第19話 顕せ、その真なる姿

 その一連の光景を、レストは彼としては珍しく目を見開き、隠しきれない喜びの滲み出た表情で眺めていた。

 ずっとずっと、待ち望んでいた。ようやく、ようやく目覚めてくれた。

 見ろ、あの姿を。見ろ、あの光を。あまりに未熟で、あまりに未発達で――しかし何より価値のある、彼の心の輝きを。


「これこそがずっと、私が求めて来たものだ」


 高揚した彼の呟きは、軋む次元に掻き消えた。


 ~~~~~~


「こいつは……」


 己が握り締める、見慣れ、しかし一度も手にしたことの無かった武装を見詰め、荘厳は呟いた。

 名前は、元から知っていた。どんなことが出来るのかも、また然り。ただ今はそれだけでなく、この武器の、この魔導真機の全てが、自身の頭の中に流れ込んでくる。

 いやそれは、正確には同調と言うべきか。ともかく、息をするより自然に、手足を動かすよりも当たり前に、荘厳はこの魔導真機の扱い方を理解した。

 全身を駆け巡る力はこれまでの比では無く、先ほどまで地を這っていたのが嘘のように身体が動く。力強い脈動は、己の心を後押しし、瞳に誇りを映してくれる。

 破れた学生服も、全身の傷跡も、今は荘厳を引き立たせるアクセントにしかなりえない。それ程までに、彼から感じる気迫、力は、圧倒的だったから。

 ぼろぼろの格好が敗者の証左にならない程に、今の彼は――まごうことなき、強者であった。


「そんな、まさか。この土壇場で、魔導真機の使い手として目覚めたっていうの?」


 未だ信じられない、という思いを捨て切れないまま、リエラが言葉を漏らす。その顔は感じる力への焦燥感で満ち溢れており、これまであった強者としての余裕など一片も無い。

 彼女は優秀だ。優秀であるが故に、感じ取れてしまっていた。先ほどまでは敵にもなりえなかった男が有する力が、己の持つ力よりも、遥かに――


(いや、そんなはずが無い!)


 脳内で出かけた結論を、彼女は全力で否定した。幾ら魔導真機の使い手になったといっても、彼はまだ目覚めたばかりのひよっこだ。

 自身も使い手として経験してきたから良く分かる。何の訓練もなしに、魔導真機は扱い切れる物では無い。相応の過程を経て、初めて十全にその性能を発揮させることが出来るのだ。

 ならばずっと魔導真機を使ってきた己と、目覚めたばかりの彼とでは、どう考えても此方に一日の長がある。元々の実力や才能によって多少の変動はあれど、自身の優位は揺るがない。

 きっと、驚きと場に無駄に広がった魔力のせいで、勘違いしているだけだ。彼女は自身の感じたものを、そう切り捨てた。切り捨てなければ、とても平静を保ってはいられなかった。

 現実から目を逸らすその行為こそが、弱さだと知っていたはずなのに。


「ふん。ちょっと魔導真機を使えるようになったからって、調子に乗らないことね。その程度じゃ差は埋まらないってことを、今証明して――「理解した」」


 リエラの言葉を遮り、低く落ち着いた声が木霊する。


「今の、俺の全てを。そして、今のお前の底を」

「……何ですって?」


 流石に聞き捨てならず、怒気を滲ませ聞き返す。けれどそんな彼女にも、荘厳は眉一つ動かさず、


「お前では、俺には勝てない」


 真っ直ぐな瞳に確信を乗せて、宣言した。

 気おされていたリエラの身体が、激情を糧に力を取り戻す。裂帛の気迫と共に、押さえ切れない炎が身体から溢れ出て、場の温度を上げていく。

 だが、己に叩きつけられる熱量の全てを歯牙にもかけず、荘厳は一歩踏み込んだ。


「っ!」


 敏感に危険を感じ取ったリエラの防衛本能が、無意識の内に魔法を作り上げ、あの得体の知れない男を近づけまいと撃ち放つ。

 撃ち出された二十二の炎槍は、音にも迫る程の速度で標的へと飛翔して――その身体に突き刺さる寸前、まるで上から巨大な石像に踏みつけられたかのように一斉に地に落ちた。

 弾け、砕かれ、巻き散らかされる炎にも何一つ動じない荘厳の周囲には、はっきりと見て取れる程に濃い青紫の重力場。


「嘘。さっきまでは、あんなに貧弱な重力膜だったのに」


