14G.システマティック フルオート・ミール




 クレッシェン星系に入り、海賊船と交戦した後日の事。

 目的地である星系5番目の惑星、『レインエア』を目前とした貨物船パンナコッタの船内だが、ここでひとつの破綻も目前としていた。


 それは、生命活動において無くてはならない行為。

 人類種が宇宙に出て2,500年以上を経て、なお拭えぬ業。

 それどころか、個人が恒星間航行を可能とする程の科学力を得ておきながら、いったいぜんたいどういうワケか著しい退化を見せ、とある赤毛の美少女を軽く絶望させた人類の叡智と文化。



 食事である。



「そういうのは連邦や共和国の中央本星とかに行かないと食べられないわねぇ」

「あ……あるんですね、一応」


 フードディスペンサーという機械が作り出す奇抜な味で食べ物と思えない食感で工業製品のような匂いの物体に我慢できなくなった村瀬唯理むらせゆいりは、ゲンナリとした顔でマリーン船長と話をしていた。

 かつての自分は、食事に人並ならぬ拘りを持っていた、はずだ。

 そんなどうでもよい事を思い出す唯理だが、そうなると一層、今の食事事情が我慢できなくなって来る次第である。

 この時代は物質の組成変換が技術として確立しており、その気になれば土塊を人間が吸収可能な栄養素に変換する事も可能だった。


 ただ、味とか食感は絶望的。


 要するに、例えばタンパク質、例えばカルシウム、例えばビタミンといった栄養素を全て均一に混ぜて固めて味らしきモノを付けて食料として作り出すのだ。

 栄養はある、というか栄養しかない。

 体調や身体の健康状態も、ハンディタイプのスキャナーを使えば10秒で精査できる時代だ。それに従えば、栄養失調など有り得ないのだろう。


 だが、繰り返すが味は壊滅的。


 もしかしてこの時代の人間は例外なく味覚障害に陥っているんじゃないのか。21世紀ガールの唯理は、そんな若干失礼な事を思う。

 しかも、唯利を気にかけてくれるお下げ髪のエンジニアに話を聞くと、食事に関してはおかしな感想が返ってくるのだ。


 曰く、『今日のフードレーションは細胞に浸透する味』。

 この時点で挫ける。

 その次の食事の感想は、『発見できなかった』。

 何が? と訊いたものの、それを発見できなかったのだ、と返されてしまい、唯理は途方に暮れた。

 

 次に、意外と面倒見の良い通信オペレーターに話を聞くと、味と栄養素を307のパターンに最適化し、自分の脳の学習機能チャートに合わせて時々で最良の物を摂取しているとか。

 唯理が訊きたかったのは、味の感想だ。

 そんなオートマチックでシステマティックな栄養補給のロジックではない。


 それで、話は冒頭の船長との会話に戻る。

 世話になっておいてなんだが、この時代の食事は致命的に自分に合わない。

 確かに、材料となるあらゆる素材を元素の組成から必要な栄養素へと合成変換する食糧生産技術は非常に合理的かも知れない。ある意味、究極のリサイクルであり資源の有効活用だろう。

 でも、味が。

 味がもはや食べ物ではない、としか言いようがない。

 食感も極論すれば、硬質か軟質かに集約される事が判明した。歯応えも喉越しも何も無い。

 この時代で、21世紀から来たやや残念な赤毛の美少女が食べられる物は、何も無いのだ。


 ならば、唯理が過去の地球でいったい何を食べていたのか、という話になるのは当然の流れ。

 果たして現在の人間に理解してもらえるのか、と不安に思いながら、唯理は思い出せる範囲で昔の食事の様子を話したのだが。


「惑星上の専用施設とかコロニーで作られた飼育環境とか、そういった場所で食用生物を繁殖させる事はあるわよ」

「『食用生物』、ですか…………」


 ほんわかした女性の船長は、唯理の言う『動植物から食材を得て調理する』、という料理の常識を理解してはくれた。

 それは喜ばしいのだが、どうしていちいち科学チックな呼び名になってしまうのだろうかと思わざるを得ない。

 いや希望は繋がったのだから、ここは文句を言うべきではないと唯理は考える。

 ちょっと必死になり過ぎだろうか。


「でも、そういった生物由来の素材はとっても高価よ? フードディスペンサーを使う何万倍もコストがかかる上に、一種類では必要栄養素を補給できない事がほとんど。加工に手間もかかるし。完全に極一部の人間の嗜好品ね」

