第11話 淡い橙エスケープ

 次の目的地である町長邸ではリクの個人的に見立てていた通り、大変な時間を待たされることとなった。

 ただ、事前に約束をしていなかったこともあり本来ならば門前払いであったところを、図書館の職員であることを告げた途端に会うことが許されたので、アリは図書館の権威がどれほどのものなのかを漠然と理解した。

「いやはや、お待たせしてすみませんな」

 要人との会食に出ていたという、でっぷりと太った町長は応接間に入ってくるなり脂ぎった手を差し出して挨拶をしてくる。リクが握手に応じながら淡々と自己紹介をする。

「王属万全図書館、高等執筆員のリク=グランドロフです。こっちは助手のアリ=ウォーカーです」

 助手? と疑問に思ったものの、自分の立ち位置を細かく説明する暇も惜しいのだろうとアリはぺこりと頭を下げるだけに留めた。

「高等執筆員! おお、まだ全然お若いのに大したものですな」

「恐縮です」

 リクが彫刻のように固い表情のまま軽く会釈する。

 オズベルいわく、高等執筆員は図書館で上から三番目の役職とのことだが、普通はどのくらいでそこまで上り詰められるのだろう。

 リクはしかめっ面のせいで老けて見えることもあるけれど、おそらく二十代半ばぐらいだろう。それに対して今の町長の反応から考えると、だいたい高等執筆員の平均年齢は三十代後半だろうか。いや、下手するともっと高齢の可能性すらある。

全く関係ないことを考えているアリを他所に挨拶を済ませたリクは本題に入ろうとするも、町長が何やら落ち着かない様子であることに気付いた。

「それで、ええと、今日はどういったご用件でいらしたのですかな?」

 どうやらこの男、後ろ暗いところがあるらしい。とはいえ、そんなことを話しにきたのではないと首を振ってみせる。

「ご安心ください。此度、我々は改めに来たのではありません」

 国から依頼された統治状況や不正の調査の類ではないことを示すと、わかりやすいぐらいに安堵のため息をついて町長はしわくちゃなハンカチをポケットから取り出して汗を拭った。

 気持ちが緩んだ隙を見逃さずにリクは鋭利な言葉を突き立てる。

「ですが、任務のためにしばらくはこの街に滞在する予定なので、目に余ることがあれば王宮に耳を寄せていただくことになるかもしれません」

「いつまで――ああっ、いえっ、何か不足がございましたらなんでもおっしゃってください。力の限り協力させていただきますぞ」

 一度安心させることであくまでこちらには害意がないこと示し、そしてやっぱり危機意識を植え付け直した。これで最大限の協力を引き出すことができるだろう。

「心配なさらずとも、任務が達成できれば即日帰還したいと考えております。そのためにもまずは、地図が欲しい。街と、周辺5キロの地形を記したものの二種類あればこと足ります」

「はい。ただちに用意させます」

「それと、この街でここ一か月以内に継続して発生している事件はありませんか。それに関する情報も提供願いたい」

 その質問に町長の顔色が明らかに変わった。顔は青ざめ、目は泳ぎ、ハンカチをもぞもぞといじり始めた。

「あ、ありません。街はいたって平和ですぞ。何も問題はありませんぞ」

「…………」

「そ、そういえば。今年はナスが豊作でしたな。はっはっは」

「………………」

 必死にとぼけていたが、すぐにリクの無言の圧力に耐えきれなくなって、町長はぶるっと震えたかと思うとあっさりと供述を始めた。

「お、おもも、思い出しましたっ。二か月ほど前からでしょうか、行方不明者が続出しておるのです」

「行方不明?」

「はい。子供から若者にかけて、じゅう……じゅう~…………14人ほどの行方不明者が出ております。全体の略歴や事件発生時の状況に共通点は無く、また、身代を要求する声明も出されていないことから街の住人の間では神隠しにあったのでは、という噂も。……ああ、何故私の治める街でこのようなことが……」

 先ほど汗を拭いたハンカチに顔をうずめおいおいと泣きだした町長にリクは不快そうな顔になる。

「落ち着いてください。とりあえず、行方不明者全員の略歴を記した書類と捜索記録を提出してください。この事件はおそらく我々の任務に密接に関係しています。可能ならば事件の解決も目指しましょう」

