 群衆の真上では、灰色とダークグリーンのまだらという物々しい迷彩色の小型艇ボートが、スポットライトで睨みを利かせていた。

 機体下部と両側の翼にある武装を、群集に向けている。

 だが、人々には怯える様子も逃げる気配も無い。

 怒り、憤りがそれを上回ったのだ。


「正統な次の皇王をー!」

「人権基本法を撤廃しろー!!」

「コノハナサクヤ様を皇王にー!」

「行政院はメナスに対策を取れー!」

「国家支援法反対ー! 服従の法制化だー!!」

「群輿行政議長は皇権を私する奸賊だー! 院会は即刻解散すべし!!」

「この先は進入禁止だー!!」


 デモ隊の大集団は、皇京のド真ん中にある四角い枠がいくつも重なったような、広大で地上と地下に高い建物、尊議府政庁の手前まで押し寄せる。

 そこで横一列の壁となり立ち塞がっていた装甲スーツの集団、警士隊と押し合いへし合いになりっていた。

 暴徒鎮圧に配置されていた白と黒のヒト型警備機械セキュリティーボットは、ハッキングによる操作権の奪い合いで壊れたような動きをしていた。


『法院命令に従わないのは人権基本法違反になります。罰則または略式執行の対象となる可能性があります』

「ふざけんなテメェに都合のいい政治しておいてぇ!!」

「公正な政治してから言えー!!」


 法に則り勧告する警士隊だが、それは群集の怒りに油をぶっ掛けるだけだった。

 皇王を頂点に厳格な身分制度をく皇国において、市民より地位が上である体制側に逆らう事は、それだけで完全な違法行為である。

 建前上だけでも民主主義であり個人の権利が尊重される連邦や共和国と違い、皇国では完全に個人の権利が政府と上位階級者の下に置かれていた。


 だが、処罰されるおそれがあろうと、人々が政府を非難するのをやめることはない。

 もはやそういう段階は過ぎ去っていたのだ。

 これでも、長らく皇国の国民は政府に対し、比較的従順に生きてきた。

 目上の人間への礼節を重んじさせる国民性。

 尊(指導者)、士(武官)、民(一般市民)、隷(犯罪加害者等)という身分や地位制度と、それらルールを遵守する精神。

 体制など大きな権力や多数派に迎合しやすい性格。

 これらに支えられ、権威主義的な国家体制を維持して来られたと言える。


 それがここにきてこれほどの反発を招いているのは、単純に国家の独善と国民不在の政治が度を越した為だ。


『社会安全法違反成立! 略式執行許可ー!』

「ふざけるなー!」

「悪法無罪ー!!」

「義務を果たさない政府に罰とか言う資格はないぞー!!」

「よーし検挙だー! 一斉検挙ー!!」

「悪しき階位制度の象徴がー!」


 警告に従わず、怪我人多数、下位階級による上位階級への反抗的な態度。これらの条件が揃ったことで、警士隊が実力行使に出た。

 ただ手順に従っていると言わんばかりに、淡々と電気銃テイザーや電気ロッドを用い群衆を叩き伏せる重装の国家権力達。


 だが、デモ隊の最前列にいるのは、既に従順な国家の羊ではなかった。

 投擲され、警士隊のド真ん中で炸裂するプラズマ手榴弾。

 相手が上の階位だろうが治安組織だろうがお構い無しに振るわれる、金属の棒やその辺の建材。

 募らせた怒りを爆発させる群衆は、警士隊を逆に押し込むほどの勢いだ。


 全銀河に拡大するメナスの脅威に対し、なんら具体的な対策を示さない政府行政院。

 場当たり的、また恣意的に一部の権力者の都合に合わせた法律の運用を行う、尊位階級の政治家たち。

 そして、長らく皇国という国家において歪みの象徴であった体制が、いま全ての問題に火を付け人々を燃え上がらせていた。


