第722話 革通りの靴工房は故郷なり

街角を曲がったら、壁だった。


街の入り口で一時的に護衛の剣牙の兵団と分かれて、一路工房に向かう街路を辿っていたはずなのだが。

いや、道順は間違いないはずだが・・・。


久しぶりの街で道順を誤ったのだろか、とケンジは困惑して周囲を見回した。


◇ ◇ ◇ ◇


街の南大門をくぐり、崩れかけた城壁を右手に3区画進んで左に2つ、右に1つ曲がった角の裏通り。

3等街区の奥まった一画に、ケンジの靴工房はある。


ケンジが拠点とする街は、大まかな等級でいうと3つの街区に分かれている。

貴族や大商人が住む1等街区、成功した職人や商人が住む2等街区、その他の住人が住む3等街区。

ちなみに街の中心には当地を治める伯爵の住まう館と教会の大聖堂があり、剣牙の兵団は2等街区に本拠を構えている。


白く磨かれた美しい壁に囲まれ衛兵に厳重に出入りが管理される1等街区や、分厚く高い城壁に囲まれた2等街区と異なり、3等街区はいわば貧民達の住居が寄せ集まって自然に形成されたスラムに近い。


一応は一定地域毎に配された教会や地区の顔役などが最低限の管理と自治を行っているが、石畳はいたるところで剥がれ、排水溝は道に掘られた溝に過ぎないために、少しの長雨で嫌な匂いのする汚水が路に溢れる街。崩れかけた城壁の内側で貧しい人々が身を寄せ合って暮らす場所。

それが3等街区である。


ケンジが経営する靴工房いえは、怪物の革を処理する専門の職人達の工房が集まり軒を連ねた通称”革通り”の一画を買い取って建てられている。


皮をレザーとして製品加工するためには、皮の皮脂を専用の刃物で薄く剥がす、皮脂を薬品で溶かす、塩と薬品で揉む、といった複雑な工程を踏む必要があり、各作業の工程を担当する職人達が、さながらコンビナートのように中間製品を融通し合って最終製品であるレザーを作りあげているわけだ。


ケンジはパートナーであるサラの助けもあって、そうした職人達が構成する価値連鎖バリューチェーンの中に飛び込むことで、冒険者向けの靴に必須の革と職人達の技術協力を獲得することができた、という言い方もできる。


つまりは、ケンジの工房が低価格で高品質の靴を製造するためには、革通りの職人工房達の協力は不可欠なのである。


一方で、ケンジは冒険者向けの靴製造で得られた利益を婦人や子供の雇用、不採算工房の買収、原材料調達に給食の提供、という形で革通りの職人街に還元しており、互いに利益のある関係を築いている。


近年の様々な成功がもたらした活況もあって、ある意味で革通りはケンジの小さな王国と化している、と一部には評する者もいる。


ケンジが耳にすれば「こんな中間管理職みたいな王様がいるものか」と強く異議を唱えたであろうが。


◇ ◇ ◇ ◇


その”革通り”があるはずの場所に、壁がそそり立っている。

分厚い板を鉄の留め金と鋲で固定した、見るからに頑丈な壁だ。


ふと、頭上で笛か何かが吹き鳴らされる音がした。

次に、起きた光景にケンジは目を疑った。


キリキリと鉄と木材の部品が軋む音がすると、目の前にあった壁が左右にわかれていくのだ。


真っ先に目に入ったのは、大勢の男たちが隘路の左右に分かれて整列している姿。


「「「小団長、おかえりなさい!!」」


壁、いや、通りに設けられた強固な門の向こう側で待機していた大勢の職人たちが、一斉に頭を下げ声を揃えた挨拶の野太い声が隘路に響きわたった。


「お、おう・・・」


極道ヤクザ映画で見た光景シーンだな、と久しぶりに元の世界のことを連想したのは、現実逃避したくなった潜在意識のなせるわざだろうか。

そして、嬉しそう?に羊皮紙の束を抱えて駆け寄ってくる街に残していた補佐役達が視界の隅に映りこむ。


どうやら、街の靴工房でも碌でもないことが起きていたらしい。


聞きたくない、が聞きたくない情報ほど聞かねばならない情報なわけで。

打ち手が遅れて苦労することになるのも、責任をとるのも自分自身である。

誰もケンジの肩の荷を負ってくれる者はいない。

小団長せきにんしゃのつらいところだ。


ケンジは早速に的中したトラブルの予感に何度目かもわからない、ため息をつくと口を開いた。


「何があったんだ」


発せられた声に、うんざりした響きがなかったことは自分でも誉めてやりたい。

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