 一歩、また荘厳が歩を進める。

 纏う重力場の影響を受け、彼の周囲の地面がびしりと歪み、陥没していく。


「くっ、ならこれで!」


 再び離散しかけた気迫をかろうじて繋ぎとめ、リエラは今度は己の意思で魔法を構築した。先程よりも一回り大きな炎槍に、人を丸ごと呑み込める巨大な炎球。更に剣先からは大木のような太さの炎鞭を現出させ、おまけとばかりに無数の炎弾を周囲に滞空させている。

 とても人一人に向けるものでは無い圧倒的な火力が解き放たれ――しかし例外なく地に落ちた。

 荘厳が一歩踏み込み、リエラが一歩後退する。矢継ぎ早に放たれるど派手な魔法の数々は、しかし僅かの停滞さえ齎せずに全て消し飛ばされ空しく終わる。


「おいおい、リっちゃんは何やってんだ。もっと出力を上げれば良いじゃねぇか!」


 ようやっと落ち着きを取り戻して来た藤吾が、気弱な抵抗しか出来ないリエラの姿に疑問の声を上げた。

 彼女も魔導真機の使い手なのだ、ならば荘厳の不得手な重力場位、その気になれば貫くことも可能だろうに。

 ニーラも、綾香も、同様の疑問を抱き。

 答えは、レストが齎した。


「出来ないんだよ」

「え?」

「出力を上げないのでは無い。上げられ無いんだ」

「ど、どういうことだよ、そりゃあ。だってリっちゃんは、魔導真機の使い手だろう?」


 ならば彼女の全力が、この程度のはずが無い。

 その勘違いを訂正する為、じりじりと動く戦闘者達を眺めながら、レストは饒舌に解説し始める。


「確かに彼女は、魔導真機を使っている。が、それはあくまでも使用しているだけに過ぎない。魔導真機の使い手として、正しく認められている訳ではない」


 後退するリエラの背が、とん、と硬い壁に触れた。もう、これ以上は下がれない。


「魔導真機が並の者には扱えない高度な兵装とされているのも、此処に理由がある。君達は知っているかもしれないが、魔導真機は、それその物が使用者を選ぶんだ」


 撃ち放たれる魔法が、より一層過激さを増す。だがそれでも、荘厳の脚は止まらない。重力場を纏い、魔導真機を手に、ただ静かに距離を詰めていく。


「己に相応しい適合者にしか、真なる共鳴を許さない。故にそれ以外の者では、十全にその性能を引き出すことは不可能」

「で、でもそれなら、そもそも使用自体が出来ないのでは?」

「本来ならね。けれど彼女の場合は、少々特殊だった。恐らくは、あの魔導真機の性質が原因だろう」

「性質?」


 荘厳の鋭い瞳に射抜かれて、リエラの気が萎縮していく。手足は僅かに震え、魔法の構築にノイズが混じる。満足に、迎撃の手も振るえない。


「ああ。自身が倉庫の隅で埃を被っていることに、我慢ならなかったのだろう。けれどイギリスの第五魔導学校には、相応しい使い手が一人として存在して居なかった。故に近場で最も高い実力を持っていた、リエラに一先ずその身を預けた」

「妥協したということですか? 魔導真機が?」

「多分、ね。……以前私に語って聞かせてくれたことだが、彼女は魔導真機を手にした当初は、ほとんどその力を振るえなかったそうだ。それから使いこなせるようにと、幾多の訓練を積み、今の力を得た」

「正しくは私に話していたのを、レスト様が盗み聞きしていただけですが」


 ニーラの鋭い突っ込みには触れず、レストは続ける。


「けれどね。本来ならばそんな訓練は、必要ないんだよ。魔導真機とその真なる使い手は、互いに共鳴しあい、瞬時にお互いを理解する。より高い次元に至る為の鍛練ならばともかく、機能の全てを引き出す程度ならば、初めから問題なく扱える筈なんだ」

「では、それが出来なかったリエラさんは……」

「ああ。単なる仮初の主、武器に侮られる愚かな道化だ。そして、真なる所有者とそれ以外との間には、どうしようもなく広い格差が存在する。正しく使い手として覚醒したソーゴン君に、彼女が勝てる道理は無い」


 言葉を締めくくり、向けられた冷ややかな視線の先では、遂にリエラの目前にまで到達した荘厳が、その巨大な戦斧を高々と掲げ今にも振り下ろさんとしていた。


「はっ!」


