7



 水葬の儀式を終えて、帰り着いた港。

 もう日の落ちた港に人気ひとけは多くない。男たちは皆、宿や酒場や夜町の明かりに消えていく。

 出航する船もこの時間は見当たらず、人の気配もまばらだった。

 ぞろぞろと、船から船員達が降りていく。それぞれ宿をとった者と船の自室へ帰る者、半々だと聞いている。


 アクアマリー号が錨を下ろし接岸した船着き場に、魔法の灯りと人影を船の上から目に留める。

 一番最初に船を降りた船員が何やら会話したかと思うと、そこから伝染するように、人の視線が船を見上げ始めた。誰かを探しているようだ。


「どうしたのですか」


 自分も船から降りて近くに居た船員に声をかける。

 先の後悔からの顔見知りである船員が、自分を見てあからさまに安堵と動揺の顔を同時に浮かべた。


「よかった、クオン殿。確か王都所属の騎士殿でしたよね」

「…ええ。そうですが…」


 自分の返事を確認し、それから目線を謎の人影に向ける。


「あちら、王城からいらした使者の方とかで…マオに会わせて欲しいって。今別のやつが、船長を呼びに行ってるんですけど…」


 王城からの使者。

 その単語に心臓が鳴る。


 王都、ひいては城の様子を知っているのだろうか。今の、この国の現状を。

 帰港した際のイベルクの港は、航海に出る前と殆ど変った様子はなかった。ましてや城が陥落した、国王陛下が捕えられたなどと言う者は、誰も。

 王都とイベルクは僅かに距離がある。正確な情報が欲しい。王都の、城の情報が。

 だが直接マオを名指しだというのが気にかかる。

 アズールフェルの脅威は去っていない。マオはまだ狙われて然るべきだ。

 こんな人だかりの中で堂々と真正面から攫いに来たとは考え難いが、警戒はすべきだろう。本当に王城からの使者とも限らないのだ。 


 頭では冷静にそう考えながら、ほぼ無意識に早足でその人物のもとへと歩み寄っていた。

 今はとにかく何でも良い。身分の真偽はこの目で確かめれば良い。

 わざと大きく靴音を鳴らし、目深にフードを被ったその人影の前で歩みを止める。

 

「王城より来られたと伺いました。自分は今は事情により任を離れておりますが、王都仕えの近衛騎士、クオン・アーカインと申します。差支えなければお名前を――」


 その言葉を最後まで言い終わる前に。フードの隙間から、さらりと覗く金色の髪。見覚えのあるその鮮やかな色と、この気配。

 は、っと。ここまで来てようやく。


「……リシュカ殿…?」

「…早々に会えて何よりです、クオン。あの娘はいますか」


 返事の代わりに早口に、要件を伝えるその相手は、間違いなくリシュカ殿だった。

 どうしてこの人が。城で殿下の傍を決して離れることのないこの人が、何故ここに――

 それに、じんわりと全身を焼くような、この得体の知れない魔の感覚。ここまで来て漸く気付いた。

 何か、居る。

 そっと、視線をリシュカ殿がその背に庇う人物に向ける。

 まさか――


「…顔を合わせるのは久しぶりだな、クオン。連絡する術がなく、今は事情を説明する時間も惜しい。マオをすぐに呼んできてくれ」


 ――殿下。ジェイド様…!


 口からそう出かかった言葉を、なんとか喉元で押し留める。

 身分を明かしては混乱を招くだけ。だから王城よりの使者と名乗ったのだろう。

 

