第14話 スパイの捧ぐ長い夜

 「それじゃ、私はカードの整理をしなきゃいけないから部屋に戻るわね」

 夕食を食べ終わり、食器やら調理道具やらの後片付けも済んだ頃。オズベルの言葉に食器を棚に戻していたフルーナが振り返った。

「はい。わかりました」

 厨房にはもう自分たちしかいない。

 ネルマには食堂のテーブル拭きや椅子の配置を戻してもらい、指を怪我したイガルガに水仕事を指せるわけにはいかなかったのでアリの様子を見に行ってもらっている。

 アリは食事の途中で具合が悪くなったと言って個室に引っ込んでしまった。

 リクの部屋の前で別れ食堂で再会してからも、しばらくはいつも通り……あるいはそれ以上に明るく振舞っていたけれど、やがて胸の内を蝕む沈鬱な気持ちに堪え切れなくなってしまったのだろう。

 昨夜よりリクから内部密偵の任を受けていたオズベルは、今日の会議が終わり料理をする直前の会話でアリがリクに対する敵対心を完全に失ってしまっているのを感じ取り、食前に、トイレへ行くと偽って報告に向かった。結果、リクの迅速で冷酷な処置が下され、アリはいたく傷つけられることとなってしまったのだ。

 明るく快活な少女を落ち込ませるスイッチを押したのは自分だ。

 心が痛まないわけがなかった。

「あ、オズベル」

「イガルガ……」

 ネルマにも挨拶を交わして食堂を出ると、丁度階段を下りてきたイガルガと出会った。

「アリの容態はどう?」

「ん、あんまし良くないみたい。お腹じゃなくって頭が痛いって言ってたから、食あたりってこたないと思うけど」

「そう……。片頭痛とかかしら。リク高等執筆員かトル書記員に頭痛薬がないか聞いてみるわ」

「そーしてちょうだい」

 なんでもない風に返事をするイガルガがなんだか意外だったオズベルは片眉をわずかに上げる。

「彼らを頼ることを嫌がらないのね」

「苦しいのはアタシじゃなくてアリだかんね。アタシが嫌がんのはお門違いでしょ」

 案外とイガルガはその辺りのことをしっかり割り切っている。そして沈んでいる人間には優しい。単に子供っぽいだけの意地っ張りな性格ではないことをオズベルは実感した。

「それじゃあ、薬がもらえたらアリの部屋に寄ってみるわ」

「あいよ。んじゃね」

 そう言ってイガルガと別れてから、部屋に来るときには誰にも悟られないようにしろとリクに言われていたことを思い出す。

 まあ、あの程度なら問題ないだろう。むしろリクの部屋から出てくるところを見つかった時の言い訳ができた。

 それでもオズベルはなるべく自然に気配を消して、誰かに後を付けられていないかを確認しながらリクの部屋へと向かった。

「遅かったな。何をしていたノロマ」

「すみません。料理の後片付けをしていました」

 そろそろ恒例に感じられるようになってきた毒舌に迎えられ、オズベルは簡潔な受け答えをしながら昨晩と同じ椅子に腰掛けた。

「それで、リク。重大な問題ってなに?」

 オズベルが座るのを待ってから、部屋の扉付近の壁に寄りかかっていたトルが尋ねるとリクは軽く首を振った。

「まあ待て。先にオズベルから聞いておかなければならないことがある」

「私ですか?」

「ああ。今日、お前とネルマを同じチームにした理由を覚えているな」

 その言葉にオズベルは合点のいった様子で頷くと前置きを省いて話し始める。

「ええと……ネルマの怯えは自分に降りかかる脅威全般に対する不安というよりは、特定の条件を満たす人間に対する猜疑心から来ています。そしてその条件は、高圧的な人間、自分より立場が上の人間、そして騎士団に所属する人間だと思われます」

「騎士団?」

 ネルマが自らの所属する団体の人間に怯えていると聞いてトルは首をかしげるが、リクはむしろ納得した様子で口角を上げた。

「なるほどな」

「何かわかったの、リク?」

「ああ、大体な。……さて、おおよそ奴の境遇も理解できたところで本題に入るとするか」

「いや、全然わかんなかったけど」

 とはいえ、説明しようとしないところを見るに、説明する必要がないか説明したくない意図があるのかのどちらかなので、トルはあえて追及せずにリクの言葉を待ち受けることにした。

「前置きから入るが、これから話すことは他の奴らに伝えるな。もし伝えようものならば相応の処分が待っているものと思え。とにかく、聞く以上他言無用だ。いいな」

 冗談でない様子だった。トルは間髪を挟まず、オズベルは逡巡の後にゆっくり頷いた。二人の反応を確認して、リクは少しだけ声のトーンを落としてこう告げた。

「特別調査隊の中に、スパイがいる可能性がある」

「ス!? ……スパイ?」

 大きな声を上げそうになったトルが慌てて声を潜めて訊き返す。

「ああ」

「そう思われる根拠はなんですか?」

 筋道立てて話を展開してもらうべくオズベルが口を挟むと、リクももちろんそうするつもりだと頷いた。

「今日の任務の最中、A班が襲撃を受けたという話はしただろう。その際に図書館、騎士団の名前が出ても向こうが怯まず、むしろあらかじめ知っていたようだったともな。だが、特別調査隊がこの街に来ることは俺たちと図書館本部の一部の人間以外誰も知らなかった。この街に来てからならば、町長に通してもらうために話したが、もしそれが襲撃に繋がっているならばリアクションが早すぎる。今日、お前たちが情報収集のために俺の知らないところで話していた場合も同じだ。仮に話していたとしても、俺たちではなくお前たちが襲われるはずだ」

