5
きみを愛している。
心から。
あの日誓ったことは揺るぎない本心。
だからこそ。
きみが私以外の誰かを思って泣くことが許せない。
きみの心すべてを手に入れられないことが。
きみの心に僅かでも、他の誰かへの想いがあることが。
すべてをくれると言ったのに。
命を懸けて、誓ったのに。
――嘘つきはきみだ。
さいしょに約束を違えたのは。
―――――――…
雲間から差し込んだ光が、リズさんの姿を照らしていた。
息を呑むほどに美しく、呼吸すら忘れるほどの威光を放つその姿。
すべてではないだろう。
失われたものがもとには戻らないように、すべてを取り戻せたわけではない。
だけど目の前の彼女は確実に、大切なものを取り戻した姿だということだけは分かった。
それが彼女の本来の姿なのだと。
『…あぁ…思い出した。アタシの
どこかまだ虚ろな瞳で、リズさんが呟くようにか細くそう零す。
その姿はあたしが知っているリズさんのようでいて、どこかが確実に違う。
奪われていたものを取戻したリズさんは、自身の両手を見つめながらその赤い瞳をエリオナスに向ける。
その視線を受けながら、エリオナスは先ほどまでとはまるで違う笑みを受かべていた。
困ったようなかたちだけを作った、だけどそれだけではなく、やけに冷めた瞳。
どうして。リズさんはエリオナスにとって、正真正銘、自分の子どものはずなのに。
『…アンタだったのね、…お父さま』
「……!」
リズさんの、奪われた
奪ったのは王家だと以前聞いていた。
はじめの契約から永い時をかけて、リズさんは少しずつゆっくりと、シェルスフィアの為にすべてを捧げられてきた。
そして王家に返ってきたその報い。
リズさんの、呪い。
それが真実だと。
『きみにそう呼ばれるのは久しいね。そうか…マオにずっとついていたのか…もう殆ど消えかけていて、その気配すら感じることもできなかったほどなのに』
『なんで、気付かなかったのか…ベリルにそれができるわけない。ベリルは…魔力を持たない王だった。アタシの名を奪うなんて、そんなこと…アタシより高位の存在でなければ、できるはずがなかったのに…!』
『そうだよ、リリス。きみがあの王と繋がっていられたのは、互いの気持ちが
『……っ、マナの心を引き換えにしてか……!』
叫びと共に睨むリズさんに、エリオナスはまた笑う。
特別なこの場所で、ふたりの心と心が特別なかたちでぶつかり合っているのを肌で感じた。
荒れ狂う海と轟く雷雲。
これはどっちのものなのか。
もしくはその両方か。
『…気付いていたんだろう。きみも。マナの心が誰を想い求めているかを。だけどきみが選んだのはあの人間の王だった。マナの気持ちを、心を砕いて。それはまるでぼくの心が砕かれるよりも、哀しいことだった。だからぼくが迎えたんだ。マナの心を…繋ぐ為に』
エリオナスのその冷酷な笑みは、同胞、しかも自分の子に向けるものではとてもない。
以前、トリティアが言っていた。彼らは何よりも同胞を愛していると。
だけどこのふたりはまるでそれが感じられない。
むしろまるで憎み合っている者同士の再会のよう。
ただ分かるのは。
ふたりの心の奥深く、ただひとりのその存在が今もなお、強く在り続けていること。
『…分かっていた。だから、アタシは…約束したんだ。必ずまた、会おうと。いつか必ずまた会えると、その時はきっと…!』
『…ずっと一緒にいられるとでも? 神といえどなんて傲慢な思いあがり。リリス。心まで愚かな人間に侵されたのかい。きみ達の友情も約束もすべてもう手遅れだ。マナはもうどこにもいない。きみも――はやくこの海の泡となりなさい。そうしてすべて
エリオナスのその最後の言葉と共に、海に大きな水柱がたつ。
その中から水を纏った大きな生き物が顔を出し、次第にその姿を露わにした。
その光景に、思わず目を瞠る。
蒼い、竜だ。
鈍色に光る銀の鱗。赤い瞳。うねる水面を叩きつける長い尾と鋭い爪。
その背から伸びる大きな羽が、淀んだ空と海を割く。
その光景はまるで空想の世界。
だけどあたしにはもうずっと、そうだった。
現実離れした世界で何度も。
夢ではない痛みと真実にに泣いてここまで来た。
だけど目の前の光景は、まるで。
絶望が姿を現したかのよう。
その光景に動けずにいる体を、容赦なく打つ水飛沫。
それが目の前の存在の現実を伝える。
だけどそれを感じているのはあたしだけ。
すぐ傍らのリズさんは動じる様子もなくその様子を見つめていた。
『どうしてぼくが…ぼくだけが。欲しいものをなにひとつ、手にできないのか…』
憂いを帯びたその瞳。
その
正確にはあたしにお母さんの面影を探して。
エリオナスは一度その瞼を伏せ、つぎに開けた瞬間。
そこからすべての迷いが消えていたのが分かった。
『すべての元凶はあの世界。やはりすべて壊してしまおう。もとのまっさらな世界にして…そこにまた、マナを呼ぶんだ。世界にふたりきりなら…きっとぼくを、ぼくだけを…愛してくれる。今度こそ』
その言葉と共に蒼銀色の竜が咆哮を上げ、忽然と姿を消す。
その竜がどこにいったのかを。
嫌でも理解してしまう自分がイヤだった。
「やめて…! あの世界には…シェルスフィアには…! 大事な人たちが居るの…!!」
『きみが生きる世界はどこなの…? 守れるのはひとつだけだ。きみが選ぶ世界はひとつだけ。だからぼくが、そのひとつだけを残してあとは全部消してあげる。あとはぼくしか残らないように』
すべて意のまま。それが彼という存在なのだろう。
そこにあたしの意志はまったく関せず。
あたしの答えなど必要もなく。
最後にわらったエリオナスの、その姿が海に溶けていく。
おそらくこの場所にあたし達を閉じ込めて、シェルスフィアにいくつもりなのだろう。
自らの手で、審判を下す為に。
すべてを消し去るために。
『それまでは…新しい世界ができるまでは。マナの代わりにぼくの傍に置いてあげる。マオ。愛しいぼくの娘』
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