 気合一閃、振り下ろされる魔導真機。咄嗟にその手のアルダ・ハインツェリオンで受け止めたリエラだが、感じる力はあまりに強く、そして重い。

 単なる力の差だけでは無い。重力操作によって加えられた重量と、何より荘厳自身の強い意志の籠もった一撃は、今のリエラが受け止めるにはあまりにも重すぎた。


「こん、のっ!」


 それでも、なけなしの気力を振り絞って身体を駆動させたリエラは、素早く横っ飛びして斧の重力場から逃れることに成功する。

 受身を取る余裕もなく、無様に地を転がった彼女は、必死で立ち上がると荘厳をその真っ赤な瞳で睨み付けた。

 生来の気の強さと積み上げてきた意地だけが、今の彼女をかろうじて支えている。いつ崩れ落ちてもおかしくない、脆く儚い砂上の楼閣。


「諦めろ。お前の、負けだ」

「っ、誰が! そうやって驕ってなさい。今見せてやるわ、私の全力を!」


 絶叫と共に彼女の身体から紅の魔力が立ち昇る。今までとは違う、形振り構わぬ正真正銘全力全開。僅かな逆転の芽に賭け、この一撃に、持てる全ての魔力を注ぎ込む。

 吹き出た魔力が炎と成りて、彼女の魔導真機を包み込んだ。轟々と燃え盛る業火は足される傍から圧縮され、決してその体積を増やすことは無い。

 その炎に触れた途端、あらゆる者が燃え尽きる。例え空気であってもそれは例外では無く、彼女の周囲の空間には、炎火の渦が巻き起こっていた。


「こいつで、燃やし尽くして上げる」


 炎を侍らすその姿は、正に炎覇の女王と呼ぶのが相応しい。ありえる筈の無い反逆者を断罪する為、リエラは巨剣を握る腕を引き絞る。

 だが――距離を空け、相対する荘厳に、焦りは無い。


「行けるな? 相棒」


 そっと、己が手の魔導真機へと問い掛ける。言葉は返って来ない。だが、伝わってくる思いから、彼は全てを理解する。

 身の内に秘める膨大な魔力と共に、彼は魔導真機の真なる力を解放した。


「機構解放ストレイド!」


 言うが早いか、彼の魔導真機、エル・ディベレイターが姿を変える。

 亀裂のような幾つもの筋が入ったかと思えば、そこから大きく構造を広げ、より破壊に適した形へと変貌していく。

 中央に空隙を空け、両側に刃を別ち、ただでさえ巨大な体躯を更にもう一回り巨大化させ、双頭の戦斧は今此処にその真なる力を現した。

 最早幾度目かも分からぬ、しかし間違いなく今日一番の衝撃が、リエラの頭を打ち据える。


「そんな……機構、解放? 私でさえ、まだ出来ないのに?」


 それは、魔導真機が最大の力を発揮出来る形態。膨大な魔力消費と引き換えに、必殺の一撃を放つ、究極の切り札。

 己の未だ至らぬ、遥か遠き――少なくとも、彼女にとっては――高みを見せ付けられ、リエラは保ちかけていた平静を崩すと、認めたくない現実を振り切るように、全力で踏み込んだ。


「ぁぁぁぁあああああああ!!」


 背と足裏から発せられた爆裂に乗り、高速で突っ込んで来る彼女を見据え、荘厳は魔法を練り上げる。

 双斧の中央部へと集った魔力が小さな重力球を形勢し、解放されたラインを通って更なる魔力が循環、魔法を強化していく。

 解き放たれる時を待つ、破壊の重力。斧を大上段に振り上げて、荘厳はリエラと対照的に、力強く一歩を踏み出した。


 二つの必殺が今、解放される。


「アグナダイバー!」

「打ち潰せ……レジンベイター!!」


 交錯は、一瞬。咬み合った二つの凶器は、しかし一分たりとも拮抗することは無い。

 灼熱の炎が、蒼紫の重力波に蹴散らされ、瞬く間に吹き散らされる。楔から離れた重力場が、巨大な破壊の奔流となってリエラを襲った。


「あっ……」


 まともに悲鳴を上げる暇も無く、重力の波に呑み込まれ圧し流されて行く。模擬戦場の壁を、天井を容易く破砕し、極大の魔力光は天へと昇って消え去った。

 後に残ったのは、静かに倒れ伏し動かない、リエラ・リヒテンファールという名の敗者。

 そして、息ひとつ切らさない、古賀荘厳という名の勝者であった――。

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