8



 目が覚めると、すぐ近くの窓から光が差し込んでいた。

 ゆらゆら、停泊中の船の揺れと差し込む光が朝を知らせる。

 寝ぼけ眼でそれをぼんやり眺めた。

 まだ眠っていたいのに、遠くで賑やかな喧噪が聴こえる。起きていないのはあたしだけなのか。

 だけど同時に、ここがどこなのか、今自分がどこに居るのかをはっきりと認識する。


 あぁ、良かった。

 目が覚めてまたあっちの世界に戻っていたらどうしようと思った。そう不安に思いながら、眠ったのを思い出す。

 でもそういえば。

 どうしてあたしは、もとの世界に戻ってしまうのだろう。

 あれはおそらくトリティアの力、トリティアの所為だと疑いなく思っていた。

 だけどトリティアがそれをするメリットが分からない。


 思えば、こっちの世界にくる時、そこに必ずトリティアからのコンタクトはあった。トリティアの力を感じた。

 シェルスフィアに行きたいというあたしの要望を、叶えてくれたのはトリティアだ。それは間違いないと思う。

 だけど逆はない。

 引き戻される時のあの光、あれはトリティアのものだとそう思っていたけれど、トリティアだけのものではなかった。

 じゃあ、どうして――


「…やべぇ。寝過ぎた」


 ふと覚めきらない頭の後ろから、少し掠れた、くぐもった声。

 ゆっくりと振り返り視線を向けると、盛大な欠伸をするレイズが自分のすぐ後ろに居た。

 正確には、あたしがレイズの腕の中に居る。

 固まるあたしをレイズの藍色の瞳が捕える。


「……あれ」

「おまえまだジャスパー達に顔見せてないだろ、行ってやれ。俺も後から行く。午後の進捗報告にはおまえも来い。進路と目的を確認する」

「え…っと、うん…?」


 あれ。なんだっけ。なんでレイズが、ここに。

 ていうか、なんで一緒に寝て…


「はやく行け、襲うぞ」

「!!?」


 一気に覚醒した頭でがばりと起き上がり、レイズの腕の中から飛び出る。

 それからひと睨みするあたしに、レイズは体を起こしながらいつもの意地の悪い笑みを向けた。


「悪くない抱き心地だった、また頼む」

「ぜったい嫌だ!」

「あと、それから」


 ベッドの上で壁に背もたれながら、今度はまっすぐあたしを見据える。打って変わって真剣な眼差しで。


「貴石と刺青いれずみ、船員全員分をおまえに任せたい。なるべくはやく。頼めるか」


 そう言ったレイズの言葉に、あたしはようやく昨夜眠る前のことを思い出した。

 はだけた服の隙間から覗く、レイズの刺青。昨夜の光はもう無いけれど。

 レイズの中と、それからあたしの中。消えないものがまだちゃんとあるのを感じる。


「…わかった。クオンにも相談してみる」


 それだけ言って、あたしはレイズの部屋を後にした。


―――――――…


 昨夜は、いろいろあったんだ。


 この世界に戻ってきた。

 トリティアと話をして、その目的を知った。

 自分が何者なのかも。

 レイズに本当のことをいくつか打ち明けて――

 そして初めて、自分で受け入れた。

 自分がただの人間だけではないということを。

 そして初めて、その力の本質を知った。


 “ひと”と“神さま”を繋ぐ“加護”。

 この海で一番強い、守りの力。

 貴石と刺青はその結びを強くするもの。

 だから古くから船乗りたちはそれを欠かさなかった。

 シアが言っていたのはこういう意味だったんだ。

 それが何よりも身を護る術になる。


 レイズとそう結論づけた時、ちょうど見張りを交代しようと起きてきたレピドに見つかったのだ。


『――マオ?! まさか、マオですか?! 帰ってきたんですね、良かった…!』


 涙目のレピドは思い切りあたしを抱き締め、そして側に居たレイズをがばりと見つめる。レイズが面倒くさそうにそれを受け流す。


『聞きたいことは山ほどありますが、今はひとまず、寝てください』

『え、あ、でもあたし、今はそんなに眠くな…』

『いいえ! 疲れているはずです! レイ、あなたも!』


