第18話 目覚めろ、雄雄しき獣よ

 ――俺は何故、テイカーになった?


 ぼんやりと白み判然としない思考の中で、古賀は自身に問い掛けた。


 ――俺は何故、レストに挑もうとしていた?


 痛みに歪み、揺らぐ心の中で、古賀は自身に問い掛けた。

 答えは、返って来ない。当然だ、答えるべき己が分からないからこそ、問い掛けているのだから。

 ぐるぐると廻る空白の脳内空間に、次第に色が付き始める。黒く黒く、侵食するように広がるそれは、即ち意識の喪失を意味していた。

 意識を失えば、負けが確定する。理解していても、古賀の心に抗おうという気力は一向に湧き上がって来ない。


(どうせ、俺では勝てやしない)


 レストにも、その前座であるあのリエラという女にも、自身の実力では遠く届かない。変えようの無い現実を悟り、古賀は無力感に身を委ね、眠りに着こうとして。


『君の戦いは。君の、全ては。これでお終い……かい?』


 響いた声に、空間が急速に色を変える。白と黒だけの世界から、幾多の色彩に彩られた、眩しい位に輝く世界へと。

 色づいた空間の中は彼自身の思い、願い、心の底の底に潜む本当のそれらを反映し、姿を移ろわせて行く。ふわふわと、無意識の中にたゆたう彼を包むドームの天井に投射されるのは、自分でも忘れかけていた幼き日々。


『どうした荘厳、また泣いているのか?』


 古賀荘厳には、年の離れた兄が居た。彼の家は昔からテイカーの家系で、中でも兄は一族最高のテイカーとまで言われる程に優秀な魔法の使い手だった。

 重力魔法を巧みに操り、魔導真機さえ使いこなす。始原勲章、魔皇栄誉賞、大天廊祭準優勝。他にも獲得した表彰・栄誉は数知れず。

 幼い古賀にとって、兄はテレビに出てくるどんなヒーローよりも偉大な、正に憧れの存在だったのだ。

 当然、兄に憧れた古賀はテイカーを目指した。残念ながら兄ほど飛びぬけた才能はなかったが、それでも連綿と続いてきたテイカーの家系らしく、豊富な魔力量は持ち合わせていた。

 適正が近接系統に偏っているのが少々難儀ではあったものの、懸命に努力を重ねた彼は、いつか兄に追いつくことを目標にひたすら邁進し続けたのだ。

 やがて、兄は数多あった勧誘先から警察官を選び就職。昔から正義感の強かった兄のその選択に、納得はあっても反論などあるはずもなく。家族の誰もが、兄を祝福し送り出した。

 自身と兄の才能の差に腐ることもなく、ひたすらに努力を続ける日々。苦しい時もあったが、遥か遠い兄の背中を追いかけるのは、どんな遊びよりも楽しく、胸が踊った。


『僕、絶対お兄ちゃんみたいに立派なテイカーになるんだ!』


 順風満帆だった日々に変化が起こったのは、兄が出て行ってから丁度三年後。いつも通りの一日を、突如鳴り響いた電話の音が打ち砕いた。

 受話器を取った母が、声も鳴く崩れ落ちた。電話を継いだ父が、涙を流し、嗚咽を零した。訳も分からず呆けることしか出来ない古賀に告げられたのは、


『兄貴が、死んだ……?』


 憧れて止まない兄が、殉職したという報告だった。

 脳はぐちゃぐちゃに壊れてしまったんじゃないかと思うほど停止していて、詳しい説明はほとんど入って来なかったが、それでもぼんやりとした頭で理解出来たのは、兄が市民を庇って致命傷を受けたこと。

 そして、そんな身体にもかかわらず、皆を守る為犯人に立ち向かって、己の死と引き換えに犯人を逮捕したということ。

 言葉が出なかった。何て馬鹿なことを、と罵ってやりたかったが、そんなことをすれば兄の心を否定してしまうような気がして、何も言えずただ咽び泣くことしか出来なかった。


 古賀荘厳、十二歳の夏。少年にはあまりに重過ぎる現実だった。


 それから荘厳は、より一層テイカーとしての修練に打ち込んだ。兄の死を振り切るように必死で身体を苛め抜き、苦手だった重力魔法にも果敢に挑戦した。

 その努力が実ったのか、高等部に上がる時には第一魔導総合学園、詰まり総学への入学が認められたのである。

 かつては兄も在籍していた学園への入学を、家族は諸手を挙げて喜んでくれた。古賀自身も、少しは兄に近づけたような気がして、誇らしかった。

 そうして期待に胸を膨らませて入学した先で。あの男に、出会ったのだ。


『ソーゴン? 日本人にしては、変わった名前をしているね』


 レスト・リヴェルスタ。最初に見かけたのは入学式の時で、実際に関わったのは、それから一月程後。クラス内で行われた模擬戦が契機だった。

 慢心していた訳では無い。古賀とて、自身が決して飛びぬけた実力者では無いことは理解している。まして世界中から優秀なテイカーの集まるこの総学ともなれば、田舎の地元で一番だった程度の自身では、揚々としていられないのは明白だった。

 だが、それにしても。魔導機を使わせることも出来ず、路傍の石を跳ね除けるかのように行われた一蹴は、彼の心に深い傷を刻み付けた。

 力の差に絶望し、プライドはずたぼろに引き裂かれ。抗いようの無い現実に、自身がこれまで積み上げてきた全てを砕かれた気さえした。

 己を見下ろす、無味無感情な瞳。それは、彼を敵とも捉えていないという事実を如実に表していて。彼の心は、はっきりと音を立ててへし折れたのであった。

 それから、およそ一年。古賀は、周囲に当り散らし、レストへと表面上の反抗を示すことで、己の無力感を誤魔化してきた。内心諦めていながら、ずるずると捨て切れないものを抱えて生きる日々。そこにかつてのような活力は無く、苦痛だけが延々と己を苛むように続いていく。

 いつしか、底の無い汚泥の中に呑みこまれ……彼の心は、暗く、深く、沈んで行ったのだ。


「…………」


 自身がこれまで辿って来た道筋を思い返し、古賀はそっと目を伏せた。改めて、自分の心に問い掛ける。


 ――お前は、この程度の男だったのか? と。


 後ろを振り向かず、省みず、馬鹿みたいに走り続けていた自分は。遠すぎる兄に、無理矢理張り合おうとしていた自分は。こんな、こんなものだったのか?