「でも、箱の出現情報を細かくチェックしている人なら私たちがここに来ることを知らなくても予想できたんじゃないかな」

「そうだ。たとえ俺たちが来ることを知らずとも、この街に箱が出現したことを知っている者ならば、それを予測することはできる。だがその条件にあてはまるのはどんな奴だ? この街の者は皆、行方不明事件を箱の仕業だと認識していなかった。そして、町長から預かった外交履歴には怪しい人間がこの街に訪れたという記録も無い」

「ちょ、ちょっと待って。内側に箱を知る人がいなくて、外側から誰も来ていないってことは、誰がリクたちを襲ったの?」

「おそらく、どこかで誤魔化しがあったんでしょう。内側で知っている者が知らないふりをしているのか、外側から来たものを来なかったことにしているのか。どちらにせよ、この街が怪しいことには変わり在りませんけれど」

 オズベルの言葉にトルはさぁっと血の気が引く。もしオズベルの言葉が事実だとしたら、自分たちは誰が敵ともわからないところで寝泊まりしていることになる。すなわちそれはいつ命を狙われてもおかしくないということだ。今日、リクたちがそうされたのと同じように。

 不安を覚えない方が難しい。

 そんなトルの様子を見たリクが呆れた様子で首を振る。

「まあ待て。オズベルの言うように、情報の隠匿が行われていたことは否定しようがないが、誰が敵で誰が敵でないかぐらいは判別できる」

「え、ホントにっ?」

「よく考えろ。この街は箱が出現し始める前から存在している。ということはつまりこの街には、箱が出現し始めた以降に、箱に関する情報を隠す理由ができ、そのためにA班が襲われたというわけだ。もとから箱を隠すために生まれた街でないということは、すなわち、箱に関して隠す理由が生まれる何らかの出来事があったはずだ。それが何だかわかるか?」

 リクの問いかけにうんと悩み込む二人。間もなく声を上げたのはオズベルだった。

「失踪事件……」

「そうだ。この辺りでの箱の目撃情報があってから発生し始めた一連の失踪事件が、この街の住人にとある作用を与えて箱を隠させるように仕向けたんだ」

「その作用って、何なのかな」

「確か、町長の話では身代は要求されていないんですよね? でも実は、誘拐された者たちの身の安全を保障する代わりに箱に関する情報を隠すように脅されているんじゃないでしょうか」

「悪い推理ではないがそれではあくまで推測の域を出ないな。誘拐された人間の数に対して襲撃部隊の男たち人数が多すぎる。身柄を元に脅迫しているのならば、脅せるのは誘拐したものの関係者だけだ。20にも満たない人数で脅せる男の数はせいぜい30前後。襲撃部隊以外にも人員を回す必要があるだろうし、明らかに人数が足らない」

「そっか。広場に繋がる道が全部埋め尽くされるぐらいの人がリクたちを襲おうとしたんだっけ」

 トルは素直に頷いたけれど、オズベルはまだ引っかかるところがあるようだった。

「でも、町長が号令を出せばある程度無関係な人員を回すことができるのでは」

 食い下がるオズベルの言葉にリクはくくっと笑い声を漏らす。

「そうか。お前はあの町長を見ていないんだったな。あれは無能を絵にかいたような男だったぞ。金や権力に溺れカリスマ性の欠片もなくなった人間にあの人数は集められないだろう。まあ、それでなくとも襲撃部隊の人間には統率された意志を感じた。誰かに命令されたのではなく自分たちで一つのことを成そうとする結託した意志をな。奴らの品性からは考えられないようなものだったからよく印象に残っている」

 その言葉で女性二人は完全に行き詰ったようだった。

「内側じゃないとなると、やっぱり外部から誰かが来たのかな」

 苦し紛れなトルの発言にリクは半目になって彼女を見やる。

「話の焦点は敵の判別だったと思うが、外部の者ならば容易に判別できるというのか?」

「あはは……そうだよね。ごめん」

 事の重点を改めて確認されたことで オズベルはもう一度頭を切り替えて考えることができるようになった。

 ポイントは敵の判別。失踪事件が起こした作用。……失踪事件?