「惑星に住むヒトなら食べられる、って事でもないんですか?」

「輸送コストがかからない分は安価に手に入るかも知れないけど、それにしたってフードレーションの方が遥かにローコストで簡単に必要栄養素が取れるのよ? 所要時間も比較にならないでしょうね」


 つまり、秤にかけて、そこまでの価値を見出す者がほとんどいないのだと、世知辛い現実を船長は語ってくれた。

 そりゃ何でも食料に換えてしまう魔法の箱なんて物があった日には第一次産業など軒並み壊滅するだろう。どこぞの経済協力協定の比ではない。


 そして、唯理にも段々分かってきた。

 時間とコスト、ほぼ完全な資源のリサイクルを可能とする食糧生産システムの普及により、肉類や穀物、野菜といった食物の生産コストが相対的に跳ね上がったのだろう。

 結果として、人々は味よりも利便性と効率を取った。


 それに、これも唯理の推測でしかないが、恐らく初期に人々が作っていたフードレーションは、今よりも比較的まともな味をしていたのではないか。

 しかし、フードディスペンサーはその仕様として、味も感触・・もほぼ均一に均してしまう。

 だとしても、人間は食べなければ生きていけない。フードディスペンサーは、確実に人間の生を保証してくれる。

 そうして、人々は個々に工夫を始めたのだと思われる。

 より変った味、特殊な味、刺激的な味、あるいは、より科学的なアプローチで、身体に吸収させようとした。

 同じ味に飽きてしまうというのは、多様な食物を摂り、偏った食べ物ばかり摂取するリスクを回避する為の機能であるとも言われている。


 これが、この時代の常識なのだというのは理解できる。

 哀れだ、と思うのは、21世紀を生きていた唯理の、相対的な物の見方でしかないのだろう。

 食事とは、究極的には肉体維持の為の栄養補給に過ぎない、とされる。

 だが、唯理は食事がそれだけの行為でないと知っていた・・・・・

 食事とは六感で食べるものだ。

 料理の見た目、香り、調理や摂取時の音、指や舌で触れる感覚、味、最後に状況シチュエイション

 特に唯理は個人的に、食をいたずらに高尚な物とし、料理のあらあげつらい食卓に同席する人間に不快感を与えるような自称美食家に食を語る資格は無いと考えるが、この際それは置いておく。


 少し話が逸れたが、料理を六感で味わうというのは、単に食事を楽しもうというだけの話ではない。

 見た目、香りが良ければ食物を摂取しやすく、味が良ければ体内に摂り込みやすく、食べる事にストレスの要素が無ければ吸収効率も良い。その点で言っても自分の価値観を押し付ける美食家など要らん。より良い食の追求などより、害悪デメリットの方が大きいだろう。

