第12話 誤算
笠井駅近くのビルの出入り口を眺める二人の男。このビルには『笠井情報システム』という会社が入っている。二人はその会社に勤める真壁直行と言う男がビルから出てくるのを待っていた。一人は組織犯罪対策課――いわゆる『マル暴』の刑事、一人は自称『拝み屋』という謎の老人だ。
「その真壁という男は何をしでかしたんです?」
後藤は尾上弥太郎と名乗る老人から、自分がマークしている人物の名前を聞きだした。
「いやー、別に真壁はな、なにもしておらんぞ。むしろそう、お前さんたちの分野で言えば被害者じゃ」
後藤には一つ思い当たる節があった。
「傘ですか?」
尾上弥太郎と名乗る老人は目を細めてうなずいた。
「おー、おー、流石じゃのぉー、そこまで突き止めていたとはたいしたモンじゃのぉー」
「しかし、わからないですなぁ。傘が盗まれた。そして盗んだ人間が事故にあって死亡する。俺たちの分野じゃ立派な容疑者なんですけどねぇ」
尾上弥太郎と名乗る老人は、目を閉じながら語り始めた。
「そうさのぉー。お主たとえば雨が降っているときに自分の傘が盗まれたら、盗んだヤツのこと恨むか?」
「えー、まぁ、そりゃー、困りますからね。畜生とは思うでしょうね」
「盗んだヤツなんか死んでしまえばいいのに……なんて思ったりはせんかのぉ?」
「いやー、流石にそこまでは、まぁ、バチが当たれば位は思うかもしれませんが」
「じゃろう?しかし、最近はネットを見ててもすぐに死んでしまえばいいのにとか書き込むやからが多くてのぉー」
「はぁ……ネット、ですか?」
尾上弥太郎と名乗る老人は、おもむろに胸の内ポケットから何かを取り出した。携帯端末のようだった。男は人差し指で端末の画面を何度かタッチすると後藤にそれを差し出した。
「ほれ、こんな具合に」
後藤が受け取った携帯端末の画面には掲示板らしきサイトが表示されていたが、そこに書かれているのは、今話題になっているタレントに対する誹謗中傷の数々だった。
「ひどいなぁ……いやー、しかし、これが今回の件と何か関係が?」
「その言葉に力があって、実際に相手を傷つける事ができたとして、それはお主らの分野かのぉー?」
後藤は狐につままれたような顔をしながら老人の顔をまじまじと見た。信じられない。しかし、この男の言うことには妙に説得力がある。
「つまり真壁という男は、そういう力を持っている……と?」
尾上弥太郎と名乗る老人は、初めて表情を曇らせた。
「まぁ、そんなところじゃが、奴自身、最初からそんな力を持っていたわけではないし、奴は死んでしまえばいいのにと望んだわけではない」
尾上弥太郎と名乗る老人は、今までにない真剣な趣で語り始めた。
「もとはワシの戯れじゃ。誤算じゃったのは奴がとんでもなく拘りの強い人間じゃったこと。そして世の中がかくも乱れてしまったことかのぉ」
「拘り……ですか?」
「あー、そうじゃ。もっと言えば『執着』といっていい。大事なものを奪われたら取り返したい。それだけじゃ。何の罪もない。ただ少しばかり術が効き過ぎた。過剰に反応し、このような結果を生んだ。まぁ、死んじまった奴らには申し訳ないが、運が悪かったと言うことじゃが、まぁ、それ以上に日ごろの行いが悪かった。そして盗んだ相手が悪かったと言うことじゃ。しかし、このままではなぁ、あの男の……真壁の命に関わる」
後藤には理解できなかった。しかしこの老人はどうやら自分自身の誤算のために一人の男の命を危険にさらしてしまい、それを助けようとしていることはなんとなく理解した。そしてそのこととは別に、真壁の命が危ないことは理解できた。後藤の分野、どんな方法にせよ、真壁が一連の事故に関係があるということが『あの連中』の知ることとなれば、黙って見ているはずがない。真壁の社会的な安全を担保するとは、すなわち秘密裏に事を運び、再発を防止すること、そして騒ぎを大きくしないことだろう。
それにしても、真壁はどうやって三人もの人間を死に至らしめたのだろうか?