 リクは失踪事件という言葉に関してははっきりと肯定した。ということはもう一度事件に関係する事柄を思い返してみればそこに答えがあるはずだ。

 オズベルは目を伏して思考回路を全開にした。

 発生は一か月前……18人の行方不明者……捜索に乗り気でない町長……見かねて結成された捜索隊……昼帰りの捜索隊……その理由は覚えていない……

 と、そこまで思い返したところでようやくオズベルの脳裏に瞬くものが訪れる。

 捜索隊の記憶の混濁はおそらく箱物の仕業だ。それを私は箱物が記憶を奪う能力を持っているのだと認識していた。記憶を失った場所が怪しいのだから、箱物は森にいる。森を探せばいい。それで完結してしまっていた。けれどもし、それが見当違いだったとしたら?

「箱物は……心を操るんだ……」

「え?」

 不思議そうな声を上げるトルとは対照的に、リクはにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「ようやく気付いたか」

 それはどこまでも高慢な物言いだったけれど、オズベルはなんだか嬉しくなって顔をほころばせた。

「リク高等執筆員たちへの襲撃と、行方不明者捜索隊の記憶の混濁はまったく別の出来事だと思っていました。何故ならリク高等執筆員とアリを襲ったのは人間……対する記憶の混濁は箱物の仕業だと推測されてましたから。けれど本当は、捜索隊の人間たちは行方不明者の捜索時に箱物に干渉され、心を操られてしまい、操られるが故にリク高等執筆員を襲撃した。横に並ぶ別の事象ではなく、縦に繋がった一つの事象だったんです」

「そっか……そうだったんだ! すごいね、オズベルちゃん!」

「そ、それほどのことでは……」

 目を丸くしたトルに褒められてオズベルはむず痒そうに俯いて視線から逃れる。

 一方、結論を共有したリクはやっと話が進められると、勇み足気味に話を繋げた。

「話を戻すぞ。A班を襲撃した奴らの正体は箱物に操られている捜索隊の連中というわけだが……。さて、これをスパイ疑惑に関連付けるとしたらどうなる」

 少しだけ考えてトルが口を開く。

「私たち特別調査隊のメンバーの中にも、操られている人がいるってこと?」

「まさか!」

 思わず大きな声を出してしまったオズベルはハッと我に返り、小さく謝ってから声を落として続ける。

「私たちは皆、騎士団の一員です。操られるような事態になれば騎士団の上官たちが気付くはずです」

「操られていると言っても指先一つの動かし方まで操縦者に委ねさせられていると決まったわけじゃない。どちらかといえば寄生虫の類に似た誘導操作の可能性が高い。水場に行きたい。たんぱく質を取りたいなどといった大まかな方針をさりげなくかつ絶対的に決定しているんだ。つまり、操られている本人の意識ははっきりとしている……が、操られていることに気付かず、更には自分が為す行動、為そうとしている行動に疑問を持たずにいるわけだ」

「それで、自分が何をしているのかきちんと認識しないままに操縦者である箱物に情報を横流ししちゃってるってことだね」

「そういうことだ」

「……騎士団員の行動は一日単位で管理、記録されています。ここ一か月の間にこの辺りに派遣された過去のある者を調べれば誰が……その……スパイであるかわかりますね」

 昨日今日と共に過ごした仲間たちの中に化け物に操られている者がいると言われ、動揺を隠し切れないながらもオズベルは冷静に提案する。けれどリクはそれを一笑に付すのだった。

「騎士団がそう簡単に図書館に協力してくれるか疑問だな。第一、残してある記録が偽装されていないとも限らない。操られているのがどれほどの人数なのかもわからない。騎士団だけでなく、図書館にも手は伸びているのかもしれない。そもそもこの街の周りの森に洗脳の箱物が潜んでいるという確証もない。いったいどこに箱物がいて、誰が操られているのか分からない今、ここにいる者以外の手を借りることはできない」

「そっか……、捜索隊が合計何人なのか知らないけど、結構な数の人間が操られてるんだもんね。どこで、誰が操られてても不思議じゃないんだ」

 せいぜいこの街とその周辺ぐらいの規模の話だと思い込んでいたオズベルは羽織っているケープの下でぎゅっと手を握った。不安を感じるのと同時に成果を上げるチャンスだとも思った。

 そして、不安や期待と同時に頭の中に浮上していた疑問を素直に投げかける。

「ここにいる者以外の手は借りられないって……ここにいる三人のことですか?」

「そうだ。他の奴らの中にスパイがいるだろうと思うからこそ、こうしてお前たちを集めて密談しているわけだからな」

「え、と……リク高等執筆員は、なぜ、トル書記員はスパイではないと?」

「俺は何があろうとトルだけは疑わないと決めているからだ」

「リク……」

 目を細めて微笑むトルに、リクは「長い付き合いだからな」とぶっきらぼうに付け加える。

「で、では、私は……?」

 オズベルは、うっすら、ほんの少しだけ、胸の鼓動が早くなっていく気がした。

「お前が敵の場合にこれまでの情報を与えてしまうリスクよりも、味方の場合で得られる貢献度の方が充分に勝っていると判断したからだ」

「……そう、ですか」

 ある意味ではオズベルの承認欲求をばっちり満たしてくれる狙いすました発言だったが、オズベルの心の中には喜びと共に一抹の寂しさのようなものが居座っていた。

「さて、というわけでいよいよ本題だ。率直に訊こう。こいつがスパイだ、と思うやつはいるか」

 あまりにもストレートなリクの発問に、オズベルとトルは視線を交わした。

 これまで誰かがスパイだなどと考えながら過ごしていたわけではなかったためにうーんと考え込むと、リクは仕方がないなと言うように軽く溜め息を吐き、紙とペンを取り出した。