               ◇


 ノーマ・流域ライン、アクエリアス星系、スコラ・コロニー。

 聖エヴァンジェイル学園。


 学園の中、あるいはコロニー内部の環境は、常に最良の状態に維持されるようになっている。

 暑くも寒くもない温度と湿度調整機能により、線の細いお嬢様方が健やかに日々を過ごせるように。

 環境に不満を覚えストレスを抱えないように、体調を悪くして品質・・に問題が出たりしないように。

 それは、穏やかで、過ごしやすい、春の日の陽気のように。


「む……ぅん…………」


 それこそ、眠気に誘われつまらない授業に耐えられないほど快適となっている。


 華奢で小柄な愛され系お嬢様、クラウディアは机に突っ伏し、お休みになっていた。

 耳を澄ませば微かな寝息が聞こえてきて、周囲の女子もその微笑ましさに笑っている。

 授業中の居眠りともなれば普通は教師の叱責対象だが、文学考察の講師は、それを把握した上で何も言わなかった。

 特に授業を受けずとも、問題ないからだ。


「えー……それでは村雨さん、3章が終わった時点でのフヨリフィオトの心情と考えを、村雨さんとしての解釈を聞かせていただけますか?」


「はい先生」


「ふぐッ……!?」


 しかし、クラウディアの隣の席、赤毛のルームメイト、村雨ユリが講師に回答を求められて立ち上がると、居眠り娘も目を覚まさざるを得なかった。

 自分の醜態を知り青くなるクラウディアだったが、そんなお嬢さんの焦りなどお構いなしに講義は進む。


「フヨリフィオトの最も重要な目的は王国の安定化でした。ムーレア伯爵の復権に成功し、ドラウテル第二王子が失脚した以上は王室内もリーリマス第一王子を後継者に立てる以外に選択肢はありません。

 この時点で婚約破棄も受けたフヨリフィオトが王宮内に留まる理由はなく、早々に故郷に帰り次の行動に備えたのではないかと考えられます」


「村雨さん……リーリマス王子はフヨリフィオトへの真実の愛に気が付き、またフヨリフィオトも王子への愛がありながら自分の想いを押し殺して身を引いた、とは考えられませんか?」


 ある婚約破棄を受けた悲劇の公爵令嬢と、王子の物語。

 そこに官能的情緒的な解釈を求めたかった講師だが、赤毛の少女の回答は非常にドライだった。

 講師としては、もっと上流階級社会の人間に好まれる考え方を身に着けて欲しいところだが、


 そんな講師の願いに対する、笑顔のままコテッと首を傾げる赤毛娘の答え方は、お嬢様の誤魔化し方としては満点であると思われた。


 そして、解釈の内容如何に関わらず、『ユリ様』の響きの良い声と美しい立ち姿に溜息を吐く女子生徒たち。

 隣にいたルームメイトも大分慣れてはきたが、完璧な淑女レディとしてのその姿と、寮の部屋での直視できないほど大胆な振る舞いのギャップに、ドキドキさせられることが多々ある。


 特に今朝は、起きたら目の前に全裸の赤毛が寝ていて心臓止まるかと思った。


 どうやら昨夜、小用を足しに床を出た後、戻るベッドを間違えたらしい。

 だが、クラウディアのおぼろげな記憶によると、自分は空のベッドに潜ったはず。

 それがどうして、目が覚めたら赤毛の美少女と同じベッドで寝ているという事になったのか。

 おかげで、白く透き通る柔らかそうな膨らみおっぱいに重量感を感じさせる谷間が目に焼き付いて離れないルームメイトである。

 オマケになにやらこの娘良い匂いがするし。


 して実際には何があったかというと、寮を抜け出て帰ったら自分のベッドにクラウディアが寝ており、他人のベッドを勝手に使うのも気が引けたのでそういう事にした唯理であるが。