 また、食事が楽しいという事は、次の食事を楽しみにするという事だ。

 言うまでもなく、これは栄養補給の意欲、つまり生命維持の意欲に直結する。


 調理というのは、そもそもが食物を身体に摂り込み易く加工する事だ。

 その為に、人類は数千年という長い年月において、料理という文化と技術を磨き上げてきたのである。


 だというのに、その偉大なる文化と技術をどこに置いて来た人類。


 どうしてこんな基本的な事が、この時代に伝わっていないのだろうか。

 あるいは、それもまた利便性と効率の前に不都合とされ、権力を持つ者などに蓋をされてしまったのかもしれない。

 この事態を異常とも思わず受け入れている現行人類を見ると、唯理は酷く悲しくなった。


                ◇


 と、このように残念な話になってしまったが、とりあえず唯理は自分の食生活だけでも改善出来ないものかと考えてみる。もう人類なんて知らん。

 例によってハッキリとは思い出せないのだが、以前の自分は相当に食事には気を使っていたように感じるのだ。

 もう単純か奇抜か液体か個体かの食料という名の経口摂取マテリアルは我慢ならんのである。


 船橋ブリッジで船長のお姉さんと話した後、唯理が向かう先はパンナコッタの舷側に接続されている、貨物カーゴモジュールのひとつだ。

 そこでは、灰地に青のヒト型機動兵器が、お下げ髪のエンジニアと長身姐御肌のメカニックに改修を受けている。

 自分の乗機なので唯理も手伝っていたのだが、出来る事が無くなってしまったので、少しの間離れていた。


「あ、お帰りなさいユイリ。フードディスペンサー上手く使えた?」


 唯理が来ると、エンジニアのエイミーは笑顔を綻ばせる。妹かペットが来たような感覚であるらしい。

 一方の唯理は、エンジニアさんの質問に応え辛いものがあり、それが微妙に表情へ出ていた。


「……どうしたの? 上手く調節できなかった? インフォギアのバイタルグラフと同期すれば最適値で自動合成してくれるよ?」

「その調理法が未来世紀過ぎて泣けるけど聞きたい事は別です」


 首を傾げる愛らしい仕草のメガネ少女だが、言っている事は軽くディストピア未来である。

 狂気とはそれに気が付かない状態である、とは誰が言ったのか。


 これまでフードディスペンサーはエイミーに操作してもらっていたが、今回初めて唯理は自力での食料合成に挑戦してみた。

 結果は散々たるものとなったが。

 今までの合成食料フードレーションはとにかく奇抜な味が多かったので、自分は刺激や酸味、苦味、うま味、等を押さえてシンプルな味付けからはじめようと思ったのだ。

 そうして出来たのが、甘みと塩気がきれいに分離したノリのような何かである。

 これで栄養価は完璧とかどうなってるんだ。


 こりゃ機械任せじゃ早々に自分も味覚壊れる。

 そんな危機感を覚えた唯理は、もっと根本的にフードディスペンサーと、その根幹の技術を知る必要があると考えなおす。

 そこで、ヒト型機動兵器の改修も忙しいエンジニア嬢の邪魔をするのを承知で、教えを請いに来たというワケだ。


 唯理は科学誌を読む程度の知識しか持たなかったが、それでもこの時代の科学力が21世紀に比べて鬼のように進歩しているのは分かる。一方で、効率と合理性を優先して他の部分がごっそり取り残されていたが。