「漠然と探すよりも人物ごとに不審な点を洗った方がいいな。箇条書きにしていくから……そうだな、まずはフルーナに関してここまで目立った事柄を列挙していけ」

 それならば、とトルが手を軽く挙げた。

「フルーナちゃんといえば、細剣を使う近接主体の戦法なのにほとんど防具を付けてないよね」

 前衛職は敵の前衛と交差するわけだから通常なら鎧や兜、最低でもバックラーぐらいは装備しておいた方が、生存率が上がるというもの。しかしフルーナは、足にこそスリップに強いスパイクブーツを履いているものの、他に防具らしい防具を装備してはいなかった。

「奴は敏捷性が売りのようだからな。重い武具を装備して機動力が低下することを避けているんだろう」

 リクのおおざっぱな指摘にオズベルが頷いて細かな解説を入れる。

「そうですね。フルーナは騎士科にて、先手を取りそのまま速さを活かした連撃で圧倒する、押し切れなくとも素早く身を躱して相手を寄せ付けないというスタイルで他の重装騎士たちと一線を画していましたから防具で動きを制限したくないんだと思います」

「なるほどー」

「……やけに詳しいじゃないか」

「フルーナは騎士科の首席でしたし、騎士団の女同士ということで気にしてはいたんです。実際に面と向かい合ったのは今回が初めてですが」

 世間話をしているかのような気安さに愛想笑みを浮かべてから、オズベルは脳裏に引っかかるものを感じ、すぐに思い当たるとそのまま尋ねる。

「私なんかよりリク高等執筆員の方が詳しいのではないですか?」

 それは初対面時にリクが騎士団全員の仔細を諳んじることができると宣っていたことから出た疑問だった。

「ああ、そんな話もあったな」

 これをリクはせせら笑いと共にあっさりと嘘であったことを認めた。ただ、他の者ならいざ知らずオズベルもそれが方便であることに感づいていたため、それほど深刻に受け取らなかった。

「そういうわけですので、そんな騎士科首席が最近危険な任務で遠征したなんて噂は聞いたことがないですし、フルーナがスパイである可能性は低いかと思います」

「ふむ……」

 トルとオズベルから集めた情報をまとめるかのようにリクがゴリゴリと紙に文章を書きなぐっていくと自然と二人の視線が吸い寄せられる。

「………………あ」

「確かに、栄えある騎士団騎士科の首席という立場には目が集まる分、そういった情報には偽装がされにくいな」

「そ、そうですね」

「ただ、今朝のことなんだがフルーナは自主鍛錬と称して無断で単独行動を取っていた。操縦者が手駒にしたものの思念を離れていても読み取ることができるパターンならば関係ないが、操り人形状態で、対話を以って情報を横流しにするしかなかった場合これは大分疑わしいということになる。とはいえ、オズベルの証言もあることだし確定するにはまだ早い。明朝、フルーナの自主鍛錬に監視を付けることにしよう。いいな、トル」

「……うん。任せて」

 トルが扉の向こうを気にするようにノブを撫でながら返事をすると、リクはペン尻で机を叩いて一端筆を止めると顔を上げた。

「フルーナに関して他に何かあるか」

「あっ」

 リクの問いかけに声を上げたオズベルに「どうした」と尋ねると、彼女はいささか気まずそうに口を開く。

「先ほどまでの論調を翻すようで申し訳ないのですが」

「かまわん」

 許可を得ても尚、後ろめたい思いがあったのかオズベルはもぞもぞと座り直してから話し始めた。

「実は、今夜、特設部隊の皆で料理をしようと言い出したのはフルーナだったんです。前の晩には入浴を共にできないことをしきりに悔しがっていました。今思えばあれは慣れ合うことで溶け込もうという思惑があったのかもしれません」

「なるほどな……」

 オズベルの言葉に相槌を打ちながらリクは紙に新たに書き込みを加えた。

 「以上です」とオズベルが告げるとリクは視線をトルに向ける。そしてトルが首を振るのを確認するとリクはペンを弄びながら議題を次の容疑者へと移した。

「なら次はイガルガだ。何かあるか」

「嫌疑をかける順番に何か意図はありますか?」

「いや無い。模擬戦を行った順だ」

 強いてあるとすれば、無意識に選んだ場合怪しいと思いにくい順位に議題に上らせられるように日ごろの行動から誘導されていた可能性があることを考えての処置だった。

「イガルガちゃんかー。確か炎と雷系統の魔法が使えるんだっけ?」

「典型的な感覚で魔力制御するタイプだな。もしあいつがスパイだったならば誘導操作の可能性が高くなるな。精密な操作を要求される入力操作だとしたら他人の身体を用いてだと高威力魔法の制御が難しいだろう。そもそも魔法知識がなければ魔法制御ができないからな。仮に入力操作だとしたらそれはそれで箱物に人間の魔力制御について知るところがあるということになる。得難い情報を得るわけだ」

