第6章 守りたいもの、守るべきもの

1


―――――――…


『――当初王族にかけられた〝呪い″は、シエルが術者ではないかと疑われた。なぜならシエルにだけ呪印が現れず、そしてシエルは歴代の中でも最も力のある魔力を持っていたからだ』


 レイズの部屋の窓枠で、白いカラスからは力ない声が聞こえてくる。

 あたしはベッドに横たわりながら、ただ黙ってその声に耳を傾けた。それ以外のことが、今のあたしにはできなかった。


『理由も対処法も殆ど分からないまま呪いだけが城をむしばみ、そしてとうとうおれとシエルとの王位争いにまでなった。…時期が悪かったとしかおれには言えない。それすら仕組まれたと言い出す者まで出てくる。シエルを糾弾する声は止まず、城の惨状に恐怖した臣下たちはシエルに断罪を求めた。シエルが術者という証拠すら無い中、シエルに極刑がくだった。当時のおれはまだ何の力も持たず…リズの口添えも借りて、なんとか国外追放で場を収めるしかできなかった』


 あの後アズールからの襲撃者3人は風のように消え、船も船員達もみんな無事だった。それはきっと、喜ぶべきことだ。

 ただ彼らの残した爪痕が、あまりに大きすぎて。


『シエルの魔力は、リズが可能な限り封じたはずだ。国境には少なからず結界がある。アズールにそれほど優秀な魔導師が居るとは認識していない。なぜならこの海で一番神の加護を受け貴石を保持し、魔導師を多く生み出しているのがこのシェルスフィアだからだ』


 なんとなく想像する。きっとこの向こうでシアはまた、泣きそうな顔をしているんだろう。だけどそれを簡単に晒すことは、彼には許されない。


『…なのに、どうしてシエルが…』

「…シア、あたしにもまだ、よくわからないんだけど…魔導師だと名乗ったリュウには、トリティアと同じ、神さまがついてるんだって」


 あたしは指一本動かせず、口だけでそう伝える。今のあたしはまるで自分の体ではないみたいに体が重くて、口を動かすのもやっとだ。


『…なんだと?』

「前、言ってたでしょう? “同じ世界の者の気配は同じ世界の者にしか分からない”って。そう、言ってる」

『…シエルはマオも、狙っていた。それはつまり、マオの中にトリティアが居たからだということか…?』

「…たぶん…」

『…だとしたら、シエルは…いや、アズールは…』


 遠くに居るはずのシアの声が、震えている。シアの想像したこと、言わんとしていることがイヤでもあたしにも分かった。


『シェルスフィアが解放した神の力を狙っているのか……!』


 おそらくそれはもう、始まっている。多分あたしなんかには見えないような所で、だけど確実にこの海に広がって。

 行き着く先は、ひとつだ。


『……』

「…でも、シア…その、アズールの王女さまとの婚姻を断ったら、戦争になるかもしれないって、わかっていたんでしょう…?」

『…受けていたとしてもシェルスフィアはなくなっていた。婚姻の条件として提示してきたのは、シェルスフィア王権の剥奪だ。アズールはもとよりこの国を滅ぼす気だ。第一王女との婚姻など、シェルスフィアに戦争を仕掛けるのにていの良い口実が欲しかったとしか思えん。その上…っ』

「…その上…?」

『…いや、とにかく。シエルが今アズールに居るというのは、あまりにも想定外な事態だ。しかもシエルがアズールの王となり、シェルスフィアと戦争をしようなど…!』


 兄弟で、戦うことになる。しかも国と国民の命をかけた戦争だ。

 あたしの想像だってはるかに超えてる。だから多分、イマイチ現実感が掴めない。

 今自分が居るこの国で、戦争が起こるなんて。

 とてもとても、大変なことなのに。頭が追い付かない。ついていかない。何も、考えられない――…


「…シ、ア…ごめん…限界みたい…」

『…! マオ?』

「体が、もう…」

『…いや、いいんだ。ゆっくり休め。疲れていたのにムリをさせて悪かった』


 シアのその声を最後に、あたしの思考は深い所に沈んでいった。その感覚はこの世界にきた時と似ている気がした。


 あたしは結局トリティアと、“契約”を交わしたらしい。

 あの後短剣はもらったままの短い刀身に戻っていて、それと同時にあたしは立っていられない程の激しい疲労感に襲われた。

 部屋まで運んでもらって、シアと少しだけ話しをして。だけどそれも長くはもたなかった。

 想定外の事態はあったものの、船は予定通りイベルグの港を目指している。明日の昼頃には港に着くらしい。それでこの船とも、この国とも。お別れになる。

 そのはずだったのに――


『世界はこれで繋がった。きみは、選ぶだろう。きみの世界を』


 またその話? まだ選べと言うの?