 その唯理が理解するところによると、フードディスペンサーや元になるT・F・M、『トランス・フュージョン・マテリアライザー』とは、要するにナノ技術だった。

 ある種のレーザーを用い、原子、あるいは素粒子を捉えては再配置し物質を組み換えていくシステムとなっている。

 概念図を見せられたが、それはあたかも物質Aを物質Bに書き換えていくかのような方法だった。

 もっとも、これは初歩的な概念に過ぎず、現在は更に発展、進化しているのだという。

 どうしてもっと違う方向に進化しようと思わなかったのか。


「でもこれ本当に単なるマテリアル・・・・・なんだ…………。なるほど」


 壁に半分埋め込まれている、それこそキャッシュディスペンサーに似た機械を前に、唯理は渋い表情になっていた。


 パンナコッタのフードディスペンサーは、機関室に置かれている。

 と言うよりも、機械部品の素材マテリアルや酸素や水、生活の消耗品、推進剤を作るT・F・Mを、そのまま使っていた。

 ふたつは本来同じ物だし、狭い船内で両方を備え付けるよりは、場所の節約を優先するというワケだ。

 小さな船ではままある事らしいが、カレーを作った拍子にネジでも混入しないかな、と唯理は嫌な想像をした。

 そもそもカレーが作れないので要らん心配だが。


「でもね、機械用マテリアルと食べ物の合成はモードが分けてあるから。必須栄養素を作る時には自動で吸収を促進する物質も入れてくれるし」

「うん、もっと違う方法で人体への吸収を促して欲しかった」


 楽しそうに説明するエンジニアの少女だが、唯理の方はいまいち共感し辛かった。

 21世紀の時点で感情は化学だと立証されていたのだが、ヒトの心を慮るよりも技術力でゴリ押しした方が、手っ取り早くてローコストという事なのだろうか。

 数十世紀の壁が分厚い。


 改めて唯理は、自分が非常に原始的な時代から来たのを実感していた。

 例えば、21世紀のコンビニエンスストアで購入できる、携帯型ブロックフード。

 見た目は文字通り手の平大のブロックで、味よりも栄養素やカロリーの補給を目的としている。

 が、これひとつ取ってもベースは小麦粉やデンプンといった自然素材であり、栄養素を直接作って固めたりはしていない。味だってそれほど悪くない。

 これは動植物を媒介とし、間接的に必要な栄養素を体内に取り込んでいると言えるだろう。

 そういう意味でも、この時代の栄養素の合成技術は非常に高効率だと言える。


 しかし、前述の通り食事は栄養が取れれば良いという物ではないのだ。

 この時代の常識に照らせば、おかしな事を言っているのは唯理なのかもしれない。

 とは言っても、いきなり未来の常識に慣れろというのも無理である。その前に身体が拒絶反応を起こして栄養素を取り入れられずに餓死しかねない。

 実は、これも珍しい事ではなかった。

 例えば拒食症など、何らかの心的要因で身体が食べ物を拒絶するといった事もよくある話だ。

 自分がそこまで繊細だとは思いたくないが、今はその辺が全く自信無い。

 身体を作り直す為にも、食事は必要だ。


(となると、食材の再現? 必要な成分組成は機械で作れるとして、どういう構造にするかが問題なのか。というか、どっちもわたし知識無いな)