「リク高等執筆員に対して異常なまでに敵対心を抱いていますが、これをそのまま敵……つまりスパイであるが故に威嚇していると受け取るべきか、本当にリク高等執筆員を嫌っているだけと受け取るべきかが大きな鍵となりますね」

 それはリクやトルも前々から感じていることだった。イガルガはこれまで一時の揺るぎも無くリクを毛嫌いしている様子を、取り繕う気配すら見せずにまざまざと見せつけてきた。確かにリクは騎士団側のメンバーに対して辛辣に当たり、憎まれるべく行動してきたが、イガルガは最初からリクに対してマイナスな感情を持っているようだった。

「奴は裏でトルに対して何か言っていたか」

 裏で、というのはリクとトルの目の届かないところで、という意味だった。

 オズベルは軽く思い返すが、イガルガはトルをあの女といった呼び方をすることこそあれど、トルに対して舌を出すような言動はしていなかったように覚えていた。

「なら俺だけがヘイトを集めているというわけだな」

 首を振ってそれを伝えるとリクは満足そうに頷いた。仇を見る目で見られて満足そうというのもおかしな話だが、もともとトルには好印象を集めようと動いていたのだから決して不思議なことではない。と思いつつ、オズベルはそんなリクに若干引きつった愛想笑いを送った。

「ってことは、単純に男の人が嫌いなんじゃないかな」

「そうかもしれませんね」

 騎士団は層が厚いためにその下層には下衆な男連中も多く紛れ込んでいる。騎士団幹部や貴族の子息令嬢でもない限り誰でもそこから始まるわけで、そこで何かがあって男性不審になっていてもおかしくはないとオズベルはトルの言葉に頷いた。

 ……あれ?

 ふとその時、何か引っかかる思いがオズベルの脳裏をかすめる。しかしいくら考えてもパズルの歯が食い合っていないように答えは出てこなかった。

 それからリクに対する敵対心以外に、特に明暗を示す根拠が見いだせないまま膠着状態の続いた議論を終わらせたのは、やはりリクだった。

「まあいいだろう。これでイガルガがスパイだったとしたら、敵の程度が知れる。奴がスパイである可能性は低いものとしよう」

 その言葉に二人が同意を示すとリクは再びペンを走らせる。その文面を確認させてから、今度はネルマに話の照準を合わせた。

「先ほども申し上げましたが、ネルマはリク高等執筆員だけでなく、私たちに対しても怯えが見られます」

 議論を始めるなりオズベルがあまり熱のこもっていない声で疑いの言葉を発する。彼女にはリクが談合を始める前に自分にネルマについての分析を語らせた意味が分かっているのだ。

スパイがいること、そしてそれが誰か分かっていないという話をしてからではどうしても色眼鏡で見た報告になってしまっただろう。例えそうでなくとも、オズベルが先入観にとらわれた分析結果を話しているのか否かはリクには推し量り切れない。

 故に、オズベルは敢えて冷えた声色を使うことで、今この瞬間自分はリクの真意を理解していて、思い込んだ発言をしていないことをアピールしたのだ。

「でも、それだけで疑うっていうのもね。ネルマちゃんが人見知りする性格なだけかもしれないし」

 オズベルの言い方で初っ端から疑いが濃い状態に陥り、全員が盲目になることを危惧したトルがネルマを庇い立てる発言をする。

「それはわかっています。けれどそう思わせるための策かもしれないという可能性を示唆したかっただけです」

 なんだか責められたように感じてオズベルはついムッとしたような口調で言い返してしまい、そんなつもりのなかったトルは不意に後ろから肩を押されたようなきょとんとした顔をする。それが一層にオズベルの心をチクチクと刺激し熱していく。

「この話し合いは情報共有の場であって討論を目的としていない。最後には俺が全てを決する。お前はお前しか知り得ない情報を教えるだけでいい」

 オズベルの承認欲求に伴う闘争心が頭をもたげつつあることを察知したリクが嗜めるように言うと、オズベルは首を垂れる様に頷いた。

「……すみません」

 そしてすぐに持ち前の冷静さで立て直すとさっぱりした表情で舌を回す。

「ネルマは怯えているからなのか、様々な場面で従順な態度を見せています。命令とまではいかない些細な頼み事も二つ返事で了承してくれます」

 言い終えてから「というより、頼みごとを引き寄せるような雰囲気があります」と付け足した。

 事実、手の空いた者が複数いる時でも、ついついネルマに用事を押し付けてしまいがちである。どこかで彼女なら断らないだろうと思ってしまっているのだろう。

 オズベルはリクに叱られた件のついでに、一人に負担が重ならないよう反省することにした。

「盾使いが怖がりっていうのはどうなんだろうね」

 ふと模擬戦を思い出したのかトルが別の切り口を見つけてくるとリクはうんと唸る。

「一長一短だな。臆病故に生き残りたいという意識が強く、守りを強固に自分が傷つかないように尽力するが、窮地に陥ると現場を放棄するおそれがある。もちろん逃げ出したくなる臨界点を無くす手段もある。脅しであったり、逃げきれないから死ぬ気で後衛を守り続けなければならないと思わせるほどに重い装備をさせたりな。奴の性格が盾使いに相応しくないとは言い切れない」