 薄く目を開けるとそこは海の底だった。光の粒が海底から水面へと上っていく。どこかで見た光景。こみ上げるものに違和感を覚える。

 あたしの目の前には、ぼんやりと人の形だけを持つ何かが居た。輪郭はひどく揺らいでいて、表情も無い。だけどそれが誰なのかはイヤでも分かってしまう。いい加減直接文句を言ってやりたかったので、ある意味好都合と言えば好都合だ。


『きみがボクの力を手にするということは、今までの契約とは少し違う』

「何が違うのよ、どうしてあたしなの。あんたはずっと、シェルスフィアに…シアの一族と契約してきたんでしょう?」

『そうだ、ボクはこのシェルスフィア建国時からずっと、約束の証として契約を繋いできた。だけど、きみは違う。きみはボクが選んだ』

「だから、なんであたしなのよ…! あんたの力を一番望んでいたのは、シアなのに…あたしはこんなこと、望んでなかった!」

『シェルスフィアから放たれた神たちは、もはや人に仕えることはしない。自分たちの世界に帰る。誰もがそれを、望んでいる』

「…でも、リュウの中にも、あんたと同じような神さまが居るって…」

『あの者の中に居るのは、先の5人の神々ではないよ。おそらくこの海に残る他の神と、契約を結んだようだ』


 ――海には12の神が居るといわれ、シェルスフィアはその内6人の神々と契約を交わしてきた。

 この海には、シェルスフィアの干渉の及ばない他の神さまが居る。


「どうして…?」

『ボクにはわからない。あちらの力をすべて見たわけじゃないから、彼の中に何者が居るのか、どんな力なのか。だけどあちらは、ボクことを知っているようだね』


 どうしてシェルスフィアとは契約をしなかった神さまが、アズールと…リュウと契約する気になったのか。

 それは、分からない。でも。アズールがその力を求める理由はひとつだけだ。


「このままじゃ、戦争になる…」


 シアはそれを避けようとしていた。その為にトリティアの力を必要としていた。だけどそれは、アズールのように戦争に使う為じゃない。国を、シェルスフィアを守る為だ。

 かつてのシェルスフィアのように神の加護を知らしめ、他国からの侵略を回避する為。あの海にそれを、再び示す為。

 それができればきっと、戦争は回避できたはずだ。永くそうしてきたように。シアもきっと、そう思ってた。

 だけど、もう。

 何もかもが遅かったんだ。


 アズールが神の力を手にした今――戦争は回避できない。アズール側がそう、宣告したのだから。


『この国を、救いたい?』


 トリティアがひどく優しい声音で訊いた。

 やっぱり、卑怯だ。あたしに何を選べというの、これ以上。


「あたしに戦えって言いたいの?」

『そうは言わない。それがすべてだとボクは思わない。ただきみにはその可能性のひとつがあるということだけを、覚えていてほしい』

「…意味が、分からない…」

『北の海、深層の祠に行ってごらん。あそこは異世界と通じている』


 トリティアのその言葉に、あたしは思わず目を瞠る。

 異世界と通じる場所? つまり、そこに行けば…


「帰れるってこと…?」

『“異世界”がきみの世界ひとつだというのは間違いだ。そこはボクらの世界へと繋がる道でもある』


 “異世界”が、ひとつじゃない。

 “ボクらの世界”…?


「…神さま達の、世界ってこと…?」


 呟いた言葉に揺らいでいたその輪郭が、少しだけ笑ったように見えた。やっぱりその表情は見えないのだけれど。


『あの海の向こうには、ボクらの生まれた海がある。きっと誰もが焦がれるアオの世界だ』

「…じゃあ、あんたも…帰りたいってこと? その世界に…だから、あたしを選んだの?」


 もしもシアと契約していたら…きっとそれは、叶わなかったかもしれない。シアには…シェルスフィアには、神さまの加護が必要だ。


『あの場所からなら、たぶん声が届く。あとはきみが、どうしたいかだ』

「…それってつまり…トリティアじゃなく、他の神さまの力を、借りれないかってこと…?」


 シアが望んだトリティアはもう、あたしと契約を交わしてしまった。シアがこの力を求める限り、否が応でもあたしはきっと戦争に巻き込まれる。この世界に居る限り、きっと――

 トリティアは肯定も否定もしなかった。 そして沫の向こうにゆっくりと、その輪郭が溶けていく。


 そうして目が覚めた時、あたしはまだベッドの上だった。

 大分慣れた船の揺れ。まだ目的地には着いていないみたいだ。窓の外は明るく、あれから一体どれくらい経ったのだろう。

 ゆっくりと体に力を入れてみる。まだ少しだけ重たいけれど、大分楽になった気がする。

 こめかみを滴が伝う。だけどそれを拭う気力はなかった。


 あたしはずっと、自分が逃げて楽になることしか考えていない。もとの世界でも、この世界でも。

 でもあたしにはそういう生き方しか選べない。今までそれ以外の生き方をしてこなかったから。

 あたしが選ぶのは、いつもそういう道。世界。


 今はなぜだろうそれが、ただ情けなかった。

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