 必要なのだが、壁、また壁。

 頭を抱える唯理の後ろで、エイミーも困惑顔だった。

 ペットの気持ちが分からない飼い主の心境である。


                ◇


 唯理の覚えている限り、21世紀の時点で情報ネットワークの基礎は、ほぼ確立していたと思われる。

 世界規模、不特定多数の人間が双方向へ発信する情報ネットワークは、接続する者に無限の情報を与えた。

 恐らく、このネットワークの普及は人類史の大きな分岐点となったのだろう。

 必要な時に、必要な情報を得られ、更に全世界でタイムラグの無い意志疎通を可能とした。

 これが人類の文化と技術、発達と進化にどれだけ寄与したか。

 後年の人類がその時代をどう評価したか是非知りたいところだったが、いかんせんそんなレベルじゃない程未来に飛ばされてしまったので、寸評らしき物すら見つからなかった。


 しかし、未来の銀河版インターネットである『ウェイブ・ネットワーク』は地球のそれと比較にならなかった。

 インターネット・『ウェブ』、ではなく、『ウェイブ』。前者は網、後者は波を指す。

 何でも、この宇宙はでありとあらゆる存在が、時間も距離も速度の概念も無い『波』を発しているのだとか。

 その波を捉える技術が、『導波干渉儀』。更に導波干渉儀を応用した通信ネットワークが、ウェイブ・ネットワークと呼ばれていた。


 この説明を聞いた時、唯理は何か凄まじく重要な事を思い出しかけて立ち眩みを起こしてぶっ倒れたが、それは脇に置いておく。

 どうせ記憶喪失者に確信できる事など、何ひとつないのだから。


 重要なのは、ウェイブ・ネットワークという情報通信インフラが、光より早く、かつ膨大な情報を扱える事実だ。

 唯理もエイミーから貰った情報端末インフォギアを使い、船のシステムに相乗りする形で情報を検索する。

 情報端末インフォギアを持っていない者から見ると、唯理が何も無い空中を眺めているようで、少し間抜けだった。


 フードディスペンサーはタンパク質を合成できる。タンパク質は人間の必須栄養素であり、ここは最低限必要な仕様だったのだろう。

 タンパク質はL-アミノ酸が鎖状に連結した構造の高分子化合物だ。つまり、フードディスペンサーはこの構造を再現できる事になる。

 実は唯理もこんな専門的な事は知らなかった。ウェイブ・ネットワークで調べてはじめて知ったのだ。

 更に、アミノ酸はアミノ基とカルボキシル基という分子化合物から成る。アミノ基はアンモニアを構成する水素原子を炭化水素基に置換した化合物だ。

 カルボキシル基については割愛する。ミクロな構造を再現できるという事実だけで十分である。

 つまり何を言いたいかというと、フードディスペンサーことT・F・Mなら、それより大きい構造物まで再現できるという事だ。


 そこで唯理は、当面の目標を食材の再現と定めた。

 代表的な穀類である麦、日本人が大好きな米、タンパク質といえば肉、吸収されない必須栄養素である繊維質の野菜、カルシウムの小魚か牛乳。

 ただ、完全な再現は早々に諦めた。

 生物の細胞構造、これが複雑過ぎる上に、どうせ消化吸収の工程で構造が破壊されてしまうからである。リソースの無駄だ。

 そこで唯理の目指すところは、栄養素と形状、味、そういった部分のみを模した合成食品という事になる。

 動植物の構成栄養素を揃え、細胞より上位となる階層の構造を模し、生理学上の味覚五要素である甘味、塩味、酸味、苦味、旨味を調合する、という流れになるだろうか。

 やっている事がフードディスペンサーと大差ない気もしてきたが、ここで挫けたら味覚破壊一直線だ。負けられない戦いがそこにはある。


 エイミーに教わったところによると、具体的な構造さえ分かれば、フードディスペンサーである程度までは作れるそうだ。ある程度、というのは、例えば複数の構造を持つ異なる物体を同時にふたつ以上作るのは無理、という話。

 そこで唯理は麦の構造から調べるのだが、ここでまた問題が。

 銀河を覆い尽くすウェイブ・ネットワークをして、『麦』の情報がありやしないのである。

 『小麦』でも『大麦』でも学名でも検索にヒットしない。

 そんなバカな、これでは一粒の麦どころの話ではない、実を結びようがないだろう。

 ついでにパンの情報なども無かった。

 麦やパンだけではない、そもそも食用動植物の情報が皆無なのだ。


 船長のお姉さんに聞いた限りは、畜産と農耕が滅んだワケではないはず。

 そこのところを突っ込んで調べてみたならば、なんというか育成しているのが唯理の知っている動植物じゃなかった。

 しかも、栽培、収穫された動植物は、解体され細胞以下にまで分解され成型され調理されて客に供されるらしい。

 それじゃフードディスペンサーと変らないだろうが目黒の秋刀魚ってレベルじゃねーぞ、と唯理は空中の画面をぶん殴った。器用に飛んでいくあたり無駄に芸が細かい。


 二千と数百年の壁は、やはり厚いという事なのだろう。

 唯理はベッドの上で突っ伏し、更にエイミーを心配させた。


 一眠りした唯理だったが、目覚めると何故かエイミーに抱き付かれていた。抱き枕状態である。

 気恥ずかしいものを感じながら静かにベッドを出ると、唯理はアプローチを変える事とした。

 分からない設問は後に回し、埋められる解答欄から埋めていこうと、こういうやり方だ。

 記憶が曖昧な唯理の知識など頼りない事この上ないが、覚えている限り小麦とは炭水化物、タンパク質、糖分、繊維質が主な栄養素だったと思う。胚芽部分にはビタミンも含まれていた。

 種子の構造まで模さなくても、理屈の上ではこれらを一纏めにすれば小麦と同じ物になるはずである。

 いかんせん、タンパク質の種類、などといった部分で抜けまくっている理屈だったが。


 しかし、記憶喪失であるのを差し引いても、植物学者でも生物学者でもない唯理にそこまで求めるのは酷というもの。むしろ苦難の末にここまで辿り着いたのだから慰めてあげて欲しい。

 唯理は早速フードディスペンサーの所に戻ると、複数の調合パターンで小麦らしき物を作ってみた。

 そうして出来上がったのは、直径一センチほどの楕円形のペレットである。

 赤毛娘の美麗な顔が引き攣ったが、そこはまだ慌てるような時間じゃない、と自分を落ち着かせた。

 これは飽くまでも一工程に過ぎない。これを粉に挽いて水と混ぜて捏ねて寝かせて焼いてはじめて真価を問われるのだ。


「それは初めからパウダーでよかったんじゃねーの?」


 暇潰しに様子を見に来たオペレーターにそんな事を言われ、赤毛の美少女は再びベッドに突っ伏した。バカ過ぎる自分が憎い。


                  ◇


 いっそパンらしき物体を直接作れないか、というのは最初に考えた。

 想定されるのは、大部分が炭水化物から成り、内部に無数の空洞がある軟質の物体。

 そうして出来上がった炭水化物の緩衝材を吐き捨てた唯理は、やはり可能な限り手作りの工程を経る必要があると痛感する。

 小麦パウダー自体も、単なる粉という以上の評価ではない。小麦の風味も皆無だ。

 ハンディスキャナーで人体に害が無いのは確認していたが、やはり「食べられる物」と「食べ物」は別なんだな、と。

 残骸をディスペンサーに戻した唯理は、呆然とそんな事を考えていた。


 その後、唯理は小麦パウダーを基本としたトライアンドエラーを繰り返す。

 パンナコッタにはオーブンなど無かった為、お下げ髪のエンジニアに頼んで、それらしい物をでっち上げてもらった。オーブンというより、赤外線加熱機を内蔵する断熱処理された箱だったが。