 嗜虐的なうんちくを語りながらリクはネルマという人間が盾使いであるということそのものは怪しいと思わせるに値しないことを示した。

「奴は良くも悪くも特出した部分が少なすぎる。言い換えれば目立たなすぎる。そういう意味ではスパイの役割を遂行していると言える。調査隊の長である俺との接触が異常に少ないのも誘導されていたとなれば、敵はなかなかに頭の回る相手ということになるな」

 これまで自分がネルマに注目したのはせいぜい模擬戦参加の可否を問い質した時ぐらいであり、そこで得た臆病であるという情報から怯えの根源が判明するまでは無暗に接触するべきではないと判断した。そのことを思い返しながら“誘導”という言葉を用いると、部屋にいる二人の女性も鋭敏にネルマが敵の駒である場合の危険性を認識したようだった。

 司令官であるリクに近付けばスパイであるが故の矛盾を見つけられやすくなる。もちろん、最重要機密を得られにくくなるというデメリットはあるが、メンバー情報やこれからの予定など簡単な情報を集めるだけならば団体に属して大人しくしているだけでいい。

 もちろん。これは他のメンバーにも言える。きつく寄せ付けない態度を貫いたから誰もリクを訪ねることはない。唯一オズベルだけは懐まで潜り込ませることを許したが、それは本人にも説明した通り、彼女の能力を高く買ったからだ。リクとトルでは足りない手を補い、騎士団の者たちの指揮官として手腕をふるってくれれば、例え敵のスパイであっても損害ばかりではない。

「今日観察した中で何かこれという言動はなかったか」

 再びペンを持つ手を動かしながら確認するとオズベルは目を伏せて思いを巡らす。やがてスッと視線を上げると「関係ないかもしれませんが」と前置きをしてから呟く。

「ネルマは親を亡くしているようです」

「ご両親を?」

 話題が話題なため、トルは意外そうに、しかし声のトーンを落として訊き返す。

「はい。取りとめの無い会話の中で何気なく言っていたんですが、その話をしたときのネルマの顔が……悲しいというより、むしろ嬉しそうな……そんな表情に見えたんです」

 今の大陸の状勢を鑑みるに、親と死別しているというのはそう珍しすぎる話ではない。かといってそれを嬉しそうに語る者は滅多にいない。

「いえ……嬉しそうというと少し語弊があるかもしれません。なんて言うんでしょうか……懐かしそう……?」

 トルとリクの怪訝そうな雰囲気を感じ取り、自身しっくり来ていなかったオズベルは慌てて言い換える。

 それでも二人は納得しきれないといった様子で、リクは指先でおとがいを摘み、トルは小首をかしげて天井を見上げて思案する。

「もし災害なんかで親を亡くしてそれを保護される形で入団したとかなら、騎士団の人間を怖がるのはちょっと考えにくいかも」

 懐かしいというからにはネルマは幼少の頃に親を失っていることになる。そうなれば誰かが彼女の身柄を保護したということであり、その誰かが騎士団組織であるという可能性を想定したトルの発言だったが、リクは「いいや」と首を振った。

「今お前が言った以外にも奴の入団経緯はいくらでも想定できる。推測の段階でこれといった一本道に入り込めば間違っていたときが厄介だ。この件に関しては頭の片隅に置いておくに留めておけ」

 そう言いながらリクはペンを紙の上で滑らせた。そしてトルが素直に首肯することで応じると、これ以上の情報がないことを両者に確認し、最後となる嫌疑立てを行う。

「続いてアリに関してだが、こいつはネルマとは対照的に、ここにいる者を除けば最も俺の側にいた。かといって、ネルマと逆だから怪しくない、スパイらしくないかといえば全く逆だ。むしろ奴こそ最も怪しいと言っても過言ではない」

 この言葉にオズベルとトルは神妙に頷いて見せる。

 先ほどは凪のように穏やかなネルマの動向こそスパイに相応しい集団に溶け込むための方針だと述べたが、それは技法の一つであり、その上無難な情報のみを収集することしかできない。

 一方で上官に取り入ることで有力な情報をかすめ取り、籠絡して操り人形とするといった方法も普遍的に知られる諜報手段の一つである。

 アリという少女は積極的にリクに懐き、好意的な印象を持っていることをアピールしていた。その結果、リクの目論見を達成するために手酷い仕打ちを受けることになったのだが、リクは少なくとも本心からアリを憎んでいるというわけではないため、もしも彼女がスパイであった場合、ここまでは概ね役割を全うしていると言える。

