第8話 追跡者

 東京都江戸川区の笠井町地域を管轄する江戸川南警察署。近年急激に人口が増加し、暴力団による組織的な犯罪と思われる事件も増加。さらに中国系マフィアの活動範囲もこの街に広がり、後藤刑事は多忙な毎日を送っていた。ある雨の午後、かつての上司から一本の電話が後藤にかかってきた。


「後藤さーん、交通課の岡島警部補から3番です」

「あー、今出る……すまん、岡さんからだ。また、こっちからかけ直す」

 後藤は雑多な机の上に置かれた書類に目を通しながら、『再TEL』と鉛筆でメモを入れる。こういうことはやはり鉛筆がいい。

「あー、岡さん、後藤です。珍しいですね署に電話なんて」

「携帯鳴らしてもでねーからよ。署に直接かけたよ。お前はなかなかつかまらんからなぁ」

 後藤は鉛筆を持った手で頭をかきながら思いついた言い訳をそのまま口にした。

「すいません、立て込んでいまして……」

「ふん、まぁ、四課はここのところ忙しいみてぃだからなぁ」

「そーなんですよー、あー、四課じゃないっすよ、組織犯罪対策課っていうたいそうな名前がついてますよ」

「うるせー、面倒くせー、俺らにとっては四課は四課だ」


 車の音、無線、雨、笛の音――どうやら岡島は現場から電話をかけているようだ。

「で、なんです、なにか事件でも?」

「あー、手短に用件だけ言う。さっきな、笠井駅近くのえーと、なんだ、最近オープンしたなんとかとかいう中華家の前あたりでな、事故があったんだが……」

「えーと、たしかぁ……ラーメン一杯390円の店でしたっけ」

「あー、そうそう、その390円の店の前で死亡事故、道路を横断しようとして乗用車に引かれたんだが、そのガイシャっていうのがちょっと気になってな……」

 後藤は財布の中に店のオープン記念の割引券が入っていることを思い出した。もう期限は切れているかもしれない。


「こっちの管轄ですか?」

「あー、加藤三治だ」

「加藤って、ちょっと待ってください岡さん!それは……」

「あー、これで3件目ってことになるか」

「で、どうです、見立ては?」

「まったく関係ない。ただの事故だ。道路を横断しようとして出会い頭にどーんってやつ、まぁ雨で視界も悪かったって事になるんだが……」

「同じですね。これまでの2件と……」


 後藤は頭から手を下ろし、さっきメモした紙の裏に文字を書き出した。

『加藤 8月』

『三河 6月』

『山本 』

「三河が6月、で加藤が8月、山本は・・・5月でしたっけ?」

「あー、そういうことになる。見立ては間違いねー。それは俺が保証する。現場はきれいなもんだ。なんの疑う余地もない」

 後藤は『山本』の文字のあとに『5月』と書き足した。


「……だが、こんなことは初めてだ」

「わかりました。今から現場に行きます。岡さんはまだ現場に?」

「あー、すまん、俺は次の現場に行かないとならん。今日みたいな雨の日はどうもな……最近はドライバーが未熟なのか、歩行者が無謀なのか」

「わかりました。誰かに引き継いで置いてください。15分くらいで着きますから」

「あー。なぁ、後藤……こいつは何かな、天罰ってやつかな」


 後藤は再び鉛筆を持った手を頭にやり、髪の毛をかきむしった。

「岡さん、もしも神様ってやつがいて、悪いやつに天誅を下したとしてです、そしたら俺は神様にワッパかけにいきますからね」

「ふん、相変わらずだな。だからお前、出世しないんだぜ」

「へいへい、この世界に入って鬼のような先輩にみっちり仕込まれましたからね。今更賢くまわれと言われても、俺はそんなに起用じゃないっすから」

「言うなよ、じゃ、あとは頼んだぞ」


 小気味のいい会話ではあるが、なんとも不愉快な話だ。

「まったく、どうなっちまってるんだ」

 後藤刑事は江戸川南警察の組織犯罪対策課に所属している。いわゆるマル暴――かつて四課と呼ばれていた部署の刑事だ。岡島は交通課の警部補でかつての後藤の上司だ。二人は署内でも有能な刑事であったが、やや独断と専行がすぎ、周りとの強調を欠く事があった。それなりの実績も上げたが、同じようにそれなりの問題も起こしている。


「こりゃまた、いらんことをするなと、署長から言われるだろうが……」

 後藤は素早く身支度をして現場まで車を走らせた。

「まぁ、言われる前にやっちまえば、どうということはないか」

 後藤は車を走らせながら、『再TEL』と書いたメモのことを思い出したが、当面は忘れることにした。

「すいません。立て込んでいて……忘れましたってか」





 事故現場に着いた頃には雨は上がっていた。加藤は雨の中、道路を渡ろうとして、主婦が運転する乗用車にはねられた。法定速度であり、被害者が道路に駐車していた車と車の間から急に飛び出してきたため、ブレーキを踏む間もなくモロにぶつかったらしい。跳ね飛ばされた被害者は宙に舞って頭から落ち、反対車線に転がった。首は曲がり背中をむいていたという。ほぼ即死だ。


