第756話 財布の紐を緩くする名前
財布の紐が堅い金持ちに気持ちよく金を出させるには「胡散臭い」人間が言葉で説明するよりも「儲かりそうだ」と視覚で理解させる必要がある。
見ることは信じることだ、という言い方もある。
「そこで、最初の問題に戻るわけだ。新区画がどんな通りになるのか。素人が見てわかる斬新さ、が必要になる」
区画のイメージを言葉で定義し、周辺から彫り込むように言葉で固めていき、最終的には視覚化する。
「最終的には模型を作ることになるだろうな」
「あれね!領地の水車と同じみたいに」
「そうなる。あの手法が有効なのはわかってる。それを街全体で作ることになる」
水車の場合は機構と機能が大事だったので、俺でも説明ができた。
しかし新しい街はコンセプトで価値を売り込む必要がある。
そこにはデザインのスキルを持つ人材が必要となる。
そしてデザインの問題は未だに解決していない。
「名前も大事よ」とアンヌが口を挟む。
「そうだな。名前も大事だ。何か思いついたか?」
元舞台女優はつんと顎をそらせ少しだけもったいぶって演説を始めた。
「あんたの話を聞いている内に、大体はね。まず2等街区のお客さん達を教会に紐付いた名前の方がいいと思うのよね。酒と夜の女通り、なんて名前だったら良き市民を呼びこめないでしょ?」
「違いねえ。俺はそっちの方がいいがね」
「その手の下品な男共が寄ってこないためにも名前は聖人や教会に因んだものがいいわね」
キリクの気安い冷やかしをアンヌが切り返す。
まるで酒屋の女中と酔客のようなやり取りだが、それもまた2人の距離感なのだろう
「なるほど。そうすると、聖人の名前を・・・いやだめか。それは教会に禁止されていたな」
前面に教会の聖人の名前まで出すと教会の色が強くなりすぎる。
宗教行事にかこつけた商売をメインとする都市としては、教会が商売の主役になるわけではないという建前が大事なのである。
「あるじゃない。靴よ、靴。あんたとあたしの商売の種の靴!」
アンヌがサラの足下のよく手入れされた赤い靴を指す。
「すると守護の靴通りとか?」
「バカね。守護の靴じゃ有り難みが足りないでしょ!冒険者のための通りじゃないんだから!この工房で作る靴は今や冒険者だけでなく枢機卿様も履かれる聖人の靴なのよ。聖なる靴のおわします通り!通称で聖靴通り、よ!」
「聖靴通り・・・」
「聖靴通り!」
「聖靴通り、ですか」
聖靴通り。
その名前には何とも厳かな、それでいて親しみやすい響きが感じられる。
いい名前だ。
「すると革通りも改名することになるかの?」
「そうなる。いや、そうする」
ゴルゴゴの問いに革通りの名前を変えることを約束する。
革通りは、怪物の死体の革を扱うことや臭いの強い薬品を使うことなどから、都市の片隅にまとめて押し込まれてきた、という歴史がある。
当然、その業務に従事する者達も尊敬される職業、というわけにはいかなかった。
しかし、それも変わる。
聖なる靴を前面に押し出すことにより、革通りは都市の隅に押し込められた卑業の界隈から、聖なる業務に従事する宗教的な通りへと生まれ変わるのだ。
臭くて汚い職業が、苦難に耐える聖人への奉仕と見なされる。
街の人々が彼らを見る目は180度変わることだろう。
教会が通りに出来ると言うだけで喜んでいた職人達が、この事を知ったらどれだけ喜ぶことだろうか。小さなトマ(256話)のような連中がどれだけ跳ね回るか、今から少し楽しみである。知らせる前に怪我をしないよう工房を少しばかり片づけておかないとならないな。
「やれやれ・・・生誕名簿でまた教会へ喜捨せねばならんの・・・」
愚痴りつつも、ゴルゴゴの声は嬉しさを隠せないでいる。
皺の深い目尻に少しだけ光るものが見えた気がした。
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