「ぷククク……クラウディアさん、すごく可愛い寝顔だったー。人間の小さな子供ってこんな感じ?」


「まったく、お恥ずかしいところを…………」


 講義が終わると、ひとつ下段の席から外跳ね娘のナイトメアが上がってきた。

 その隣には、いつものように無口ショートメッセンジャーのフローズンもいる。

 頬を膨らませて笑いをこらえる外跳ね少女に対し、スレンダー金髪娘はセリフとは裏腹な恨みにより膨れていた。

 寝ているのに気付いているなら起こしてくれてもいいのよ? と隣の席のルームメイトに思うのもである。


「お疲れですね、クラウディアさん。実機訓練での最後の追い込みをしていますし、仕方のないことだとは思いますけれど」


 苦笑気味に華奢少女を気遣う赤毛のお嬢様。

 その追い込みをかけているのは、他ならぬこの赤毛なのだが。

 それに、自分以外は比較的元気そうなのも、少し劣等感を覚えるクラウディアであった。


 実際には、ナイトメアは疲れに気付いてないだけ、フローズンは普段とあまり変らなく見えるが半分眠っている、などとそれなりにこたえていたりする。


 騎乗部が競技会に出場するまで、あと一週間ほど。

 明後日には目的地の星系に出発という予定になっていた。

 ただでさえ準備不足、錬度不足であるのは分かっているので、時間を惜しんで特訓を繰り返している最中である。

 疲れが出るのも当然の状態で、問題無いのは赤毛の少女とドリル金髪くらいのものだった。

 学園の王子様は、そのふたつ名にかけて外面そとづらを取りつくろっているようだが。時々涼しげな笑みのまま目の焦点が合っていない。


「ですが、疲労を抜いて本番にのぞむなら今がもうギリギリのタイミングですね。後は軽いシミュレーションだけにしましょう」


「それはいいのだけど、結局競技会には村雨さんが出ますの?