しかしそれがわかるのも、時間の問題だろう。
この男についていれば、いずれそれはわかることだろうと後藤は腹を決めた。だがしかし、ここにも誤算があったのだった。
真壁を追う後藤と尾上弥太郎と名乗る男。そしてさらにその二人を物陰から見つめる男がいた。
「どうも僕にはこういう役は……」
鳴門刑事が後藤を尾行してから5時間が経過しようとしている。刑事の単独での捜査はご法度である。何かあったら責任問題は免れない。後藤はこれまでも単独捜査をたびたび行い、何度か上から注意を受けている。しかしそのたびに後藤は成果を上げ、つじつまを合わせている。つまり処世術を心得ている。
「よき上司と物分りのいい部下……あれ?逆だっけな?」
鳴門刑事は間違ってはいなかった。後藤はその時々でその言葉を使い分けていた。だが、鳴門刑事にとってはどちらでもよかった。どんなに無茶な命令にも、後藤には常に正当な理由あった。最初のうち鳴門刑事も肝を冷やした。しかしすぐに、後藤の行動力、決断力、そしてなにより洞察力に敬服した。
「刑事っていうのは、法を守るのでもなく、国や秩序を守るのでもなく、自分の町を守る、まぁ、保安官みたいなもんだと思ってた。笑うだろう?でも、こりゃ、俺が物心ついた頃の、いわば夢みたいなもんさ、そんなもんにお前をつき合わせて申し訳ないが、まぁ、後任が決まるまでの間、よろしく頼むわ」
警察も組織である以上、いろんな理屈で動かなければならないということはよくわかっている。でも、中にはこういう人もいていいのではないか?決して後藤のようになりたいとは思わない鳴門刑事であったが、少なくとも敵にするべき人ではないと、最初はそんな風に考えていた。
「あの人ももう少し組織とか、部下の出世とか考えてくれればいいんだけどなぁ」
鳴門刑事は後藤のもつ人間くさい魅力に引かれている自分を戒めるような独り言が多くなっていることを自覚していた。
「それにしても、いったいあの老人は誰なんだ?」
鳴門刑事は迷っていた。岡島警部補からの命令は、後藤を尾行し、もしトラブルになるようなら後藤を止めろという命令、もっと言えばそうなる前に後藤の動きを抑えろというものだった。
「この件から手を引けという命令を黙ってきくようなら、わざわざ誰かに頼んだりせんよ。ワシも後藤の力になってやりたいが今回の件は正直手に負えん。お前さんがうまいこと事態を収拾してくれ。頼むぞ。少しでもおかしな動きがあったらすぐに連絡をするか、お前の判断で後藤を止めてくれ、いいな」
「よき上司と、物分りのいい……なんだっけ?」
鳴門刑事は岡島警部補に現在の状況、怪しげな老人と後藤がなにやら行動を共にしていると、報告するべきかどうか決めかねていた。どうせなかったことにするなら、全部なかったことでいいのではないか?それであれば早めに後藤を止めるべきでは?鳴門刑事は葛藤をしていた。それは後藤を気遣うことと岡島の命令に従うことの間の葛藤ではなく、鍵のかかった真実の扉を前にして、諦めるべきか鍵を探すべきかを迷うようなもうであった。
「どうも気にいらねえなぁ……」
鳴門刑事のほかにもう一人、後藤を見つめる男がいた。そしてその男は、鳴門刑事の存在にも気づいていた。おそらくこの場で、一番状況を把握している男である。
「後藤と一緒にいるジジイ、あれが噂の拝み屋か」
男は正確な情報の元に動き、その事実を確認し、そして様子をうかがっていた。
「あの二人が誰をマークしているか、そしてその男と後藤が接触した場合、その情報の入手。場合によってはその男を拉致、監禁場合によっては東京湾に沈めろってか。しかし、後藤も大変だな。身内にも信用されていないらしい」
男の位置からは、後藤と拝み屋、そして鳴門刑事を左右に捕らえられる位置だ。携帯電話のメールをチェックするようなフリをしながら、常に両方に目を配る。鳴門刑事のことは事前の情報では知らされていなかったが、身のこなしからすぐに刑事だとわかった。
「あのビルにターゲットがいるのだろうが、事務所に乗り込んでいって話を聞くという表立った動きはできないということか。つまり後藤の単独捜査、そしてそれを見張る部下といったところか」
鋭い洞察力は天性のものなのか、この家業を生業とするようになってからなのか、いずれにしても、それはこの男にとって、生きるか死ぬかの問題であった。