 ただ、スパイ疑惑が持ち上がった今となってはどうあっても疑いの対象でしかなくなってしまう。表向きの怪しさ具合だけを見ると最も目に付くのが現状なのだ。

 それを分かっているからこそ、トルとオズベルの二人は取り立てて反論をしなかった。もちろん、だからといってそれで話を終わりにするつもりは誰にもない。

「アリはリク高等執筆員に対してだけでなく、私たち全員に対して社交的な態度で接しています」

「ああ。そうだな。それでいて、近づきすぎないよう距離を保っている。最初は逆説的な対人恐怖症の気があるのかと思っていたが、懐の奥深くを知られないためだったとすると、やはり奴がスパイの可能性が高いということになる」

 なるべく角が立たないようにしていたアリは、ここでもやはり疑いを濃くなる。

「そういえば、弓使いとしての腕は悪くないよね」

「……確かに一定水準は満たしていたな」

 人柄だけで明暗を判断する訳にもいかず、模擬戦で経験したアリの射撃熟練度を指したトルの発言にリクは異論を返さなかった。

 弓矢という武器……否、あらゆる武器、武術、魔術、技術は使用者が素人かそうでないかの推測が容易である。剣であれば踏み込み、脇の搾り方、振り下ろす動作から。盾であれば重心の置き方、掲げ方から。魔法であれば詠唱の滑らかさなどから学びを経てそれを用いているかどうかが分かる。要するにテキトーな真似をすれば直ちに露見する。刀身を重みに任せて落とすのと腕力を駆使して振り下ろすのは全く違うものなのだ。

 それと同じように、弓矢という武器における弓の引き方、狙いの付け方を見て、リクたちはアリが弓矢に造詣が深いと判断したのだ。

 しかし、全く文句の付けどころがないというわけにはいかなかった。

「だが目に余るところは多い。不用意な前進や構えの怠り、不慮の事態への対処は素人を通り越して馬鹿だな。馬鹿」

 弓矢の扱いに関しては満点だったが、戦闘行動はこれっぽっちも形になっていないということだった。

「貴族遊戯に近いものがありましたね」

 貴族遊戯というのは戦場に出ない貴族が娯楽のためにだけに武器の扱い方を学び、興じることだ。馬に乗って野山のウサギやタヌキを射たり、的の真ん中を射ることで得点を競い合ったり……要するに平和ボケしているという意味であり、実戦に身を置く者が揶揄するときに使う言葉だった。

「でも確か、アリちゃんって最近騎士団に入団したとか言ってなかったっけ。それなら弓使いとしての技術だけは故郷で習ってて、まだ戦うのに慣れてないだけってこともあるんじゃない?」

 実は貴族の娘なのではないかと言うトル。

「正確には田舎から出てきたばかりと言っていたな。それも箱の情報が届かないほどの。そんな辺境の地に戯れる余裕のある貴族があると思うか?」

「それは……わかんないけど」

 大陸には今、三大国家と他の小さな国々があるが箱のことは各国まで知れ渡っているはずだ。その隅々からも漏れて箱を知らないところだということは、アリの故郷はかなり辺境の地にあるに違いない。ひいては自給自足を成り立たせるのに忙しく、あれほど上達するまで遊んでいるような余裕はないはずなのだ。仮に、実益を兼ねた狩猟に伴って射撃を習得したならば、命のやり取りをしてきたのに戦闘行動がド素人であることに説明がつかない。熊に空手で歩み寄るなんてことをしていたら、今頃生きてはいないだろう。

