第739話 名簿は数、名簿は資産

小銭と食事で元気いっぱいに走り回る少年達のおかげか、それとも3等街区の住人達に警戒心を抱かせない作戦がうまくいったためか。たったの数日で道路敷設予定の家屋に住む市民と市民ではないが居住者達の名簿は、ほぼ集まってきた。


「これはかなり精度が高い名簿ですね…」


と、積み重ねられた小さな羊皮紙をめくりつつクラウディオは嬉しそうな声を隠さない。

聖職者にとって信者の名簿というのは信徒の数であり、信仰の力と権威の大きさであり、喜捨する資産の大きさでもある。

顧客名簿を見てニヤニヤする営業マンのようなもの、と言い換えてもよいかもしれない。


「オホン!ところで・・・」


うろんな視線を感じとったのか、そそくさと住民の情報が書かれた小さな羊皮紙を卓に置くと少し咳払いをしてから、聖職者は意外な言葉を発したのだ。


「・・・教区はどこまで広げますか?」


「広げる?」


いつから教区というのは延びたり縮んだりするものになったのだろうか。


◇ ◇ ◇ ◇


「そもそも3等街区には教会はあっても、管理された教区はありません。少なくとも、この水準では」


卓上の羊皮紙をつまんでひらひらとさせながらクラウディオは続ける。


「信仰は平等。ですが喜捨は平等ではありません。普通は3等街区における教会は施しの場であって力なき民のための場であるのです」


教会は、しっかりと階層化されたこの世界にあって限定的ながら下位の身分者に信仰と学問と法律を通じた立身出世の道を用意し、王侯から喜捨を受けた財産を貧民に施す再配分の仕組みを持っている。


貴族様は奪うばかりだが教会は自分たちの力になってくれる、というのが素朴な農民の抱く教会のあり方であり、だからこそ信仰される組織として存続しているとも言える。


「ところが、あなたはこの教区を造り変える。そのおつもりでしょう?」


造り替えるとは大げさな。


「ただ真っ直ぐで水はけが良くイヤな臭いのしない石畳の道路をしくだけさ。少しばかり花とハーブを植えられるようにはするつもりだが」


3等街区の居住環境はお世辞にも良いとは言えない。

雨が降ればイヤな臭いのする水たまりができ、風が強ければ乾いた糞尿混じりの砂が吹き付ける。雑な石積みで崩れかけた壁の家々には傷んで腐りかけた木の屋根がかけられている。

それがこの都市の末端の市民である3等街区の者達が住む世界だ。


単に俺個人の快不快だけを重視するのであれば、多少の財産はできたわけだし伝手もあるのだから、自分とサラの住居は快適な2等街区に移した上で不快な環境の3等街区の工房には仕事の時だけ通えばいいという考え方もある。


だけれども、そんなことはしたくない。

今の自分が少しばかり工房主として大きな顔をしていられるのは、自分が足を痛めて引退したゴロツき冒険者でしかなかった時分から、そして幾多の脅迫や襲撃にあってもジッと耐えて冒険者のための靴を作り続けてきてくれた若い職人と家族達の協力のおかげなのだから。


「事務所暮らしも慣れたものさ。近頃は部屋も広くなってきた」


工房の拡張にあたり両隣の工房を買い取った結果、ベッドと机が入ると身動きのとれなかった事務所も少しは広くなった。

おかげで人間らしい生活はできているし、サラが部屋の中で茶を煎れられる設備はある。


「そんなわけで、俺としては職人と家族、道路の周囲の人間に少しばかり清潔な暮らしを知ってもらえればいい。教区の拡大?とてもとても。興味がないよ」


教会(正確にはニコロ司祭)の権力拡大に組みするのはやむを得ないが、教区の拡大などという聖職者の利権ど真ん中に踏み込む度胸はない。

それこそ命がいくつ合っても足りないだろう。


だから「ですが、教区を決めるのはあなたですよ。代官様」などと人の退路を断つのはやめてもらいたいものだが。

慎ましやかに生きようとする信徒に権力への道を説くのは神の教えに反しないのか。


「さっきも言ったように名簿の精度はまだまださ。広げる話をする前に中身の話が要るだろう?」


「私には十分に思えますが。少年達の働きも、それを使うマルティンもなかなかの手腕です。この仕事が終わったら引き続き教会の方で雇っても良いぐらいです」


一見すると物乞い同然の子供達だが、どこにでも潜り込んで信徒の深い情報をとってこれるとなると確かに教会にとっても使い勝手が良い組織かもしれない。

お行儀の悪さと見てくれの悪さに教会のお上品な上層部が耐えられれば、教会の権威の確立に役立つこともあるだろう。


「冒険者になりたい連中もいるだろうから、キリクと相談してもらうところだな」


いずれにせよ、駆け出し未満の連中の就職口が増えるのは悪くない。

これも日頃のマルティンとキリクの仕込みと躾の賜物だろうか。

それもこれも仕事が終わった後の話なので、今は名簿の話を続けることにする。


「そもそも、この名簿では生業と稼ぎの裏付けがとれてない。誰がどんな仕事をしていて日にいくら稼いでいるのか。賃貸の連中は家賃をいくら払っているのか。そのあたりの金の精度をもう少し調査しないと片手落ちだろう」


「ふむ・・・喜捨を求めるには必要な調査かもしれませんが、それは道路を造ってからでも良いのでは?」


なるほど、そこに認識の違いがあるのか。


「名簿の情報は金を集めるために作っているんじゃない。金を払うために作っているんだ」


しっかりと目を合わせ誤解のないように告げた。

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