「ほ、本当ですか」

 町長がぱっと顔を上げたときには、不快そうな顔を引っ込め平静な表情で頷いて見せると町長は安心したように肩の力を抜いた……かと思うとすぐにまた緊張させた。

「あ、あの……実は……」

「どうしました」

「実は……その、捜索記録の方は残しておりませんのです。はい」

 リクはぴくっと片眉を吊り上げる。そして問いただすような口調で追い立てる。

「……残していないのではなく、捜索自体行っていませんね?」

「え、あ……いや、その……」

 しどろもどろになって言い淀むことで間接的に肯定した町長に、これまで黙って聞いていたアリがついに声を上げた。

「なんですかそれっ、誘拐事件が起こってるのにちゃんと探してないんですか!?」

「ゆ、誘拐事件ではありません。先ほども申し上げました通り、行方不明になっているというだけで、神隠しという声も……。これは人智を越えた領域の話でして、わ、私の政治能力とはなんら関係は……」

「そういう問題じゃないですッ。突然自分の家族がいなくなった人の気持ちを考えたことがあるんですか!? 会えなくなって、不安で心配で寂しくてたまらないはずなのに……どうしてちゃんと探してあげないんですかっ? それでも街で一番偉い人なんですか!?」

「おい、アリ。黙ってろ」

「でも――」

「黙っていろ」

 厳しい語気で制止され、ようやくアリは口をつぐんだ。

 そしてリクは先からなんら変わらない様子で町長に向き直り、淡々とした調子で話を再開した。

「していないものは仕方がありません。またそれを責めるつもりも咎めるつもりもありません。ただ、我々と話すときは必ず正直であるようお願い致します。嘘を吐いたところで図書館の前ではいずれ明るみに出ることになります。また、それが続けばあなたという人間そのものが疑わしくなっていってしまいます」

「そんな、私は……いえ、すみませんでした」

 しゅんと俯いた町長を感情の伴わない双眸で見据えながらリクは締めくくる。

「では、地図二つと、揃う限りの事件の関係書類を今すぐ持ってきてください。咎めるつもりはないと言いましたが、やはり事件の解決は早いに越したことない。協力……してくれますね」

「は、はい! ただ今!」

 町長は慌てた様子で部屋を出ていった。少し待つと、書類の束をいくつか抱えた女の子を従えて帰ってきた。

「早かったですね」

 リクが少し驚いた風に訊くと町長は得意げに胸を反らす。

「いやぁ、秘書には常々、書類整理は入念に行うよう申し付けておりますからな。私は町長になって以来なくしものをしたことがありませんのですよ」

 それは秘書さんが偉いだけじゃん、とアリが呟いたが、幸い、愉快そうに笑う町長の耳には届かなかったようだ。

「こちらがこの街と周辺地域の地図、そしてこちらがこの度の行方不明事件の被害者の略歴になります」

 秘書が一歩前に出て束を一つ一つ説明しながらリクに渡していく。驚くことに依頼になかった地下水道の地図や、街の外交履歴などおよそ必要になる可能性のある書類も用意されていた。

 一通りざっと確認してリクは軽く頷く。

「ありがとうございます。また機会があればどうか力を貸していただけると幸いです」

「はい。いつでもいらしてください」

 別れの挨拶もほどほどに用事の済んだリクたちは屋敷を後にした。

 暗くなり始めた空の下、町長邸から帰る坂道をある程度下ったところでリクは口を開いた。

「お前は……。邪魔をするなと言っておいただろう」

「す、すいません」

 アリは酒場でのハプニングなどを顧みて町長邸における情報収集の際は一切口を挟まないよう念を押されていたのだった。

「でもひどいじゃないですか。あの町長さん。誘拐事件が起きてるのにちゃんと捜査しないなんて」

「失踪事件だ」

「似たようなもんですよ」

 珍しくアリはひどく憤慨しているようだった。つっけんどんな言い方で口を尖らせ、眉間にはしわを寄せている様子は何か深い思い入れがあるように感じられた。

「まあ、確かに誘拐事件というのも間違いではないだろうな」

「え?」

「箱という存在がこの世に出没し始めた頃から、大陸各地で行方不明者が頻繁に出るようになっている。個人から、村一つがまるまる空っぽになったケースまである。何かしらの関連性があるとみて間違いないだろうな」

「じゃあ、やっぱりランドさんが行方不明になったのも箱を調査していたことと関係が……?」

「さあな。結論に至るにはまだ情報が足りない。可能性はかなり高いが、必ずしも箱が関係していると断定するには至らない。あくまでランドの行方と箱の調査は別に――」

 不意にリクが立ち止まり腕を伸ばすのでアリは肘を胸元にめり込ませて軽く咳き込んだ。

「ど、どうしたんですか」

 尋ねてもリクは無言のまま前方を見つめている。いや、前方を見ているようで辺りに気を張り巡らせているようだ。つられて周りをぐるっと見渡すと、そこは広場だった。中央には噴水が置かれていて、それを中心に放射線状に伸びるいくつかの道から、広場が街の真ん中に位置しているであろうことがうかがえる。