 このまま石長さんが姿を現さなければ、いいも悪いもないのでしょうけど」


 肝心な競技会当日に疲れで実力が出せないでは意味が無い、ということで、練習の調整に入るという赤毛のマネージャー。

 そこで口を挟んできたのが、最上段の席で暇そうにしていたドリル少女のエリザベートだ。


 競技会に出場できる人数は、一チームにつき5人という規定になっている。

 これ以下だとチーム戦に出場できず、個人競技のみ参加可能だった。

 聖エヴァンジェイル学園騎乗部の部員は、現在6名。

 競技会では交代要員として補欠選手が2名まで認められているが、ここには赤毛娘が入る予定になっていた。


 ところが、数日前からイノシシ娘の石長いわながサキが姿を見せないので、場合によっては赤毛の少女が試合メンバーとして出なければなるまい。

 という話になっている。


「当初はわたしが出ることになっていましたし、それは問題ありませんけど……」


「石長さん、どうしたんだろうねー」


 外跳ね少女のセリフの後、にわかに周囲を包む沈黙。

 何が原因か、と問われて皆に思い当たるのは、騎乗部の特訓にて赤毛のヤツがイノシシ娘を完封してしまったことか。

 だがそれは赤毛のせいではないので、誰も口には出さなかった。


 村瀬唯理むらせゆいりにだけは、本当の原因に心当たりがあったが。


 そして、講義の後。

 唯理が寮の部屋に戻ると、扉の隙間に石長サキから面会を求める古風な手紙が差し込んであるのを確認した。


               ◇


 聖エヴァンジェイル学園、本校舎。

 屋上。


 ガーデンテラスがある生活棟の屋上と違い、本校舎の屋上は何も無い殺風景な場所だ。

 見えるのは学園の敷地と、傍を流れる人工の川、それに無人の街並みだけ。

 天候は基本的に晴天のみなので代わり映えせず、強風に煽られるようなこともない。


 そんな人気ひとけのない場所で、石長いわながサキとメタルブルーの髪の少女は、赤毛の少女を待っていた。


「ごきげんよう、石長さん。それと……忍野様、でよろしかったでしょうか?」


 いつも通り、完璧なお嬢様の微笑みと共に姿を表す村雨ユリ。

 これが自分の護衛兼お目付け役をボコボコに叩きのめした少女と言われても、いまいち信じ難いサキだった。

 忍野おしのレンという自分の護衛に、そういうジョークのセンスが皆無なのはよく分かっていたが。


 当事者であるメタルブルー少女は見たことない程緊張しており、やはりジョークではなさそうである。


「ごきげんよう村雨さん……。あの、急に呼び出してごめんなさい。

 私の家の者が失礼したと聞いたから、お詫びしなければならないと思って」


 石長サキの表情とセリフも、お目付け役に負けないくらい固くなっていた。


 忍野レンがボロボロの有様で寮の部屋の前に転がっていたが、数日前のこと。

 サキが第一発見者であるのは偶然でしかなかったが、幸運にも誰にも見つからず部屋に引っ張り込み介抱することが出来た。

 それから意識を取り戻したところで何があったか事情を聞き、耳を疑った後に気が遠くなるサキである。


 なにせ、赤毛の少女の素性を怪しいと見て、正体を問い質そうと強硬手段に出て返り討ちにされたと言うのだから。


 もう、なんて事してくれるんだと。

 この仲の良くない幼馴染の頑迷さと頭の固さは知っているつもりだったが、そんな短絡的な行動に出るとは思わなかった。

 しかし、自分の警護を単独で行うほどの実力者であるのも理解していたので、そんな少女が逆に叩きのめされると言うのも信じ難い話だったが。


「『失礼』などと、そんなことは……。石長さんの周囲に怪しい人物が近付かないか、警戒するのが忍野様のお仕事なのでしょう?

 わたしは気にしていませんよ」


 だが、村雨ユリの返事からしてブッ飛ばしたのは事実な模様。


 穏やかな微笑みを浮かべる赤毛の美少女が、何を言っているのか少しの間理解できなかった石長サキ。

 ここで予想された反応は、非難や糾弾、怒り、失望といったモノだ。

 ところが実際には、まるで気にしていないような赤毛の少女の回答。

 メタブル少女に刃を向けられたのも、逆に全身をアザだらけにするほどの暴力を振るったのも、まるで大した事ではないかのように言う。


 サキは今はじめて、どうしてお目付け役の少女が性急に動いたのか分かった気がした。


「……ウチのレンは、命令の遂行が絶対で命令から外れたことは絶対しなくて融通も利かせられなくて頑固でわたしの事なんて傷を付けられない置物くらいに思って人間扱いしない極悪非道の冷血ニンジャだけど――――」


「サキ様…………」


「――――それでも、使命の為に自分を殺して、誰も勝てないほど強くなった子よ。

 国許くにもとでもレンより実力のある護衛なんていやしない。

 村雨さん……皇国の人間じゃないと言ったわよね? でも名前は明らかに皇国圏のモノ。それに、カミカゼエイムによく似た操縦技術。

 あなた、何者?」


 警戒もあらわな様子のイノシシ娘と、警護対象から散々な評価をされ半眼になるメタルブルーニンジャ。


 石長サキは、本国から護衛を付けられるだけの理由がある立場の少女だ。

 その任務を単身任されている忍野レンが屈指の実力者であるというのも、事実だった。

 だからこそ、いま目の前にいる赤毛の少女を警戒せざるを得ない。

 独自の宇宙船を持っている学園の課外活動部に接近したのはサキの方だが、それすらこの閉鎖空間からサキを釣り出すエサに思えた。


 先日のニンジャ襲撃といい、唯理にしてみれば完全に濡れ衣なのだが。


「以前忍野様にも申し上げましたが、石長さんの事情とわたしは全く関係が無いと思いますよ?