 思わず口元を押える自分に、ジェイド様は懐かしい笑みをそっと向ける。僅かにフードを持ち上げて、しっかりと自分の無事を伝えるように。

 一国の主が城を離れて身分を隠し、今ここに居る理由は分からない。この国の現状は、おそらく自分が想像する以上に最悪だろう。

 それでも。

 生きていた。無事だった。

 今はそれだけですべてが報われる気がした。


 その姿は、呪いを抑える為の仮の姿ではなく、本来の姿。

 つい先日、戴冠式で全国民にはその姿を晒したばかりだ。あまり長居しては流石に気付く者も出てくる。

 本当に、火急の用事なのだ。マオへの――


 ぐ、っと小さく拳を胸元で握り、改めて姿勢を正す。


「分かりました。今すぐに――」

「待て」


 潜めていた会話に無遠慮に割って入ったのは、レイズだった。

 その、刺すように鋭い藍色の瞳。

 得体の知れない人物が、マオあてに来たという。彼からしたら最悪のタイミングだろう。


「そう易々と、大事な仲間を素性の分からないヤツに会わせられない。まずは面を見せて名乗れ。それが礼儀だ」


 レイズは、例え王城から来たという肩書にも、決して怯まない。そんな人物はこの船でレイズぐらいだろう。周りの船員達が顔を蒼くして諌めるも、レイズは詫びる気も退く気も見せず、船との間に立ちはだかる。

 この男に説得は通じない。それを知っているからこそ。おのずと体が臨戦態勢をとっていたのが自分でも分かった。


「…レイズ、私の知っている方です。敵ではありません。保証します。今は、時間が――」

「そんなの知るか。俺はこの船の船長として、船員を守る義務がある。例え相手が誰であろうとだ。名乗れ。それからだ」


 レイズは、ひかない。その様子にリシュカ殿が眉根を寄せ苛立ちを滲ませる。

 目の前には自分の仕える主が居る。その主がこの差し迫った状況で、危険を顧みずにここまで来た。

 それを、この男は。無礼な態度を改めようとも、自分の言葉を信じようともせず。


「…いい加減にしてください」

「…なんだと?」

「船長として? 都合の良い言葉ですね。公私混同も甚だしい。あなたはただ単純に、これ以上マオに誰も近づけたくないだけでしょう。マオはあなたの所有物ではありませんよ」

「……もう一回。言ってみろ」


 その、分かり易いほどに沸き立つ殺気が。自分に向けられる。それを真っ向から受けて立つ。


「何度だって言って差し上げますよ。マオは、あなたのものではありません。その独占欲は、せめて船の上でだけにして頂きたい」


 その次の瞬間。刃物のぶつかり合う音が甲高く夜の港に響いた。

 互いがほぼ無意識に剣を抜いていた。大きく払って、再びぶつかる火花。

 ざっと人だかりが数歩退き、自分たち二人から距離をとる。リシュカ殿がジェイド様を背に後退するのが視界の端に映った。


 ざわざわと、周りで様子を見ていた船員達が制止の声をかけるも届かない。

 それに混じって面白がるようかのような野次馬の囃し声と、呆れるような溜息と、いい加減にしろと怒る声。

 まるで祭りの見世物になったかのよう。剣を振るう男が二人。虚空の夜空に幾度もぶつかる金属音。互いの本気がぶつかり合う。


 長いようでそれはほんの一瞬。

 剣を先に欠いたのは、地面に膝をついたレイズだった。


「……!」


 持ち主の手を離れた剣が、距離を置いて地面に突き刺さる。

 レイズはその位置をちらりと確認し、それからまっすぐ自分に向き直った。

 しんと静まりかえる決着。口を開いたのはレイズだった。


「…これは、どっちの決着だ? どっちの賭けをとる?」

「…どちらでもありません。マオを、ここへ。あの方に会わせます」


 レイズと剣を交えたのはこれで三度目。

 どっち、とは、先の二度の決闘を言っているのだろうとすぐに分かった。どちらも決着が着かなかったものだ。

 それぞれ何を賭けたのかも、未だ鮮明に覚えている。決着がついたのは今回が初めてだった。

 だが、いまは。公私混同している場合ではないのだ。自分の本来の役割は、このお方を守ることなのだから。自分の主の前で負けることなど、決して許されない。

 