 もしかしたらというだけならいくらでも挙げられる。それらの可能性を完全に無視してしまうわけにはいかないけれど、無理やり事実をひっくり返すことを容認すべきではない。

 そうした理由でアリの不自然な射撃能力不審なものとしてリクの印象に残った。

「それと、これは根拠としては弱いが、今日行動を共にしていて奴は気になる発言をした」

「気になる発言、ですか?」

 訊き返すオズベルに視線を向けて、リクは彼女に尋ねるような声色で言う。

「前任の箱調査担当者についてだ」

「……リク高等執筆員たちの前にこの街に来て、行方不明になった図書館職員の方……ですよね」

 概要を求められていると気付いたオズベルは可能な限り情報を絞り出してみたが、僅かな、そして当たり前のことしか語ることができなかった。

 しかしリクはそれで充分だと頷いて見せる。

「そうだ。俺もトルも、前任の担当者についてはほとんどの情報を口にしていなかった。名前、性別、年齢……そして、人数もな」

 意味深に紡がれた最後の言葉に二人はリクの意図を察知してリクもそれを分かっていたが、それでも敢えて言葉にした。

「アリは、ランドという名の前任者が複数人でこの街に来ていたことを知らないにもかかわらず、奴を指して『自分たち』……と、一人でないことを表す言葉を用いていた」

「勘違いとか、ものの弾みで言い間違えたとかってことは?」

「その可能性もある。だが、そうであると知らなければわざわざ用いる必要のない場面だったから、強く印象に残っている」

「どんな状況だったんですか?」

 オズベルの質問でリクはその時の会話を一字一句違えずに繰り返した。

「確かに、不自然ですね……。知っているからこそしてしまった発言と言ったところでしょうか」

 オズベルが納得したように頷いたところで会話が途切れた。束の間の沈黙であったが、それはすなわちこれ以上目ぼしい情報がないということだった。

 アリに関する議論も終了となると、トルが慌てた調子で声を上げる。

「でも、ここまでアリちゃんが怪しくないってことになる情報は一つも出てきてないけど……これってやっぱり、アリちゃんがスパイってことになるの?」

 トルの言う通り、アリに関する情報は全て彼女を怪しいと告げるものばかりだった。

「まあ、その可能性は充分に高い。だが、確定ではない。あくまでも『奴が怪しい』というだけで『奴がスパイ』だと決定したわけじゃない」

 決してアリがスパイであると言い切らないリクにオズベルは疑問の言葉を投げかける。

「アリがスパイじゃないとなると、誰がスパイだっていうんですか? もう全員分の議論がなされたと思うんですけど」

 問いかけに対して向けられたリクの視線に、オズベルは一瞬ギョッとする。もしや自分も疑われているのではないかと思ったのだ。

 確かに、損得勘定からスパイである可能性があってもこの場に欲しいとは言われたが、スパイでないと言われたわけではない。矛先を向けられても何らおかしくないことを頭では理解できる。けれど、自分はスパイではない。もちろん誘導操作である可能性があるのだから自覚がないだけの可能性も十分にあるが……それでも、このリク=グランドロフという人物に疑われるのは心の底から嫌だった。

 ただ、次にリクの口から発せられた言葉は、オズベルの考えとはまるで方向性が違っていた。

「今の会議で決したのは不審の程度とその順位だ」

「…………え?」

「どういうこと?」

 想定外の言葉に思考回路がうまく作動しないオズベルの代わりにトルが尋ねると、リクは新しい紙を取り出して図を描きながら説明していく。

「どんな場合においても決定的な証拠がなければそれは推論だ。所詮ここで俺たちがどんな推理を繰り広げたとしてもそれが間違っているという可能性はどこまでもついて回る。となれば、ある程度ヤマを張って、警戒しておくことしかできないわけだ。警戒さえしていれば、確固たる証拠がつかめるかもしれんしな」

 言い終えてリクは描いた図を垂直に立てた。

 『フルーナ……可能性弱 ※単独行動監視予定

  イガルガ……可能性弱気味

  ネルマ………可能性大気味

  アリ…………可能性大            』

 図をしげしげと眺めながらオズベルがようやく気持ちを立て直した様子で呟く。

「挿絵……上手ですね」

 リクの描いた図には一人一人の名前の代わりに顔のイラストが描かれていた。簡単に描かれてはいたが、よく特徴をとらえていた。イガルガが犬のように唸っている表情なのには、どこか悪意が感じられたが。

「このフルーナと同列に描かれたトル書記員の絵は何を表すんですか?」

「フルーナの自主鍛錬にトルを尾行させる話が出ただろう」

「……なるほど」

「星の数が怪しさってことだよね? そうして見ると、後に議論していった順に怪しくなっていくんだね」

「つまり、模擬戦で終わりの方にトルさんと戦った順に怪しい」

「それは違うな」

「え?」

 何かしらの計略が働いていることを懸念したオズベルの言葉を否定すると、リクは紙をテーブルに返して新たに描きこんでいく。

「…………あ」

 そして再び紙が立てられたとき、オズベルは思わず声を漏らした。アリのそのまた下に自分のイラストが加えられていたのだ。

 星は、一つもついていない。

「アリより後にお前がトルに挑んだだろうが」

 途中、密かに自分の挿絵だけがないことに気付いていたオズベルは、突然、息が詰まるような、苦しいような感覚に襲われた。心臓が大きく脈動して、それを抑え込むようにケープの下で胸の辺りをぎゅっとつかんだ。

「ていうか、なんで絵なの?」

 オズベルが、感情が外に漏れてしまわないよう必死に抑えているとそれに気付かないトルが率直な質問をリクにぶつける。

「万が一のときのためだ。例えば、オズベルがこの部屋から出ていく際に誰かに見つかったとき、何かの言い訳に使えるだろう」

 顔色一つ変えずにそう答えて、リクは紙をオズベルの方に放った。

 実はここに来る直前にアリのために薬をもらうという話をイガルガとしているため、必要がなかったのだが当然リクはそのことを知らない。

 それでも、オズベルの手は無意識の内に紙へと伸びていった。

「あ、ありがとうございます」

 若干うわずった声で噛みながらお礼を言って、紙を丁寧に畳んでケープの下に仕舞うオズベルを怪訝そうに見ていたリクだったが、やがて壁にかかった時計を見上げる。

「よし。今日のところはこれで解散としよう。最初にも言ったがくれぐれも今夜ここで見て聞いた話は他言するなよ。そして明日以降は共有した情報に基づいて、各自考えて行動しろ」

 その言葉を最後に、その夜の会議は幕を閉じた。

 自分の部屋まで誰にも会うことなく帰ってきたオズベルは、後ろ手に閉めたドアにもたれかかった。

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