「まぁ、およそ夜までは動きがないか……しかし、そこまで事態が膠着しているとも思えないなぁ、なんせ、いろんな人間のいろんな目論見があるようだからな。こういうときは、先に動くのはヤバイな」
街に溶け込み、人ごみに溶け込む、それは暗く冷たい視線。男の生業、それは『始末屋』であった。
「おー、榊原か。あー、手配した。心配するな。あー、腕は確かだ」
笠井町の繁華街を牛耳る小さな暴力団の7代目、榊原嘉昭。榊原はまだ20代のうちに7代目を継いだ。そのときはそれほど大きなシマを任されていたわけではないが、様々な抗争、計略、戦略を持って今では笠井町に大きな影響力を持つまでになった。
笠井町はもともとは工業地帯で、現在ほどにぎわう街ではなかった。昭和後期、再開発が進み、笠井駅の周辺は工業地帯から住宅地へと姿を変えていった。街は大いに賑わい、人口もこの10年はずっと右肩上がりで、主要な銀行、大手量販店が次々と出店し、商業地域としても急激に発展した。都心に近く、学校も充実していることから若い夫婦が多く住み、23区内でも人口のバランスが取れた街となっている。
昼間は、学生や主婦で街がにぎわい、夜は仕事帰りのサラリーマンがビールを飲むような居酒屋がにぎわう。風俗こそはないものの、そのぶんキャバクラが駅周辺の雑居ビルに乱立し、そういう店で働くキャバクラ譲のためのホストクラブや早朝まで営業している焼肉屋や中華料理屋もある。
もうひとつ特徴的なのは、外国人である。中国、韓国、台湾といった東アジアの国々のほかにインドやベトナムなどIT企業に勤める外国人やIT系専門学校や日本語学校に通う学生も生活している。もちろんフィリピンパブなど夜の街で働く労働者もいる。そして犯罪に手を染めるもの、或いは犯罪そのものを目的でこの街に住む者も少なからず存在する。
暗闘――榊原は中国系の組織と手を組み自分のシマを拡大して行った。飛ぶ鳥を落とす勢いの榊原だったが、もともと弱小の組織だけに有力な後ろ盾がなかった。中国系の組織とはあくまでビジネスであり、いつ後ろから刺されるかもしれない。そこで榊原は先代の遺言に従い、ある人物を頼ることにした。
「まったく、先代がこんなヤバイ方と繋がっていたなんてなぁ。まぁ、力がなくてはこまるが、あり過ぎるのも考え物だ」
榊原が頼った人物とは、日本の中枢に顔が利き、しかもその存在は実に曖昧である。どういうわけで弱小組織の先代がこの人物と繋がっていたのかはわからない。しかし、その人物自ら、先代を死に至らしめたのは自分だといわれたときには、流石に困惑した。
「先代はな、情に厚い男じゃった。いい男よ。だがな、それだけではな……それだけでは生き残れないのがこの世界よ。わかるな」
榊原は初めて恐怖を感じた。この老人の言葉はまるで頭の中に直接話しかけてくるような、まるで全てを見通しているような感覚。ダメだ。この老人には勝てない。歯が立たない。
「その先代がお前のことを高く評価しておった。器は先代より上、実力は十分にあるが、有力な後ろ盾も目付け役もいない。どうか後のことをお願いしたいとな……よかったな7代目、いい先代を持って。感謝するんだな。そして決してワシの意に沿わないことをするんじゃないぞ。親も子も手をかけたとあってはなぁ……ワシも流石に目覚めが悪い」
以来5年、老人から特に指示や命令を受けたこともなければ、老人の力を頼ったことはなかった。しかし榊原は感じていた。いまこのバランスを保てているのはこの老人の目が光っているからであり、笠井町の中の勢力争いはほとんどの場合、平和的に解決している。ところが今年になってから老人からいくつかの指示が出るようになった。その一つが今回の件である。
「どうも何かが動き出しているようだが、こちらもただ利用されるって訳にもいかねぇしなぁ。見るなといわれたものを見るつもりはないが、見てはいけないものを他人の口から聞くって言うのは、聞こえちまうものはしょうがねぇもんなぁ」
榊原は『後藤が3人の部下の不審な事故に関する容疑者をマークしているらしい。その男の持っている情報はヤバイかも知れない』と別の組織の幹部――先代と共にこの笠井町周辺を分割して支配していた白鷺組に情報の横流しをしたのである。榊原はどのような結果が出ようとも構わなかった。
