エドブルガ


 続けてケプラーノコギリガザミを追跡するために、ハンターが命の次に大切にしている小銃をその場に置き去りにした。そこまで身軽にしないと追いつけないと判断したためだ。

 軽量ヘルメットに装備されているライトを点灯させて、ゾエアが付けた轍のような足跡を全速力で駆け抜ける。


「きぇぇぇーィイッ!」

 

 ニーナの母親と称する女が暗闇からヌッと現れ、納屋に隠し持っていた薙刀を斜め上45°の角度で振るってきた。ヒコヤンは切っ先の軌跡を予測して上体を伏せると、背中に斜め差しのチェンソードの鞘で受け止める。と同時に火花を散らしながら、瞬発力を発揮して居合のごとく背後のノコギリ剣を抜いた。


「くたばりなさい!」

 

 遠心力を利用し長い柄をしならせたかと思うと、中年女の力とは思えないスピードで刀身を脇腹に滑り込ませてきた。対するヒコヤンは、チェンソードを地面に突き立て、ノコギリ刃を薙刀の柄の部分に深々と食い込ませる。と同時にグリップの赤いボタンを押して、チェーンソーを高速回転させた。


「何ッ!?」


 あっと言う間だった。切り屑を散らし、首がもげるように刀身が長い柄から転げ落ちる。

 自称母親が、短い悲鳴を上げて乾いた地面に倒れ込んだ。ヒコヤンが回転を止めたチェンソードで肩口に一撃を加えたのだ。

 

 この一連アクションの経過時間、わずか20秒。だが、その1分にも満たない時間のロスが、カルキノスに湖まで逃げる時間を与え、ニーナを失う事を現実的なものとする。


「待て! その娘を放せ!」


 追跡を再開したヒコヤンは、ニーナを爪に挟んだまま、暗黒の湖に右列の脚を沈めようとするゾエアに何とか追い付いた。全速力をキープしてきたが、通常の者ではとてもスタミナが続かない距離である。


 ヒコヤンの懸命な強い呼びかけに呼応するかのように、カルキノスは徐々に歩を緩めてゆき、闇夜の中、完全に停止した。驚いた事に、ニーナを挟んだ左のハサミは天高く関節の限界まで持ち上げられ、彼女が冷たい湖水で濡れないように庇っているようにも見えた。


「ニーナ! 待ってろ、今すぐ助けてやるぞ!」


「ヒコヤン! ゾエアは……」


 陸に戻ってきたカルキノスは、重機のアームにも似た爪を掲げるのを止め、ニーナを自分の口元に引き寄せるような行動を取った。


「うおおおぉぉッ!」


 ヒコヤンは弾かれたようにダッシュしたかと思うと、チェンソードを斬撃にように振り回し、カルキノスの左ハサミ脚の根元に打ち付けた。そのまま柄の赤いボタンを押し、大木を切り倒すかのごとくカルキノスの分厚い装甲殻を切断に掛かる。

 

 黒い巨大カルキノスは、自分のハサミ脚がチェーンソーでノコ引かれるにも関わらず、ニーナをゆっくりとライトに照らされた高台に降ろした。そう確認した瞬間、今度はヒコヤンの赤いヘルメットが、カルキノスの左爪によって信じ難いスピードで挟まれた!


「ぐああぁ!」


 超々ジュラルミン製のヘルメットはギシギシと軋み、万力のようなハサミは、プレス機並みの恐ろしい圧力を頭部に掛けてくる。それでもヒコヤンは、チェンソードの赤いボタンから指を離さなかった。……ゴールドマン教授のレクチャーでは、内蔵バッテリーは約3分しか保たないらしい。

 周囲に生臭い焦げ付くような臭いが充満し、カルキノスの青い体液がチェーンソーの切り屑と一緒くたになって浜に飛び散る。

 なおも万力バサミの力を緩めようとはしないカルキノスを睨み付けるヒコヤン。ヘルメットは限界にまで歪み、圧壊寸前の悲鳴のような音を立て続ける。

 残されたモーターの駆動時間……およそ1分。


「なんの! 勝負だ! 化物め」


 ヒコヤンはチェンソードの回転が徐々に遅くなってきた事を悟った。……チェーンソーは、もう半分近くまでカルキノスの丸太のような脚を切断しているようだ。

 死に物狂いの強い力が頭部に加わり、外骨格を削り取るチェーンソーの刃に掛かる抵抗も増してくる。

 内部モーターは唸り続け、チェンソードの切り刃は加熱し、削り粉が激しく宙を舞う。

 その時ヘルメットに異音が響き、限界がすぐそこまで来ている事を知らせた。額からは幾筋か血が流れ出し、視界を遮り始める。ついに回転が停止する瞬間が訪れた。


「うおおおおおおおおっ!」


 ヒコヤンのヘルメットが、ひしゃげて地面に転がった。




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