 ここを通れば、街のどこへでも行くこともできる。逆に言えば、複雑な裏路地を進む自信が無いなら、どこへ行くにもここを通る必要がある。

 街に来て間もない余所者を待ち伏せするには、格好の場所だった。

 建物の陰から、路地の隙間から、屋根の上から。斧やつるはしなどで武装した男たちがうごめく虫のように沸き出した。瞬く間に全ての道を封鎖して、リクとアリを取り囲む。

「え? え、ええ?」

 突然の事態に困惑した様子のアリとは対照的に、リクはそれをあらかじめ知っていたかのような堂々とした佇まいで口を開いた。

「何者だ」

「人に尋ねる前にぃ、自分たちが名乗れてぇのぉッ」

 誰かが野次を飛ばすと集団が一斉に下卑た笑い声を上げた。

「…………」

 嘲笑に欠片も応答することなくリクは状況を確認するように視線を巡らせた。

「おいおいおいッ。人様を無視しやがって、まともな教育受けてねえみてぇだなぁ」

「生憎だが下衆と会話するための下衆語は無駄な知識として備えていない。代わりにこいつがお前たちの話し相手になる」

「うえへへぇッ!?」

「気負うことはない。ありのままを話してやれ」

 肩に手を置かれたアリは困惑を通り越して驚愕した表情でリクを見上げるも、冷たい視線で促されるとおっかなびっくりとした調子で言葉を紡ぎ出した。

「え、えと。私たちは……図書館と騎士団の併合部隊の者です。この街には……んと、箱の調査をするためにやってきました」

「ひぇっへっへ。そうかいそうかい」

「そ、それであなたたちは……どちらさまでしょう? なんでわたしたちを取り囲んでるんですか?」

「グクク……答える義理はねぇな~」

「そんな…………」

 アリが落胆した顔を見せると男たちはおかしそうに大声で笑った。

「ま、そういうわけで。別段うらみがあるわけじゃねえが、邪魔されちゃあ困るんでな……あんたらにはここで死んでもらうぜッ!」

 言うが早いか男たちはリクたち目掛けて一斉に駆け出す。

「うわあぁっ」

 アリが悲鳴を上げながら身を縮めたとき、リクが鋭く叫ぶ。

「すくむな!」

「へ?」

「身体を起こせ。構えを解くな。自分の身ぐらい自分で守りたいならな」

 厳しい口調とは裏腹に、リクは笑っていた。薄く、不敵に、歪んだ笑みを浮かべていた。

 そしておもむろに右腕を振りかざし、口を開いて呟いた。

「『――トルネード』」

 それはアリに時間を稼がせていた間に整えた詠唱の最期の一句だった。

 その言葉を口にした途端、リクの腕を起点に風の渦が巻き起こる。渦は一瞬で膨れ上がり、飛びかかってくる男たちを弾き飛ばした。

「魔法……」

 男たちが悲鳴を上げながら石畳に叩き付けられるのを透明な壁越しに見届けながらアリは呟いた。

「行くぞ」

「えっ?」

 昨晩拝めなかったリクの戦闘スタイルを目の当たりにした余韻も束の間に、アリはリクに腕を取られそのまま渦巻く結界に向かって引っ張られる。

「ちょちょっちょっと!?」

「右に流されるぞ。踏ん張れよ!」

「~~~っ」

 いよいよ濁流に飲み込まれそうになって覚悟を決めたのと同時にリクの声が飛ぶ。

「跳べッ」

 言われた通り、だんっと石畳を蹴って飛び上がる。突風に触れた途端身体が強く右に押し流される。

 間もなく着地するときアリは危うく転倒しそうになるも、リクに引き上げられて何とか体勢を立て直した。そして勢いそのままに、がら空きとなった路地に駆け込んでいく。

 馬車が一台通れるか通れないか程度の狭い路地を走る最中、リクが右手を壁に当てねじり上げるように撫でるとその延長線上に氷が走り、リクたちの通る道に屋根ができた。

 どん、どんどん。と建物の上から突撃しようとした、待ち伏せていた者たちが不意の着地をする音に、アリが屋根を見上げていると不意に腕を強く引かれその感触が消える。

 思わず立ち止まりそうになるとアリとすれ違って後ろに出たリクに「止まるなッ」と檄を飛ばされて慌てて足を動かす。

 檄を飛ばすのと同時に路地の幅いっぱいに火柱を立ち上げたリクは再び走り出し、すぐにアリに追いついて並走した。

「あの……、もう追ってきてないんじゃないですかっ?」

「奴らの仲間が他の部隊を狙っているかもしれない」

 ちらと後方を確認しながらアリが尋ねるもリクは速度を緩めることを許さず早口で答えた。

「な、なるほど」

 それは由々しき事態だとアリは無駄話を控えてリクについて走り続けた。

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