「加藤の野郎、オレに隠れてオイタした報いだ。白鷺組の絡んで数字ごまかしやがて……ここは白鷺組に踊ってもらわなきゃなぁ、それだけの出演料は加藤から受け取ってるんだろうからなぁ」
三人目の犠牲者、加藤三治は榊原の目を盗んで白鷺組と共謀し、情報や決して小さくない金額の取引を横流しして小遣いを稼いでいたのだった。榊原はそれに気付いていたが、加藤を泳がせていた――いつか利用する機会がある。つまり加藤の死は榊原にとっても計算外であり、榊原を慌てさせた。しかし事の真相が榊原の領分でないとわかれば、あとは投資した分をいかに回収するかであった。
「白鷺組の連中、慌てて容疑者を消すか……あの方の意に背けば、ただでは済まないだろうに、かわいそうなことだ」
表向きにぎやかで華やいでいる笠井町の裏では、常に複数の策謀がめぐらされている。それに気付くものは少ない。
「どうもいかんなぁ」
尾上弥太郎と名乗る老人はボソッとつぶやいた。
「なにか、気になることでも?」
後藤はチョーカーの男の顔をしげしげと見つめていた。
「やな感じがするぞい」
下駄の男、拝みやは視線を感じていた。それもねっとりとへばりつくような嫌な感覚だった。
「どうかのぉ、今日はこの辺で引き上げんか?」
突然の申し出に後藤は一瞬戸惑ったがしかし、尾上弥太郎と名乗る男のどこかイタズラを企んでいるような顔を見るとある程度の状況を察した。
「すいません。実は一人……俺の部下がずっとこちらを見張っています」
「おー、主も気付いておったか……じゃがなぁ、まだ他にもおるぞい」
男はチョーカーを治す振りをしながら、目で後藤に方角を合図した。後藤はタバコに火をつける不利をしながら、その方角を確かめる。人影が一瞬不自然な動きで人ごみに消えていったように見えた。どうやらもう一人、客が居るようだ。
「どうでしょう?そういうことなら、また今度ということでもいいのですが……あまり悠長なことを言ってられない状況なんでしょう?」
「う~ん、そうじゃなぁ」
尾上弥太郎と名乗る老人はiPhonを取り出し、後藤に画面を見せた。そこには先ほど人影に消えていった男の姿が映っていた。
「いつの間に撮ったんですか?しかし、これじゃぁ、よくわから……」
後藤はこの手の端末にはからっきし弱かった。尾上の指先が画面の上で動くたびに、男の画像は拡大されていく。
「おー、こりゃ白鷺組によく出入りしている男です。なるほど、こりゃあたまげた」
「このジャケットにはちょっとした仕掛けがしてあってのぉ、気になったときにちょこちょこっとやるとこんな具合に写真が撮れるんじゃ」
男はなんとも楽しそうに笑いながら端末をいじっていた。
「ちゃんと装備してきてよかったぞい。背中が寒くちゃ仕事にならんからのぉ」
予めこういう事態を予想していた――ということなのだろうか?
「フン!主もワシも、身内からはあまり信用されていないようじゃな」
後藤は考えた。多分鳴門刑事の独断で動いたのではないだろう。大方岡島警部補の差し金か、或いは署長あたりがかぎつけたかだろう。しかしこの老人はどうなのか?真壁という男は直接関係があるが、筋の悪い連中との関わりもあるということなのか
「真壁のことはワシと主しか知らん。が、それが他の連中に知られると守れるものも守れなくなる」
「真壁との接触は、誰にもわからない場所でやらなければならない――ということですね」
「うむぅ、ここはどうかのぉ、ワシに任せてはくれんかのぉ。主は写真の男の動きを止めてくれぬか。ワシが真壁を抑えたら、主に連絡をする。ワシも主が来るまでは真壁には手を出さない。どうかのぉ?」
「どうやらあなたの言うとおりにするしかないようです。わかりました。どうやって連絡をとりあいますか?」
「逮捕するとか言うなよ。これを使って連絡をする」
そういうと尾上弥太郎と名乗る老人はジャケットのポケットから1台の携帯端末を取り出した。
「ワシとのホットラインじゃ。互いに通話記録なんぞ残したくないじゃろう?」
後藤は首を振りながら両手を上げた。
「まったく、あんたいったい何者なんですか?」
チョーカーの男は笑いながら言った。
「ワシか? ワシは真田五郎じゃよ」
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