第42話 テリトリー

「7年前か……」

 後藤は、両足を机の上に投げ出し、ある事件の調書を見ていた。署内には非番の人間しか残っていない。そこに鳴門刑事が現れた。

「あれ? まだ帰ってなかったんですか?」

「そういうお前も今日は早く帰るんじゃなかったのか?」

「それが署長から呼出くらいまして……」

「いえ、私は品行方正、人畜無害ですから……私の上司に対する管理監督がなってないと」

「なんだ、それ?」

「ですから! 単独行動、独自捜査に毒舌が過ぎるからなんとかしろと」

「誰のだ?」

「あ、あの……わかりました! わかりましたよ! ともかく今回の件、何か署に対して隠し事をしていないかと、いろいろと問い詰められまして」

「で、なんて答えたんだ」

「私は目の前で見たことはすべてご報告しております。後藤刑事が見たことは後藤刑事にお聴きください」

「で、署長は?」

「怒って帰っちゃいました」

「なんだ。結局怒らせたのは鳴門じゃないか」

「か、勘弁してくださいよ。後藤さん――あっ、それ、なんです? また僕に内緒で独自捜査ですか?」

「人聞きの悪いこと言うな! 坂口姉妹のこと、調べていたんだよ」

「7年前行方不明になったOLの遺体が発見され、その場所が以前何らかの関わりがあった元暴力団員の男の住むアパートのそば。しかもその男がその場で異様な事故死。おまけにその行方不明の姉を探していた唯一の身内の妹の消息も解らずじまい。きわめて事件性が高いけど、それを示す物的証拠も見つからない。こういう言い方は不謹慎ですが、警察の手に負えないような事件ですからね」

「不謹慎だ」

「は、はい。不謹慎でした」

「ふん!」


 後藤は、苛立っていた。自分は優秀な警察官ではないが、無能でないことには自負があった。市民を守る、自分のシマを守るということに関しては、誰よりもプロフェッショナルであろうと思ったし、そういう行動をしてきた。しかし、ここにきて、後藤の自信は揺らぎ始めていた。あるいは自分のまったく力の及ばないような存在がこの世にはあるのかもしれない。しかし、それをただ黙って見ているわけにもいかない。かといって、そっちの世界のプロフェッショナルにすべてを任すつもりもなかった。


「拝み屋かぁ……」

「後藤さん。あの尾上弥太郎と言う下駄の男。あの男の存在を知っているものは警察機関の中にいないのでしょうか?」

「ふむぅ。それは俺も考えないでもないんだが、この際は無視するしかないだろう。その件に関しては、なんら圧力がかかっていない。アンタッチャブルな存在であれば、とっくに……おい、署長にそのことでなにか聞かれたか? あそこに第三者がいなかったかとか」

「いえ、そういうことは全然」

「そうか――」

 釈然としないものを感じながらも、後藤はそれを考えることをしなかった。今はまだ時期ではない。探し物は、必ずしも『いつでもある』とは限らない。時には『それ』が現れるのを待つということも必要なのだと教えてくれたのは、かつての上司、今は交通課の岡崎警部補だったか。


「この事件、まだまだ尾を引くぞ。おそらく近いうちにもう一体の遺体にご対面することになるだろう」

「坂口由紀子の妹、坂口浩子――行方不明の姉を追って権田の線までたどり着いたという」

「そうだ。権田と接触していた事実は掴んでいる。しかし、権田は事故死だ。あれはこっちの世界では殺人ではない」

「たとえ呪い殺したとしても」

「ふん! そんなこと誰でも簡単にできることじゃない。あの蝉の大発生だってちゃんと調べ、研究を重ねれば科学的根拠というものが見つかるかもしれない。そして、それが故意に何者かによって引き起こされたのだとしたら、それは本来こっちの領分だ。それを――」

 後藤は調書を机に放り投げ、両手を頭の後ろに組んで、天井を眺めた。


「いまは、待つしかない。警察は物証がなければ何も動けん」

「下駄の男からの連絡を待つしかないですね」

「あー」

 そして後藤は思った。このもどかしさが、坂口浩子を突き動かし、常識では考えられないような方法で権田を裁き、姉の敵を獲ったに違いない。おそらく自らの命と引き換えに……


「そろそろ、帰りませんか?」

「あ、ああ。そうだな。今日はもう何もないか」

「おそらく……というか、毎日こんなことが続いても――」

「そうだな。まっすぐ帰るのか?」

「署長に怒られた若い警察官の愚痴を聞いてくれるのであれば、お付き合いしてもいいですよ」

「ちぃっ! お前、だんだん性格悪くなってないか?」

「そりゃあ、上司が上司ですから」

「ふん! いうなぁ! いくぞ!」


 今は待つしかない。後藤はそう自分に言い聞かせた。


「自分のテリトリーに入るまでは……」


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