第757話 あなたは歴史に名を残す
そんな訳で新しく建設する区画の名前は決まった。
聖靴通り(読み:せいかどおり)である。
以降、新しい区画に関する全ての議論や計画書には「聖靴通り」という名前が使われることになる。そればかりか、建設予定地に居住する革通りを含む全ての者達の生誕名簿には「聖靴通りの何番目の何某」と記されることになるわけだ。
「聖靴通り・・・」と何度も噛みしめるように呟いているゴルゴゴの様子などを見るに、非常に名誉な通り名らしい。宗教心の薄い俺にはよく分からないが、感覚的には千代田区皇居外苑、あたりが住所につくイメージだろうか。100年もすれば、このあたりに住むこと自体に強いブランドがついて「聖靴通りから婿を取りたい!」などと言われるようになったりするのかもしれない。
「聖靴通り。すばらしい名称です。早速報告しなくては・・・」
などと忙しげに羊皮紙の報告書にペンを走らせる聖職者もいるが、この尊いとされる地名が汚い工房の一室で出自も卑しい田舎巡りの舞台女優の口から発されたものである、というのが何とも愉快な気がする。
「街の歴史に名を残したな、アンヌ。通りの名は不滅だ。俺やお前が死んで孫のそのまた孫の代になっても引き継がれることだろうさ」
声をかけられたアンヌは「そうね」と素っ気なく応えただけだったが、見る見る内に上気して顔が真っ赤になった。
「なんだ、小団長にでも惚れたか」
「うるっさいわね!そういうんじゃないわよ!!」
キリクが混ぜっ返すのに叫び返すアンヌの声は、いつもの調子とは少し違っていた。
「すごいね、ケンジ」
「そうだな。すごいことだな」
新しいことを始めれば庶民でも貴族にできないことができる。
能力とアイディアさえあれば庶民でも名を残すことができる。
階級と血縁がものをいう世界に風穴を開ける。
会社という仕組みには、それだけの潜在能力がある。
ただ、サラが言いたかったことは少し違った気もした。
◇ ◇ ◇
「さて。聖靴通りの建設には、教会だけでなく大商人に金を出させたい。そのためには模型が要る。しかし、模型のためにはデザイン、つまり見た目の良い魅力的な絵が要る。ここまではいいか?」
参加者達の気分が少し落ち着いたところで、目下の懸案に振れる。
デザイン。全てはデザインにかかっている。
「工房を作った時と同じね!あの株式会社の図、とかいうのは書かないの?あたしも役職っていうの欲しい!」
「それはもうちょっと後だな。そうか、あれはあれで絵には違いないのか」
誰がどんな役割で、どういう指揮系統が存在するのかを示す組織図。
自分では当たり前に書いていたが、そういえば教会の書類でも見たことがない。
「最近は少しずつ取り入れられていますよ」
とのクラウディオの答えに「そうか」と頷きかけ「最近?」と反問した。
嫌な予感がする。
「ええ。王都と教会の上の方では書類の書き方が変わってきています。特に報告書ですね。状況を一覧できるように罫線を引いた表や、ぐらふ、という数を大きさで表す図案なども一部では取り入れられて来ています。もっとも、正式な書類はそう簡単に形式を変えることはできませんから、文官や官吏の一部が使用している、というのに留まりますが」
その派閥はニコロ司祭の派閥で、元になった報告書は冒険者ギルド経由で挙げている報告書のことだろう。
とりあえず今は何も聞かなかったことにした。
何しろ片づけなければならない問題が山積している。
聞かなかった問題は発生しなかったことになる、と信じるのみである。
◇ ◇ ◇ ◇
都市のデザインに統一性を持たせる。
言葉では簡単だが、実務としては大変に難しい。
統一性には基準が必要だ。それは企画者の美に対する強烈な拘りであったりするのだけれど、あいにくと自分にはない。
コンペ、という手もなくはないが基準がない中でデザイン作業を外部に投げたとしても、ふらふらと迷ったあげくにバラバラなデザインの建物群ができあがるのは目に見えている。
となると、統一性の基準をどこに求めるか。
そもそも聖靴通りの中心点はどこか。
「まずは教会の様式を調べるかな・・・」
意志決定ができないときはインプットが足りないときである。
となれば、インプットの作業にかかる方がよい。
良い機会なので、教会の書庫をひっくり返してみるのが良いかもしれない。
幸いにして、そうするだけの理由もコネもあるわけで。
少しばかり代償が怖いけれども・・・。
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