11



 抱きしめたシアの体が、僅かに大きくなっていた気がした。

 呪いを抑えるこどもの姿から、少しだけ。

 だけどまだ尚幼さを残したその身体が、言い表せない感情を表していた。


 小刻みに震えるその想いは、怒っているのか、呆れているのか、それとも。

 だけどシアは応えてくれた。あたしにはそれだけで充分だった。


 改めてその姿を確認する。

 間違いない。呪いが、進んでいる。

 それがいやでも見て分かった。


 リズさんがいなくなりその反動からか、子どもの姿から僅かに本来の姿へと近づいた姿。

 抑えていた分だけ急速に、シアの体を蝕んでいるのだ。

 シアの命が、削り取られていく。


 お別れの時は抱き締めてくれたけれど、今はその逆だった。あの時は本来の姿でお別れをした。

 だけど再び小さくなったその身体を、強くきつく抱き締める。


 やがて腕の中でシアが身じろぎし、その青い瞳があたしを見上げた。

 まわした腰からは手を離すことなく。


 痛みを堪えるように顔をしかめるシアの表情は見ているだけで胸が痛くなる。

 顔は蒼いのに額にはいくつもの大粒の汗。どれくらいの苦痛なのだろう。代わってあげたい。

 この、呪いは。

 リズさんによってもたらされたと思っていた。

 だけど――違ったんだ。


「…まったく、おまえは。けっきょくおれの言うことなど、聞いてくれやしないんだな」


 ようやく吐き出した、シアの苦笑い。

 どうしてだろうたったそれだけのことが、とても懐かしく感じて涙が滲んだ。

 こつんとその額に自分のを寄せる。

 鼻先を掠める荒い吐息。

 たぶんあたしも苦く笑っていただろう。


「あたしはあたしの、やりたいようにやるだけ」

「…それで周りを、傷つけてでもか」

「生きてさえいれば、傷はいつか癒えるから。死んだらすべて終わりになる。だけど時には死んででも、守りたいものがあるの。きっとみんな、そうでしょう…?」


 ここに居るひとも、もう今は居ないひとも。自分の信念に悔いはないはずだ。

 誰かの為に身を投げ出す行為はきっとひどく愚かだろう。

 だけど愚かだと嘆くひと達は、哀しみをやがて乗り越えられるひと達なのだと、知っていたんだと思う。

 だから自分の命を懸けて、未来をまるごと差し出すのだ。

 それは犠牲なんかじゃない。


 ――希望だ。

 いま、ようやく分かった。



「悠長に話している暇はないぞ」


 話に割って入ってきたのは、冷めたレンズ越しに冷たい視線を向けるリュウだった。メガネの淵を指先で押さえながら、憮然とした態度でこちらを見下ろしている。


「リュウ…!」

「あちらはお前をご所望だ。どうする気だ…?」


 言いながら促される方に視線を向ける。

 先ほどまで荒れ狂っていた海が、今は僅かに静寂を取り戻している。

 先ほどまでの竜の咆哮が、今は聞こえない。


 部屋から出て船の甲板に出る。シアもリシュカさんに支えられ後に続いた。

 外に出て改めて、アクアマリー号の一室だったことを知る。よく見たら見慣れた顔ぶれが並んでいるけれど、いま声をかける余裕はなかった。

 そんなことを思いながら視線だけはまっすぐに目の前の光景を見据える。


「…光の、柱が…」


 海で荒れ狂っていた蒼銀色の竜の姿がどこにも見当たらない。

 代わりに、海にたつ光の柱が先ほどよりも数を増やしている気がした。

 そしてその中央に、ひと際大きな光の柱。


「海に居る12の神々。そのすべてが、この海に降り立った。その筆頭であるエリオナスが、おまえを差し出せと言っている」


 リュウのいつもと変わらない落ち着いた口調とその瞳が、今は有難いと感じた。

 冷静に目の前の出来事を受け止めることができる。


 空から差し込む光が、世界をまるで包み込んでいる。

 その光景は、まるで夢のように美しいのに。

 それが終わる世界の寸前の光景だというのか。


 残酷な美しさ。世界の真理。

 大切なひとを失った痛みが蘇る。

 ああ、でも、まだ。この胸に残るものがある。

 この世界であたしができること。


「…神さまなら、ここにも居る」


 “あたし”は。

 この海で生まれた。

 この世界を守る為に。


「…人の身体からだを捨てる気か」


 リュウの問いかけに、あたしは無言で笑って応える。その向こうでシエルさんが、そっと瞼を閉じて視線を伏した。


 あたしの心を溶かすように、小さな光の粒がいくつも空へと吸い上げられる。

 それは無数の水から生み出された光の雫で、空へと還っていくように、重力などまるで関係無いように、あの青に吸い込まれていった。

 いつの間にか雲間から差し込む光。いつか見たこの光景。すべてがここに繋がっていた。


 ぐ、と。掴まれた腕に視線を向けると、顔を歪ませたシアがあたしの手を掴んでいた。痛いくらいに強く。

 その青い瞳からは透明な雫。


「…どうして…お前なんだ…!」


 シアが、泣いてる。

 その青い瞳にあたしを映して。

 おそらくまた、あたしの身勝手な選択を予感して。


 離すまいと繋いだ手は震えていた。

 瞬きすらも拒むように、閉じることのない瞳があたしを射抜く。

 痛いのに、逸らせないのは。

 あたしもできる限りずっと、見ていたかったから。


 その手が、その瞳があたしの心を引き留めるけど。

 これだけは誰にも譲れない。

 そう、誰にも。


「あたしじゃなきゃ、ダメなの」


 それは、この世界にきたとき。

 一番さいしょにシアがあたしにくれた言葉だった。

 そしてきっとそれが、あたしがずっと欲しかった言葉だったのだ。

 だから力になりたいと、そう思ったんだ。


 「お前はもう、おれのモノだ」と身勝手に。

 そうしてその言葉の通り、あたしの全部、あなたに捧げた。


 ――シア。

 見た目は小さな、だけどただひとりの王様。

 以外と泣き虫で、見た目通りワガママで、時折横暴で。

 そして弱くて優しいこの国の王様。

 だれよりも強い心でこの国を守ろうとしているひと。

 シアの、そういうところが。

 すごく、すごく…、


「おれは…! お前が、望むのなら…この国も、未来も…この世界でさえも…!」


 シアの涙が儚い願いに混じって光の粒に乗る。

 それから周りのソレと同じように、ゆるりと空へと舞いあがった。


 あたしはその雫の一粒を、そっと自らの手の平に閉じ込めて。

 それからゆっくりとシアの目を見て笑った。

 

 それだけで十分。

 あなたが差し出してくれたその心。

 手の平の中でシアのあたしへの想いが、一粒の結晶になる。

 あたしはこれだけ、持って行く。


 ゆっくりと。その手をふりほどく。

 今度はあたしから。



「大丈夫、そんなこと。シアに選ばせたりなんか、しないから」



 

 君が選ぶ未来は、ひとつで良い。

 たったひとつ。

 それだけで。


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