 忍野様には最後まで・・・・納得していただけないようでしたし、忍野様にも石長さんとの事情は話していただけなかったので、100%と断言は出来ませんが」


 赤毛の少女とメタルブルーニンジャが、路上の追撃戦をやった後のこと。

 カカト落としてニンジャを沈めた赤毛は、そのまま事情聴取の為に格納庫近くの空き倉庫までニンジャを引き摺っていった。

 襲われるのに身に覚えがあるのは唯理も同じだ。

 その辺が実際どうなのか聞き出さねばなるまい、と思ったのだが、目を覚ましたメタルブルー襲撃者は赤毛の話なんて聞きやしない。

 一方的に『村雨ユリ』の素性を問い質そうとし、挙句の果てに再び襲い掛かってきたので、今度は真正面から気絶してもらった、と。

 こういうワケだ。


 飛び掛れば引っくり返され、殴ろうとすれば逆にぶん殴られ、動いたと思ったら自分が蹴り飛ばされており、至近距離から頭を吹き飛ばされ地面に叩き付けられる。

 皇国で負け無しの自分の戦闘術がほとんど通じず、成す術無く一方的に攻撃を受けるというのは、忍野レンにとって今まで感じた事のない恐怖だった。


 唯理の方も何発か想定外の打撃を喰らったので、ニンジャ少女も頑張っていたとは思うが。

 結局失神しても折れなかったところも兵士として高評価である。


「……飽くまでサキ様の事は知らないと? お前はエイム操縦に長け、宇宙船の操縦技術も持ち合わせ、挙句に対人戦闘術で専門の訓練を受けている私を上回った。

 そんな相手の言うことを信じるのは危険過ぎる」


 かなり容赦ない暴力にさらされたにもかかわらず、メタルブルー少女は赤毛娘への敵愾心を失ってはいなかった。

 村雨ユリを睨みながらも、滝のような汗を流して膝も声も震えていたが。

 鳩尾に膝ブッ込まれてコメカミぶん殴られてゴリッと頭を踏み付けられ息の根止められそうになればこうもなると思われる。

 完全にトラウマだ。

 それでも、サキにとって危険人物であると思えば、立ち塞がって見せるのは大したもの。


「では、どうしましょう? 実のところ私としましても、こうなった以上は石長さんと忍野様の背景を知らないまま放置というのも少し不安を覚えるのですが…………。

 今度は石長さんに直接事情を聞こうか?」


 そんなメタブルニンジャも、滅多打ちにされた時と同じ素顔を赤毛の少女が見せたことで、思わず後退ってしまう。

 誰もが見惚れるお嬢様の微笑ほほえみとは全く異なる、冷酷で無慈悲で凶暴性の滲み出る微笑びしょう

 サキも目を疑うが、この一瞬だけで村雨ユリの本性がこちらにあるのを理解してしまった。

 だって自然過ぎる。


「さ、さささサキ様に手出しはさせんッ」


 赤毛の怪物が拳を握り絞めて見せると、そこからミシミシと不穏極まりない音が聞こえてきた。

 サキを背中にかばうニンジャは、涙目で過呼吸になり今にも失神しそうだ。心と身体の防衛本能であろう。

 心の方がミシミシ音を立てている忍野レンだが、それが折れる一歩手前で踏み止まっているのは、皇国の皇宮警護に就くニンジャとしての矜持だけだった。


 守られているサキは、あるいはこのお目付け役レンを排除するチャンスでは? などとちょっと思ったが。


「…………何もしやしませんよ。弱い者イジメはするのもされるのも嫌いでね」


 勝手に襲ってきて勝手に怯える、という相手の態度に酷く釈然としないモノを覚える赤毛の少女。筋というのは通らないのがデフォルトなのだろうか。

 表情も、お嬢様らしからぬムスッとした感じになっている。

 イノシシ娘は赤毛の素に、ただ目を白黒させるばかりだった。


「実際、石長さんに何か思惑があって騎乗部に来たのは分かっています。ですが、私や騎乗部の皆に危険が及ばない限りにおいては、特に排除などは考えていません。

 私に対しても、そうであって欲しいですね。ああそれと――――」


 石長サキの素性に興味が無いか、と問われると微妙なところだが、相手もそれを隠そうとしている以上は、唯理と同じ現状維持派という事になる。

 それを無理やり聞き出すのは、それこそ虐めているようで気分もよろしくないだろう。

 無論、危険と判断すればいつでも手を打つつもりだが。

 それまでは、自分の学生生活の為にも、問題を起こすのは本意ではなかった。