「――良い、クオン。面白いものを見せてもらった。お前がそんなに感情を剥き出しで剣を振るうところなんて初めてみたぞ。見れて良かった」


 静寂を破る、手の平を打ち合わせる軽快な音。その場に全くそぐわない。

 人だかりの輪の中から、リシュカ殿の制止を押し切ってジェイド様が近づいてくる。

 呼吸の下で息を整えながら、静かに剣を鞘に納めた。


「時間を割いて申し訳ありません、しかし」

「おまえがわざわざ、おれの分の反感を買うことはない。船長殿が正しい。確かにおれが無礼だった」


 そう言ったジェイド様が、その瞳で優しく笑う。そうするともう自分の出番などなくなる。

 ジェイド様は身を起こしたレイズに向き直り、ゆっくりとした動作でフードを下ろしてその姿を露わにした。


「……!」


 ざわりと。

 驚愕の息を呑む声が、無音で広がる。

 流石のレイズも表情を変えた。相手が誰だかを理解して。だけどそれは一瞬で、すぐにまたいつもの顔。


「名乗りが遅れて申し訳ない。シェルスフィア・シ・アン・ジェイドだ。マオに話があってきた。彼女に会わせてくれ」

「……船長のレイズ・ウォルスターだ。この国で一番偉い王さまが、マオに一体何の用だ」

「…緩まないな、警戒が」

「当たり前だ。あんたがマオの味方である保証はどこにもない」


 レイズは態度を正さない。例え相手が自国の国王陛下であっても。ある意味尊敬に値する。だがそれも、この国の今の情勢故かもしれない。


 戦争が迫る国の王。

 自分の命を、仲間の命を握っているのが目の前の相手と言っても過言でないのだ。

 命令ひとつで失われる命。事実、ひとり。この船は仲間を失ったばかりだ。

 だからこそ、余計に。レイズは退けないのだろう。簡単には。


「確かに最もだ。だが」


 レイズの言葉にジェイド様が、一瞬だけ哀しそうにその瞳を伏せ。それから再び相手を見つめる。

 その、揺るぎのない色の瞳。


「マオは確実に、おれの味方だ。…おれの命も、賭けてみるか…?」


 そう言い放ったジェイド様の、その気迫に。何か感じるものがあったのか、それでも怖気る様子のないレイズが漸くその殺気を治めた。それから真っ直ぐと相手を見据える。


「マオに手を出したら容赦しない。例え相手が誰であろうと。その時は、ここに居る全員が、あんたの敵だ」


 多くの船員を背に、レイズがそう言い放つ。

 それから「ここだと目立つ。船まで上がってこい」と背を向けた。マオの元へ行くのだろう。

 その後ろ姿を、ジェイド様はただ真っ直ぐ見つめて。ぽつりと零す。


「…いつの間にか、マオは。随分遠くまで来てしまっていたんだな。ひとりでも…。いや、ひとりじゃなかったのか。おれが傍にいなかっただけで」


 その横顔が、何を思っているのかは分からない。ただそれは、とても儚い呟きだった。

 それから念の為にと自分もレイズの後を追う。

 ジェイド様はリシュカ様に促され再びフードを目深に被り、それから船へ向かって歩き出す。


 漠然と、理解した。

 ジェイド様がここに来た理由。マオに会いにきた意味。その真意。


 マオをもとの世界へ帰す為に来たのだ。

 これ以上彼女を巻き込まない為に。傷つけない為に。

 そして何より、失わない為に。


 不思議と驚きもせず、何故か自分はそれを予感していたような気さえした。もうすぐ別れの時なのだと。

 アズールとの戦争にマオの力は不可欠。それほどまにでに彼女の力は今や強大な戦力だ。

 だからこそ。


 手離すのだ。自らの手で。

 最後にできる唯一のこと。

 ジェイド様は選んだのだろう。それを。


 どんな思いでその最後の決断をしたのだろう。どんな思いでここまで来たのだろう。


 守りたいのだ、ジェイド様は。

 この国より、民より、生まれた海より、そして自分の命よりも。

 マオのことを。

 

 大切なたったひとりの為に。

 この国と亡びる覚悟を決めたのだ。


 ならば、自分は。

 その心に従うのみ。

 それが自分にできる、最後の。

 そして唯一のことだった。



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