 しかし言うまでもなく、記憶が曖昧な上にパン職人でも科学者でもない唯理にパンなど作れるはずもないのである。


「で、何だこりゃ?」

「…………良く分からないです」


 唯理を気にする通信オペレーターの少女は、再び機関室へ顔を出していた。

 だが、そこで奇妙な物を目の当たりにする。

 それは、一抱えくらいある正体不明の箱の上に乗せられた、トレイの上に並んだ褐色の物体だ。

 赤毛の少女は疲れ切っている。矢尽き刀折れた感があった。

 そもそもパンを膨らますグルテン、発酵させるイースト菌が無く、また卵や牛乳も使わないでパンなど作りようもない。

 結果として出来たのは、小麦パウダーに塩と油分と水を混ぜ、加熱機で焼いたパンとは似ても似付かない謎の食べ物・・・である。


「食えるのか…………これ?」

「まぁ……食べられないではないんですけど」


 もうどうしていいか分からない唯理は、ディスペンサーの横で力なく座り込んでいた。


 研究施設で拾われ、記憶に問題を抱え、エイムでの戦いに駆り出され、食べ物が身体に合わず苦労している、遠い過去から来た少女。

 愛想の無いオペ娘であるが、力になってやりたいとは思っているのだ。


 ハンディスキャナーで毒性の有無を確認したフィスは、砕けた物体の欠片をひとつ摘まむと、思い切って口に放り込んでみる。

 ザクザクと咀嚼し、しばらく訝しげな顔をする吊り目のオペ娘だったが、やがて口の中から欠片が消えると、次の欠片を口にしていた。


「…………フィスさん?」

「ん、なんというか……何だこれ?」


 現代人の味覚からしても、この食べ物はどうだろうか。

 緊張する唯理だったが、オペ娘の方は無言でザクザクモグモグし続けている。


 フィスは何とも言えない感じを覚えていた。

 硬いでも柔らかいでもない、噛むと簡単に崩れて、その途端に口の中で匂いが広がる。

 単純な塩味だというのは分かるが、それだけではない。

 オペ娘には理解できなかった。それが所謂いわゆる、香ばしさや風味、旨味といったものだというのは。

 生理学上の味覚とは、甘味、塩味、苦味、酸味、旨味の五つとされている。

 しかし、料理とはそれだけではない。


 気が付くと、唯理の作ったパンの出来損ないは、全てオペ娘に食べられていた。

 その食べっぷりに目を丸くする赤毛の少女だが、誰よりビックリしているのはオペ娘の方だったりする。


「わ……悪い、全部食べた。ユイリが作ったもんなのに」

「いや良いんですけど……。フィスさん大丈夫?」

「これ変な物合成してないよな……?」


 現代において、他人が手作りした食べ物を食べるというのは、まずありえない事だった。それこそ、連邦や共和国の本星か、それに準じた規模の惑星に存在する、然るべき場所でなければ。

 つまり、非常に貴重な経験となる。

 そんな物を、無意識の内に全部食べてしまうとは。

 オペ娘の人生において、ここまで我を忘れた事は一度もなかったと記憶している。一瞬、薬物の類でも盛られたかと疑うほどだ。

 どういうワケだが手が止まらなかったのである。


 それが所謂スナック菓子に見られるやめられない止まらない現象だという事を、未知の経験をしたフィスが知る由もなく、また唯理としても全く想定外だった。


 その後も、唯理は暇を見て実験を続けるのだが、ほとんどが意図したものとは異なる結果に終わる。

 その挑戦はある船と巡り会うまで続くが、多くの場合、唯理の作る食べ物は、ちょっとした騒ぎを起こす種となった。


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