「目撃者は?」

「はい、数名の目撃者がいますが、事故の瞬間、ガイシャは傘で頭を低くするような格好で急にあそこの車と車の間から飛び出したようで、これといって不審な点はないようです」

「つまり、単なる事故というわけか」

「えー、ただ……」

「うん?なんだ、何かあるのか」

「ガイシャがさしていた傘が見当たりません」

「傘が……ない?」

「ガイシャが跳ねられた瞬間確かに近くで傘を見たという証言があるのですが、まぁ、救命や通行の邪魔になるので誰かが避けたのだとは思うのですが……」

「わかった。ご苦労。念のため近くの防犯カメラ当たってくれ」

「わかりました」


 後藤は現場の警官の報告から、加藤が事故の前に立ち寄ったラーメン店に足を運んだ。


「あー、すまん、ちょっと話を聞きたいんだが」

 後藤は警察手帳を店長に見せて店内を見回した。

「事故の前、加藤はどんな様子でしたか?」

 店長は腕を組みながら怪訝そうな顔で後藤を見つめた。

「うーん、まぁね、あーいう感じの人だから気にはなったけどね。刑事さんにお話しするようなことは何も……店に入ってきたときは、これといって急いでいたわけではなさそうでしたが、携帯ながめてて、多分メール見てたんでしょうね。用事を思い出したって感じで、急いで外に出て行ったってところだね」


「ありがとう。あとー、他の客なんだが、加藤が食べているとき店内には何人いたかな」

「えーと、カウンターにその加藤ってひととサラリーマンの二人組みに、あー、あと一人たまに顔を見せるお客さん。オイ信二!テーブルはどんなお客さんだったっけ?」

 アルバイトらしき若い男が天井を見上げながら思い出していた。

「えーと、学生の3人組と……あー、多分それだけですね。」


「そうか。すまない。邪魔したな。あー、一応何か気がついた事があったらここに電話してくれ」

 後藤は手帳から名刺を取り出し店長に渡した。

「まぁ、それ以外でも、なんかもめごとがあったらいつでも電話してよ」


「毎度ー、刑事さん、たまにはメシ喰いに来てくださいよ」

「あー、そのかわりネギは抜いてくれよ」

 店を出ると胸ポケットからタバコを取り出し、口にくわえる。

「ふー、まいったなぁー、こりゃ……手がかりは……傘だけか」



「後藤さん、現場の防犯カメラの映像入手しました」

 現場では結局、めぼしいものは何一つ見つからなかった。部下の鳴門刑事に事故現場付近の飲食店やマンションの防犯カメラをチェックするように指示をして、後藤は現場を後にした。その二日後のことである。


「おー、どれ、なにかでるかな」

「残念ながら事故のあった場所を捉えた映像はなかったんですが、中華店に入る前の加藤の映像がありました」

 後藤は右手で頭を書きながら顔をゆがめた。


「うーん、収穫なしか」

 事故現場から少し離れたところにあるコンビニの防犯カメラに雨を避けるように小走りにコンビニの前を横切る後藤の姿が映っていた。

「うん、ちょっと待てよ」

 後藤は身を乗り出し画面を巻き戻す。

「加藤のヤツ、傘、持ってねーな」

 ビデオを持ってきたのは後藤の下で働く新米の鳴門刑事だ。


「鳴門ー!お前気づけよなぁ」

「すいません。でも、加藤のヤツ、傘をどこで……」

「そんなもんいくらでも想像がつく。メシ喰うのが目的じゃなくて、傘をパクるのが目的でラーメン屋に雨宿りしたんじゃねーか」

「じゃぁ、事故直前に持ってたって言う傘は」

「まぁ、普通に考えれば、あのときあの店にいた誰かのものってことになるが……」

「じゃぁ、事故の後、自分の傘がないことに気付いた客の一人が、道路に放置されていた自分の傘を持って帰ったって事ですかね」


「うーん、どうもなぁ」

 後藤は再び頭を書きながら顔をゆがめながら天を仰いだ。

「ちがいますかね?」

 鳴門は自分の推理に自信はあったが、後藤の表情からは明らかに同意を得られていない事がわかった。

「いや、ちがわんと思うぞー、それはいいんだー、それはいいんだがなぁー」

 鳴門は半年ばかり後藤の下で働いているが、こういうときにどうすればいいのか、大体察しが着くようになっていた。

「洗い直しますか?前の2件」

 後藤は片方の目を瞑り、鳴門をチラッとみた。

「そうだな。鳴門、悪いがそうしてくれるか。忙しいところスマンな」

 鳴門は素早く身支度をすませ、ドアを飛び出そうとした。


「あー、鳴門!」

「えっ、なんです?」

「あー、捜査の基本だ。真実は……」

「真実は――必ず痕跡を残すでしたっけ?」

「うん、よし、頼むぞ」

 

 それはかつて後藤が岡島に叩き込まれた言葉だった。

「たどり着くよ。真実は、決して消えない、ただ隠れているだけだ」




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