 赤毛の少女はイノシシ娘とメタブルニンジャへ微妙に釘を刺すと、背を向けて屋上から出て行こうとする。

 その間際、


「――――このまま騎乗部の部員を続けるおつもりでしたら、明後日の遠征には出られるようにしておいていただけると助かります。

 それでは石長さん、忍野様、ごきげんよう」


 再びお嬢様の仮面を身に付け、もうひとりの村雨ユリはふたりの前から完全に姿を消していた。

 色々な意味で鮮やかな赤毛の振る舞いに、イノシシ娘とメタブル少女は声も出ない。

 ふたりだけになった後も、自身の中で考えを整理するのに、どちらもしばしの時間を要していた。


「とりあえず……何日も騎乗部に顔を出さなかったのを部長や他の皆さんにお詫びしないと」


「続けるおつもりですか? サキ様……。あのような怪物がいるところに出入りするなど承服いたしかねます。

 仮にここから出て御身が皇国に戻ったところで、混乱の元になるだけというのはサキ様もお分かりのはず。

 無用の争いに利用されぬよう、ここに隠されたのをお忘れですか」


「『無用』と『混乱』……ね。それは誰にとってかしら?」


「サキ様…………!」


「私も進んで政争の具にされようとは思いません。でも、ここにいる間の行動まで皇京のお歴々にとやかく言われる筋合いはないわね。

 あちらの都合でここに送られたのだし、彼らにとっても私はいない方が何かと都合が良いでしょう」


 護衛のメタブル少女としては、サキが赤毛の不審者とこれ以上関わることも、それに騎乗部での活動を続けるのも反対だ。

 どうしてサキが騎乗部に入ったのか、その狙いも大体予想できる。


 しかし、イノシシ少女は騎乗部に残る決断をした。

 やはりお目付け役には思惑がバレているようだが、かといって今は実行する気が起きないのも本心である。

 宇宙船に近付いたのは、いざという時の選択肢を確保する為。

 サキ自身、自分がどうしたいかはよく分かっていないのが現状なのだから。


 茶髪のイノシシ少女は、その日の内に騎乗部に復帰。

 ついでに、以前から周囲をウロウロしていたメタルブルーの少女も、正式に騎乗部へ入部の運びとなった。

 赤毛のモンスターの近くであっても、警護対象と一緒にいる方が良いと判断したらしい。

 警護がお仕事だけあって、メタブル娘は一通りエイム操縦の技術も持ち合わせていた。赤毛と同様に基本はリザーブ枠になると思われるが。


 石長サキが戻り、騎乗競技会への出場メンバーも当初の予定通りとなった。

 それから間も無く、村雨ユリむらせゆいりと騎乗部の少女たちは、学園を離れて競技会の行われるアルベンピルスク星系へ向かう事となる。





【ヒストリカル・アーカイヴ】


・透過金属

 光を透過する金属全般の総称。ガラスや樹脂より頑強な素材として金属が適当と思われる場所に用いられる。

 特に宇宙船の舷窓に利用される。


・皇王

 皇国における権力の頂点。行政、立法、司法、全ての権限の長。

 基本的に皇王家の直系男子が皇王位を継ぐ事となっている。 


・人権基本法

 皇国の根幹を成す身分階級、尊位、士位、民位、隷位、それぞれの権利を定めた法律。

 尊位が最も多大な権利を持ち、主に政治家など権力者がこれに該当する。

 士位は軍人など治安組織の人員が該当し、民位階級に対し権利的に優位となる。

 民位は一般市民階級であり、特別な権利は認められていない。

 隷位は犯罪者など権利を制限される者が落とされる階級。


・行政院

 皇国の行政を司る機関。政府と同義。

 院会は内閣、行政議長は首相に該当する。


・国家支援法

 国民の国家への支援を義務付ける法律。

 『皇国国民は国家の安定かつ安全な運営の為、行政院の国家運営を支援する義務を持つ。また、これに反する者は国家に損失を与える者として国民が排除する努力をしなければならない』


・警士(隊)

 皇国の治安維持を担う組織。警察。

 警士は士位階級となるので民位や隷位の下位階級に対し権利的に優位。


・ゲバ棒

 ゲバルト棒の略。権力との戦いに用いる武器。

 角材、鉄棒、等。内容ではなく目的による名称。




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