 レイズはレピドの言葉に不本意そうに眉を顰めながら、それでも仕方なさそうに立ち上がった。

 良く分からないけど、従った方が良さそうだ。いつも穏やかなレピドの、こんな必死な姿は初めて見るし。


『明日の朝の業務は私たちで回します。だから安心して休んでください』


 急かされながら強引に、船長室の前まで連れてこられたレイズが先に部屋に入る。

 そして隣りの自分の部屋に戻ろうとしたあたしの手をがしりと掴んだのは、ひどく真剣な顔をしたレピドだった。


『――マオ、お願いします。あなたが居なくなってから、レイは殆ど寝てないんです。どうにか休ませようとしても、譲らなくて。そろそろ限界です。あなたが帰ってきてくれて本当に良かった。あなたが傍に居るなら、きっと休んでくれると思うんです。クオン殿には伝えておきます。大丈夫、あなたをどうこうする気力も体力もいまのレイには残っていませんし、あなたのイヤがることは決してしません。マオ、レイをお願いします』

『…え…』


 捲し立てるように言われたその言葉と共に、レイズの部屋に押し込められて。

 あたしが状況を理解するよりもはやく、レピドの意図を汲んだレイズが有無を言わさずあたしの体を抱きかかえて、ベッドに押し倒す。

 というよりも、倒れ込むと言ったほうが近い。レピドの言っていた通り、限界だったのかもしれない。抗議の言葉を言う暇も無かった。

 レイズはあっという間に意識を手離したものの、どうやってもレイズの拘束は解けないし、やはりなんだかんだ心配させた罪悪感はあるし。

 半ば諦めて、だけどその腕は思ったよりも心地良くて、レイズの寝息に安堵して。いつの間にかあたしも眠っていた。

 そうして朝を迎えたのだった。


―――――――…


「だから言ったじゃん! 様子見に行った方が良いって!」


 威勢の良い、元気な声が聞こえたのは、船の甲板の方からだった。

 部屋に戻ろうとしていた足を、そちらへと向ける。

 男ばかりの船の上で、高く凛とした透き通る声。なのに今はその威勢に掻き消されてしまっている。


「仕方ありません。結界があるのですから。あの結界は、私には破れません。それにマオもバカじゃありません。本当に何かあったなら、私がすぐに行っていますよ」

「でもボクが言った通りになったでしょう! レピドも、ふたりのジャマするなだなんて…! 信用し過ぎだよ、男は眠くたって死にそうだってヤる時はヤるんだよ!そういう生き物なの!」


「なにを?」


 朝から大声で、イリヤは何をそんなに騒いでいるのか。

 眉を顰めながら会話に参加したあたしに、イリヤとクオンは驚きと不機嫌な顔を揃って仲良くして見せた。

 なぜ。


「マオー! なんで夕べはボクのところに帰ってこないでレイズなんかと一晩過ごしてむが」

「無事ですね」


 喚くイリヤの口元をクオンが片手で強制的に制しながら、その鋭い瞳がさっとあたしの体を頭から爪先まで滑るのが分かった。

 何を心配しているのか。敵に襲われたわけでも攫われたわけでもなく、この船にずっと居たというのに。


「休ませてもらったから、かえって元気だよ。それよりクオンに相談したいことがあるの」

「…聞きましょう」


 それから、昨夜のことを要点だけふたりにも説明する。

 トリティアの言っていたことに関しては、イリヤの意見も聞いてみたかったので調度良かった。


 神さまという存在についてはまだ分からないことが多すぎる。

 イリヤの方が、もしかしたら詳しいのかもしれないと思った。

 イリヤの種族は、古くからその存在と共生してきたと言っていたのだ。

 この海域についてもそう。ここはかつてイリヤの種族に呪いをかけたという、トリティアが治めていた海。

 どこかで繋がっているのかもしれない。


 あたしはとにかく、知ることから始めなければいけないんだ。

 自分という存在と、自分が持つ力を。


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