(違う)


 こんなものの筈が無い。こんなもので良い訳がない。俺の憧れた兄は強くて、真っ直ぐで。そんな兄を目指した俺は、もっと馬鹿で愚直で、でも今よりずっと輝いていた筈だ。


(違う)


 力を籠めて、今の己を拒絶する。それは、現実から逃げる後ろ向きな否定では無い。新たな自分への、肯定の言葉。

 動かなかったはずの身体に、熱が宿った。全身を駆け巡り目覚めの時を待ち望むその熱量の出所は、胸の真ん中、奥の奥。

 人が、心と呼ぶ機関。


「違う!!」


 低く野太い叫びが、第七模擬戦場を満たすように拡がった。ありえない否定の声を耳にして、リエラの、藤吾の、綾香の、ニーラの顔が驚愕に染まる。皆が揃って、気を失っている筈の古賀荘厳を凝視する。


「俺は……」


 荘厳の腕が、熱量を伴い地を叩く。震えながら、ぼろぼろの身体を持ち上げ、霞む視界にピントを合わせる。


「俺は、」


 見えたのは、己が意地を通すべき宿敵の姿。そして、その前に立つ、前座の女。

 荘厳の脚が心を伴い、強く地を踏み締めて。


「俺はっ!」


 魔力が、オーラとなって立ち昇り、世界に産声を響かせる。

 揺れる次元と、これまでからは考えられない魔力の迸りに、リエラはある予測を立てていた。


(もしかして、魔力の暴走?)


 引き出せもしない力を無理矢理引き出そうとして、御し切れず暴走状態にでもなったのではないか。そう考え止める方法を思索する彼女を置いて、綾香が暴風に揺れる髪を押さえながら口を開く。


「大変です! 異常な、魔力の波動が!」

「分かってる! 野郎、魔力の暴走なんて起こしやがって……!」


 リエラと同じ結論に至ったらしい藤吾が焦った様子で捲くし立てるが、綾香は首を横に振ってその意見を否定した。


「違います! いえ、確かに古賀さんからも異常な魔力は立ち昇っているのですが……私が言っているのは、学園の地下の方です!」

「地下!?」


 意味が分からず、素っ頓狂な声を出す藤吾。急ぎ遠隔捜査の魔法を走らせる綾香へと、ニーラがほぼ無意識に問い掛ける。


「一体、何処から……?」

「ちょっと待って下さい、今調べて……。これは、地下五階……魔導真機の、保管庫です!」

「何だって!?」


 驚愕する一同。彼等が騒ぎ立てるその間に、遂に立ち上がった荘厳は、右手に己が魔導機を握り締め、胸より零れた想いを叫ぶ。

 睨み付ける視線の先は、前座の邪魔者、リエラ・リヒテンファール。


「お前なんぞに、負けてはいられない。俺の目指すものはもっと先、遥か遠くだ! 意地を通すべき相手は、もっと先、遥か高みだ! お前程度で、詰まってなんかいられるか!」


 立ち昇る魔力が、深紫から、鮮やかな青紫へと変貌を遂げる。良く見知った魔力の鼓動が場を支配し、それは際限なく強くなる。

 綾香が、魔法で感じ取った新たな異常に声を荒げた。


「ち、地下の魔力反応が動いて……!? そんな、目指しているのは、まさか此処!?」

「おぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおおおおおおおおおおお!!」

「謎の魔力反応、来ますっ!」


 荘厳の気合の雄叫びに呼応するように、地を貫いて、それは飛来した。

 魔導式コンクリートを突き破り、模擬戦場の中空に姿を現した飛翔体に、皆の視線が集中し、そして再び驚愕に包まれる。

 透き通るような美しい蒼色に染められた、人程もある機械の装甲。飛び出た勢いでくるりくるりと回り滞空するそれの詳細は、逆光で良くは見えなかったが、しかし。


「そんな……まさか、あれは」


 顔を上げ、蒼き装甲体を呆けた様子で見詰めるリエラ同様、突然の乱入者を訳も分からず見上げていた荘厳だったが、気付けば魔導機を持つ右腕をその乱入者に向かって真っ直ぐに伸ばしていた。

 何故、そんなことをしたのかは分からない。ただ、本能が感じたものに従って、渾身の力で彼は叫ぶ。


「機構融合リベレイト!!」


 叫びに応え、蒼き装甲は一直線に荘厳の下へと飛来すると、半ば衝突するような勢いで彼の魔導機と合体する。

 変形した装甲が魔導機を覆い、一部として組み込まれ、元より巨大な大斧が更に一回りも二回りも大きさを増して行く。

 圧倒的な存在感、全てを圧す魔力の波動。顕現した現実に、観客達が波打ちざわめく。

 肥大化した得物を、けれど容易く振り回し。構えを取った荘厳は、静かにその名を宣言した。


「魔導真機――エル・ディベレイター」


 亡き兄の力を手に。目覚めた獣が今、疾走する。

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